お金のゆとり 時間のゆとり 心のゆとり

(写真はご近所の踏み切り側にある梅♪)

毎度です〜っ(%笑う女%)(%晴れ%)

今年1月から『社団法人 政経倶楽部連合会』

という会に入りマシタ〜(%ニコ女%)(%星%)

その会の主旨は、

私たちが暮らす地域・国の現状に憂え、

自らの手で地域・日本をよくして行こう!という会で、

『自分たちの自己努力だけでは、日本やよくならない』

と危機感を抱く、中小企業の経営者と、

本気で日本をよくしたいと活動する政治家が集まる会で、

大阪支部以外に、東京・千葉・名古屋・福岡(九州)に支部があります。

…私は前々からずっと思っていたことがありました。

それは、経済と政治は『自転車の両輪』のような関係で、

今の日本は、経済という『前輪』は美い円を描き、

比較的スムーズに回っているのですが、

『後輪』の政治(政治システム)のタイヤが、

あちこちパンクしていて、

フレーム(政治家のモラルや政治の根幹)までも歪んで、

日本国民ががんばって自転車をこいでも、

後輪がそんな酷い状況なので、スムーズに前に進まないん情況なんです。

企業家・経営者がお客さんや取引先の方と話しをする時は

『政治・宗教・プロ野球』の話しは、

イデオロギー(政治的な価値観)が違う…対立しやすいので、タブーとされ、

自身の主義主張をすることは、私も今まで避けて来ましたが、

価値観の違いによる衝突(真理の追求と、その実践)を、

いつまでもみんなが避けて来たから、

今の日本がこんなことになってしまったんやと思っていますので、

このような会に入り、国や地域の政治にも

からんで行きたいと思うようになりました。

あ、政治家にはなりませんョ〜♪

私は櫻井よしこさんと瀬戸内寂聴さんを

足して2で割ったような人になりたいので(笑)(%ニヤ女%)(%ハート%)

