会員からのレポート 「武士道日捲りカレンダー」

「武士道日捲りカレンダー」 影山 俊郎

 武士は基本的には外敵と戦闘し勝利することを目的とする武闘集団であるため、武士道精神は自ずから武士たるもの男子たるものはかくあるべき… という強い武人育成の思想として発展した。武士道は、長く平和だった江戸時代に、指導者階層の武士が武士らしく生き、また人間として生きる規範として形成された。それが江戸時代末期までの間に武士階級以外の一般庶民にも広く浸透した精神であり、日本精神と呼べるものになっていたと考えられる。
 武士道精神は、指導者階級の武士が、精神修養に基づく覚醒により、自らを律する実践倫理思想として磨き上げてきたものであり、神道・仏教に儒教を基礎とする日本の伝統精神プラス武士が武士らしく生きる武士道を加味し精緻化した思想である。長く平和だった江戸時代に武士階級以外にも波及した思想であり、いわば日本精神として形成された。この武士道精神日捲りカレンダーは、武士道精神の日常的行動への現れ方、武士の生き方を参考として、日本人のもつ本来の倫理観、道徳観の原理原則を日捲りカレンダー形式で理解しようとするものである。

第1編:武士の生き方編
<1日>
“潔さ”、“覚悟”、“言行一致”が武士道の基本』。武士道精神は指導者の精神、人間としての心構えを重視する。何を為すべきかを常に自らに問い、指導者階級の精神、人間としての心構えとして、 潔さ、覚悟・覚醒、言行一致を重視した。武士は、個人としての覚醒、人間としての覚悟を常に意識し、口に出して言うことと行動が一致することを理想として追求していた。

<2日>
名誉を守り公に尽くす使命感、名誉と信義を重んじ実践する志が武士階級の心の支えである。日本・日本人の長い歴史の中で集大成されてきた個人レベルの倫理観は、主としては大自然の神・神性なものへの畏怖心、ケガレ、タタリに対する清め、祓い等を土壌とする神道的倫理観、地獄と極楽を対置しての自力本願と他力本願の仏教的倫理観、個人の覚醒を重視する儒教的思想を混在させて生まれた思想を背景とする意志力(自制力、克己心、恥を恐れる意識、死生観、徳性を重視しそれを守る高貴な心を大切にする生き方)を重視し、所属する組織への忠誠心および組織と個人の共同体的相互依存を中核とする武士道的実践倫理観、美しい自然と共生する環境倫理観等の複合的な精神的環境等の中から生み出されている。武士が刀を外し、髷(マゲ)を切っても武士の魂は、能力主義・実力主義・組織主義をベースに時代変化に順応する柔軟性を持っている。

<3日>
不撓不屈の信念、使命・大義・正義・信念を守る強い意志、損得勘定をしない。 物欲を抑制する忍耐心・克己心 感情を露わにしない(喜怒哀楽を顔に表さない)生き方を鍛練した。
武士道は、貧富と貴賎を別のものと位置づけ、身は貧にあっても、志を高く持ち公に尽くすことを旨としている。武士は吝嗇を戒め、弱者に同情し、弱者を追い詰めないこと、助けることを美徳としていた。

<4日>
公のための自己犠牲を犠牲と思わない生き方を選択した。卑怯な行為や弱い者いじめを嫌う正義感を説いた。正邪の判断力、しなければならないこと、してはいけないことを単純明快に区分した。

<5日>
約束したら必ず守る信義を重視した。武士の約束は絶対守るという作法を表す言葉にきんちょう(金打)という言葉がある。約束を守る意思表示に刀を少し抜いて鍔を鳴らす作法である。一旦交わした約束は自分の損得を度外視して 是を必ず固く守り、もし違約した場合腹を切って詫びるというものである。約束をした限りは守る、武士はこれを重視していた。

<6日>
勇猛心・勇気を鍛え、正義を実行する意志力を鍛えた。正義を守る勇気を持つことは武士、男子たるものが守るべき基本的心構えとされた。 至誠の志、個人の覚醒、悟り、礼節が武士魂を磨く基本目的であった。忠義、忠誠、至誠の道を貫けば神も守ってくれるという神道信仰の裏付けがあった。また明治維新以降も、社会文化経済の近代化の中での倫理観として様々な日本精神を残した。

