ユニ育ライター こがにです。

我が家の大黒柱である主人は、ごくごく普通のサラリーマン。
朝早く家を出て、夜遅く帰宅するという
典型的な日本のサラリーマン人生を歩んでおります。
そんな主人が、たまに家族で外出する時。
決まっていう言葉が、コレ!
「どーして、ジロジロ子どもを見られなくちゃいけないんだ」。

主人が言うには、
「人の子どもを、こうやって見るんだぜ!こうやって」。
上から下まで、まるで嘗め回すように見る
そういう人のしぐさが、どうにも気に入らないようです。
ブチブチブチッと、切れまくっております(%涙%)

確かに、胃ろうから栄養剤を注入するその風景は目立つ。
車椅子からニョキニョキと点滴棒がのびている風景は、
隠しようもない事実だし、「見るな!」と言っても目に入るもの。
しかも、平日お出かけしている私や長女にとって、
そういう視線で見られることにすっかり慣れっこ状態。

でも・・・土日や祝日しか長女と出かけない主人にとっては
非常にせつない気持ちになる瞬間のようです。
介護の主体を母親に頼らざるを得ない日本のユニ育の現実を考えると
仕方のない事実なのかもしれません。

===

そういえば・・と思い出したのが、ユニ育ちゃんが小さい時の出来事の数々。

まだ、私がペーパードライバーで運転していない時。
バスに乗れば、「ベビーカーはたたまないと規則違反!赤ちゃんは抱っこするもの」と言われ
エビのようにのけぞり泣き叫ぶ長女を、必死に抱っこ。
周りの乗客からは、「早く降りろ〜」という視線を向けられたことがありました。

障害者手帳を提示しても「赤ちゃんで手帳?それで、介助者半額?」と駅員に言われ
子ども料金で購入した切符を、たたきつけるように駅員に手渡したこともありました。

極めつけは。
「うちの子、熱が続いて入院してから発達が遅れたの。このまま歩けなくなったらどうしよう!」
と療育機関についての情報を求めてきた人が
子どもが歩けるようになった瞬間、目もあわせてくれなくなったこと。

障害者は、特別な人として扱われること。
障害というものとは縁がなくなった瞬間に
人は、どんどん離れていくという事実。

当時、私はムチャクチャ凹みモードになったことを思い出します。

===

いわゆる「障害のある人に向き合うときの視線」は
どうあるべきなんだろう?
ユニ育歴7年になっても、私はまだうまく説明できません。
でも、ただ一つ言える事は
「あったかい目で、見守ってね」ということ。

何か、特別なサポートが必要なときは
「HELP」の視線を、周りに送ります。
そのときは、ぜひサポートしてほしい。
でも・・・それ以外のときは、そっと見守って欲しい。
そう感じています。

本当は、こういう視線の勉強も含めて!
ユニバーサルなハートを育てる教育を、ぜひ日本もしてほしいんだけどなあ。
堅物の文部科学省のお役人たちに、そういう教育を求めることは、難しいのかもしれません。
逆に、そんな堅苦しい教育よりも!
ユニ育ファミリーが「そんなの関係ねぇ!」と言いながら
バンバン外に出てきた方が早いかな?

いよいよ、本格的に冬の到来。
インフルエンザも気になる季節なので、我が家の外出の機会は減りますが
それでも、点滴棒をぶらさげて出かけている子どもを見かけたら!
どうぞその時は、やさしくあたたかく・・・見守ってください♪

★お読みいただきありがとうございました