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クマブロ
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2012/03/09のBlog
皆様、お久しぶりです。
長らくブログをお休みして失礼いたしました。

2009年から2011年まで「NPO傾聴」という名称でこのブログを始めて、記事を書いておりましたが、自分自身の身にも大きな変化があったこともあり、今後は「共生の環創造社 クマブロ」と一新して、またさまざまな情報を発信してまいれればと思います。

昨年は日本にとって非常に大きな変化があった年でした。東日本大震災ては多くの方々が犠牲になり、そして日本中の人々に激しいショックを与え、世界にも影響を及ぼしました。

機を同じくして個人的にも色々な変化がありました。一昨年から準備して去年の春に、共生の環創造社という一般社団法人を設立しました。

次回から、他の記事と併せて、2011年の共生の歩みをご紹介していければと思います。
2011/03/17のBlog
被災地の外国から来られた方、日本語が分からない方のためのサイトがあるのでご紹介させていただきます。
私も微力ながらボランティアで災害情報を複数スペイン語訳しています。

http://tabumane.jimdo.com/ 特定非営利活動法人 多文化共生マネージャー全国協議会

 被災地や関東地方に住む外国の方をご存じの方は、このサイトを見たりお伝えして頂ければと思います。中に多言語ホットラインの連絡先もございます。
よろしくお願い致します。

 皆様お久しぶりです。更新が遅れ申し訳ございませんでした。

 今回、正に国難というべき震災がおこり、矢も楯もたまらず長らくお休みさせていただいたブログの更新を取り急ぎさせて頂きました。

 私自身は環境の変化によりあわただしく動いておりますが、何とか元気に日々過ごしています。あいも変わらず、社会や公のために奔走していく気持ちは、依然としてふつふつと煮えたぎり高まるばかりです。

 また私自身のことや社会の問題についての分析、以前の様なコラム的なもの等々も、つれづれなるままに書いていく時も近づいている気配がありますので、その際はよろしくお願い申し上げます。
2010/09/12のBlog
しつこいぞ!なんでやねん!いいかげんにしろ、もうええわ…どうもありがとうございましたー
と言いたくなるような相変わらずの暑さが続いている今日この頃ですが、本日はひょうごNPOユースの勉強会に行ってまいりました。

 今回はNPOで働き始めて2年以内の人を対象とした勉強会でした。

 午前中は今NPOで働いていて幸せことを書き、皆で答を合わせる等のゲームをし、アイスブレークをして親睦を深めました。

 その後昼ご飯の前にグループに分かれ、皆クジを引いて、そのクジに書かれている要件に沿って昼食をとる、ということをしました。

 午後からはmottoひょうご事務局長の栗木剛さんが「第三者から見たNPO」という講演を行って頂きました。その中で印象に残っているのは、NPOの常識が世間の非常識になることがあり、特に自分の団体からあまり外に出なければ自分の所の非常識にさえも気付かない可能性もある、というところです。

 栗木さんは演技力が素晴らしく、また話の展開もスリリングで最後まで聴衆を引き付けていました。私は事情により前日は一時間の仮眠しか取らず、朝はよから汗ダラダラで大阪から直行したのですが、最後まで手に汗握る、笑い有り涙有りの講演でした。講演的視点だけではなく芸人的視点からも学ぶべきものが多くありました。

 講演が終わり、名刺交換をした際には、お互いに変わった名字ですね、等とお話をしました。

 次に答えにくい質問をNPOで長く働いている方々が答える時間があり、最後には全員がこれからNPOで働いていく上での決意を書きました。

 今回は多くの新しい出会いがあり、また旧知の人たちとも親交を深めることができ、大変有意義な場となりました。そこにいた皆さんには感謝の一言でおます。
2010/09/06のBlog
[ 00:52 ]
いやー暑は夏いね。

 なんてギャグを言ってみたくなるほどの蒸し暑い日が続いておりますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。こちらは日連の、いや連日の暑さで、冒頭のギャグを見てもわかるように全体的にぼけーとしており、気付いてみるともう9月といったモハメッド、いや有様です。

 何とか状況を打破せねば、というわけでもないですが、長い間行けていなかった空手の教室に行ってきました。8月に空手の合宿があったのですが、それ以降は全く行けずじまいでした。

