あすの兵庫を創る生活運動協議会の幡井前会長が12月に亡くなった

幡井前会長が12月に亡くなった。
 あすの兵庫を創る生活運動協議会とは、兵庫県で生活学校が集った会で、今は自治会などの生活会議が合流した会です。

 会長曰く、私は何かを見聞したり意見を聞くと、その場でポンと打たれたようにつぶやく言葉が針の穴を突くほどに的を得たものなのに、意見としてまとめ直した時フォーカスが広がってしまう。「あなたは直感と洞察力が長けているから磨きなさい」といろいろな会で出くわす度に、「それでいいんですか?まだあるはずですね〜。どうすればいいんでしょうね〜。」と助言を下さった。

 十数年前、理事の席が一つ空いて阪神(川西市)から3校あるうちもう1校出ることになった時、「あなたは残りなさい」と言われたけれど、身近に同じように会長の傍に行きたいと思っている「自説を曲げない」頑固さを認められた人があり、平等に3校が順に2校出ることにして、お断りした。
 あの時傍についておればもっと教えて頂けたのにと思うと、とても残念です。

 しかし晩年、ポンと言う言葉でなく、役の立場からおうむ返しに言った言葉だけでも「事務方は役柄に敬意を払っているけれど、年若いものが!」と何を増長しているのかととられ叱られた。消費者協会でもそばにいる彼女は黙って笑っていて、何の言葉も助太刀もなかった。
 もう見守って育ててはもらえなくなっているのが分かって寂しかった。

 高齢になると、誰が一番若いかと若いことを喜ぶ一面、若いものは年上の者の手足となって動くべき下の者と決めつけていくところがある。

 ある会で、長く在籍している中、どんどん人が入れ替わり、昔ながらの団体も羽振りの良い団体、会員数が多い団体も高齢の方となり、高齢の方が方向違いの発言をして皆が「しかしですね〜」と困っても許され、一番若いと毎回確認される私が発言すると、「なに出しゃばってるの!」「若造が仕切るつもりか」「若気の至りやな」と散々に言われ、そのくせ流れは提案した方へ重鎮たちがひねり出したものとして収まる。

 新しい風や柔らかな考え方が必要なのに、「若い者と風上の火とは油断ならず。」とプライドばかりになってしまって、若い力を認めて活用する力をなくしている。
 大切に思うからこそなのに悲しくて寂しくなってくる。

 若い者は自分勝手、世情をみない、動かない、言う事を聞かない、自分たちだけで固まると若者批判が聞こえてくるが、自分たちも若かりし頃はそうだったと思うし、同列に見ずに、年下だと見下し優越感を得るための相手にされることが察される団体に入ろうとは、若者でなくても思わない。
 温かく見守り育てる目のある所へは試しに入ってみようかなと思う

 その点、若い折に幡井会長に出会えたのは大変ありがたい事だったと本当に感謝している。
 そして、いつも的を得た助言をしてくれ、受け止めてくれる高齢のビスタメンバー(向井、田中、田尻)に出会え、育てて頂いたことにも、深く感謝している。

 彼女たちに無理をさせないで長く活動してもらえるように活動の仕方を考え変えながら、若い人にも活動に合流してもらえるよう、生活の中で気づいて欲しいことを啓発する活動を続けていきたい。