四国遍路は、「自分の声」を聴く旅 ④

おかげさまで、27番・神峯寺までお参りでき、

そこから出てから高知市郊外の

高知自動車道の南国インターチェンジから

高速に乗るまで・・・

「ああ、どっか温泉ないかなぁ・・・

汗で全身べとべとで、このまま高速、300キロくらいドライブするのんなぁ・・・

カラダのヨゴレを取って、すっきり大阪に帰りたいなぁ・・・。

だけど、ないのも、それはそれで、ご縁がなかったということで・・・。」

って、思って高知自動車道の南国インターチェンジ手前の

幹線道路の脇に

「日帰り温泉 → 」

という看板があり、ビックリ仰天っ!!!!!

よくよくカーナビを見ますと、温泉マークが。。。

やっぱり、よしこちゃん、ツイテます。

めちゃくちゃ、ツキまくってます!

やっぱり、遍路して、大正解〜っ!!!!!

で、50分くらいゆっくりして、

キレイさっぱりなって、大阪に向かってアクセル踏みました。

高知道は、二車線の走りやすい道なんですが、

川之江ジャンクションから、藍住インターチェンジまでは

一車線(途中、二車線になるとこもあり。そこで遅い車を抜かす)で

対面通行の場所も多く、まわり真っ暗やのに、

向かってくる車のライトがまぶしく、運転は困難を極めましたが、

川之江ジャンクションからちょっと行ったところで

その道になれてそうな方の後ろになって、

ひたすらその人のおしり追っかけて、50キロくらい

めちゃくちゃ早いスピードでくっついていって

おかげさまで快適なドライブができ、

いろんなことを・・・今回の旅のおさらい・・・をしながら

大阪まで無事、帰っていきました。

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かなり長文になってしまいましたが、

最後に、18番さん手前の泊まった民宿のノートに書かれていた

歩きお遍路を一人で挑戦されたの、19歳の女の子のメッセージを紹介します。

ここに来る前は、飲み屋のホステス。
学校に行かず、高校も辞め、両親に迷惑ばかりかけてきた、ばかな娘。
2年前におかあさんが他界し、更にグレて、家に帰らない毎日。

そんな時、いろんな人にこのお遍路を教えてもらい、
1番から歩きてきました・・・その過程は
本当につらく、泣きそうでしたが、徳島のいろいろな人に助けられ
自分は本当に「生かされているなぁ」と、心から感じ、
人のあたたかみに毎日涙しています。

何があっても最後までやり通し、家に帰ったら、
きちんと、おとうさんやおじいちゃんやおばあちゃんにあやまって
親孝行したいと思います。
おかあさんには直接あやまれないけれど・・・毎日きちんと
ぶつだんに手を合わせようと思いますっ!!

