句と理と酢と真と素の音が出なーい

この季節、この風土、この街にぃ、クリスマスがねぇっていうのはどういうこった!

 東京ダイナマイトさん、残念でした。決勝にさえ行けばチャンスはあったかと思うのですが…私自身にも多少影響のある(内部で)M-1決勝でした。

 さて本文について最初に、この時期にこのタイトルはベタかと思いますがお許しください。

 右上のお面(?)はこの前バイトをしている家庭教師センターで誕生日会をしてもらった時に同僚一同からプレゼントしてもらったものです。

 自分の誕生日を祝うために人が集まってくれるのはあまりないので、今年は珍しい年だといえます。

 誕生日に関わらず、あまり祝日だから何か特別な事をするという習慣はなく、クリスマスも仕事がある時は仕事に行き、ない時は一人で家で過ごすというのが定番なのですが、スペインに住んでいた頃に、クラブチームでラグビーをやっていた時は、クリスマスの日は皆でパーティーをやりました。

 高校の時はジュニアチームだったのですが、シニアチームの選手や監督も一緒になって飲んで騒いでました。普段からシニアの人たちとは交流があり、私は体がほんの少し大きかったこともあり、一緒に練習したこともあります。

 私は今でもどちらかと言うと内向的で、高校の時はさらにそうでしたが、チームメートもシニアのメンバーやコーチ、監督やその他の関係者も、非常にフレンドリーに優しく接してくれました。

 私のような者が皆と一緒に祝日を祝えるというのは、今年の誕生会(これは祝日ではねーゲス!σ)Д`) )やラグビーチームのクリスマスパーティーの例のように、何か団体や機関(学校、チーム、会社等)に所属している、何か目に見えるつながりがある(偶然にでも)、ということがきっかけになるケースが多いかと思います。

 でも逆に言えば人とつながる機会や縁がなくて、人とのつながりがあまりない時はそういう機会も少ないともいえます。私自身も今まで祝日を人と過ごす機会の方が一人でいる機会よりも少なかったので、一人で過ごすことは当たり前で抵抗はありません。

 ただ人と祝日を過ごすのもいいもんだな、とほんのり思う気持ちもあります。

 だから別に深い関係がなくても、目的を共有していようがいまいが、どんな経歴、思想、利害関係を持っていようと、ふらっと立ち寄れて祝日を祝ったり、皆でテレビ(これからはネット?)でスポーツやお笑い等を見たり等して、なんとなしに(同じ場所にいるということで)つながる、そんな“場”を造れれば良いいんじゃないかな、とも思う京唄子、いや今日この頃です。