認知症と文学と時代−中島京子『長いお別れ』を中心に


・日時:10月18日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:吉村稠先生(園田学園女子大学名誉教授)
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**中島京子の略歴**
1964年東京生まれ。小説家、エッセイスト。東京女子大学卒。
2003年、田山花袋『蒲団』を下敷きにした書き下ろし小説『FUTON』で作家としてデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。『長いお別れ』(2015年)、『眺望絶景』『のろのろ歩け』『かたづのー』など著書多数。

中島京子『長いお別れ』のあらすじ
・東昇平(80歳前…9年前からアルツハイマー型認知症)は、かつて区立中学の校長や.公立図書館の館長を勤めたが、認知症を患っている。長年連れ添った妻・曜子とふたり暮らし、娘が三人、孫もいる。
・妻は、娘たちに依頼せず、頑固な夫の介護に勤めていたが、.網膜剥離で緊急入院に。⇒3人の娘は、母に任せきりから目覚め、認知症介護の諸制度、諸施設の問題を知る。⇒改めて父の状態と人生、人間性に向き合い、急遽三人で父の介護に臨む⇒各自個々の過程(「長女・茉莉」−夫と米国在住。「次女・菜奈」−49歳で第2子懐妊。「三女・芙美」−自立、独身)、人生状況が交錯し……独り身で動きやすい末娘が覚悟を。


◆最終章−「米国在住の茉莉の長男タカシとグラント校長の会話」(抜粋)
タカシは学校に出て来ずに遊びほうけていたので、校長室に呼ばれ、
話している中で、タカシは突然「祖父が死にました」と言った。
(校長)「ご病気だったの?」、(タカシ)「ずっと病気でした。いろんなことを忘れる病気で。十年前に、友達の集まりに行こうとして場所が分からなくなったのが最初だって、おばあちゃんはよく言っています」。
(校長)「認知症か。…十年か。長いね。長いお別れ(ロンググッドバイ)だね。」「『長いお別れ』と呼ぶんだよ。その病気をね。少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」

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認知症と文学と時代
(1)時代的変化
・認知症は「呆け(ぼけ)、痴呆(ちほう)」と呼ばれていた。
・2000年に、介護保険制度がスタート。(看病・付き添い→介護に)
・2004年には、厚労省が呼び方を「認知症」に変えた。(「痴呆だと、何もわからず何もできないという誤解を招きやすい」というのが理由)
・2025年には、「5人に1人が認知症」になる推計。

(2)文学がとらえ訴えた「医療・介護現場の変化」
**有吉佐和子『恍惚の人』 (1972年)
認知症をいち早く取り扱った文学作品。これがきっかけで痴呆・高齢者の介護問題にスポットがあてられることになる。高齢化社会に突入した日本社会における介護問題をいち早く世間に知らしめた作品。…しかし、その後も依然として、「年寄りの面倒は嫁がするもの」という意識が根強かった。
**耕 治人『そうかもしれない』(1988年)私小説、佐江衆一『黄落』(1995年)