若い女の子らしい、カワイイ文字の中にある強さを決意を

私はそのコの残された文字から見てとれました。

>自分は本当に「生かされているなぁ」と、心から感じ、
>人のあたたかみに毎日涙しています。

この、人として最も重要な「生」の真実を19歳で気づき、

1400キロの四国遍路歩破という、多くの人には出来ない

縁のない偉業を成し遂げる、そのパワーといいますか

度胸といいますか、根性といいますか・・・

ほんと、どんな苦難が来ても、今の彼女なら乗り越えられるでしょうね。

人生って、いろんな苦難で打ちしがれ、深く、かがめばかがむだけ、

より高くジャンプすることが出来ます。

人生・そして人間に絶望し、それで自滅したら、それで終わりですが、

絶望から這い上がってきた人間ほど強いものはありません。

一見、その人を苦しめる“苦難”。

お遍路道で言う、上り坂や過酷なアスファルトの道は

一見、どこまでも苦しめる、悪魔のようですが、

そんな苦難が多ければ多いほど、

人間の本質・・・お接待(人)のあったかさが身にしみ、

そしてそれに早く気づくのです。

自分だけの人生遍路。

19才の女の子の歩き遍路・人生旅。

みんなそれぞれの使命・役割を

産まれてから、そして産まれる前も

選択して生きている「親を選んで産まれてくる」もんやと

私は最近、なんとなくそう思っています。

学校に行かなくなって、グレたのも、おかあさんが死んだのも

全てそのコの一本の決まっている・必然的な人生遍路道。

実際の四国遍路道は、みんな同じところを回っていますが、

それは見える世界の話であって、

実際はみんな、それぞれの人生の苦難・課題や悩みを持って

回っている、全員別の遍路なんです。

どれがいい、わるい、ってない。

オンリーワンの世界。見えない世界はオンリーワン。

みんなばらばら。

見える世界は、競争し、ナンバーワンの、比べる世界。

オンリーワンを極めると、いつのまにか

ナンバーワンになっている。自分自身が

「ナンバーワン!」って判断できるから。

自身の判断基準・価値観・ものさしで計って、見てるんやから、

アタリマエ。

彼女は、88ヵ所廻り終え、結願してもまだ20歳。

まだまだ若いです。半世紀以上もあります。

彼女の人生の序章は19歳の遍路を期に終わり、

彼女の人生はこれから180度変って、

彼女の人生の本章がはじまります。

それは、恩返し、恩送りの人生。

人よりもかがんでいた低い時期が多かった分、

ものすごいことになるでしょう。

天国のおかあさん、おとうさん、祖父母の方、

そして世の中に、これからの長い人生の、ものすごい量の、そして質のある

ご恩返しをするでしょう。

私の知らないところですが・・・

きっと、なんらかの形で

私にもなにかいいこと、ありそうです。

実際、こうして、めちゃくちゃ勇気づけられていて、

みなさんの心が、あったかくなっています。

私はそのコを同じ、ご恩返しはできませんが、

また違ったカタチのご恩返しができます。

どっちのご恩返しが、100点、90点とかでないんですよね。

だって、使命・役割はみなそれぞれに違うんですから。

それが「絶対倫理(=真実)」なんですよね。

私は、四国遍路旅は、「赤ちゃんが寝ているようなもの」

だと思っています。

私が「また、四国遍路行きます!」って廻りの方々にいいますと、

「ええなー。余裕(時間・お金)があって」と

羨ましがられる傾向にあります。

これには、ちょっとカンチガイの部分がありまして、

これは余計なもの・寄り道ではないんですよね。私にとっては。

その人たちにとっては、そんなんだと思いますが。

私にとって、四国遍路は、人生の一本道の中に

これから先も何回も何回も通る、歩むべき道、なんですよね。

いつも寝ている赤ちゃんに大人たちは

「いいよね、赤ちゃんは、大人みたいに起きてあれこれせんで

寝ているだけでええねんから」って言います。

だけど、赤ちゃんにとって、必要だから寝ているんですよね。

寝ている間に、どんどんカラダとか脳とか心が成長しています。

この世に、無駄なものなんて、本当はないように

出来ているんやと思います。

その人が無駄と言えば無駄、無駄じゃないと言えば、

無駄じゃない。

まわりの人は関係なく、自分がどう思うかです。

今回の旅での気づきは、本当に多かったですが、

最大の気づきを最後に書かせて頂きます。

それは、なんで人が、四国遍路をしてるか?

その理由が分かったんです。

私は28歳の時から29歳にかけて、

上記19歳の女の子のように、突発的にいろんな苦難が

同時多発で起こりました。

まわりの人何人かに、お遍路の存在を聞き、

「これや!」と思いました。

多くの人は、ここで「これや!」と思わない、

たとえ少しでも思っても、実行に移す人って、少ないかと思います。

年間16万人くらい四国遍路している人がいるそうですが、

確実に、それを何十何百倍を超える方々が

四国遍路の存在を知っているはずです。

私自身、どうして「これや!行こう!!!」と思ったか、

ずっと分からなかったんです。

四国遍路を「なんとなく、行きたいと思ったから行った」んやと

ずっと思ってきたんですよね。

分かったのは、きっと今までずっと、

私の、心のどこかでその答えを問い続けていたのでしょうね。

で、上記の女の子の日記と、お遍路帰りの車の中で聴いた

私と同じ年齢で、徳島出身のアーティスト「アンジェラ アキ」さんの

『We’re all alone』という曲のヒントを頂き、気づきました。

悲しみから自分を守る方法
色々身に付けて来たが
未だに 一人だ

気を許して笑う事が
出来なくなったのは
信じる事を恐れているから

人間は皆一人だから
境の無い自由な世界目指し
踏み出すの

誰かと過ごす熱い夜は
必ず冷たい朝が待っている
結局 一人だ

人間は皆一人だから
闇をかき分け共に歩く人
求めてるWe’re all alone,all alone

Close the window calm the light
And it will be all right,no need to bother now
共に歩く人求め続ける
We’re all alone

