皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。

桜の開花の便りが届き始めました。
命の華やぐこれからの季節、何となく日陰を探してしまうのは気のせいでしょうか。

さて、ムニュは普段暮らしていて、ふと、「自分は何をしているのか」ということに漠然とした不安を覚えることがあります。
そのほんの数分前、確かに何かをしていたのですが、いったん集中が途切れると、まるで何もかもが「空っぽ」になることがあります。
以前、ミュージシャンの方のインタビューで、「タブラ・ラサ」という言葉を見つけたのですが、ムニュの解釈では、その空っぽの状態のことを指しているのではと思いました。

「タブラ・ラサ」とは、「何も書かれていない書版の意」(コトバンク)とあるのですが、その、まるで無垢な、幼児のような状態にしばしば陥るときがあります。

病気になった時、ムニュは、「言葉」を失いました。
今まで使っていた言葉が話せない、意味が分からない、通じない状態になり、わがままに泣き叫ぶ子供のようになりました。
そして、その「白紙」の頭に、少しずつまた「言葉」が溜まってゆきました。

それでも未だに、ムニュは時折空っぽになります。
必死になって物事を覚える、前に進む、生きてゆくことに精を尽くしても、本当の生きる意味や大事なことはその合間の「白紙」の状態のときにポンと降りてきます。

本当に学ぶということ、それが得ることなのか与えられることなのか、しばし考えさせられます。
 ムニュ