珍しい野菜を作る農家の取り組み

写真は朝食のメニューで、とても簡単にできるピクルスです。
間引きのニンジンや使われない野菜を使っていけますし、とてもあっさりしているので夏にぴったりですよ。一度試してくださいね。

我が家のピクルス
蜂蜜を使って甘めに。こどもでも食べやすく。
材料
人参、きゅうり、ミニトマト、セロリ、パプリカ、大根などの野菜 500グラムほど
にんにく 数かけ
■ 【調味液】
お酢 150cc
水 400cc
オリーブオイル 大さじ12 砂糖 小さじ2
蜂蜜 大さじ2
塩 大さじ1と1/2
粒こしょう お好みで

①野菜は乱切り、スティック状、お好みで。トマトは爪楊枝でぷすぷすしときます。にんにくは皮を剥いて包丁で軽く潰す。
②お鍋に調味液全部とニンニクを入れて沸かします。切った野菜は耐熱保存容器に入れスタンバイ。
③沸いた調味液を野菜の入った保存容器へ静かに注ぐ。火傷にご注意
④お好みでひと晩から。うちは数日で売り切れるので一週間とかそれ以上置いた事ありません

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当団体は就農支援を志しており、食べていける農業・儲かる農業とはを考えて農業主導型の6次産業化事業ととらえています。

今からウン十年前アメリカにおりましたとき、メロン畑の視察にセスナー機でアリゾナ州に飛び降りました。タラップを降りるや50度の中息が苦しいくらいでした。

アリゾナ州はかっては黒人が奴隷として連れてこられ過酷な自然の中で綿花を栽培していたのでしょう。そんな思いに浸りながら見渡す限りのメロン畑を歩いておりました。

現地の方がホイッとメロンを取ってきて大きなナイフで切ってくれました。日本のスイカぐらいのハニーデュ—メロンのナント甘くておいしかったこと、今でも忘れられません。

今でもそうですが、その当時メロンは高級でお高く庶民には手が届かない存在でした。

そのように珍しい野菜や果物を少量多品目の有機無農薬野菜を直接消費者に販売する」というのをおすすめしていこうと思っています。

下記の記事が参考になればと思い引用させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

珍しい野菜を作る農家の取り組み

2009年初頭、私はビジネス雑誌の取材で、有機無農薬野菜を作る新規就農者・関谷航太さんに取材をする機会を得た。日本中が不況で停滞気味のなか、関谷さんは着実に売上げを伸ばしていた。

 08年後半以降、ニュースや雑誌などのメディアでは「儲かる農業」をキーワードに、様々な農業の取り組みを紹介していた。

しかし、そのときにクローズアップされるのは、ある程度規模の大きなところが多かったのも事実。それだけに、夫婦で農業を営む関谷さんのアグレッシブさには大きな感動を覚えずにはいられなかった。

 関谷さんの農業スタイルは「少量多品目の有機無農薬野菜を直接消費者に販売する」というもの。彼は言った。「農協経由で販売する既存農家は、コストを下げて生産性を上げることだけに努力を傾ける。

全員がその方向のため、大量の野菜が市場に流れ込みます。結果、野菜の安値、大暴落が起こる。でも、私たちの農業スタイルであれば、市場が暴落しようとも負けません」

 さらに、こうも話した。「自分たちのスタイルで農業に取り組んでいる農家は多くいますよ」。

 09年秋に、農業に関する自分の本の刊行が決まり、さらにビジネス雑誌でも農業に関する連載を受け持つことになり、私は関谷さんが語った「自分たちのスタイル」を貫く、あるいはそのスタイルを目指す農家さんの取材を重ねていった。

さらに、農協に出荷するという“旧態依然”のスタイルで農業を営む新規就農者にも取材をした。その取材は、今も続いている。

 こうした取材を通じて、農業というものは「十把一絡げ」ではくくれないものだということを痛感した。一人ひとり、それぞれの視点で農業に向き合っていた。闘う起業家の姿が、そこにはあった。

 このコラムでは、そうした農家の取り組みを、様々な角度から紹介していきたいと思う。その結果、日本の農業の可能性を感じとってもらえれば、すごくうれしい。

前置きが長くなってしまった。

今回は、野菜の品目で、ほかの農家との差別化を図る「ポコ・ア・ポコ農園」の和知健一さんを紹介したいと思う。彼は脱サラし、農業の道を志した人物。就農したのは07年6月だ。

 農業に関する技術を農業実践大学校などで習得していった和知さんが、最後まで悩んだのは「どんな作物を栽培するか」だった。

有機無農薬で野菜を作る決心は固めていたが、競合農家も多く「普通の野菜では太刀打ちできない」と考えたのだ。だから悩んだ。

 実践大学校を卒業後、「異国の地で見聞を増やしたい」と、青年海外協力隊として海外に飛んだ。そしてメキシコの高山地帯でトマトのハウス栽培のノウハウを地元民に教えた。

そこで和知さんは、メキシコ産のトマトの品種の多さに驚きを覚えることになる。

「栽培トマト(露地)の発祥地はメキシコなんですね。それだけに、多数の品種があるんです。木になるトマト(トマテデアルボル)というのもあった。本当に驚きましたね」

 さらに見渡すと、ズッキーニの品種も多いことに気づいた。それだけではない。イタリアやイギリスなどにも、興味深い野菜が数多くあることを知った。

 和知さんは「これらの野菜は日本には出回っていない」という事実から「日本で売れば、面白い!」と判断し、海外の野菜を軸に作っていくことを決意。帰国後、早速栽培を開始した。

 問題は「販路」だった。野菜好きな人にアピールすれば、必ず売れると思ったが、どのようにアピールすればいいのかがわからなかった。

そこでまずは地元(茨城県)の直売所で販売を行ってみた。すると、予想外の出来事が起こった。珍しい野菜を探していたレストラン経営者が直売所で購入し、その後、直接の取り引きを依頼してきたのだ。

 このことに可能性を感じた和知さんは、全国のレストランにアピールしようと、ホームページを立ち上げ、そこでも珍しい野菜を紹介していった。

レストラン経営者から「これは、どうやって調理すればいいの?」とよく聞かれたので、ブログで調理法も紹介した。

こうした取り組みにより、販路は徐々に広がっていった。現在、国立ファームが運営するレストランなどでも、和知さんの野菜を食べることができる。

 さらにレストランに生産者情報を載せたチラシを置いたところ、一般の消費者からも問い合わせが入った。

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