[仁川まち協]デジカメ技術のコーナー vol.00294

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 人生における「厄年」の考え方はかなり古くからあったようですが、嵯峨天皇の41歳の厄年に当る西暦829年に、弘法大師の空海によって厄除け祈願が行われています。

 空海は、愛染明王と不動明王が一体となった「厄神明王像」を三体彫り、高野山の天野社、山城の岩清水八幡宮、門戸の東光寺に納め、それぞれ国家安泰、国民安泰などを願って勧進しました。

 その後時を経て、現在残っているのは私共の「門戸厄神・東光寺」だけであるといわれていますが、現在三大厄神とされるのはこの門戸厄神・東光寺、高野山の天野明神、それに京都山城の石清水八幡宮(男山八幡宮)です。

 厄神さんそのものは八幡宮として全国のいたるところにありますが、我々の門戸厄神は場所は西宮市に位置していますがその由緒が正しく、宝塚市民、とりわけ仁川の人々にとっては地元の厄神さんとして絶大な人気を集め、深い信仰の支えになっているのではないでしょうか。

 今日の写真は、この寺社で一番重要な正門入口にある「男厄坂四十二段」の階段です。四十二段の階段の端に小さな賽銭籠が置かれ、該当する厄年の男性が一段ずつお賽銭を投げ入れながら参詣のために登段する慣わしです。

 私もコンビニで小さな買い物をしてお釣で10円硬貨を沢山入手し遠隔地の娘婿のために祈願をしながら登りました。上の方には「女坂」もあります。

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 (写真記事=仁川在住写真愛好家 / 構成&編集=サトウ基裕