三輪山の古代史①−麻糸で結ばれた神と女の物語−


・日時:4月10日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平林章仁先生(元龍谷大学教授)
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○「三輪山
奈良県桜井市にある秀麗な円錐形の三輪山(標高467m余)は、古来、大物主神が籠る神体山で、御諸山、三諸山ともいわれ、神体山として有名である。
・この神を祭る大神(おおみわ)神社(三輪明神)には、拝殿はあるが本殿はない。
・三輪山東麓には初期大和王権の王宮跡と伝えられる纏向遺跡が広がり、その一郭には最古の大型前方後円墳である箸墓古墳(全長280m)がある。
○『古事記』『日本書紀』には、三輪山の大物主神と巫女的な女性と交わる、三つの神秘的な神婚神話が伝えられている。これら大物主神に関わる神話・伝承には、ヤマト王権成立の重要な鍵が秘められている。

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「麻糸で結ばれた神と女の物語」
(1) 『古事記』崇神天皇段の苧環型新婚譚 (*右の資料を参照)
(概説)「この崇神天皇の御世に、疫病がはやって、人民が絶えてしまいそうになった。大物主神が夢に現れて《この疫病は私が引き起こしたものです。だから、意富多多泥古命(オホタタネコのミコト)によって、私を祭ってくださるならば、祟りは消え、国も安らかになりましょう》。そこで、早馬を四方に派遣して、オホタタネコという人を探し求めたところ、河内の美努村でその人を見つけることができて、天皇に進上した。オホタタネコを神主として、御諸山に大物主神をお祭りになった。…陶津耳命(スエツミミノみこと)の娘の活玉依姫(イクタマヨリヒメ)は容姿が端麗であった。ヒメのもとには夜な夜な通う男がおり、まもなくヒメは身ごもった。そこで両親は、男の正体をつきとめるために、糸巻に巻いた麻糸を針を通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。翌朝、糸は戸の鉤穴(かぎあな)から抜け出ており、糸巻には三巻きだけ残っていた。そこで糸をたよりに訪ねていくと、美和(みわ)山の神の社にたどり着いた。そこで、娘の腹の子(オホタタネコ)は、この社の大物主神の子と知れたというわけである。その麻糸が三巻分だけ遺ったということによって、その地を名付けて三輪(みわ)というのである。」

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(2)『肥前国風土記』松浦郡条(奈良時代初期の官撰の地誌)
(概説)「この風土記にも、神様と女が結ばれる話が記されている。夜毎に女のもとを訪れては暁早々に帰っていく。怪しく思った女は、麻糸を男の衣にかけて、男の行き先を尋ねていくと、峯のほとりの沼の蛇(沼の神)に到った。」
・夜毎に女性のもとを訪れる男の正体が、彼の衣の裾に縫いつけた麻糸を辿ることによって蛇身の神であることが明らかになったという物語の展開は、崇神紀の苧環型三輪山神婚譚と同じである。
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**あとがき**
・古代の神話伝承が歴史的事実を述べたものではないが、机上で創作された全く虚構の物語かといえば、そうでもない。背景に当時の人々の神々への信仰やそれとむすびついた祭祀・儀礼という歴史的現実が存在した。
・蛇神信仰…脱皮(長生)・冬眠(再生)・毒(力)
・麻糸で結ばれる神と巫女…機織(はたおり)集団や機織文化が神話の背景に存在。雄略期に中国南朝から渡来したという機織集団との関係が想定される。
・河内の陶邑…ヤマト王権直属の須恵器生産工房。イクタマヨリヒメが5世紀初頭頃こ、朝鮮半島南部から伝えられた須恵器の最古・最大の生産遺跡が分布する「茅渟県陶邑」(大阪府堺市)の首長を意味する陶津耳命の女と伝えられること。
**参考文献:『三輪山の古代史』平林章仁著(白水社、2000年)