<7日>
日本精神、大和魂、仁・義・礼・智・信等々と書くと、古臭さを武士道精神の中に感じる人が多いかも知れないが、武士道精神には現代に通じ、未来を切り開く人間の潜在力を呼び出す力がある。国民精神を呼び戻す力がある。武士道精神の精髄は、将来を切り開く潜在力であり、国際社会に貢献する日本人の精神的基軸・行動指針である。国際社会が再認識する日本人の力の源泉がある。

<8日>
武士道には、キリスト教的な“愛”を背景とする弱者救済思想は欠如し、また他人に対し、ほのかな温かみ、優しい微笑を表することを軟弱と見て、心情が顔の表情に表れないように包み隠し、笑うことは武士らしくないとして無表情を装っていた。武士道的礼儀は、自分が有利な立場の時は、それを誇り自慢することではない。同情されるべき苦境にいる相手と同じ苦痛を味わうことを相手への礼儀作法としていた。例えば、傘を持たず雨に濡れている人がいれば、傘をさし掛け一緒に歩くのではなく、自分の傘を畳んで濡れている人と一緒に濡れるような形で、優しさを示す方法をとることである。世界的には判りにくい礼儀作法であるが、相手を羨ましがらせて傘の無いことを不幸に思わさせない配慮、自分の有利な立場を相手に自慢しない態度、相手に卑屈感・嫉妬心を抱かせない配慮、そういう礼義である。近代的概念であるヒューマニズム、隣人愛、弱者救済の情と類似のものが無いわけではないが、それを表現する方法がキリスト教世界に理解されにくい面があった。日本文化の基本は自立・自助、独立自尊であり、他人への依存心や、他人からの恵み・施しを受けることを嫌う。手に職を持つ方法を選ぶ、苦労して働く。自分を自慢することを嫌う生き方を美徳とする。これらは武士道精神から派生した生き方である。

<9日>
武士は、個人意思を顕す究極の手段とする死生観をもつ。武士は失敗や不忠に対して死んでお詫びするという、死を恐れず、身を滅して、「義」とか「公」に尽くす精神構造をもった「決死の意思」を重視する集団である。誠意・正義・忠誠を疑われたとき切腹して誠意を示す。常に目標とする志操・行為の実現に決死の覚悟をもち、失敗したらハラを切る覚悟をもって行動をとるという姿勢が切腹である。死を恐れない態度、死をもって誠意を示すという厳しい姿勢が強い。

<10日>
武骨さ、剛直さが武士道の土台にある。武士は、いつも武士らしく生きるための“自我”を練磨し、武士たるものは、常に社会や組織と対峙したとき個人として如何に行動するか、如何に生きるかを反復自問し、個人の生き方を鍛錬して“自立した行動に責任をもつ個人” “強い信念をもつ個人”を涵養することである。武士は、信じることを上司に諫言し、改善策を提言し、組織・藩を自滅から救い、行政改革・経済改革・社会改善を主張し、それが実現できない時、死んで一分を守るという、強烈な意思主張する意思的死を実行する。上司に、組織に、世間や社会に対し、在るべき姿と信じることを主張し、諫言し、死を賭して意思を主張する。武士は、自尊心高く、真のエリートであることを目指し、組織・社会への果たすべき役割を意識している。そこに、武士の徳目、武士道の倫理が生まれる。武力とともに人格的徳目を磨き、武士は日夜、武士個人としての完成を目指している存在である。

<11日>
破廉恥行為。卑怯な行為、臆病な行為を武士の風上にも置けない行為として排除。敵に背を向けて、戦わずして、逃げることは武士の行為として恥ずべきことである。

<12日>
誠の道、信義を大事に守る、名誉を守る、体面を保つ、恥ずかしい行為をしない。人に笑われる行為をしない、人に蔑まれる行為をしない。神の助けを信じて人としての正しい行為を貫く。 「心だに誠の道にかないなば、祈らずちても神や守らん」(菅原道真)のいう誠の道を貫く信念である。

<13日>
死すべきときに死す 覚悟して公のために死す 武士の切腹は、武士の覚悟・悲墳の現れであるが、武士たるものに相応しい信念を実現するための自己主張が認められないとき、 武士としての名誉を守るために切腹、これが切腹の意味である。上司の無謀な命令により切腹するのでない。意思に基づく死が切腹である。

<14日>
武士道的実践倫理観は、日本人に、誇り・名誉・規律・秩序・勤勉・美意識・家族愛・死生観、恥ずかしい行為をしない・卑怯なことをしないという武士としての振舞いの美学を子供の時から人間性の中に刷り込んでいた。世界の異なる思想の中にあっても、この日本独特の精神文化は、普遍性をもち、大いに世界に感銘を与える価値観である。

