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シニア文化塾だより
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2018/07/16のBlog
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・日時:7月12日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平井美智子先生(大阪市生涯学習講師)
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〇時実新子(ときざね しんこ)(1929~2007年)
・岡山県生まれ。川柳作家。
・25歳で新聞への投句から川柳を始め、34歳、初の句集『新子』を自費出版。その奔放な詠みぶりは川柳界の与謝野晶子と呼ばれた。

*右上は、平井美智子編の『時実新子の川柳と慟哭』(新葉館出版、平成29年11月)。
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〇時実新子の川柳と慟哭
(1)夫への愛(抜粋)
・「嫁ぎ来て十年恋はまだ知らず」
・「箸重ねて洗う縁(えにし)をふと思う」
・「大声で叫びたい日の妻の位置」
・「現実はあなたの膝にあなたの子」
・「いちばん遠い人かも知れぬ夫と妻」
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(2)息子・娘への愛(抜粋)
・「旅に出て思う長女のランドセル」
・「つなぐ手の母なり子なりすべてなり」
・「子は日々育ってむごいことを言う」
・「子には子の生き方がある雪がふる」
・「母だから泣かない母だから泣く日」
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(3)父への愛、母への愛(抜粋)
・「父あわれ太田胃散が膝に散り」
・「ひとことも言わずに母は粥を煮る」
・「母の祈りに私の未来縛られる」
・「親は要りませんから橋から唾を吐く」
・「花咲けば父花散れば母の事」
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(4)恋人への愛(抜粋)
・「雨の街短く逢って満たされる」
・「菜の花の風はつめたし有夫恋」
・「どうしても好きで涙が膝に落ち」
・「ほんとうに刺すからそこに立たないで」
・「じんとくる手紙を呉れたろくでなし」


