2009(平成20)年度FCCフォーラム 特別講演会 『社会的共通資本と土木』 質疑応答

質疑応答

〜社会的共通資本としての株式会社

西田 
 日本の場合、特に大阪では、社会的共通資本をつくるにあたって、株式会社組織がその経営、運営にあたっているケースが非常に多いと思います。電気、ガス、鉄道などです。それから、国のほうも今、先生がおっしゃったとおり、民営化の流れの中で、この運営を株式会社に移行するという動きがあろうかと思います。私は、株式会社化により運営されることそのものがすべて悪であるということではないだろう、というのが先生のお考えではないかと思っております。もし仮にそうだとしますと、会社の経営者というのは何を一番念頭において株式会社を経営しないといけないのか。そのことについて先生のお考えを教えていただけませんでしょうか。

宇沢
 非常に大ざっぱな言い方ですが、企業はその組織形態を問わず、ある意味では非常に重要な社会的共通資本です。農業でなければ、どこかの会社に勤めて一生を過ごすわけです。そういう人たちが一生を人間らしく生きていけるような条件をつくるのが、企業の役割、社会的な責任だと思います。

 フリードマンの主張で最近よく引用されるのは、企業の社会的責任とはただ単に儲けることだとか、できるだけ株主へ配当を多くすることだとかです。しかし、何をやってもいいというのではなくて、もちろん会社ですからある程度利潤がないといけないのですが、儲けを多くするのが目的ではなく、その会社で働く人たちが人間らしく生きていけるような、そういう場をつくるのがやっぱり会社の役割ではないのでしょうか。そういう意味で、会社というのは非常に大事な社会的共通資本の1つだと考えてもいいと思います。

 大阪のことは、僕は本当に知らないのですが、おっしゃるとおり、もともと藩政時代から民営化の精神が貫かれているところですね。東京にいますと、逆に官僚組織です。今、一番問題になっているのは官僚的な支配です。それをどうするのか。私が社会的共通資本でいつも強調しているのは、官僚的な支配は決してやってはいけないということです。企業としては、ある程度儲けなければいけない。しかし、それが目的ではないということを強調しているのです。恐らく大阪は、そういう意味ではわりあいぴったりいくと思います。

 私の郷里は鳥取ですが、どちらかというと京都に近いです。京都・大阪の文化圏というか、歴史的にそういう感じのところです。特に、米子市は非常に商家が力を持っていて、お店屋さんがいろんな意味で町の中心になってきました。旧家と言われるような家が非常に重要な役割を果たしてきました。ところが、20年ぐらい前から、米子という町が完全に寂れてしまったんですね。町の真ん中から人がいなくなる。そういうところの古い商店は軒並み閉まってしまった。そして広い自動車道路ができて、郊外にとんでもない大きな店ができて、そこへみんな行ってしまう。何か寂しい感じがします。

 特に私の郷里では、男の子が2人いると、1人は教師、1人は医者にするというような、家訓のようなものが残っています。それは、できるだけ社会的に有用な仕事を子どもたちがやっていくということです。一番大事な仕事は教師と医者ですね。そういう想いがこの地域に残っています。

 そういう意味では徳島県もそうです。この2つの県は医者の数も多いし、人口当たりの医療費も結構多いのです。それなのに厚生省の人たちは、そういうのを抑制しなければならない、無駄だというのです。医療費抑制政策というのは、先ほどの市場原理主義を受けて、中曽根さんのところでスタートします。あのとき、日本は医者が多過ぎるということでしたが、とんでもない間違いです。もうそのときから、人口当たりの日本の医者の数は最低に近かったのです。いわゆる先進国の間では、日本とイギリスでした。イギリスはサッチャーによってです。それから国民所得当たりの医療費も、日本はずば抜けて少ないのです。ただ、パフォーマンスはどの統計基準をとっても世界最高に近い水準を挙げていました。医者の場合は株式会社というのはありませんが、それをほとんど民間の組織が担っていたわけです。ところが医療費抑制政策で、それが非常に難しくなっている。これは医療と学校教育に現に起きているケースです。両方に共通して見られるのは官僚支配です。そこを今おっしゃったわけです。ですから、そういう意味で、株式会社とか民間の病院も大事な社会的共通資本であるという認識を、やっぱり皆さん強く持ったほうがいいんじゃないでしょうか。

