私の母と娘の生きざま

先日、いつもお世話になっている大学の先生が
某新聞に掲載されたという情報をゲットし
その新聞を取っている近所の親戚の家に行きました。

そこで親戚のおばさんと雑談していると、おばさんが
「そうそう。ヨシコのお母さんなぁ
あんたらがまだ小さい頃、いろんな内職やってたやろ〜?」

「うん、やってた。」

母は父と26歳で結婚。典型的な職場恋愛。
当時は今の体型からは想像がつかないくらい?
細くて、美人だったそうで
(母親談。ホンマかいな〜?!!)
本町(八尾ではありません。大阪市内の)にある
とある外資系の会社の受付嬢を辞め、専業主婦になりました。

それで、二歳上の兄・私・二歳下の妹を生み育てました。

私が物心ついた時には、すでに得意な洋裁関連の内職をはじめとして
ブラシのついたドライヤーのブラシの部分を組み立てる内職や
駄菓子屋さんによくある、くじを引いて出た番号(1〜100)によって
もらえる景品を台紙に括り付ける内職
今でも意味不明な(それ何に使うの??)
ただひもを団子結びにするだけの内職などを
育児&家事のあいまにしていました。

おばさんは私に、母が過去にやっていた
「商売」について教えてくれました。

それは昔、家の隣にあった畑で花を育て
どこかのスーパーで売ってもらっていたのです。

おばさん曰く
「いつも綺麗にお花を器用に束ねて・・・
ま、素人やからあまり沢山作れなかったみたいやけどね。
スーパーに置いてもらっているから、例えば400円で売っても
お母さんがもらえるのは、200円とかくらいやったみたい。
『一日の売り上げが200円くらいやわー』ってお母さん嘆いてたけど
『それで食パンが(そこのスーパーで)買えるから、ま、えっか♪』って言ってたで」
と言いました。

私が小学生の時、
よく母が「これ学校に持って行き〜」って
リサイクルされた百貨店の包装紙に
綺麗な花束を包んで渡してくれたことを思い出しました。
それで「あ、その時、その200円の商売をやっていたんやな!」
と気づきました。

私は、そんな手間隙かけた割には
たった200円しか利益が得られない商売をやっていた母に
娘としてとても感動しました。

「かあさんがよなべをして、てぶくろ編んでくれたー」の世界ですね。
これぞ、家族愛。
ホント、母って偉大です。

けど、私は母のような人生を歩みたいとは思いません(^^;)。
そこまでして
私たちを育ててくれたことには本当に感謝していますが・・・。

私は一日200円の商売は出来れば避けたいです。
それから「八尾」という狭い地域だけで、商売をしたくありません。
そして、もっと広くて大きな勝負をしたいです。

ま、母の時代は結婚して専業主婦になるのが
一般的な時代でしたから、そんな人生なんでしょうが
私が専業主婦になる・・・なんて到底想像出来ません。

母と私は半分血は繋がっていますが
別の人格者ですので、考え方も性格の違います。
生まれ育った環境、与えられた教育も違います。

こう思うのは、明らかに私の父の影響です。
私の父はそんなフロンティア精神の持ち主です(詳細は後日)。

ま、そんだかんだで親戚の家から新聞と
「感動」をもらって家に帰ると
居間で母が、若い時のナイスバディの影が
とーの昔に消え去ったカラダを
亀がひっくり返ったような格好にして
ダラ〜ってしていました(^^;)。

さっきまでの感動がどっかに吹っ飛びましたが、
その後
娘も母の横で、ダラ〜っとしていました(笑)。
この辺りが、親子そっくりです。

母は世界一、気を使わなくていい人デス。

また母をラーメン屋さんかどこかに連れて行ってあげようと
思います(^^)。