2018/07/10のBlog
シニア文化塾
・設立、2010年1月。(設立して9年目になります)。
・シニア層が、「歴史」・「文学」・「文芸」などを楽しく学び、視野を広げると共に、健康増進を図り、会員相互の友情と親睦を図ることを目的として、前期・後期の講座、現地見学会、ウォーキングなどを実施しております。
・受講者は、シニアであれば、地域を問わず、どなたでも申し込みできます。
・前期(歴史コース)の参加者は、富田林市、河内長野市、大阪狭山市、河南町、太子町、千早赤阪村、堺市、羽曳野市、松原市、橿原市、東大阪市、大阪市、守口市、岸和田市の地域からです。
・右上の写真は、今年、6月12日(火)「安福持の夾紵棺」(安村俊史先生)の講義風景です。
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2018年「後期講座」(歴史コース)のご案内
・期間:8月~1月
・曜日:火曜日
・時間:午前10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
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講義日程表(*右の日程表ををご覧ください。)
・古代史から中世史・近現代史など、バラエティに富んだユニークな歴史講座です。
・講義回数:全14回
【古代史】:4講義
【奈良・平安時代】:3講義
【中世・戦国時代】:2講義
【幕末維新史】:1講義
【郷土史】:1講義
【琉球史】:1講義
【カンボジア遺跡/アンコール・ワット】:1講義
【現地見学/平城京跡歴史公園】:1講義
・講師:14名…各分野でご活躍の先生方です。
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受講生募集
・定員:60名(7月初め、定員になりました。)
但し、事情により、若干名追加募集します。(お問い合わせください)
・受講料:14,000円(受講料1,000円×全14講義)
申込方法
・往復はがきに、住所・氏名・年齢・電話番号を明記の上、下記宛に申し込み下さい。
【申込先】〒584-0062 富田林市須賀3-11-15 「シニア文化塾」事務局 常本宛
【問合せ】シニア文化塾・事務局 常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
2018/07/05のBlog
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シニア文化塾について
・設立:2010年(平成22年)1月
・名称:シニア文化塾(南河内シニア文化塾)
・講座は、年間を「前期」(3月~7月)と「後期」(9月~1月)に分けています。
・開講場所:すばるホール(富田林市)
・受講資格:シニアであれば、地域を問わず、どなたでも申し込めます。
**右上の写真は、今年の4月12日(木)〈『平家物語を読む』~平敦盛と平知盛の最期〉(四重田陽美先生)の講義風景です。(四重田先生の「平家物語を読む」は、2011年に始まって、今回で15回の講義になります。)
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2018年「後期講座」(文学・文芸コース)のご案内
・期間:9月~1月
・開催日:木曜日
・時間:午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
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講義日程表(*右の日程表をご覧ください。)
・講義回数:全14回
【古典】:万葉集、源氏物語、平家物語、伊勢物語
【近現代文学】:井原西鶴、梶井基次郎、中島京子
【俳句】:芭蕉「奥の細道」
【川柳】:時実新子
【能・狂言】:能「自然居士」
【音楽】:ヴェルディ
【絵画】:ピカソ
【現地見学】:奈良・文学散歩(南側編)
・講師:13名…各分野でご活躍の先生方です。
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受講生募集
・定員:60名(定員になり次第締め切ります。)
・受講費用:14,000円(受講料1,000円×14回講義)
申込方法
・往復ハガキに、住所・氏名・年齢・電話番号を明記の上、下記宛に申し込み下さい。
[申込先]〒584-0062 富田林市須賀3-11-15 「シニア文化塾」事務局 常本宛
[問合せ]:シニア文化塾・事務局 常本(ツネモト) 携帯:090-3990-3907
2018/06/24のBlog
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・日時:6月21日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:末延國康先生(元大阪芸術大学教授)
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岡本太郎の生涯(略歴)(1911年~1996年)
・1911年(明治42)、漫画家岡本一平、作家・歌人岡本かの子の長男として生まれる。(芸術家一家の一人息子)。
・1929年(昭和4)、東京美術学校入学後、すぐに中退。両親の渡欧に同行。
・1930年(昭和5)から1940年(昭和15)まで、フランスで過ごす。ピカソの作品に感涙して以来、抽象画を志す。また、また、パリ大学で哲学・民俗学を学ぶ。
・1942年(昭和17)、兵役として召集され、中国戦線で5年間過ごしている。
・第二次世界大戦後、日本で積極的に、絵画・立体作品を製作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表。
・1970年(昭和45)に大阪万国博覧会のシンボル《太陽の塔》を制作。…時代の寵児として次々と話題作を発表。「芸術は爆発だ」など、数々の名言を残す。
代表作品
《傷ましき腕》(1936/1949再制作・油彩)、《重工業》(1949年、油彩)、《森の掟》(1950年、油彩)、2極の大作:《太陽の塔》(1970年)と《明日の神話》(1969年制作、2008年東京・渋谷駅に設置)など。
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◆大阪万博 《太陽の塔》 (1970年、高さ72.5m 基底部直径20m)
今から約50年前、大阪万博は、参加国77ヵ国、6400万人を超える入場者で賑った。そのテーマは「人類の進歩と調和」。
・《太陽の塔》は、すっかり万博のシンボルみたいになったが、「なんであんなもの、国のお金で国の広場に建てるんだ」と批判された。…岡本太郎は、誰も思いつかないものを作った。「異物なもの。不条理なもの。妖怪のようなもの。なんだ、これは。」と言われたものが、現在では、「圧倒的な存在感があり、色あせない魅力がある」。
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◆巨大壁画 《明日の神話》(2008年、東京・渋谷駅に移設。縦5.5m、.横30m)
・右の写真-画面中央に象徴的に表されているのは、原爆で燃えている骸骨を配している。(第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂がモチーフになっている。)…悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたといわれる
・メキシコのホテルのオーナーに依頼され、ホテルのロビーに設置するために製作した壁画。この作品はメキシコで行方不明になっていたが、2003年メキシコ郊外で発見、修復され、2008年、無条件に不特定の人々が観る、東京・渋谷駅に恒久設置された。
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**岡本太郎の名言集**
・「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」(岡本が言わんとするところは、他者に好まれようと媚びるような芸術は、芸術であって芸術ではないということであろう。)、
・「異質なものをぶつけ合って、火花を散らすことにより、新しいものがうまれる。」(対極主義)
・「伝統とは創造である。」、「法隆寺は焼けてけっこう」(失われたものが大きいなら、それよりももっとすぐれたものを作る。」
・「絵画は美術館で観るものではない。お金を出して観るものではない。」
・「芸術は呪術である。」、「人間の原始に帰るべきだ。」
・「芸術は爆発だ。」など。
2018/06/18のBlog
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日時:6月16日(土)9時~15時
・【コース】:JR三国ヶ丘駅(9時集合)-JR和泉砂川駅-林昌寺-岡中鎮守の大楠-馬頭観音・一之瀬王子跡-熊野街道(信達街道)-往生院-梶本邸野田藤-市場稲荷神社-長慶寺-信達本陣跡角谷家-JR新家駅(15時解散) (約6km)
・参加者:19名
・天候:晴れ(青空で、さわやかな風)
・リーダー:佐藤義夫
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◆「熊野街道
大阪と和歌山とを結ぶ幹線道路として古来からあった道。ルートはほぼ同一だが時代によっていくつもの呼び名がついていた。延暦七年(907)、宇多天皇の熊野参詣から始まるとされる熊野詣(くまのもうで)は、院政期に大流行した。
*《王子社》(右上の写真:一之瀬王子跡)
中世の熊野街道には、熊野神を分霊勧請した王子社(おうじしゃ)が設けられた。(一般に熊野九十九王子とよばれる。)
◆「紀州街道
近世に入り、岸和田藩、紀州藩の参勤交代に使われた街道で、熊野街道に代わって大阪から紀州を結ぶ主要街道。紀州街道の本陣は、堺、助松、貝塚、信達(しんだち)宿、山中宿に設けられ、周辺の村々が助郷をおこなっている。
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・○「岡中鎮守社の大楠
ひときわ目立つ樹齢800年の巨木(大楠)。楠の木の根元は、周囲12m、樹高30m。枝は、各所で鉄柱でその重さを支えられているが、ただ巨木だけでなく、姿形も近くで眺めても美しくみごと。(根元の幹回りは、参加者が手をつないで13人の巨木)。
・昭和45年(1970)に大阪府の天然記念物に指定。
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○「長慶寺
真言宗泉涌派。参道石段は100段。信長・秀吉の根来攻めで焼失、焼け残った観音堂を慶長年間に秀頼が移築。その後、岸和田藩主岡部氏により堂宇が整備された。
・泉南市の紫陽花の寺で有名。境内にふたつある紫陽花の谷、本堂横や本堂裏の紫陽花の小道など。約6000の紫陽花が咲き揃う。