〜シルクロードを介しての技術の伝播

堀内
 インフラというよりも、やや文化的なことに近いかもしれませんが質問させていただきます。先生は、遣唐使は仏教だけでなく、唐へ留学して優れた技術を学んだとおっしゃいました。私の知る限り、唐はトルファン系、トルコ系の民族で、その当時、役人の登用は科挙という試験を行っていました。この試験には数学や理科といった自然科学の試験が一切なく、詩を書く能力、文学のセンスだけで登用されていました。ということは、理系の学問を軽視する国だったのですが、こういった国の技術が優れていたというのは、シルクロードがありましたので、イスラム帝国やヨーロッパのフランク王国から人が入ってきて、外部の人間が技術をもたらしていたんじゃないかと思います。このことについて、先生はどのようにお考えでしょうか。

宇沢
 おっしゃるような面があると思います。当時の長安、シルクロードには、いろんな人種の人が集まって、結構華やかな生き様をしていたのでしょう。そのときにやはりシルクロードをとおして、特にペルシャとか、そういうところの技術が非常に尊重されたのではないでしょうか。

 遣唐使が唐に入ると、西域から来た人たちと非常に交わりがあって、そういう人たちの技術とかを学んで帰ってきたというふうに言われています。恐らく中国の唐は、いわゆる非常に官僚支配的な国でしたから、特に科挙という試験なんか見てみますと、本当につまらないことで決めているわけです。それは、ある意味では唐の崩壊につながっていったんじゃないのでしょうか。ちょっとそのあたりの事情は余り詳しくないので、印象です。

〜社会的共通資本を支える公共交通,そして都市づくり

土井
 今日先生にお話しいただきました社会的共通資本を生かすためには、交通の果たす役割はものすごく大きいものがあると思います。ただ、特に、公共交通を中心にして、便益よりも採算性で評価をするという風潮が最近はすごく強いと思っております。それに対して、公的なお金が入らないと、なかなか公共交通は維持できていかないと考えています。特に、道路特会のお金と公共交通の維持について、あるいは社会的共通資本を支える交通というものはどうあるべきかみたいなことに対して、先生のご意見が伺えたらいいなと思います。

宇沢
 交通のことは、本当はもっと中心にしてお話しすべきことだったと思います。このレジュメにも書いてありますが、実はフランスのストラスブールの話をしようと思っていたのです。ストラスブールは人口が25万人、80平方キロメートルぐらいの、わりあい小さな都市です。そこで周辺の、確か20ぐらいの市町村が一緒になって広域自治体というのをつくっています。それが交通とか道路とか、それらの計画を総合的にやっています。その組織が実は交通税を徴収する権限が与えられていて、そして交通体系、すべてを含めて総合的に計画して、実行に移す権限も与えられているのです。ストラスブールが1つの代表例です。もともとストラスブールは非常に歴史の古いまちで、中世の古い建物がたくさんあり、街路も非常に狭いまちです。それにもかかわらず、今から40年ぐらい前にストラスブールでも、ドゴールの政策の一番の柱として、一家に必ず1台自家用車を持つようにするということが行われました。それで、ルノーにてこ入れして自動車産業に資金を投入し、同時に、フランス中の古い町に自動車を入れさせました。ストラスブールではそれによって、60年代の終わりから70年代になって大変な混乱が起きました。そのとき市長選挙があって、保守党の候補者は地下鉄をつくろうとしました。それに対して、社会党の候補は女性のトロットマンさんで、彼女はまちの中心から自動車を全部締め出して、そして自然とバスのプランをうまくつくろうとしました。そのトロットマンさんが圧倒的な勝利で市長になられてから、まちの中心から自動車を締め出して、自然のループをつくるなど、見事な計画をつくりました。そのときトロットマンさんは、強制的に計画をつくるんじゃなくて、それぞれの町に行って、根気よく市民を説得し、あるいは意見を聞いたりして、それらをうまくまとめて、自然のループを中心とした町に変えていきました。フランスのことですから、皆さんだいたい自動車で、かなり離れたところから通勤しているわけです。そこで、何カ所かに自動車を置いて、一日中市電とかバスが無料で使えるような券を発行しました。そのような非常にきめの細かい政策が実行された結果、ストラスブールの市街地の土地の値段が上がりました。そういった政策により、まちは非常に活性化して、バブルなんかじゃなくて、副効果が出てきたわけです。