 練習をすることで気合が入り、いい汗をかけたのもよかったのですが、何より久しぶりにメンバーの方々と会えたことで安堵感というか、諸行無常とは言え変わらないものを感じられ、また少しずつ練習を積み重ねて頑張っていこうという気が湧きました。

 先ほど言った合宿は2泊3日の泊まり込みで、同じ流派の各道場の師範と子どもたちが参加しました。私は新参者ですので子どもらと一緒に練習をして、師範らの教えを請うたり、練習の補助をしたりしたのですが、普段とは違い大人数で練習したことや、子どもらの指導のお手伝いをしたことで、またいつもとは違う学びを得ることができました。

 そして夜はおそらく毎回恒例であろう飲み会もあり、空手の現状や、それに関わる人達の熱い思いを聞くこともできました。その場にいて思ったのは、皆で本音で話し合える場というのは大切だな、ということです。今回は空手ということを主題にして皆が集まり、私の場合は初めて参加させていただいたのですが、それでも空手をやり始めたということでありがたいことにその場に居させてもらい、場を共有することができました。何か共通のことをしているもの同士が集まった方が、共感もしやすく、最初に集まるための動機づけも生まれてきます。しかしそれと同時に、たとえそれほど強固な共通項がなくとも集えるような場も意識的に作っていくことも、個人の孤立化を防ぐためには大切だな、という思いを改めて体感しました。運よく縁あって人のつながりが持てた場合はよいのですが、なかなかそういうきっかけがない場合には、とりあえずだれでも自由に来ることができ、人とつながりが持てる場を増やすことも必要だと思います。「皆で助け合う社会」とは経済的なものだけではなく、精神的な助け合いを特にこれからは重要視すべきであると思います。
合宿では練習だけではなく、魚のつかみ取り&焼いて食う、といったことも行いました。魚にとってはとんだ災難でしたが、我々はさかなクンに感謝し、またその死を無駄にしないよう、さかなクンの分もこれから日々精進し生きていくことを誓いながら、おいしくいただきました。
2010/07/22のBlog
[ 22:43 ] [ エッグマンのつれづれ探求 ]
お久しぶりです(^O^)長い間更新が遅れてしまい申し訳ありません

 先日偶然数人から「ブログ見てるよ~」と言われました。私如きの書くものを待って下さる方がおられるということを知り、エネルギーを頂くとともに、ブログという場でメッセージを発するということについて考えさせられました。というか実はその前からも、更新しない間、自分はなぜ、何を、どんな風にブログを書いていたのか、書いているのか、そして書くべきなのか、ということについては考えてきました。

 またその分析なども行い、ブログとは何かについても皆様と考えていければと思いますが、今回は最初の部分だけでも三回出てきた単語「考える」についてカンガルー、いや、かんガエルことにします。

 「考えるな。感じろ」という言葉は故ブルースリーが言った有名なセリフです。ちなみに映画『ラストサムライ』の中でもトムクルーズに向かって、彼に剣術を教えていたサムライが同じセリフを言い、その後トムクルーズが急に馬鹿みたいに強くなるという超常現象が起きます。このことから見てもこの「考えるな。感じろ」という思想(?)はブルースリーだけではなく日本の伝統にも通じると見られているようです。

 或いはトムクルーズは、ブルースリーがそう言ったんだったら日本人もそう思ってんだろ、と感じたのかもしれません。勘違いはブルースリーとだけではなく、『ラストサムライ』においても明らかにアメリカの原住民と日本のサムライ(とその家族)をダブらせ、まるで日本がコロニー、植民地であったかのような印象を与え、トムクルーズ演じる主人公自身もフラッシュバックや懺悔等を通じて、どっちがどっちか混同し、日本とアメリカの先住民族を同一視しているかのようにも見えます。

 余談ですが、とある外交関係の勉強会でアングロサクソン(イギリス人とかアメリカ人)の世界戦略について学び、議論した時に出てきたアングロサクソンの典型的な戦略の一つとして、同士討ちさせて力を弱めておいてから自分が乗り出す、といういわゆる「漁夫の利」戦法があります。

 例えばイギリスの場合、歴史的にフランスとドイツを戦わし、疲弊させる戦略をとっています。そしてアメリカの場合(というかイギリスからの移民の場合)、先住民(ネイティブアメリカン)を滅ぼすためにとった戦略は、大陸に散らばる一つ一つの族を潰していくのは大変なので、一部の先住民の族に新式の武器を与え、その敵対する族を滅ぼさせておいてから、最初に助けた族をまとめて潰す、といったものです。