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**あとがき**(緊急情報)
今朝(6月18日)、午前7時58分頃、震度6弱の大阪地震。…大阪市内の受講生数名に電話連絡(電話もかなりつながりにくい)。「立っていられないほど、かなり、揺れたらしい」。(夕方6時現在、今のところ関係者の被害情報は無し)。
2018/05/31のBlog
★連絡事項
・6月5日(火)の講義「前期難波宮の八角形建物をめぐる諸問題②」(中尾芳治先生)には、前回のレジュメ(昨年12月5日・前期難波宮…諸問題①)をご持参ください


☆ただいま(5月下旬~6月上旬)は、、「シニア文化塾だより」のブログは、休息中です。いつものことですが、30人近い先生方とメール/FAXのやり取りで、後期講座(9月~1月)の日程表づくりに取り組んでいます。
2018/05/13のBlog
・日時:5月8日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:白石太一郎先生(近つ飛鳥博物館 名誉館長)
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史料(*右の資料を参照)
『日本書紀』天智即位前紀 斉明七年(661)七月条
天智天皇は、父は舒明天皇、母は皇極天皇。皇極天皇四年に、天皇は位を孝徳天皇に譲られた。そのとき(後の天智)を立てて皇太子とされた。孝徳天皇は白雉5年10月に崩御。翌年に皇祖母(皇極)が重祚して斉明天皇になられた。七年7月24日に斉明天皇が崩御
『日本書紀』天智四年(665)二月条
四年2月25日、間人大后(斉明天皇の娘、天智天皇の妹、孝徳天皇妃)が亡くなる。
『日本書紀』天智六年(667)二月条
六年2月25日、斉明天皇と間人皇女とを小市岡上陵に合葬した。この日に、大田皇女(天智皇女)を陵の前の墓に葬った。
『続日本紀』文武三年十月(699)条
文武3年(699)に越智山陵すなわち斉明陵と、山科陵すなわち天智陵が「修造」されている。しかも単なる修理ではなく、位置を変えて大規模な修築事業であった。
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牽午子塚古墳の発掘調査
2009~2010年にかけて、明日香村教育委員会の発掘調査がおこなわれ、重要な成果を挙げた。
・墳丘は版築で築かれた対辺約22mの八角形墳が確認。
・凝灰岩の巨石を刳り抜いて内部に2室を設けた横口式石槨。
・この八角形の墳丘の南東側に、鬼の俎・雪隠タイプの横口式石槨をもつ陪塚的な小古墳(越塚御門古墳)が検出された。⇒報道各紙はこれを報じた。『日本書紀』天智六年(667)条の内容が、符号するともみられることから、多くの新聞が真の斉明陵が確定したように報じた。
考古学からみた斉明陵-白石先生説
・牽午子塚古墳の横口式石槨の型式を7世紀末ないし8世紀初頭の頃と想定。天智六年(667)、7世紀の第3四半期にまで遡るとは考えられない。
・岩屋山古墳(牽午子塚古墳の東方約500mの所に位置する)を、最初の斉明陵と考える。
・『続日本紀』文武三年(699)、牽午子塚古墳は、この文武三年に新たに修造された斉明陵である。
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牽午子塚古墳の造営年代
(1)石棺系横口式石槨の編年(右の資料を参照)
・第Ⅰ類:大きく石槨の前に前室・羨道あるいは長い羨道を持つ。7世紀前半~中葉。
・第Ⅱ類:石槨部の前に石槨部とほぼ同じ長さの短い羨道を付設した。7世紀中葉~後半の中頃。
・第Ⅲ類:石造りの羨道部を持たなくなった。7世紀末~8世紀初め

