{阪神競馬場と地元が関わる埋もれたエピソード}
平成19(2007)年11月1日
仁川まちづくり協議会 運営副委員長 田中邦夫 作成
○マザーテレサ女史が仁川(阪神競馬場)に足跡を残していた——
平成19年は、地球規模の福祉実践者マザーテレサ修道女の没後10年の節目にあたり、数多くの国々で、このノーベル平和賞受賞者の生涯を偲ぶ催しが行われています。
女史は日本に3度訪れ、毎回多忙な中、スケジュールを調整し、その2度目に宝塚
市の阪神競馬場において講演をされましたが、今では周辺の方々はもとより、会場を
提供した阪神競馬場においても記録が残存せず、事実が忘却の彼方に消えようと
しているため当時のことを再発掘することにしました。
この偉大な人物を宝塚にお招きできたことは、大衆参集が可能な阪神競馬場という広大な空間の存在があってこそ実現を可能にしたことであり、女史没後10年にあたり、文字として競馬場と地元史の一隅に留めて頂くことにしました。
—事実発掘の糸口—
当時この講演を拝聴した方々からの伝聞はあるものの、何年頃どのような経緯で、どのような模様であったかは混沌としており、確かめる方途を悩んでいました。JRA OBの集まりでおなじメンバーの田中さんとの会話のなかで、この件はかってJRA社内報「たてがみ」の編集をしていた現JRA広報部長横山氏に手がかりを求めたらとの示唆を得て問い合わせしたところ、莫大な刊行物のなかから小さなコラムを見つけて頂き糸口か一挙にほぐれ、ようやく関係者との面談が可能となり下記のことが判明しました。
—女史招請主催団体と依頼活動—
宝塚青年会議所(第17代理事長松本善實現阪急学園理事長)では、マザーテレサさんを招き『愛と平和の集い』という奉仕活動事業を立案。この大望を抱え昭和56年にインドカルカッタ市青年会議所と連絡をとり、斡旋のもと理事長などが数日インド各地を巡り女史とかかわりある有力者と招致につき交渉をしましたが、スケジュールの関係で不調に終わりました。
翌年諦めることなく兵庫県知事の紹介状も携え理事長など5名で再度渡印した結果、熱意が実り、女史2度目の来日時昭和27年に宝塚を訪れるとの快諾を得たものでした。
(2に続く、乞うご期待!!!)
写真出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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