 そうやってみると『ラストサムライ』も、いわゆるアメリカのとってきた世界戦略とそれを戯画化したいわゆるインディアン映画に酷似しており、さらにはブルースリーの言葉もパクっているので、岡本真夜さんやジャッキーチェンもびっくりのパクリ技が炸裂している、という見方も出来ます。もちろん監督自身はどこまで自覚的か分かりませんし、彼のオリジナリティーも沢山出ていると思いますので、パクリだけではないでしょうが。

 ただそういう見方で見ると、この映画のヒロインの小雪さんもポカホンタスのように見えてきます。そしてトムハンクス、いやトムクルーズは愛する者と“正義”のため一人でアメリカとそれから軍事援助を受けた原住民共、いや厳密に言えば彼らの持っている銃器、特にマシンガン(それがなければただの雑魚共)と戦うのです。まさに北野武監督の『ブラザー』のクライマックスを彷彿とさせ、涙なしには見られません。彼には是非“ブラザー”の称号を与えて、これからはブラザー・トムと呼ばせて頂きます。

 さてさて(かなり)話を戻しまして、「考えるな。感じろ」という言葉の意味を自分なりに考えてみると、武道などにおいては、「あっ、今右ストレート来るな」などと考えて、ゼロコンマ何秒遅れただけで勝負に負けてしまう、だからいちいち脳に信号を送る前に反射神経のように判断し動くことが大切で、そのためには日々の厳しい鍛練が必要だ、という解釈になります。私も少しは武道をかじっているとはいえ、まだまだ超弩級の新参者ですので、あまり大きなことは言えませんが、ブルースリーは「考えるな」と言っているのではなく、より高速にしかしより深く考えられ、判断でき、そして瞬時に行動出来ることが、武道において重要であるということを、この「考えるな。感じろ」というメッセージにこめたのではないか、と感じます。

 頭だけではなく、五感を使い学ぶということは(広い意味での)学習の基本であり、これからの教育等においてもその点を考慮することは大切でありますが、かといって「考える」ということの重要性が減ることはなく、逆に高まっていくと思います。

 そもそも「考える」ことと「感じる」ことを対立させること自体どうかとも思います。別に考えれば感じられなくなるわけではなく、その逆もしかりです。

 「考えなくていいんだ。フィーリングだよ。フィーリンぐ~」という考え方はギャグとしては良くとも、生きる上においては多少問題があるかと思います。ですので偉大な故ブルースリーの言葉を引用する際にも、「考えるな」の方ばかりを強調せずに、「感じながら考えろ。考えながら感じろ」の意味で捉えた方がより的確な感じがします。

 まあむしろ逆に「感じるな…考えろ」くらい言ったった方がええんちゃいまっかー!!

…急に誰?何のキャラ?( ̄○ ̄;)

 なんて意見もあってもええんちゃいまっかー!!

また…まさかの2度づけ( ̄○ ̄;)

というわけでまたぼちぼちと書いていきますのでよろしこーんo(`へ')○
2010/06/02のBlog
久しぶりにスペインに住む母が日本に一時的に戻ってまいりました。母は向こうで介護福祉士として公的機関で訪問介護の仕事をしています。日本に来るときに、行っている家の淑女から泣きつかれ、「行かないで!行かないで!」とか「帰ってくると約束してちょうだい!」とか「息子さんとお母さんによろしくね」とか言われたそうですので、わが母ながら立派なことをしているのだと誇らしげに思います。普段はそれほど話す習慣はないのですが、久方ぶりに話をすることで刺激を受け、私も負けずに自分なりの道で頑張らなあかんな、という思いが益々強まってきました。

 我が家は経済的には豊かではなく、どこをたたいても埃くらいしか出ませんが、少しずつでも徳を積み上げられていけば、何千万円のおこずかいや莫大な資産よりも将来の助けとなるのではないでしょうか。私はまだまだ不徳であり、ふつつか者ですので、これからも精進してまいりたいと思います。