<15日>
質素倹約、清貧を尊ぶ無欲主義。武士は、農工商クラスの一般庶民に比べ、教養高く、幅拾い情報を集め、何が正しい判断か考えて総合的に判断し、一命を賭けて行動する。商人に比べ、武士の多くは富は握れなかった。清貧に耐える徳と、欲望自制心を培い、高い教養と社会指導者意識、藩や所属する社会を守る意識によって形作られた個人が武士であった。
武士は食わねど高楊枝:武士は食物を口にできなくても、食べたようなふりをして楊枝を使って空腹を人に見せない。武士の清貧に安んずること、気位の高いことにいう。(広辞苑)
 When a samurai misses a meal, he acts like he has eaten a feast.
 The samurai glories in honorable poverty.

<16日>
武士道精神の根幹を流れるものの一つは、恥をしのぶ心、恥を忌避する規律・倫理観である。武士たるものは、恥ずべき行為をするな、が基本となっていた。 日本人の個人レベルの倫理観を一つに絞れば、“恥を知る心”を大切にしてきたことである。日本の国家レベルの倫理観を例示すれば、教育と能力に基づく“平等主義”、“高徳・富強国家”実現に基準をおいてきたことにある。

<17日>
武士は“惻隠の情”を重んじる。慈悲の心であり、憐憫の情である。相手の気持ちを忖度できる深く寛い愛情に裏打ちされた思いやりの心を大切にする。日本では、上層部・指導者層には、富の独占や偏りによる格差を自省する心、貧困者・弱者への“惻隠の情”による社会安定化のためのスタビライザーがビルトインされている。西欧騎士道のノブレスオブリジュと類似ものと言える。日本の改革はほとんどの場合、社会的上層部からの指導があって生まれている背景は惻隠の情による。
江戸時代に開花した武士道の特徴は、権力、知識・情報、富・経済力という三つのうち、武士が経済力を持たなかったところに、その特色がある。同じ封建制を経験したヨーロッパの貴族階級が権力、情報と共に富をも独占したなかで、ノブレスオブリジュ・騎士道精神を生み出したのとは基本的に異なる。日本の武士道は、手中の権力、知識・情報を活用して、私益を追求することなく、経済的に厳しい中でも、公の正義感に立脚して公のために尽くす精神構造を築いていた。 慈善・施しよりも自助努力精神を重視し、公の正義感に立脚して公のために尽くす指導者の精神構造であった。明治期中も、主として、もと士分であったものが、社会悪・社会的不平等や貧困と戦う存在の中核であった。武士道と騎士道は似ているが、ヨーロッパの支配階級のノブレスオブリジュ・騎士道精神は、キリスト教の宗教的基盤の上に成り立っていたが、日本の武士道は個人の覚醒の上に成り立つ側面を持っている。個人が何をすべきか、してはいけないかの判断の上に生まれた姿勢である。

<18日>
武士階級は社会指導者であり、西欧のノブレスオブリジュ・騎士道精神に匹敵する公的義務を意識している。武士社会は、厳しい身分制度下にあっても、能力主義を重視する社会でもあった。非常時には、下層身分の武士でも高い能力を備えたものは抜擢され支配秩序の上部に入る機会が与えられた。武士として武士道を完成した武士は、下級武士であっても社会的指導者意識は高く、武士たるものの守るべき義務を認識しており、毅然として義務を果たす気概を有していた。所謂、ノーブレスオブリージュを心得ていた。現代社会でも、武士道精神は人間として守るべき普遍的価値基準である。日本人が失ってはいけない伝統的徳目であり、生き方が示されている。

<19日>
江戸時代の平和の中で、武士道精神は武士階級以外にも広がり受け入れられた。武士道精神は、武士階級のみの精神ではなく、江戸中期以降は、日本社会に広く普及し政治経済指導者層のみでなく国民が自立するための精神的機軸となっている。武士階級は知識階級として、社会的指導階層として経済拡大政策を立案し、弱者救済を掲げ、公正を守る精神の高貴性を自覚していた。愛民心、惻隠の情がその根幹になっている。国民の平穏、貧困解放を掲げ、公正を守る精神は武士的倫理観から生まれ、武士階級のみでなく、広く日本社会の精神文化として普及していた。国家は、個人から成り立っており国民の拠り所である。勤勉で約束を守り、不正を許さず、卑怯な行為を恥じる尊敬される日本人、自律できる個人がいて、はじめて尊敬される国家を形成することが出来る。

