絵筆をとる天皇・皇族

日 時 平成30年6月27日(水)13時30分〜15時
 江戸時代初期の後水尾天皇とその周辺の皇族は、絵を描く
ことにたいへん熱心であった由。
 そのような状況は、当時の宮廷に関わる職業画家とも密接に
関係しているとのことです。
 その職業画家の代表が、俵屋宗達、狩野探幽らでした。
 この宗達や探幽らのどこか素人風で淡白な様式が、天皇や
皇族の絵画観や趣味に合致していたのではないでしょうか。
 前述の後水尾天皇(1596〜1680)の経歴ですが・・・
 16才:即位(在位1611〜1629)、25才:二代将軍徳川秀忠の娘・和子が入内、34才:退位(娘の明正天皇へ譲位)以後は上皇〜法皇、85才:崩御・・・・です。
 後水尾天皇が絵画を中心に文化にたいへん貢献された理由は、長命であったことと徳川家からの莫大な援助があったことによるようです。
 当時の作画の特徴は、①画題が神仏・花鳥・肖像画等が多い、②宮廷の教育環境が充実、制作や鑑賞の現場を共有、③一定以上のレベルの画技(堂々、大らか、優美・・・)です。
 職業画家の役割ですが、基本的には狩野派が教授や補作をつとめていたようです。
 後水尾天皇の絵画に「奔馬」(写真)があり、書は沢庵の手と言われ、絵自体はうまいと言えるほどではありませんが、墨の扱いには慣れている感じです。(現所在不明)