 さて堅い話はこれ位にして、今回土産話と共にいろいろな物資の方も持ってきてくれたので、その方に移りませう。

 まず一つ目の写真にあるのは、私の酒の「友」といえるオリーブさんです。
話は変わりますが皆さんは「友」という言葉を聞いてまず初めに何を連想されるでしょうか。友愛ですか。

 世の中にはいろいろな「友」がいます。心の友、竹馬の友、ご飯の友、そして今回紹介する酒の友…。普段はあまり気がつかないかもしれませんが、我々は様々な「友」に囲まれ、そして支えられているのかもしれません。友に歩き、友に笑い、友に泣き、永遠に友に…

 オリーブというと油のイメージが強いかもしれませんが、そのままでも食することができ、大変おいしゅうございますね。時々ピザの上でも見かけたりしますが、やはりお酒を片手にオリーブの実をつまむ、これに勝るものはございません。

 一口噛めば脂がしみ出て、お口の中はパラダイス銀河。遊ぼうよコロンブス。お酒はぬるめの燗でいい。まあ出来ればワインかビールが合うかと思いますが、何にでもあうでしょう。

 飲む方はぜひ一度ご賞味あれ。もちろん飲みすぎには気を付けてください。

 飲みすぎと言えば、余談ですが、三国志で諸葛孔明のライバルとして描かれることの多い呉の将周瑜は、どんだけ酒を飲んでいても、宴会に呼ばれている生バンドの演奏に間違いがあれば、それにするどく気づき振り向いたそうです( ̄ー+ ̄)こんな顔で。このことから人は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」と言ったそうですが、我々もどうせ飲むならこのくらいのレベルで飲みたいものです。

 ちなみに二枚目の写真のオリーブは中にアンチョビが入っております。
このalcachofaという野菜はよくパエリアなどに入っています。タケノコのように何層かの堅めの皮に覆われていて、普通は中身の柔らかいところだけを食べるのですが、私の通っていた学校の給食ではよく皮も入っていて難儀したことがあります。

 そしてこのmejillonesはいわゆるムール貝というやつですが、これもよくパエリアに入っています。私の大好物の中の一つに、よく母親が作ってくれた、生のムール貝をそのまま塩とニンニクの欠片とともに煮たやつがあり、シンプルですがなかなか美味です。日本でもパスタなどの中にムール貝が入っていると、思わずヤッホーと言ってしまいます。

 私は一人家で飲む習慣というのがあまりないので、残念ながらつまみとしては食わんでしょうが、思い出を噛みしめながら、ちびちびと消費していきたいと思います。まあ我が家は退役軍人、いや大食漢が多いので、知らないうちに全部平らげられる可能性もありますが


2010/05/23のBlog
[ 00:35 ] [ エッグマンのつれづれ探求 ]
私は闇の中を歩く。

遠い目的地に向い、ひたすら足を前に運ぶ

頑丈だった足は徐々に乳酸が溜まり、引きずるようになる。靴は擦り切れ、服は汗と少し前から降り始めた雨で湿り気を帯びる

呼吸は荒くなり、疲労感と倦怠感に襲われ、歩を止めそうになりながら、しかし私の中の希望の灯に気付く。恐らく方向は間違っていない。なぜなら私は目的地を知っているから

一人道を歩いていると、色々なことが頭を駆け巡る。そして何か懐かしい感覚におそわれる

そういえば、前はいつだっただろうか…

終電に乗り遅れたのは


今回は珍しくポエムらしきものを書いてみましたが、実際歩いていると贅肉が削ぎおとされ、雑念も浄化される感覚になります。

 例え終電に乗り遅れても、てやんでぃバーロ畜生!、Fu○k!、¡Hijo de pu○a!等と思うのではなく見方を変えて、天が自分に歩く機会を与えてくれた(少なくとも)、と感謝の気持ちを持てば、歩いている時間を学びや振り返りの時として使うことも出来ます。

人事が万事塞翁が馬
千里の道も一歩から
三歩進んで二歩さがる
江戸川乱歩よりエドガー・アラン・ポー…

 最後はあまり関係なかったですが、迷い、つまずきながらもしぶとく前に進んでいく精神を大切に、これからも歩いていきたいと思います。
2010/05/07のBlog
新年度が始まり、先月はてんやわんやしていましたが、ようやくペースがつかめてきました。

