飛鳥の『牽牛子塚古墳』を訪ねる

5月4日(金)、午前11時頃、近鉄吉野線飛鳥駅に降り、西側の近くの踏切を渡り、標識を見ながら牽午子塚古墳を訪れました。歩いて約1km(約20分)。
・右の写真は、牽午子塚古墳の遠景(古墳の位置は、中央に小さく写る石塔の場所)。現在、明日香教育委員会文化財課が史跡整備中。工事中で立入禁止の立札がありましたが、了解を得て、細い道を辿って墳丘に上がり、写真を撮影。

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牽午子塚古墳(けんごしづか)(奈良県高市郡明日香村大字越)
・現地にある《解説文》−史蹟「牽午子塚古墳」
「万葉集」に多く詠まれた真弓丘陵の一画に位置している。墳丘は版築によって構成されている。墳丘の北西部に花崗岩の切石3個が露出しており、これをが外護列石とする二段築成の八角形墳の可能性が強い。墓室は巨大な凝灰岩をくりぬいた横口式石槨で、中央部に間仕切り部を削り出す二室の複室構造をしており、当初から追葬を意識して石槨を製作したものと考えられる。それぞれの石室の床には、長さ1.9m、幅80cm、高さ10cmの低い棺台を削り出す。夾紵棺の破片や七宝金具などが出土。
・右上の写真は、南に開口する横長の石室(石槨)入り口で、周辺はシートに覆われているが、巨石をくりぬいて2つの墓室も設けた内部構造は見ることができる。

越塚御門古墳(こしつかごもん)(奈良県高市郡明日香村大字越)
2010年、牽午子塚古墳に隣接する古墳が新発見されたのが、越塚御門古墳。①墳丘は版築で築かれているが、墳形・規模は不明。②横口式石槨。③築造年代は7世紀後半頃。
・牽午子塚古墳は斉明女帝と間人皇女の陵墓との説があり、隣接する越塚御門古墳は、大田皇女の墓であるとの説がある。⇒父・舒明天皇、母・皇極天皇(斉明天皇)の娘-間人皇女(はしひとのひめみこ)(孝徳天皇の皇后)。兄中大兄皇子(天智天皇)の娘−大田皇女。

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岩屋山古墳(いわややま)(奈良県高市郡明日香村大字越)
牽午子塚古墳を訪れた帰りに、近鉄飛鳥駅の近くにある岩屋山古墳に行く。
・岩屋山古墳:国の史跡に指定されている。牽午子塚古墳の所在する真弓丘の東端にあたる。7世紀代の一辺約54mの方形墳と推定。石室は切石造りの南面に開口する横穴式石室。このような切石造の横穴式石室は、飛鳥地方から桜井地方にかけて多く分布し「岩屋山式」とよばれる。被葬者については、斉明天皇らの名があがるが詳細は不明。

*あとがき**
5月8日(火)に白石太一郎先生の講義『明日香村牽午子塚古墳は斉明陵か』があるので、休日を利用して飛鳥を訪れました。…良い天気で、近鉄吉野線飛鳥駅には、、多くの人が降りて、東側に出る人が大半。西側に出て、牽午子塚古墳へ行く人は私一人でした。…牽午子塚古墳と越塚御門古墳は、シートで覆われていますので、見学するのは、後日をおすすめします