ダイタラボッチに誘われて、都市物語を歩く会に参加

(%雨%)
 夕方から雨が降り出している。午後、北沢川文化遺産保存の会による街歩きに参加する。
 集合の京王線「代田橋」駅を小田急線の「世田谷代田」駅と勘違いし、集合時間にやっとのことで間に合った。世田谷には、代田と名のつく駅は、もう一つ京王井の頭線「新代田」駅があり、注意が必要である。10名余りとなった一行は、この「都市物語を歩く会」を主宰されているきむらけんさんの案内で、柳田国男も探索した巨人伝説ダイタラボッチ痕跡を探訪した。

右の写真はこの地域の街区案内板。甲州街道(R20)は、新宿からの京王線と共に、隣りの杉並区との凡その境界となっている。また、この地域の豊かな風景の中心をなす和田掘給水所は、神田川や玉川上水、淀橋浄水場などともに水道歴史に重要な施設と位置付けられているようだ。
 ダイタラボッチの痕跡は、今はない「代田橋」、「代田半島?」を思わせる地形にあると言うことらしい。街区案内板だけでは、その立体的イメージを思い描くのは難しい。

そこで役立つのが、古地図。今の地図にはない地形的な情報は、大正や昭和の初期の地形図に表れているからである。
この日も、近くにお住まいの方に取材、お聞きする際に古地図が使われた。
 (古郷せたがやヴィジョン研究会でも、古地図をベースに「探訪」を行っていますが、新たな発見ができるものなのです。)

鉄道開発後の昭和初期や、高度経済成長期後の都市化によって、住宅や道路、水道・下水道、送電線鉄塔など現代社会のインフラ整備によって、ダイタラボッチの痕跡探索は柳田国男の時代に比べ、更に難しくなっていると言える。
 過去の地図や映像、この街歩きを支援する情報技術なども駆使しなければ柳田国男のイメージを膨らませることは至難である。右映像は、小さな川が流れていたと言う線形を追う参加者、調査隊。