◇「白石先生の想定
・牽午子塚古墳の横口式石槨は、第三類の石槨であり、7世紀末ないし8世紀初頭前後のものである。⇒牽午子塚古墳は天智朝の斉明陵ではない。
・越塚御門古墳も、鬼の雪隠・俎古墳系列と同じタイプの石槨形態から、第Ⅲ類であり、牽午子塚古墳とほぼ同時期の造営。
・牽午子塚古墳・越塚御門古墳の石槨の内法は唐尺を用いている。(7世紀中葉から第3四半期と想定される岩屋山式の横穴式石室が高麗尺を用いていることから、牽午子塚古墳が7世紀中葉や第3四半期まで遡らないことは確実と考えられる。)
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**あとがき**
・古墳の年代想定は、考古学的にその古墳の石室の型式と副葬須恵器の型式、それにもとづく年代観に矛盾がない事を確認する。そのうえで、補強する材料として文献史料から伺える被葬者の想定もまた意味があると考える。(白石先生)
2018/05/06のBlog
5月4日(金)、午前11時頃、近鉄吉野線飛鳥駅に降り、西側の近くの踏切を渡り、標識を見ながら牽午子塚古墳を訪れました。歩いて約1km(約20分)。
・右の写真は、牽午子塚古墳の遠景(古墳の位置は、中央に小さく写る石塔の場所)。現在、明日香教育委員会文化財課が史跡整備中。工事中で立入禁止の立札がありましたが、了解を得て、細い道を辿って墳丘に上がり、写真を撮影。
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牽午子塚古墳(けんごしづか)(奈良県高市郡明日香村大字越)
・現地にある《解説文》-史蹟「牽午子塚古墳」
「万葉集」に多く詠まれた真弓丘陵の一画に位置している。墳丘は版築によって構成されている。墳丘の北西部に花崗岩の切石3個が露出しており、これをが外護列石とする二段築成の八角形墳の可能性が強い。墓室は巨大な凝灰岩をくりぬいた横口式石槨で、中央部に間仕切り部を削り出す二室の複室構造をしており、当初から追葬を意識して石槨を製作したものと考えられる。それぞれの石室の床には、長さ1.9m、幅80cm、高さ10cmの低い棺台を削り出す。夾紵棺の破片や七宝金具などが出土。
・右上の写真は、南に開口する横長の石室(石槨)入り口で、周辺はシートに覆われているが、巨石をくりぬいて2つの墓室も設けた内部構造は見ることができる。

越塚御門古墳(こしつかごもん)(奈良県高市郡明日香村大字越)
2010年、牽午子塚古墳に隣接する古墳が新発見されたのが、越塚御門古墳。①墳丘は版築で築かれているが、墳形・規模は不明。②横口式石槨。③築造年代は7世紀後半頃。
・牽午子塚古墳は斉明女帝と間人皇女の陵墓との説があり、隣接する越塚御門古墳は、大田皇女の墓であるとの説がある。⇒父・舒明天皇、母・皇極天皇(斉明天皇)の娘-間人皇女(はしひとのひめみこ)(孝徳天皇の皇后)。兄中大兄皇子(天智天皇)の娘-大田皇女。
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岩屋山古墳(いわややま)(奈良県高市郡明日香村大字越)
牽午子塚古墳を訪れた帰りに、近鉄飛鳥駅の近くにある岩屋山古墳に行く。
・岩屋山古墳:国の史跡に指定されている。牽午子塚古墳の所在する真弓丘の東端にあたる。7世紀代の一辺約54mの方形墳と推定。石室は切石造りの南面に開口する横穴式石室。このような切石造の横穴式石室は、飛鳥地方から桜井地方にかけて多く分布し「岩屋山式」とよばれる。被葬者については、斉明天皇らの名があがるが詳細は不明。

*あとがき**
5月8日(火)に白石太一郎先生の講義『明日香村牽午子塚古墳は斉明陵か』があるので、休日を利用して飛鳥を訪れました。…良い天気で、近鉄吉野線飛鳥駅には、、多くの人が降りて、東側に出る人が大半。西側に出て、牽午子塚古墳へ行く人は私一人でした。…牽午子塚古墳と越塚御門古墳は、シートで覆われていますので、見学するのは、後日をおすすめします
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