 こういう考え方を最初に大きく打ち出したのは、ジェーン・ジェイコブスというアメリカの都市の専門家です。彼女は、アメリカの大都市が死んでしまったと訴え、「アメリカの大都市の死と生」という有名な本を書いています。タイトルに死のほうが最初に来るのは、戦後、アメリカ的な都市計画を乱暴に実行に移したことへの批判からです。ジェイコブスの主張は、20世紀の初め、アメリカの大都市は非常に魅力的だったということから始まります。そのときのアメリカは隅から隅まで路面電車が計画されていました。私もその後、アメリカの幾つかの都市の路面電車の地図を図書館で調べましたが、本当に20世紀の初めは、アメリカのほとんどの都市で非常にすばらしい路面電車がありました。それがだいたい戦争前後、特に、戦後になくなっていきました。フォードとかジェネラルモータースという自動車会社が、それまで市電を運用していた会社をどんどん買収したのです。そして、路面電車のサービスをものすごく悪くして、次から次へと路面電車をつぶしていきました。そこで、ジェーン・ジェイコブスはアメリカの大都市は死んだといったわけです。

 ところがアメリカ中を歩いてみると、まだすばらしい都市が残っているということに彼女は気づきました。都市というのはいわゆる町のことです。ジェイコブスはそれを調べ上げて、共通の特徴を打ち出しました。それは「ジェーン・ジェイコブスの4大原則」と呼ばれています。第1は、再開発をしたり、新しい都市を計画するときは、決して幅の広い真っ直ぐな道をつくってはいけない、というものです。必ず道の幅は狭くて、曲がっていて、1ブロックが短い。それが魅力的な町に共通したものだったのです。2番目は、ゾーニングをしてはいけない、というものです。ここは文教地区、ここは工場、ここは商業というふうに分けてはいけない。都市は、そこに住んでいる人たちの内発的な動機によって決まり、むしろ混在したほうがいいということです。3番目は、都市を再開発するときは、古い建物を大事に残しておく、ということです。アメリカではそのころよく1ブロックをダイナマイトで爆破するような乱暴なことをしていたのですが、それは絶対やってはいけない。古い建物をできるだけ残しておくということです。飲み屋でもレストランでも、建物を新しくすると味も落ちて値段も高くなる。新しいアイディアは古い家から生まれる、という有名な言葉を残しています。新しい家からは決して新しいアイディアは生まれない。4番目は、人口密度はできるだけ高いほうがいいということです。

 それに同感した多くの都市計画者は、世界中にジェイコブス的な町をつくっています。例外は日本です。ちょうどその頃、私は建設省から頼まれて、筑波と千里のニュータウンをレビューする委員会に入っていたのですが、日本ではみんな計画どおりに作られて、その結果、人間が住むような町になっていませんでした。千里ニュータウンはまだ大阪の中心に近いので救いがあるのですが、筑波は東京の中心から全く離れたところに研究都市をつくったものだから、人間的な生活を営むということが非常に難しい状況だそうです。

〜フィデュシュアリー、人間にとって大事なものを預かって管理する責任

岡村
 今日いただいたプリントで、1ページ目の左の真ん中あたりちょっと下に「フィデュシュアリーの原則」と書かれています。このフィデュシュアリーの原則についてもう少し詳しく教えていただけたらありがたいと思います。

宇沢
 「フィデュシュアリー」というのは、例えば学校なら学校、病院なら病院を経営していく、そのときに、人間が生きていく、あるいは社会が成立していくのに非常に大事なものを、皆さんから預かって管理しているというものをフィデュシュアリーといいます。単なる委任とかを超えて、非常に大事なものを預かって管理している、というときの管理責任が非常に重いという意味の言葉です。日本語にはうまい言葉が見あたらなくて、フィデュシュアリーという言葉をよく使っています。

〜社会的共通資本と入会,コモンズ


 私の専門は経済学で、主に交通を研究しています。交通の場合、土木学と経済学の両方の知識が要求される分野かと思います。社会的共通資本ということを考える上で根本的な考え方として、「パレート最適」が経済学では大事だと思います。しかし、先生が今おっしゃったフリードマン教授のすべて市場に任せるというのでは、本当にパレート最適が達成できるのかどうかというのは非常に疑問に思います。土木学では、費用便益分析が提示されて、これは経済学者にも受け入れられて、費用便益分析でパレート最適を達成するんだという1つの社会的共通資本に対する土木学からの解答があると思うのです。これに対して経済学としては、こういった費用便益分析やパレート最適を社会的共通資本に生かすためにはどうにしたらよいのか。このことを、先生はどのようにお考えでしょうか。

宇沢
 僕は「パレート最適」の意図をよく理解できないのです。それを、市場を通じての配分が最適だ、というようによく使いますよね。僕は、それは、第1に私的な生産要素とか、私的なものを中心にしていると思いますね。社会的共通資本のように、何かを社会全体の共通の財産として守るということは排除されているんですよ。

