皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。

春の空の色が、深みと重みを含んできました。雨や新緑の季節の匂いも、端々から香ってきます。

さて、ムニュは、少し疲れたなというときは、部屋を暗くして、よく波の音や、尺八(しゃくはち)と呼ばれる和楽器のCDを聞いたりします。

普段、情報による刺激にとても弱いため、それらに疲れると、まったく意味のない様な、「無」の音や色に触れたくなります。

ムニュが病気になった当初は、四六時中、いろんな音や、光や影が、自分にとってネガティブな情報として突き刺さってくることが多かったですが、それは、強い精神の緊張から、無意識のうちに触れるものすべてに「意味」を感じてしまうものでした。

その中で時折、ふっと何も感じない、「無」のような時間に、ものすごく癒されてきた気がします。
今でも、耳にする音楽や、ぼんやり見つめるものが、まったく意味がないと思えると、その中でしばし休んでいる自分が居ます。
ですが、ふと我に返ってゆくと、またその「無」の状態にさえ、意味を見出そうとしたり、名前を付けようとする自分もいます。

自分で認知できる枠を圧倒的に超えて在るであろう「無」という存在の中で、自分の意味も薄くなるとき、眠りのような穏やかさが訪れるのかと思います。
 ムニュ