 昨年度から私にも多少の変化があり、四月から自然あふれる美しいKという市(ブログをくまなく見て頂ければ大体すぐわかります)の市民活動センターの運営スタッフとして勤務するようになりました。まだまだ微力ですが市民活動を幅広くサポートするという立場になりました。いつもそこにいるわけではないですが、市民活動に興味のある方は一度おいで下さい。

 さて今回その市民活動センターの近くにある神社で護摩を焚くということで、ゴマキ(護摩木)を頂いていたのですが、今日それに93歳になる祖母と連名で願いを書きました。
護摩を広辞苑で調べてみると、『密教で、火炉を設け、乳木などを焚いて本尊に祈ること。智慧の火で煩悩の薪を焚き、息災・増益・降伏・敬愛を祈願する。不動明王などが本尊とされる。』とあります。古い広辞苑ですので今では若干定義が変わっているかもしれません(そんなに大きくは変わっていないとは思いますが)。

 行者が私たちや他の多くの方の願いのこもったゴマキを焼き、その成就を祈願をする護摩焚きは日曜にあるそうで、ちょうどその日はセンターの方にいるので、護摩を焚いている煙が漂ってくるかもしれません。
完全に余談ですが、行者という言葉を聞くといつも子どもの時に読んだ水滸伝に出てくる行者武松を思い出します。彼は昔から私のお気に入りの人物で、水滸伝に出てくる人物は変人、奇人が多いのですが(もちろん愛情を込めて言ってます)、その中では数少ない真面目な人というイメージがあり、私も武松の様になれるよう日々研鑽中です。

 また市民活動センターの取組み等もお伝え出来るかもしれません。もちろんセンターの業務以外にも、活動を今まで以上により一層励んでいく予定ですので、皆様またよろしくお願いいたします。
[ 22:55 ] [ エッグマンのつれづれ探求 ]
時々思い出したように性教育についての議論が起こることがありますが、その議論を見てみると体や生殖器に関する内容の是非に重点が置かれていて、あまり「愛」に関する教育については触れられません。

 確かに体の成長等とは違って、「愛」とは何かという統一見解がないので、教育の中にいれるのは難しいという点があります。

 「愛」と言ってもこの前のビオタウンのところでも述べたように自然に対する愛もありますし、人に対する愛でも、某首相の言う友愛の様な(若干キリスト教ちっくな)隣人愛的なものもあります。

 愛に関する定義も様々ですが、一応もっともらしい…いや納得しやすそうな例を一つあげると「ある他人(B)の幸せを自分(A)の幸せのように感じ、その他人(B)も自分(A)の幸せを当人(B)の幸せのように感じる、これが愛なんだー!」というものがあります。恐らくこの考え方によると、この精神に基づいて恋愛も性愛も発生する、つまりは全てはこの「愛」の精神がベースとなり、性愛等は大きな「愛」の中の一部となります。

 ではそれならば性教育など部分的なことを大々的にやらずに、「愛」についての教育をまず優先的にやったらいいじゃないか、ということになります。

 ただ先程述べたように愛に関する定義が定まっておらず(逆に個人的には完全に定まってしまうと怖いような気がしますが)、一つの考えを押し付けるのは、教育的、心理的にまずいのなら、「愛」にとは何かについて議論するような教育を行うことも一つの方法でしょう。それと同時平行して性教育も行えば良いのではないでしょうか(バイオロジーの一環としてやるのも面白そうです)。

 一方、「実際の恋愛で性と愛を分けることは難しい、従って肉体的な『性』と精神的な『愛』を分けて教育するのはいかがなものか」、といった反論もあるかと思います。

 これもある程度説得力がある意見ですので、それを踏まえて、恋愛の精神的な部分と肉体的(性的)な部分を違ったもの、相反するものとして分けるのではなく、恋愛に関しては幾つかの重要な要素が相互に作用しあっているという図式でとらえるという方法もあります。

 例としては、精神的な「愛」、性的な欲求、自己承認の欲求等々、恋愛を総合的に見て、そして個別に詳しく(諸説等を)説明し、議論を促していく。物議を醸しがちな性交や性器についての説明等は性的な欲求の中で説明していけば良いのではないでしょうか。
その一方自分の中には、「愛」に関してあれこれ説明出来るものなのか、いやそれ以前にしてもよいものなのか、という(ロマンチスト的な)疑問もあります。従って教育の範囲では必要最低限な知識を教え、考えさせるという程度に抑えて、後は本人の良心と自由意思(これを育むための教育は別途行って)に任せるという感じで良いんじゃないかと思います。

