スローボランティア報告:東松島にシニア夫婦で参加

なまくる(ナマケモノ会員ボランティア)の向達です。東京都大田区からの募集で、6/5から6/8にかけて、東松島の震災ボランティアに夫婦で参加してきました。

写真は、新東名地域のポストのみの郵便局跡です。 この海側地域に復旧の人の手が入るのは、一体いつになることか…。我々「大田区ボランティア隊」は、この写真からほんの陸側の、川を越えたお宅と、更に並行して走る線路(単線の仙石線)を越えた地域の数軒のお宅をお手伝い。

仙石線は、新聞等に大きく写真が出た完全に津波にのまれて線路も電車も皆ぐちゃぐちゃとなった正にその辺り、全く復旧めどはたたないらしい。

■ボランティアのチーム編成
4日間で、3軒のお宅に12名(内女性4名)でお手伝いに行きました。
(全体は24名(女性7名)の4班編成)

■申請を受けた内容
A宅:枯れた庭木を根から全て掘り出して、更地にして欲しい。
→スコップで処理(初日午後2時間程で完了)。

B宅:既に庭の瓦礫は出し終わっているので、津波による塩害や汚泥やらを除去する為に、庭の表面の「泥掻き」をして欲しい。
→10センチ位を全面掘り返し、土嚢に詰め、道路に袋を積み重ねる。(炎天下4、5時間程で完了)

C宅:男性はB宅と同じ内容で、室外側のみ土嚢を作り、通りに運び出して欲しい。
→バケツリレー式で行った。
 女性は室内片付けして欲しい。
→津波の高さ分の家具、キッチン他全てがヘドロやら泥まみれで真っ黒。食器をくるんで段ボール箱にしまったり、室内各所の掃除。再度、リホームし直す迄。 但し修理工事屋さんは、いつになって来てくれるか全く未定とのこと。
(最終日は途中だったが、午前2時間半程で我々のボラ活動終了。後発隊に引き継ぐ)

■ボランティアに対する取組方
地域全体を把握するサテライト(拠点)を作り、各住民毎の要望を吸い上げ、取りまとめる。その地域に今後も手直し後に住み続けたい家から優先し、順次、お手伝いを割り振っていく方式。

よって、倒壊しかかったような無人の家等は、一切何もしていないで放置され、室内の全てがめちゃくちゃのまま。但し、早く中身の撤去をしないと夏場にかかり、不衛生の極み。非常に気になるのだが…。

■各家のおおよその手順
①庭周りの大きな瓦礫を撤去。ないし、室内床下のヘドロ掻き。
②それが片付くと、室外の泥掻き仕事。
③外が終わると徐々に室内片付。

正直、今回幸い我々は②、③で、きつい臭いはなかった…。②の泥を掘ると油っぽい多少の臭さがあるがマスクでカバー可能。こんな遅々とした動きを、ボランティアの人海戦術でこなしていくしかない状況。

■サテライト
宮城県?のNPOが作り、無人の破壊的な家を借りて本部にしている。道具類の倉庫場所でもある。そこで立ち働く若者達もボランティアらしいが、各ボラ隊への指示を出す。

■宿泊⇔サテライト⇔現場
宿から車で2、30分かけてサテライトに行き、作業指示を受け、スコップや土嚢袋等の作業道具一色を持って、現場の家に徒歩で行く、ことの繰返し。

■「大田区ボランティア隊」
大田区で行う東松島での震災ボランティアの説明会に出席した男女区民と在勤者で構成。参加費一人3千円のみ。一回のコースが24名構成で、今回は内女性が7名。現在15コース終了済で、既に何度も参加した人もいる。

大型バスで松島迄送迎。宿は大きな被災を免れた離れた位置にあり、毎朝夕、現場まで車で送迎してくれる。お風呂も自由。

■食事
・現場の昼食は、お弁当支給あり。
・朝夕食は自己解決。(といっても何やかやカップ麺等自由に食べてよい簡単な防災食物が置かれ、我々夫婦以外それを食す人も多かった)

■労働時間
・活動は、全てリーダーの時間配分で守られ、働きすぎないよう管理される。正直、そんなに働かず物足りないほどで終わったが、無理は体を壊す為の配慮。この配慮で、何回も参加できるとのこと。

・私も全然筋肉痛無し。ワゴン車に車中泊し、全て自己解決しているような他のボランティアさんには、申し訳ない程恵まれた環境であり、同じボラと言えない位。ある意味裕福な区なのかもしれないが、参加者全員この取組みに感謝し、どんどん新規参加者が増えることを願っている。

■さいごに
7月1日に、大田区ではボランティア交流会が開催されました。震災ボランティアの参加者も半分以上参加されました。

このレポートを書いてくれたつれあいは、今日、元気に2回目のボランティアに行きました。残念ながら 定員24名に対し、12名とか18名とか、6月7月は定員割れと聞いてます。

どうか好条件ですので参加下さい。まだ延べ518人の参加だそうです 交流会では60歳の私より年配の方は1割以上おりました。

現地での作業はつきません継続的なフォローが必要です。