 その一番いい例が、社会的共通資本の一番古典的な例としての森林の「入会(いりあい)」にあります。入会というのは、昔から長い世代を経て、ある山の近くに住んでいる部落の人たちが何百年と守ってきたものなんですね。それは分割して私有するというようなものじゃないのです。実は明治の初め、明治9年でしたか、入会とか、わけのわからないものは全部非合法化して、公有か、あるいは個人所有か、という制度ができました。それが、日本がそれまで守ってきた入会を壊してくのですね。そして小繋をはじめとして、悲惨な事件が起きていくわけです。

 空海は高野山をひらきますが、その高野山には今でも「総有制」というのが残っています。総有制というのは、そこに住む人たちみんなの財産だという意識です。みんなで守るというのが今でもはっきりした制度として残っています。けど、ほかの小さな入会はどんどんつぶれていきました。その一番代表的なものが小繋の入会です。

 世界中には、もともと「コモンズ」という入会的な制度がたくさんあります。それは水の管理が主なもので、だいたい中近東に多い。あちらでは水の蒸発が非常に高いから、ほとんど全部地下水の管理です。それがコモンズとして、村の人たちが共通して守っている制度につながります。日本の農村もそういう面が多分にありました。さっきの空海の例もそうですけど、水田耕作ですから、水をみんなでどうやってうまく管理していくかが大切で、それを中心にコモンズができ上がったのです。

 マーガレット・マッキーンという人がいて、だいぶ前に東大に留学しました。そのときに小繋事件のことを聞いて、盛岡に行きました。ちょうど木原啓吉さんという朝日新聞の記者に出会い、そこで案内してもらって、戒能先生のグループにコンタクトを持ちました。小繋は、ある名主の名前にしておいたのですが、その名主が亡くなって、次の世代で全部売っちゃうんですね。そうすると、村がやっていけなくなる。それを戒能先生が教室を挙げて、法律的なアドバイザーとなりました。中には何十年も住み込んで、一生を捧げた人もいます。そういうことにヒントを得て、マーガレット・マッキーンが今から10何年前に、小繋とか、結とかいったいろんな名前があって、特に、中近東は本当にわけのわからない名前がおおいのですが、それを全部一緒に総称して「コモンズ」としました。大きな学会を立ち上げています。それは、フリードマンやサッチャーたちの民営化というのを真っ向から否定する考え方です。

 日本では、沿岸漁業の入会があります。これは明治33年から漁業法で法的な地位を与えられて、日本漁業の中心だったのですが、やっぱり高度成長で沿岸が荒れて、そういう漁業のコモンズがやっていけなくなっています。日本の森林の入会と、それからさっきの空海のため池の灌漑、それからこの漁業の入会というのは、マッキーンさんのつくった学会に行くと、よく引用されるケースです。

〜寄合と官僚支配

森栗
 入会を保障するのは、みんなで話し合う「寄合(よりあい)」があったからだと考えています。先生のご指摘の社会的共通資本を守る、官僚支配に任さず、私的支配に海蝕されない、そのためにはどうしたらいいか。きっと寄合的なものが必要だと思うのですが、どうして日本ではそういう社会的共通資本をみんなで守るような話し合いができないのか。フランスやドイツはできているのに、どうして日本はできないのか、このことについて教えていただけないでしょうか。昔、寄合があったのに、どうしてできないのか。このことを教えていただきたいと思います。

宇沢
 私の印象で言えば、アメリカの日本占領時代に、入会とかそういうものを廃止して、アメリカ型の個人責任でやっていくという、きわめて個人主義的な思想がいろんな面で支配的になってきたからではないでしょうか。

 また、今、民営化というと、どうしても官僚支配型になってしまっています。例えば、小泉・竹中の医療、金融、教育民営化などは、改革、効率性という名のもとに、何をやったかというと、そういう職業に従事している人たちの生きるすべを失うような強引なことを実行したわけです。そして同時に、官僚的な支配を徹底的に強めたわけですね。

 成田の調停をして一応片づいたのですが、ただ、あそこには大勢の農民、かつての学生、いわゆる支援という人が30年以上もあそこに住みついて、農民と一緒に生活していたんですね。調停と同時にそういう人たちを切り捨てることになるので、三里塚農社というものを立ち上げました。農業の農に、神社の社です。それで農社を立ち上げるということをやったんですが、農水省が猛烈に反対しました。農業基本法に触れるというので、だめだったんです。

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