<20日>
意志力(自制力、克己心、恥を恐れる意識、死生観、徳性、孤高を重視しそれを守る高貴な心を大切にする生き方)を重視し、 所属する組織への忠誠心および組織と個人の共同体的相互依存を中核とする武士道的実践倫理観を大切にする。他人に疑念を持たれる行為を恥じる。

<21日>
武士は、能力主義・実力主義を重視する。敗者にならない生き方、負けん気を重視する生き方を大切にする。日本的能力主議では、個人より集団的能力にその強さが現れる。個人個人の個別専門性においては世界レベルでの競争に勝ち抜けない弱さがある。個人的専門能力の弱さが克服され、組織能力の強さに取って代わることは未だ難しい。それどころか、社会は急変し、日本の能力の背景であった組織的総合能力や日本的意思決定方式が潰え、組織的・団体的能力が弱体化しつつある。日本的組織運営論は崩壊しつつあるかにみえる。日本的組織能力が、賞味期限切れの無用の能力であるかの如く位置付けられてよいのであろうか。終身雇用制の崩壊は雇用の安定を失わせてしまい、企業に対する忠誠心、帰属意識、連帯感をなくして、日本社会・文化の基礎を壊しつつある。所属組織への意見具申システムが消滅しつつある。武士道精神を失うことが組織腐敗の遠因になっている可能性がある。武士道精神の消滅とともに。明治維新期の和魂洋才は和魂対近代技術導入であったが、今や高度技術社会に和魂が適さないと見放され、社会安定の基盤が崩れつつある。

<22日>
勤勉、律儀、約束を守る。清廉潔白を重視する。敗戦後、武士道を忘れ60年以上。公・所属集団への献身意欲が弱化し、世代は男らしさを喪失している。 日本は敗戦により、自分の属する国家への献身という武士道的男性らしさの根幹をなくした。キレイごとの民主化、口先のヒューマニストぶる姿勢が風潮となり、家族、地域、国家への人々への献身を忘れ、代わりに所属企業への献身、所属省庁への忠誠のみが残り、単なる利益追求、私利私欲を追及する形が日本の男性の進む方向になってしまった。男らしさを失ったこれらの理由は、敗戦と戦後の原因によることのみではない。武士道精神は、男らしさを守る精神的支柱であった。武士道は、家族の名誉を守り、社会・国への献身、弱者保護、人間としての志・尊厳・名誉を守る意志力という男性的資質を大切にする思想である。武士道精神という精神文化を失ったことが男らしさを失った最大の原因である。

<23日>
武士は個人の覚醒を鍛練の基礎とするが個人中心の個人主義ではない。個より組織・公を重視し、公を守るためには切腹を覚悟で諫言する勇気・正義を貫く勇気 義を守り貫く価値観を大切にする。武士は、信じることを上司に諫言し、改善策を提言し、組織・藩を自滅から救い、行政改革・経済改革・社会改善を主張し、それが実現できない時、死んで一分を守るという、強烈な意思主張する意思的死を実行する。

<24日>
武骨さ、剛直さが武士道の土台にある。武士は、いつも武士らしく生きるための“自我”を練磨し、武士たるものは、常に社会や組織と対峙したとき如何に行動するか、如何に生きるかを反復自問し、個人の生き方を鍛錬して“自立した行動に責任をもつ個人” 強い信念を抱いた個人である。武士道精神の基本は「個人の覚醒」を重視することにある。個人の自覚、不動の覚悟を磨くことで公に尽くす思想が武士らしい精神の基礎である。 

<25日>
正々堂々と生きる。正義を守る。勇気のある行動をとる。忍耐力を強く持つ。礼節・誠意を尽くす(至誠の情)。恐れない、嘘をつかない。弱い者いじめをしない、卑怯なことをしない。という思想が武士の生き方であるとして教えられ、昔は、男なら守るべきこと、男ならしてはいけないこと、として躾けられた。

