「大坂城石垣巡りの考古学」

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・日時:11月28日(火)集合場所:JR大阪城公園駅 午前10時
・【見学コース】:大坂城コース案内板→大坂城北外堀→極楽橋付近→山里丸→刻印石ゾーン→本丸(天守閣内部には入らない)→桜門枡形・蛸石−南外濠→東外濠→解散:12持30分
・参加者:50名
・天候:快晴
・講師(ガイド):森岡秀人先生(橿原考古学研究所共同研究員)

大坂城コース案内板(全体説明) (*右上の写真)
・大坂城は、過去に2回、変身している。一回目は石山本願寺から、豊臣秀吉による大坂城への変身。二回目は秀吉の大坂城から徳川幕府の大坂城への変身である。
・今日みる大坂城の石垣は、すべて徳川期もの。豊臣期のものはその下に埋もれている。徳川期の石垣は、元和六年(1620年)から寛永六年(1629年)にかけての天下普請によるもので、三回の工期に分けて実施された。
・石垣は場所により築造年代が違い、石垣の構築法が少しずつ異なる。今日の現地見学は、石垣の見方について学びます。

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大坂城外濠
・第1期工事の石垣で、石垣編年、石垣勾配の見方、矩と反りとスキなどについて学ぶ。
・矢穴…石を分割する際に石の表面に一列に開けられた穴で、その線に沿って石を割る。(矢穴の大きさは時代によって違いがある。)
・石垣出隅部分の構築法(積み方)…石の長い面を交互に使用する「算木積み」。これによって反りのある石垣が完成した。

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刻印石ゾーン
・天下普請を物語る(丁場分担を示す)証拠として、石垣表面に家紋や家印の刻印が残されている。
・刻印石広場、刻印と割普請、家紋刻印、家中組刻印
・刻印…大名家の家紋、姓・官職名等。(しかし、刻印全体から見て多いのは、石切り場における何らかの符号、目印としてきざまれた方が多い。刻印の解明には、あと100年ぐらいかかると思われる。)

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桜門枡形・蛸石
・城内第一の巨石は「蛸石」の愛称で知られている。備前岡山藩主・池田忠雄が備前犬島(推定)から運ばせたもの。高さ5.5m、横幅11.7m、推定重量130トン。
・大坂城に使われている石材は、100万個とも推定。100トンもある巨石が多く用いられていることも、大坂城の特徴の一つ。

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**あとがき**
今回の現地見学は、天候に恵まれ、大坂城を新たな視点(石垣)からみるキッカケになっただけでも良かったのでは、…。