 余談ですが、ある飲み会で格差について論じ、その中で恋愛格差について半分ネタっぽく、
「そもそも恋愛なんて数値化出来るものじゃないのに、何をもって格差というのか」
 と述べたところ、そこにいた若い女性に、
「その考え方は高校生までよ」
 とツッコミをいれられました。まあ確かに高校生になる前に日本から離れたので、ここではまだ高校生扱いでしょうが(んなこたーない)。

 冗談はさておいてこの恋愛格差については、就労問題、少子化、そして何より幸福度に関連するところも大きく、個人的にはかなり深刻で、“格差問題”の中でももっと重要視されてもよいのではないかと認識しています。またこれもとりあげたいとは思いますが、心理的にも結構ヘビーなテーマとなりそうです。

 さて今回は性教育から「愛」についても少し見ていきましたが、私自身はいわゆる耐え忍ぶ恋というのも「愛」の一つに加えてもいいじゃないか、と思うところがあります。例え相手と両想いにならずとも、誰かを大切に想う心自体が尊い、という考え方もこれからの時代見直されるかもしれません。

 某首相による性教育ならぬ友愛教育構想(あるのか?)にも多少期待しますが、日本古来(マジで?鍋島藩だけじゃね?)の葉隠的純愛教育構想、或いは、世に生を受けるもの全てを尊重する八百万愛教育(こちらは結構日本古来っぽい)教育なんてのも、温故知新でオリジナリティーもありなかなか面白そうです。
2010/05/03のBlog
グワシ!

 4月27日に認知症サポーター養成講座に行って参りました。

 もともとカウンセリングや心理学を学んできたこともあり、認知症にも興味はありましたし、認知症とうつ病はよく見分けがつかないことがあると聞いていたので、個人的にはそのところをじっくり聞ければと思い、参加いたしました。

現在認知症は85歳以上では4人に1人で、日本では169万人いるそうですが、この二十年間で倍増する可能性もあるそうです。

 意外に思われる方もおられるかも知れませんが、認知症の症状が出てくると、周囲が気付く前に本人が気が付くことが多いそうです。

 認知症の人への対応の心得として“三つの「ない」”というのがあるそうです。①驚かせない②急がせない③自尊心を傷つけない、というのがその三つですが、特に3番目の自尊心を傷つけないというところは重要であると思います。

 一般的には本人は自分の症状には無自覚である、といったイメージもあるかもしれません。また本人は気付かないから意外と気楽で、逆に周りの方が大変だと思う向きがあるかもしれませんが、それは大きな誤認であるということを今回の講座で学びました。

 どうしても反応がないと、何も分からないと思って無礼なことをすることもあるかもしれませんが、それは大間違いです。正に「己の欲せざること人に施すなかれ」(by 魯出身の偉大なる大男、いわゆる孔子)の精神で接することが大切です。
他にも①驚かせないというのは、例えば後ろから急に声をかけたりしない等気をつける、②急かさないというのも相手のペースに合わせる等、相手のことを思いやり、自分ではなく相手の基準は何かと思いを巡らせるところなんぞはカウンセリングとも類似点があります。

 まあというか普通に誰に対してもそういう対応の出来る人が大多数の世の中であればいうことは無いのですが、良いわやすし、怒るでしかし…いや、言うは易し、行うは難し、で私自身も気をつけていかねばなりません。常に磁界の静止、いや自戒の精神が大事です。

さて気になっていたうつに関してですが、認知症の初期にうつ状態を示すことがあり、その原因には「もの忘れなど認知機能の低下を自覚し、将来を悲観してうつ状態になる」というのと「元気や、やる気が出ないこと自体が脳の細胞が死んでしまった結果である」という二つの考え方があるそうです。

 考えてみると奇しくも他の問題にも同じような議論はあり、例えば「引きこもり」の場合を当てはめてみると、「引きこもって、社会とのつながりが希薄になり、将来を悲観してうつ状態になる」というのと「元気や、やる気が出ないこと自体がうつ状態であり、その結果引きこもる」といった二つの考え方が出来ます。