経営者が『足下の自社の経営をよくして行く』という、

“ボトムアップ”していくことは、

基本的に大切なことですが、と同時に、

政治の力により、“トップダウン”で

経済をよくしていく方向も重要だと考えています。

人間の身体で例えると経済が『動脈』で活力を与え、

政治・社会福祉は『静脈』にあたり、社会に潤いや平安を与えます。

正に経済と政治はニコイチなんです。

だけど残念ながら今の日本は、

トップダウンの力を発揮すべき役割を担う政治・政治家が

スムーズに機能をしていない…本来の役割を果たしていない訳です。

私たちの日々の生活・経済は、

永田町界隈や府庁・市役所で決められていく政治(府政・市政)に、

実は密接に関連していることが、見えてきました。

この“真理”が見えず、

『永田町(政界)で起こってることは、私らの生活やカネ儲けには関係ないわ〜』と、

今の政治家に政治の全てを任して来たからこそ、

今の日本の政治の根本的な腐敗が進み、

私たちの生活にも確実に悪影響を与え続けていて、

『がんばった分だけ報われる』という、

日本人として至極当たり前に享受すべき、

“幸福な人生”(国民の権利)を奪われている訳です。

この政経倶楽部のよいところは、

特定の人物や政党・派閥を応援せず、

偏りがない…っていうか、真に日本をよくする人や政策しか応援しない…

日本の中小企業家や国民の為に働き、

がんばる政治家や政治団体を応援するという点であり、

関係はあくまで対等。もちろんお金な物のやりとり、接待とかは皆無。

お互い言いたいことを言い合い、互いに高め合う点かと思います。

そんないい意味で「ゆるい」感じなので、

所属メンバーそれぞれ、

応援している政治家や各種団体も違うようです。

もしかしましたら、真の政治家・政治団体をサポートしたり、

選挙で選択するために必要な、“正しい情報(真実・真理)”を

得るための団体が、この政経倶楽部のような感じもいたします。

また、この団体が『政治団体』でなく『一般社団法人』なのも、

そんなニュートラルで無色透明…真の日本の創生・再生を担う、

日本の団体の一つとして、今後も生成発展していく会だと思います。

ただ弱点としては、『政治』を扱う団体なので、

いろいろ誤解を招きやすくまた攻撃されやすい点でしょうか…。

そういえば私が入っております経営者団体『倫理法人会』の場合は、

政治は一切触れませんが、扱うものが、“倫理道徳”なので

宗教(団体・法人)と誤解される点があろうかと思います。

・・・そういえば、話それますが、

陶芸家・河井寛次郎氏の師匠がこのようなことをおっしゃっていたそうです。

「世の常として、人(会社・各種組織含む)が頭角を現すと、

必ず色々な中傷や誤解を広げる噂が飛び交う。

その時には、絶対に気を乱さず、争わず、只々己の作品創作(すべきこと)に

命をかけて専念すればよい」

なるほど。。。

奥深い・・・人間の真理をついたことばですね。

…何かの組織、物事、人を『ありのままを見る』という難しさを感じます。

さて、先日、その政経倶楽部・大阪支部の例会が、

新大阪のワシントンホテルプラザでありました。

その日は受付担当だったので、受付におりましたら、

18時半開始だったので、18時20分過ぎから

18時35分くらいに9割くらいの方が来られました。

なるほど☆私もいつもギリギリに来る派でゴザイマス(笑)。

その後、八尾商工会議所青年部&倫理法人会の先輩であり、

この政経倶楽部の大阪支部長で、

私をこの会に引っ張り込んだ(笑)おじさま・上能(じょうの)さんが…

『たいていの人は、ギリギリに来るものであり、

“ゆとり”がないもんなんやで。』

・・・とおっしゃいました。

上能さんとは、こんな感じでいつもあちこちでお会いし、

政経倶楽部例会の前にも朝から、

倫理法人会関連の“普及”をしに、八尾市内を回っていました。

ですので、上能さんが普段、いかに時間のゆとりを持ち、

心のゆとりも持って行動されているのかは、よく見えています。

上能さんのような『あらゆる“ゆとり”を持つ実践・習慣』を体得すると、

どういうことが起こるかと言いますと、不思議なことに、

『お金(物質)のゆとり』も現れてくる…ということです。

なるほど…よくよく周りの人たちを観察しておりますと、

地にどっしり足がつかず、せかせかと思い付き&

無計画で走り回っている…つまり“心にゆとりのない人たち”は、

お金も少なそうで、『もっと稼がな〜』といつも焦り憂えて、

そんな思考と言動から更なる失敗(苦難)を

招いておられる傾向にあります。

ここで言う『お金がない・少ない』は、

その人が認識している“主観”であり、

実際ある・ない金額…“客観”とは違うようです。

例えば、その人が100億円持っていても、

『私にとって“お金がある”ということは、1兆円あること』と

思い込んではるのであれば、

その人にとっては『お金がない』という主観的状態で、

心にも時間にもゆとりが無くなり、そしてお金も減ってくる訳です。

心の中(見えない世界)と、物質世界は“相関関係”にあり、

実は己自身の心が、全てを決めているようです(%ニコ女%)(%星%)

(右写真は、八尾の山から見た大阪平野)

例え年収108万円以下であっても、

自分が『幸せ』『お金持ち』だと思えば、

その人は『お金持ち』であり、そんなプラス思考の方は、

気がつけば、その人の人生にとって必要な金額

ちょうどの年収に自然になっていくようです。

人生、不足不満(苦難)ばかりですが、

その不足不満の量や質は、その時々…

その人にとって“ちょうどよい”量質であり、状態であります。

そんな不足不満の苦難を、何とかして打開すべく、

己を磨き高めて行くのが“行”であり、

私たち人間の“人生”そのものなんだと思います。

・・・幸福・幸福感には2種類あるようです。

それは、“外観的幸福感”と“内観的幸福感”です。

(私が、勝手に“仮”で名前をつけました・笑)

“外観的幸福感”は、

他人と比べる・他人と対立する意識から発生する

人間のマイナスの感情であり、

そこからは、他人や己自身の真の幸福への到達は達成しない・・・

“内観的幸福感”を阻害している訳であります。

真の幸福感は、自分自身が感じる・・・

自身の心の中から自然に湧き上がって来る幸福であり、

それが“内観的幸福感”であります。

この“内観的幸福感”に満たされた人は、

その幸福感を、人様に分け与えたくなります。

(んでもって、ますます幸福になっていきます)

逆に、“外観的幸福感”を求めて続けている人は、

人様から幸福を奪いたくなります。

(んでもって、ますます不幸になっていきます)

残念ながら、人から奪って満足する“外観的幸福感”が

真の幸福であると誤解し、

それを追い求めている人が多いように感じられます。

そして死ぬまで、、、死ぬ寸前、そして死んでからも、

人から幸福を奪った“罪”に苦しめ続けられるんです。

まさに“もののあはれ”ですよね。

・・・話戻して、

そんだかんだで、私も上能さんを見習って、

ギリギリ時間の生活から卒業したいと思いま〜す(%とんかち%)(%痛い女%) (%ニヤ女%)