芸術は爆発だ・・・岡本太郎の生涯

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・日時:6月21日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:末延國康先生(元大阪芸術大学教授)
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岡本太郎の生涯(略歴)(1911年〜1996年)
・1911年(明治42)、漫画家岡本一平、作家・歌人岡本かの子の長男として生まれる。(芸術家一家の一人息子)。
・1929年(昭和4)、東京美術学校入学後、すぐに中退。両親の渡欧に同行。
・1930年(昭和5)から1940年(昭和15)まで、フランスで過ごす。ピカソの作品に感涙して以来、抽象画を志す。また、また、パリ大学で哲学・民俗学を学ぶ。
・1942年(昭和17)、兵役として召集され、中国戦線で5年間過ごしている。
・第二次世界大戦後、日本で積極的に、絵画・立体作品を製作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表。
・1970年(昭和45)に大阪万国博覧会のシンボル《太陽の塔》を制作。…時代の寵児として次々と話題作を発表。「芸術は爆発だ」など、数々の名言を残す。
代表作品
《傷ましき腕》(1936/1949再制作・油彩)、《重工業》(1949年、油彩)、《森の掟》(1950年、油彩)、2極の大作:《太陽の塔》(1970年)と《明日の神話》(1969年制作、2008年東京・渋谷駅に設置)など。

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◆大阪万博 《太陽の塔》 (1970年、高さ72.5m 基底部直径20m)
今から約50年前、大阪万博は、参加国77ヵ国、6400万人を超える入場者で賑った。そのテーマは「人類の進歩と調和」。
・《太陽の塔》は、すっかり万博のシンボルみたいになったが、「なんであんなもの、国のお金で国の広場に建てるんだ」と批判された。…岡本太郎は、誰も思いつかないものを作った。「異物なもの。不条理なもの。妖怪のようなもの。なんだ、これは。」と言われたものが、現在では、「圧倒的な存在感があり、色あせない魅力がある」。

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◆巨大壁画 《明日の神話》(2008年、東京・渋谷駅に移設。縦5.5m、.横30m)
・右の写真-画面中央に象徴的に表されているのは、原爆で燃えている骸骨を配している。(第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂がモチーフになっている。)…悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたといわれる
・メキシコのホテルのオーナーに依頼され、ホテルのロビーに設置するために製作した壁画。この作品はメキシコで行方不明になっていたが、2003年メキシコ郊外で発見、修復され、2008年、無条件に不特定の人々が観る、東京・渋谷駅に恒久設置された。
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**岡本太郎の名言集**
・「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」(岡本が言わんとするところは、他者に好まれようと媚びるような芸術は、芸術であって芸術ではないということであろう。)、
・「異質なものをぶつけ合って、火花を散らすことにより、新しいものがうまれる。」(対極主義)
・「伝統とは創造である。」、「法隆寺は焼けてけっこう」(失われたものが大きいなら、それよりももっとすぐれたものを作る。」
・「絵画は美術館で観るものではない。お金を出して観るものではない。」
・「芸術は呪術である。」、「人間の原始に帰るべきだ。」
・「芸術は爆発だ。」など。