雲間から月が現われた_慈光院にて

2010_9_22_____17:00→21:00 ”観月会” 慈光院にて
_奈良_大和郡山

「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、
なおあはれに情け深し。」
________________________________________徒然草 第百三十七段 吉田兼好

慈光院は、大和郡山にあり、
「片桐石州の茶の湯の寺」として名をはせ、
お寺の建物全体が茶室であるがごとき工夫がなされていて、
巡る際、落ち着いたたたずまいがじわーっと伝わってきました。

今夜は、 月が主役で、それをめでつつお点前をいただくという趣向。

{深い印象を与えるのが、
勾配の急な表参道を登り行った先、
一之門から茨木門に続く石畳の参道で、
うっそうと茂った木立と切り立った土手、
さらに道を折れ曲がらせていることによって、

足を踏み入れた途端、山の中に入り込んだような
気分にさせてくれる。

石州は、千利休 本来の茶の湯の精神を継承しつつ、江戸時代の流れ
である武士中心の世の中に調和させた「分相応の茶(石州流)」を説いた
ことで知られている。}
慈光院ホームページより

なので、しつらいも櫓(武器倉庫)の性格をとりいれて
数本の矢と大振りな弓を風炉の対面にかざり、
そしてその脇に、お供え物を侍らすなど、
ユニークな工夫がなされていた。担当_石州流 山田 潤 氏

(中央の水指は伊賀焼き、お茶碗は萩のもの、
菓子は、そば饅頭で矢羽違いの紋の焼き押し)

書院内。行灯による地あかりのみという暗がりと、
さやかなる月明りの対比が見事で、とても幻想的なひと時
を過ごす事が出来ました。いいなぁ〜

武士の質素な暮らし向きを取り入れるということで、
ゆったりとした落ち着きのある動作、身のこなしがあって
「男点前のお茶」という雰囲気がただよっていました。

なんと正客の位置に座す方は、あぐらをかいて茶碗
を受けていました。癇症張ることのない朴訥然としたしぐさ、
これも一つのよく考えられたカタチですね。
おもしろいですね!

書院概観 

華美をさけるかのように藁ぶきの屋根、天井の高さも
通常のお寺の寸法にくらべて、低くして茶室の凝縮した
空間を示唆している。

“The moon arose up in the murky east
 A white and shapeless mass”

(The Moon – Percy Bysshe Shelley)

当日は、天候が不順で、主役のお月様は、2,3分置きに厚い雲に
隠れたかとおもうと、また煌々と輝くといった具合で、
眺めているだけでも、とてもスリリングでした。

印象に残った一時。
淡い灰色の雲があらわれて、
つがいの鳥が月を先導するがごとく流れていきました。

スケッチしてみたよ。→Sketched by Yu Imai

よそながら月を見るにつけ、暗雲に囲まれてスッポリと包まれていたり、
いきなり綿状の淡い雲間が裂けて、ポッカリ浮かび上がり、さん然と
光を放ったりで、その波乱万丈の様子に、

人の一生と重ねあわして、余韻を楽しみつつ
大きな空に思いをはせるという境地を、味わいました。

すっかり日が暮れて、一之門から石畳の参道を下って、
左に折れ、富雄川(とみおがわ)に架かる橋を渡り、JR大和小泉までの、
20分の散策の道すがら、ちょうどお月さんが帰り道を先導してくれたような
位置関係になって、少し親しくなった気分で歩をすすめました。