商店街に子どもの歓声

四季彩通り商店街事務局の本宮さんからお電話をいただきました。

一点目は、「昨日、カトリック保育園の子どもたちが30人くらい来てお城に絵を描いていった」とのこと。先週、制作中に訪ねて来てくれた方が、近くの保育園の園児にも描いてもらっていいか、というのでお城になる「箱」を10枚ほど持って行ってもらって描いてもらったのですが、その保育園の先生方が子どもたちをつれて遊びに来たそうで、「普段は聞かれない子どもたちの声が聞こえた」とのこと。
簡易テーマパークみたいなものでしょうか。おもしろい効果を引き出しています、お城。

もうひとつは「なぜお城なの、と来た人に聞かれるんだけど」とのことでした。
これについては、今年、千葉のアートNPOコミュニティアート・ふなばしとスタートさせた「コミュニティアート城」というプロジェクトの一環で、「城」はモノというよりはコンセプト的な役割をしており、全国でアートを通したり通さなかったりしながら自分たちのまちや自分たちのまわりをよくしていこう、社会を小さなところから変えていこう、という取り組みを行っている人や地域を「城」になぞらえ、それらで私がアートをやったり、あるいは単に訪ねていったりして、それらを最終的に一冊の絵本にまとめよう、というものです。

最初から明確な何かがあってはじめたというよりは、走りながらいろいろな方からご意見をいただきつつ、積み上げているところですが、この「城」という存在はしかしとてもおもしろいような気がします。
自分たちの身を守り、戦争の道具でもある「城」ですが、そのイメージはもうほとんどそんな感じではなく、ファンタジーそのものです。
「まちおこし」とか「まちづくり」とか言われる運動もそんな面を持っているような気がします。自分たちの住むまちがダメダメなのでなんとかしよう、という取り組みは、自分たちのまち(だけ)を守る運動のように見えて、やっていくとそれでは全然ダメなことに気づきます。自分たちのまちは城という世界ではなく、地続きの世界の一部であって、世界全体がよくならないと囲われた城なんて全然よくならないわけです。ひとごとと「自分ごと」との相互浸透というか、反転のようなものがないと、何もうまくいかないようなこの感じは、現在のテーマパーク的な存在としての城がもつ意味合いそのものではないでしょうか。
「おしろくん」というキャラクターも目下制作中です。

門脇篤