http://www.youtube.com/watch?v=jG5e42WXUcI&feature=related

どうして、お遍路するのか?

それは、

「自分の声」を聴くため。

この一点だと私は悟りました。

カミサマか何かが、私、そしてお遍路にご縁ある方々に

「もうええかげん、自分の声を聞いて、

方向転換しなさい。でないとホンマあかんくなるで」と、

目に見えないメッセージを送ってくれた。

それが「なんとなく、遍路に行こうと思った」

になるのではないでしょうか?

自分自身のことは、自分自身では見えないが(目に見える世界・脳)、

(鏡でも逆の自分が見えるので本来の姿ではない)

自分自身の「声」(目に見えない世界・心・魂・キモチ)は、

本来、自分自身が一番聞えるもの。

例え、今治に行ってたとしても、徳島に行っても、

出会いは違うけど・・・コンドウさんなどと絶対にお会いできないし・・・

だけど、

気づくことは同じ。

だって、同じ人が・・・同じ悩み・苦難・課題を持った人が

それを解決したいと心の底や片隅で想っていることを

心の中で問い、そして捜し求めているから。

その琴線にふれる出会いで、びびびっと心が反応する。

自分だけの人生、自分だけの遍路道。

例えば私が19歳の女の子と同じ

歩き遍路&時期も同じ・・・そうではない。

みんな違う使命・役割。

目に見えるのが「氏名」(しめい)。

私の名前、『大橋 良子』

大きな橋 良い子

「よしこちゃん☆かけはし工房」

という、めっちゃ思いつきで命名した

私の会社の屋号・・・。

私が、いろんな人のステキなご縁を・・・

人生とを繋げる「かけはし」に、またステキなものを工房で作る。

「工房」=「弘法(大師)」と人とを「大きなかけはしする」・・・繋ぐ

それが出来て、「良いコ」よしこちゃんなんカモ?(笑)。

本当の自分の声を聞く。それを信じて一歩一歩歩く。

一度決めたことをこつこつやる。

代わりに誰かに歩いてもらうことは出来ない。

他人のカラダは借りれないようになっている。

本当の自分の声を聞く。

遍路の過程で、人の心のあたたかさに触れ、

苦行が感謝行に変わった時から、だんだん自分自身の“鎧”が脱げて行く。

人がどうだとか、人よりどうなりたいとか、他人のこと・評価なんて、関係なくなっていく。

スナオになっていく。

色欲、名誉欲、人にいいように見られたい、認められたい・・・

そんな見える世界の「他人の声」が自分の声ではないことに気づく。

「自分の声」だとカンチガイして「他人の声」に沿った人生を歩めたとしても、

実際、どこか・・・

サイズの違う靴をはいているように、違和感が心のどこかにある、

心にもやもや・・・不足不満が消えない。

こうなると、どんどん人に相談したくなる。

意見を取り入れるのはいいが、

たった一つの自分の声が、どんどん、いろんな人の声で

埋もれ、絡み合って、どうしようもないくらい絡まった

毛糸の糸の玉みたいになる。

そうなると、どんどん深みにハマル。負のスパイラル。

そのしわよせが、自身の心身に来る、周りの大切な人、もの、環境に来る・・・

そしてますます幸せが遠のく・・・

本当の幸せって、

「自分の声」に従って、忠実に歩むことではないでしょうか?

いかに世の中の多くの人が、

他人がいいといっている「靴」をはいて、

窮屈がってたり、大き過ぎて、おもいっきりコケたりしているか・・・?

その「合わない靴」が般若心経で言う「色」や「有」ではないでしょうか?

