講義日誌「文学・文芸」①−『方丈記』−閑居の気味−

2019年後期「文学・文芸コース」が、9月5日(木)に始まりました。
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・月日:9月5日(木)午後1時半か〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:小野恭靖先生(大阪教育大学教授)
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〇あらすじ.
・冒頭:「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」で始まる『方丈記』の冒頭は有名。鴨長明(かものながあきら)は、人の世の無常を、絶えず流れゆく河の水や朝顔のはかない露に喩えて『方丈記』を書き始める。
・前半:かつて都で暮らしたとき自ら体験した五つの大災害。…大火・辻風・清盛の福原遷都・大飢饉・大地震が語られ、この世の中そのものが生きにくく、はかないものだと結論づけられている。
・後半:長明の草庵生活とそこでの思索が綴られる。30歳を過ぎてから祖母にの家を出て庵(いおり)を結び、50歳で出家して遁世、60歳で方丈(4畳半ほど)の庵を造り、日野山の奥に隠棲したという。

◆[九]方丈
「さて、六十になって、余生の住まいを設計。新たに作った家は、広さは、一丈四方(約三メートル四方、今の四畳半)で、高さは七尺(約二メートル)にも満たない。地ごしらえもしないで、土台を組み、簡単に屋根を葺いて、部材の継ぎ目には解体・移築に便利な掛け金で留めてある。もし、その土地で気に入らないことがあったときは、たやすくほかの所へ.引っ越すためだ。移築するのは簡単だ。車に積んでたった2台の運び賃を払えば、あとは何の費用もいらない。」

◇[十](境涯…日野山の奥に隠棲。庵を出て周辺を案内して回る。四季折々の自然環境は理想郷である。風雅の世界に没我しているようだが、実際は無意識のうちに環境と境遇にとらわれているのではなかろうか。(以下、省略)
◇[十一](勝地は主なければ)…山の麓に一軒の小屋がある。山の番人が居るところ所なり。そこに男の子がいて、ときどき顔を見せる。長明と相性がよく、子を連れて山野を歩く。彼は十歳、こちらは六十の老人。長明の人柄をしのばせる場面である。(以下、省略)

◆[十二]みずからの心に問ふ
「思えば私の一生も、月が山の端に入ろうとしているようなもので、もう余命いくばくもない。この期に及んで、ああでもない、こうでもないと、いまさら愚痴を言ってみたとて、何になろう。静かな暁、この道理を思念して、自分で自分の心に問いかけてみた。−遁世して山林に入ったのは仏道修行のためだったではないか。そういうはずだったのに、長明よ、お前は風体だけは修行者だが、心は世俗の濁りに染まっている。…それに対して、心はひとことも答えなかった。言えないのである。
建暦二年(1212年)三月の終わりころ、連胤(長明の法名)が、日野の外山の庵にてこれを記し終わる。