丹波篠山の「大国寺と丹波茶まつり」に行ってきました。

写真は大国寺です。お琴の生演奏がありました。若かりし頃、少しお琴を習っていまし

たので聞き入ってしまいました。お琴や尺八の音色はこころに染み渡たります。

下記の記事は引用させていただいています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大国寺が教えた 丹波茶の栽培

◆ 中国から伝来した茶

 中国では、古くから、茶は薬用として飲まれていた。やがて、これが嗜好品として普及。
 日本へは、延暦24年(805)に、唐に渡った最澄が「茶の実」を持ち帰って、比叡山の山麓に植えたのが始めとされている。
 その後、畿内一円に茶の木が植えられ、京の町にも官営の茶畑が造られたという。

 建久2年(1191)、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した僧=栄西(1141〜1215;臨済宗)が宋から持ち帰った茶の種を、京都・栂尾高山寺の明恵上人に贈ったものが、「抹茶法」と共に、宇治から奈良や丹波へ拡がり、寺社の茶畑を農民へ移していったと考えられている。

◆ 味間の丹波茶は さらに以前から栽培されていた?

 篠山市の場合、味間の丹波茶は、今からおよそ1400年前の大化年間(645〜650)に伝わって以来、この地で作られてきたといわれているから、栄西や最澄よりも、まだ古い。

 藩政時代、篠山藩は、茶の栽培を奨励した。篠山藩3代藩主=松平忠国が築造した御下屋敷の広大な敷地に茶園があって、茶の湯を楽しむための池泉庭園を造り、茶会や諸行事だけに使用していたという。

 丹波篠山地方は、盆地で昼夜の気温差が大きく、茶葉の生育に欠かせない霧が発生して、茶作りに向いているのだそうだ。
 篠山市内での製茶量は、県内の6割を、味間地区は県内の4割を生産していて、県下最大の産地となっている。だが、茶の生産量は、年々減少しているという。

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このイベントは

丹波茶で知られる兵庫県篠山市味間奥(ささやましあじまおく)の大国寺や

茶の里会館をはじめ、周辺のお茶畑などで、毎年開催される伝統行事です。

大国寺と丹波茶まつりは、デカンショ節で知られる兵庫県篠山市味間奥にある「茶の里

」会館」や大国寺周辺で催される。味間地区は、兵庫県内随一の茶どころとして有名

で、名産の丹波茶を生産している。

兵庫県篠山市は、1999年4月1日、旧多紀郡4町(篠山町・今田町・丹南町・西紀町。幕藩時代の篠山藩領。)が合併して誕生した。

 茶まつりは、「丹南樽太鼓」(たんなん たるだいこ)の勇壮な演奏から始まる。

そして、大茶わんに新茶を注ぐ恒例の「大茶盛」、虚無僧たちの先導で製茶業者らが

新茶を入れた壺(つぼ)を大国寺に納める「丹波茶壺道中」、煎茶・抹茶のの野立て、

茶摘み・手揉み体験、野外特設ステージでのアトラクションなどの催しが行われる。

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さて、今年はぜひ参加しようと決めていたので勇んで行ってまいりました。

期待を裏切らない伝統行事でした。今年で第32回とのこと、関係者の方たちのご努力

の賜物でしょうね。

新茶の試飲をさせていただきました。年を重ねるにつれ、お茶の香りと渋みの良さが

わかるようになってきました。

農業の研修仲間に大国寺と丹波茶の歴史を教えてあげようと思っています。

グループを組んで訪ねてきたいと思っています。以前にも何回か家さがしで訪ねて

きていたのですが、その時見学したおうちはすでに入居者が決まっていてたくさんの車

が停まっており、家の中から楽しげな声がありました。人が増えることは地域の活性化

にとって大切なことです。

空き家と農地があれば、農業仲間と農作物の栽培はじめ6次産業化事業を一刻も早く

始めたいものですね。真剣にみんな農業ができるとこを探して行こうとしていますが。