自分の本当の心の声が「無」であり「空」。

そのような心の状態・・・ニュートラルな状態になると

自分の声が、どんどん聞えてきます。

あとは、その声の通りに歩むだけ。

カンタンなことです。

世の中って、難しいようで、実はカンタンなんです。

難しくしているのは社会でも、誰かでもなくって

自分自身、なんですよね。

最近、いろんなセミナーとかがあって、

自分自身の声を聞くセミナーとかありますが、

四国遍路旅は、1300年続く、、

最も日本人に合った・・・

最も完成された、壮大な修行スタイル(学んで実践する方法)。

ま、なかなか遍路って、出来ないから、

いろんなセミナーとか、会とかあるんやと思います。

やりかたは違っても、「自分の声」という名前の「真実」を知るということは

1つです。全部、同じです。

富士山の登山口はいくつかあっても、頂上は一つなのと同じです。

私の使命・役割・・・

それはこの四国遍路のよさ、その他、

私が携わっているすてきな会、場所、そして人の存在をたくさんの方にお伝えすること・・・

「自分の声」を聞ける、スナオな心を持つ方法、

それを深める方法を多くの方々にお伝えすることだと思っています。

私が入っている経営者団体・倫理法人会の

「法人レクチャラー」(全国各地の倫理法人会で自分の人生体験を講演する)に

この9月から私のような若輩者がなるというご縁も、

偶然じゃなく、四国遍路の道のように、くねくねしてるけど、

全て、つながっている、一本の道だと認識しています。

「自分自身の声」・・・たとえそれが苦難の道であっても

ハイ、喜んで!と正面から受け続け、

私自身の幸せをもっと増やし、と同時に、

多くの方々に増やしたい・・・

人生「遍路」。ゴールまで行って終わりの片道修行の「巡礼」ではありません。

ずっと永遠に死ぬまで続きます。ぐるぐる回り続けます。

もうこのへんで終わり、というのはないのです。

●●さんは、ここで終ったから、私もここで終るのではないんです。

それは、生かされている・・・

天から与えられた能力を、100%使っていない・・・

怠慢な行為。我がままな行為。

そんな心では、人は幸せにできないし、

だんだん下降線をたどり、不幸になります。

本当の自分の声・・・

人は一人では生きていけないように「なっている」。

法則性が実はある、生き方。

結局のところ、違う個人でも

「自分の声」を求めているものは、みな同じなのではないでしょうか?

自分以外の人に、許されたい、認められたい、愛されたい・・・

と同時に、

自分自身に許されたい、認められたい、愛されたい・・・

結局、全員根本は、これなんやとおもいます。

みんなこれを求めて、遍路したりして、毎日せいいっぱい生きているんです。

ただ、別の個体なんで、そのプロセスや、やり方が違うだけなんやと想います。

そのやり方、それが、それぞれの「使命・役割」なんだと想います。

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他にも、いろんなこと、気づいた&起こったんですが、

今日はここまでで(笑)。

一度に書いた日記、最長のものになりました。

夜10時から、夜中3時半まで書いている場合じゃないんですが

(仕事、たまってまして・・・涙)

だけど、書かない訳にはいかない。

「書いた」というか「書かされた」感じです。

延々&だらだらと書いてしまいましたが、

ほんと、四国遍路って、すごいです。

その気になれば、いろんなことに気づけます。

どうぞみなさまも、ご縁あれば、四国遍路旅に

出かけてみてはいかがでしょうか(%笑う女%)(%ハート%)

私は、次回は9月、もしくは、

11月は必ず、54番の今治から回ります(商工会議所青年部の大会が

高松でありますので♪)

コンドウさんから頂いた、今年末までのケーブルのチケット

早速使えそうです。

自分の声に忠実に確実に歩んでいれば、

万事、うまくまわります。

もう今日から、日常生活がリスタートしています。

お遍路で得たいろんな気づき、忘れないで

天下太平を願い、動く志士たちのように

志高く、生き抜いて参りたいと思います。

お遍路でお世話になったみなさま、

そしていつもお世話になっているみなさま、

本当にありがとうございます(%笑う女%)(%ハート%)