皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。

今年はあちこちの地域で祭囃子が聞けない夏となるかも知れません。
せめて自分の熱い重い鼓動に、命の響きを感じていたいです。

さて、生きてゆくさまざまな場面で、日々、「決断」というものを繰り返していくと思いますが、日常の小さなことから、時には人生の節目となるような大きな決断の場面に出くわすこともしばしばあります。

気が付かないうちに何年も何十年も、こころに秘めていた迷い、それらに決着をつける時が、自然にやって来ることもあります。
その時、周りの人たちにその「答え」を出すことを助けてもらおうとしますが、それでも、どうしても最後の答えの決め手はどのように出すか。
イエスなのか、ノーなのか。その基準が掴めなくて右往左往することもあるかと思います。

それでも「こころが決めること」。

ムニュはその判断の基準のとなることに、その答えが出たことに「安心した」という感覚があると思います。
その答えが物事に対してポジティブでも、ネガティブでも、また限りなく曖昧なことであっても、その決断が出たことにホッとした「安心」したということが、こころがずっとその奥に秘めていた答えが限りなく正しかったという証しになるのではと思います。

時にはその感覚があまりにも小さく見落としてしまいそうな安堵であっても、こころが出してゆく答え、決めてゆくことを後押しできる自分でいたいです。
 ムニュ