いろいろな考え方のもとでの「ひきこもり論」

つい最近、近所の公民館で「若者支援」的なテーマで
講演会が催されたようなのですね。市の広報紙で
知ったのですが、テーマと講演される方が「違うのかな」と
感じたので、講演を聞きに行くのを辞めにしました。

今の今は、どうだったのだろうと思い始めています。
その方は、子ども〜高校生くらいまでの方を
サポートしてきた方です。プロの支援者だと思います。

お会いしたことはありませんが、Facebookのページ等は
みれますので、人となりはある程度は理解することはできます。

早合点。うがった見方。ある種の偏見。
こんな言葉が当てはまるのでしょうか。
彼の経歴や雰囲気で「この人にひきこもり支援を語る資格はない」
と決めつけてしまったのですね。

これは大きな間違いでした。いったい彼は何を話したのでしょうか。
気になるのですね。そんなことなら聞きに行けばよかったのですが、
あの時の私なりのプライドがそれを許さなかったのですね。

私は宝塚市の若者(ひきこもり)支援についてあきらめ感を
持っています。これは長い年月をかけて培ってきたものなので、
そう簡単には溶かすことはできません。

私に講演会をさせてほしい、という問題では
もはやないのですね。もうそれもする気はないのですね。
(まあ、宝塚市役所や宝塚市社協もその気はないでしょうが。)

では、どうすれば解決するか、一つ二つあります。
ですが、ここでは述べられない事です。私はもう怒ってしまっているのですね。
宝塚市役所と宝塚市社協にです。これは相当なものですので、
誰が何を言おうと無駄です。

来年度から、本格的に「もやい」いえ、立教大学教授の湯浅誠さんが、
中心となられて行われる制度がスタートしますね。
(私はあえてここで制度名を書きません。)
それぞれの自治体に頑張っていただきたいのですが、
宝塚市にだけは、この制度の予算を引っ張ってもらいたくない、
とだけ申し上げておきます。

まあ、制度が軌道に乗れば、数年後に予算を引っ張ってくるかもしれませんね。
社協が統括するのでしょうか。それも自由ですよね。
ただ、これだけは言わせて頂きたいのですね。
間違ったことを清算していないのに(解決とは申し上げません)、
目立つことをするのは、自治体としていかがなものかということです。

少し感情的になったのですが、後悔はしません。
本音の本音を述べただけですから。
ホンネはもっと怒っていますから。

いろいろな価値観を認めるということは、
偏見も認めなければなりませんよね。
私自身にもかなりの偏見(うがった見方)があります。それは認めます。
ただ、それをどう思うか、間違ったことだと捉えているか、
治したいとおもっているのか、そこがキーポイントだと思っています。