「二度目の佐渡島旅♪ ④本間雅晴中将」

政経倶楽部 大阪支部の菊池支部長と加藤幹事長は、この佐渡に行く前に、大東亜戦争時代、フィリピンにある旧日本軍の足跡を辿り、そこで亡くなられた方々の慰霊訪問に行かれていました。
その旅の中で、本間雅晴(ほんま まさはる)中将という方の存在を強烈に焼き付けて帰って来られました。
12日夜に、佐渡の佐々木さんご夫妻との会話の中でそのフィリピン慰霊訪問のことが話題になりますと、佐々木さんが・・・
「本間中将は佐渡出身なんですよ!」と驚きの発言をされました。
ということで、翌13日に急遽、本間中将の慰霊碑と辞世の句が刻まれた記念碑を観に行きました。
ヴィキペディアによりますと、本間中将は、私が初日に泊まった玉林寺宿坊や、佐々木さんご夫妻にこのお話を聴いたカラオケスナック「フレンズ」のある、畑野地区ご出身だそうで・・・
太平洋戦争においてフィリピン攻略戦を指揮した。英国通の人道主義者であったことは連合国にも知られていたが、バターン死の行進における部下の行為の責任を問われて戦後銃殺刑に処された。・・・と、淡々と事実のみ記載されておりました。
13日午前中に「佐渡博物館」に行きますと、企画展「戦後80年―太平洋戦争と佐渡―」が開催されており、本間中将が子供達に宛てた手紙(自筆)が展示されており、本間中将らしいお人柄がにじみ出ており、深い感銘を受けました。
そして、佐渡・畑野のみなさんが今でも本間中将のことを慕っておられることに、深い感銘を受けました。
あの戦争は敗戦国として、いろんな問題を現代にも引きずっております。
詳細の論評は割愛しますが、あのような戦争は、本当にたくさんの人の生命と財産を奪ったり、人生をおかしな方向へ持って行ってしまいますので、絶対にすべきではない・・・戦争というものの、多くの犠牲者の御霊の想いに応えるためにも、同じ過ちを繰り返させないよう、引き続き精進する次第です。