「巫女研修〜上級〜」

9月10日午後から11日お昼まで、

私が暮らす八尾・河内國一之宮

「枚岡神社(http://www.hiraoka-jinja.org/)」にて、

やる気さえあればいくつでも【巫女さん】になれる

巫女研修に行ってきましたぁ〜(^^)♪

初級・中級は3〜5年前に受けたので、

すっかり忘却の彼方でしたが(笑)、

いろいろ気づきの多い2日間でした。

まず巫女スタイルに化け、

一般の人が入れない本殿境内の草取り♪

私はこの巫女研修で唯一得意で

“優等生”だったのが、この草取り(笑)。

やっぱり私は農業の血筋なんで、

今後も農業ガンバロウと思いマシタ〜(^^)♪

今回の巫女研修で確信を得たことは、

人間には向き不向き【個性や役割】というものがあり、

私はつくづく“巫女”というものには

向いていないなぁということデス(*_*)笑☆

では何故私が巫女研修に・・・

しかもわざわざ上級まで参加したかと言いますと、

巫女というチョット深くて特別な立場に分け入って、

【神道】という日本古来の精神世界

(我々日本人の根本的あり方・生き方)を

覗いてみたいと思ったからです。

現在の日本は幕末のような時代の節目

【終末期】にあります。

終末期は混迷を深めます。

人間が道に迷った時は

「道を間違えた場所(元いた場所)まで戻ること」が必要です。

私は日頃より仏教系アプローチでは

(曲がりなりにですが)、

日本人としてのあるべき姿を探求し続けておりますが、

神道的アプローチはお朔参りに

氏神さま&三輪さんに参ることくらいしかしておらず、

一歩突っ込んだ実践を通して

神道を味わってみたかったのです。

私は決して巫女願望はゴザイマセン(*_*)笑。

・・・草取りに続き、本殿前で大祓詞奏上&瞑想。

清らかな気を感じココロは気持ちいいながらも、

正座がキツイので、途中から足をくずしマシタ・・・(*_*)。

とにかく私は長時間じーとすることがニガテです(涙)。

巫女研修の参加者の方々ってみなさん、

巫女願望の強い=即ち大の神道好き&

強いスピリチュアル系女性ばかりでしたので、

ずっと正座し微動だせず大祓詞を

スラスラ言える人ばかりで・・・私はかなり劣等生状態っ(笑)。

その劣等生感を抱きつつ、

次はこれまた私がニガテな【禊】っ(*_*)☆

厳密に言うと、私は【水】がイヤなんです。

プールも川も海もイヤです。

温泉は好きですが(笑)。

とにかく私は水で罪穢れを祓うのではなく、

歩き遍路行やゴマダキとかでやりたいタイプです。

私は【神仏習合型・行者タイプ】です。

ま、ハラ決めて禊をしますと、

それはそれでいいのですが、

「神道の禊はこんな感じやねんな」と

覗き見させて頂いた感じです。

また仏教系の禊とは全然違うやり方&スタンスで、

めちゃくちゃ新鮮でしたぁ〜(^O^)。

そして私がニガテなものの極めつけが【祝詞奏上】

つまり“踊り”なんです(*_*)!!!

私は昔から踊り・ダンスが大のニガテです。

見聞きしたものを、踊りというもので身体で表現出来る

スキル能力が極端に私は欠けております(*_*)。

とにかく学校の授業や子供会の出し物の踊り時代から

好きではありませんでした(*_*)☆

そしてそして!【極めつけの極めつけ】が、

巫女という役割の人は、

常に女性らしく清く正しく美しく、

そしてしなやかで穏やかでないといけないということで・・・

私はそれが出来ません(*_*)笑☆

「たまに」「ここぞと言う時」だけなら出来ますが、

「常に」が出来ません(*_*)☆

例えば巫女の私の元に、

ある河内のチャラいニーチャン達が

「ネーチャン。商売繁盛の祈祷たのむわー」ってやって来たら、

私はブチッ☆と切れて、

「オマエラみたいなチャラいヤツの商売なんて、

祈祷してもせんでも成功する訳ないやんケ〜ボケ〜!」って、

つい本音が出て来てしまいそうです(笑)♪

もしかしたら私が世の中で最もニガテなのが

【女性らしくする】ことなのかも知れないなぁ・・・と

まざまざと気づかせて頂いた機会にもなりました(^^;)。

以上楽しくも徒然なるままに記載させて頂いた

他愛なる巫女研修体験報告ですが、

神道という日本人としてのあるべき道(姿)とは、

実は至ってシンプルであり、自然体なんだと感じました。

山に存在する一木一草のように

【自然に還る】ことが神道なんだと感じました。

その為に私たち人間は【罪・穢】を祓い続けなければならない、

“鏡”のように物事をありのまま見えるように、

心身を磨きながら魂を磨き続けなければ

ならないということなんだと感じました。

磨きの足らないまたくすんだり汚れている鏡では

“ありのまま”が見えず、

清く正しく美しい判断や行動は出来ず、

自他の人生自体もくすみ澱み、

ますます汚(穢)れたものが還って来て、

よりよい人生が歩めないということかと感じました。

このような神道という精神を継承する為の場所・

【見える化】したものが神社という施設なんだと思いました。

あと、健全な精神を維持する為には健全な肉体が必要であり、

人間にとってあるべき各種衣食住も

神社の内外に継承し続けているようですね。

おかげさまで今回もいい経験をさせて頂きました。

中東宮司を始め、皆様に篤く御礼申し上げます(^人^) ☆