 ざっくりと分けてみると前者は環境とそれに対する本人の認知の仕方によって病気や病的状態になるといった考え方、後者はそもそも始めから病気であり、それにより症状が現れ、周囲の環境も変化していく、という考え方に近いと言えます。イメージ的には前者は外から内へ、後者は内から外へ、といった感じになるでしょうか。

 うつに対しても対応も変わり、前者の考え方に沿えば、機能の低下によって絶望することがうつが原因ですから、作業療法、認知行動療法、カウンセリングなどを組み合わせ、機能の低下を防ぐ(遅らせたり)、そして機能の低下による心理的ストレスを軽減するといった方向になるでしょう。

 後者ではうつ状態になるのは脳(脳内物質)の働きに原因があるという考え方ですので、うつに対しては主に薬物を使って対処していく可能性が強いかと思います。

 私は、環境と心は相互作用しあう(お互いに強化しあう)という考え方ですので、ニワトリが先か卵が先か、といった議論よりは、両方の特徴を踏まえ、そして何よりも、個人個人の状況に沿った対応を複合的に行うことが、認知症でもまたその他のケースでも大事になるかと思います。

ただ今回の認知症サポーターの講座としての目的は、具体的な対処法を考え、行うことではなく、認知症を理解した認知症の応援者となるということでしたので、不遜にも私ごとき羽虫の様な人間があーだこーだ考える必要は今のところ無いのかもしれませんが、ただこれを機会に認知症に対してもアンテナをはっていければと思います。

サバラ!
2010/04/17のBlog
[ 23:09 ] [ Bio Town ビオ タウン ]
今周りでビオタウン構想という計画が動き出しています。
私も縁があってメンバーの一人となり、僭越ながら会議にも出席させていただいていますが、他のメンバーの方々のお話を聞いていると、人間も自然の一部であり、必要不可欠なものであり、決してあってもなくていいものなのではない、と痛感します。会議に参加するたび、自然に対する想いや愛情、そしてするどい洞察には毎回驚き、心を打たれます。
普段まちで暮らしていると正直自然に目をとめることは少なく、通り過ぎてしまう者になりがちですが、日本にはまだ豊かな自然は各地に多くあり、我々が気づいていないだけなのではないでしょうか。「気づかないものに気づく」などと言うと、なにか水木しげるの妖怪の世界のようですが、今回のコンセプトの一つになるかもしれません。
今日はプレイパークの候補にあがっている原っぱを視察しにいきましたが、大の大人が皆子どものように花や木、草などと戯れ、エンジョイいたしました。天才的に自然に詳しい方がおられたので、一つ一つの植物について説明もいただきましたが、とても短時間で覚えきれるものではありません。また繰り返し復習しながら学んでいきたいと思います。今回はとりあえずいくつか写真の方を貼らしていただきます。エッグマンのブログといえば、無粋、ぶっきらぼう、ブ男で有名ですが(T_T)、今回は写真を多くはりまっせ。
ただ単に子どもの遊び場を作るだけではなく、全体的、総合的なまちづくりの観点から自然を活かし、そして共生する方向になっていくと思います。

 そして個人的には何より教育、そして子育てにもつなげていければと思いますし、他の方々もその思いは強く持っておられると思います。生死、共生、痛み、喜び、そしてイワシ、いや癒しなど様々な学びを自然は与えてくれます。

 人手や知恵はどんどん必要となってくると思いますのでまた自然やエコ(もちろんまちづくり、教育や子育てなどでも)に興味のある方はお気楽にご連絡くださいな。
2010/04/07のBlog
新任の方への引き継ぎも終了し、私の子育て支援コーディネーターとしての業務も完了いたしました。短い間でしたがこの仕事で経験したことを思い起こすと、正に涙、涙、なみっだ~(サザンか?)という気分でおます。
炎の就任会見の様子はこちら

 今回の機会を通じて、子育てとは何かと考えるという貴重な体験をさせていただきました。

 もともと教育はもちろんのこと、特に不登校や引きこもりに関しては並々ならぬ関心があり、昔相談会や講演会を通じてサポートする活動をしたこともあります。というか社会全体の問題でもあり、自分自身の問題でもあるという感覚を持っています。

 そしてカウンセリングや心理学を学ぶうちに(その前からも)、親子や家族関係も教育において重要な要素を占めることを実感し、今回子育て支援コーディネーターを受ける際には、その流れもあり、大いなるチャレンジ精神と決意、責任感をもちその職にのぞみました。