<26日>
武士は、主君の言いなりに動き、無謀・非道な命令に抗し切れず受身的に割腹自殺する存在であるかのように映画では描かれることもあるが、武士道を表すキーワードは、覚醒した個人であり、修練を積み覚醒した個人を創出する生き方である。割腹自殺は個人の誇りを貫き、名誉を守るための、独自の死生観に基づく行為である。 “もののふ”の“もの”とは大和言葉で霊的なもの、魂の力を指す言葉であり、“もののふ”とはそういう霊的な力を宿した人間のことで、力ある魂を持っている男という意味を持っているそうである。その後、武士という字が当てられたが“ぶし”という語には山伏、野伏と同じ語源だったそうです。“もののふ”と武士の意味は少し異なるものの霊的な部分があったという解説もある。

<27日>
武士道は、独特ではあるが異質ではない、普遍性を備えた死生観、自我意識、名誉等を表現する。武士は、自我と欲望を抑制し、覚醒した意識を体現し、教養を高め自己完成を目指す生き方追求し、それにより公とか社会と対峙するときの生き方である。武士は刀を二本さしているから武士であるのではなく、武士道精神により支えられているゆえに武士である。武士は、苦境にあっても慌てない、公の正義実現のために命を惜しまない、恐怖心を持たない、死をおそれない、礼義正しく生きる、品性を失わない。

<28日>
風潮に合わすのでなく、個人として確立してきた倫理観・個人意思を如何に表すかが武士道精神の在り方である。現代風に言えば、会社や国家などの組織や職場において、上司との関係や、社会と個人の関係、組織秩序、社会倫理、庶民や俗世への個人の係わり方、行為の基準として武士道精神がある。風潮に流されず、個人としての倫理観・個人意思をもって如何に社会を変えていくかが武士道精神の表わし方となる。

<29日>
 武士道精神の真髄は、現代社会において、次の形で現れる。
(1)現場主義:
武士は、理論を現場に適用する方法でなく、現場に適した理論を案出する。現場主義の特徴は、熱意重視主義、目標達成猛進主義に陥りやすく、理論を軽視し、他人を説得する方法論が弱い。体験主義に陥り易い弱点があるが、現場を足場に改革する力を持っている。
(2)目標解決主義:
所属する組織・集団の目標を自らの仕事として一たび自覚すれば、どのような過酷な環境の中にも忠誠心旺盛に義務を果たし、解決策を模索しようとする。押し付けではなく、現場に即した、適正技術を開発し適合する能力は高い。
(3)方法論中心主義:
武士道主義は、問題の総合的把握力、戦略的フレームワーク作りは概して苦手で哲学・戦略的思考、問題の把握力、戦略的位置づけ、理論化が一般的に弱く、フレームワーク作りは苦手のため、現在の国際的な場で歯、他国の人に影響力を与える思潮は生まれにくい。ただし、一旦、目標が明確化し、問題解決のための方法論が確立すれば、上手に活用し、改善を加えて現場に即応する方策を構築することには卓越する存在となれる。
(4)惻隠の情:同情心
武士道精神は、理論的分析よりも、上記三つの原則的主義を基礎に、実践重視の姿勢を尊重する。武士は公に尽くす心構えを重視し、弱者には憐憫の情を発揮して、被支援対象への支援を単なる慈善・恵みとしてではなく、自律的生活基盤の構築、自立主義を支援する。惻隠の情の現れである。

<30日>
武士は、義を尊び不正を憎む。自我と私利私欲を抑制し、覚醒した意識を体現し、教養を高め自己完成を目指す生き方に専念する。武士道は、貧富と貴賎を別のものと位置づけ、身は貧にあっても、志を高く持ち公に尽くすことを旨としている。武士は吝嗇を戒め、弱者に同情し、弱者を追い詰めないこと、助けることを美徳としていた。
明治維新では、武士階級が武士階級を消滅させ、江戸幕府消滅、廃藩置県、四民平等の時代を創り、武士道精神はその中核集団である武士階級を失ったが、武士道精神は指導者の精神、人間としての心構え、価値観を残した。

<31日>
武士道は尚武を尊重し男らしさを求める。勇猛、剛毅・豪胆、勇敢を身につけるために訓練する。女々しさを排除し、武士は武士らしく、男は男らしく生きることを追求する。日本は古来、尚武の思想が強い民族であった。神道と仏教(禅思想)が武士道に魂を与えた。「剣禅一如」、「慈武一如」が武士の理想の悟りであった。人を活かすことが剣・武士の生き方、理想の生き方として進化した武士道は、社会・国への献身、弱者保護、人間としての志・尊厳・名誉を守る意志力という男性的資質を大切にする思想へと深まっていった。勇気・男らしさを追及するあまり、一見、男尊女卑思想の源であるかに見られる所以である。