 ただ実際やってみると、年齢層の違いか、今まで自分のやってきた教育関係の活動とは感じが違うところも多かったのですが、その分新しい発見がありました。

 一番感じた(感服した)のはそれぞれの子育て団体の子育てに関する熱い思いです。

 子育てコーディネーターとしての一番大事な業務の一つが子育て支援団体のネットワーク(今回の場合は兵庫県、私の担当は阪神北でした)を作り、広げていくことなのですが、その前に実際に子育ての現場に行ってお話を聞かせて頂く機会がありました。

 どの団体、施設も本当に真剣にそして真摯に子育てについて考え、そして実践されており、非常に頼もしく感じ、もし自分に子供がいればここに預けたいと思ったところもあります(というか子供の前にパートナーどころか女っ気ゼロ、カロリーゼロなんですけど何か(´A`))。

 各団体や個人の子育てに関する真摯な姿を見ていると、安心感を覚えると共に自分ももっと×∞頑張っていかねば、という気持ちが古田新太に湧きあがり…いや、心新たに湧きあがりました。
これからも立場や年齢なども越えて皆で忌憚なく話し合い、協力しあいながらより良い社会、世の創造を目指し、こつこつと、時には大胆に活動していきます。

 今年度もオープンマインドと乾坤一擲をmottoにやっていきますので、皆さん、共にぼちぼちと頑張っていきましょう
2010/03/30のBlog
3月21日にたかとりコミュニティーセンター内で行われた移動ペルー領事館へ行ってまいりました。

 前に少しご紹介したNPOユース合宿で偶然出会った、多文化プロキューブの村上さんに誘われてボランティアとして、パスポートや身分証明書の申請に来られたペルー出身の日本に滞在している方々のサポートのために足を運んだわけですが、本当に様々な人たちとの出会いがあり感慨深い一日となりました。

 実は前日ほとんど睡眠江おとっておらず、早朝から電車に乗り現地に向かったので、正直最初はかなりグロッキーな感じでした。ついてみるともう沢山の人が集まっており、人の整理や付近に車を止めていないかの見周り等を任されましたが、そのうち少し体調が回復してくると(目が覚めてくると)、来ている人といろいろ話をし始めました。

 ペルーから来た人たちと会話をしていると、何か昔の雰囲気を思い出し、ひさしぶりにラテンの血が騒ぎました。スペインなどではビザの申請などを行う場では、かなり騒然とした感じとなり、騎馬隊等も出動したりすることもあるのですが、それと比べると日本におられるペルーの人たちは非常に行儀正しいイメージをもちました。ただ話を聞いてみると去年は今回よりはるかに多くの人が来て、手続きが出来ない人もいたそうなので、人数が少なかったということもあるかもしれません。ただその日も時折見せる人々の激しさや陽気さ、人懐っこさを見ると、じんわりと懐かしい気持ちになり、今同じ日本に住んでいて場所も共有しているということも含めて、何か共感するものも感じました。

 会話の中で、私は社会活動に携わっており、今NPOでも働いていて、教育問題委に興味があると伝えると、また何かあったら一緒に協力してやってみようかという人も何人かおり、思わぬところでつながりが出来るという収穫がありました。ちなみにNPOをスペイン語で言うとOrganización sin lucro propioとなりますが、スペインなどで非営利団体といえばまずONG(organización no gubernamental)、日本語で言うとNGO(日本語か?(~_~;))というのが一般的で、経験上あまりNPOという言葉はそれ程一般的ではないようです。NGOは非政府組織ですが、非営利(お金を稼がないという意味ではない)の性格をもっているところも多いのであながち遠い概念でもありませんが。

 山に幸あれ、いや何はともあれプロキューブの吉富さんやロクサナさんなど多くのスタッフの方々とも親交を深めることができ、優しくしていただいた上ペルーのお弁当などたくさんお土産に頂き、本当に皆さんに感謝感激東条英機です。

 さらにその後村上さんと飲み語り明かし、なかなか激しい一日でいたが、非常に楽しく有意義な時間を共に過ごし、明日に向かって戦うための力をいただきました。恐らくこの日出会った人たちとはまた何かの形で関わるんでないかな、と感じます。