遠く離れた但馬から 〜「鉱山(ヤマ)の音楽祭」〜

10/1にあけのべ自然学校で行われた鉱石の道明延実行委員会でとあるチラシをいただきました。「鉱石の道」住民交流会として『鉱山の音楽祭』を11/20(土)に開催するという内容でした。(%音符1%)

そもそも「鉱石の道」って何?という方もおられるでしょうから簡単に。(%ニコ男%)(%晴れ%)
但馬には明延(旧大屋町)、神子畑(旧朝来町)、生野(旧生野町)と3つの大きな鉱山がありました。中世、近世には銀、銅の産地として栄え、明治維新後は官営鉱山として栄え、皇室管理、三菱の経営として日本の近代化を支え、昭和62年に明延鉱山が閉じることによりその歴史的な役割を終えました。
「鉱石の道」とはその3町の鉱山を相互に結び、かつては鉱石が運ばれた道のことで、同時にこの地を訪れる多くの人と産業遺産の交流空間としてつくられていく未来の道でもあります。(%ノート%)(%エンピツ%)
点から線へとつなぐ”鉱石の道”として、交流による観光事業や体地域学習への活用など地域の活性化を目指しています。詳しくはこちらのHP(%ひよこ%)(但馬県民局:鉱石の道魅力発信事業)。(%ひよこ%) 鉱石の道推進協議会

さて、鉱山の音楽祭ちらしの裏面に音楽祭実行委員会長のあいさつ文がありましたので紹介します。

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「8月5日、遠く離れたチリ国北部サンホセ鉱山で落盤事故が発生し、その17日後の22日午後、33人の鉱山労働者が地下700mから全員生存のメッセージを地上に届けた」というニュースは、私たち鉱山のあった地域に住む者にとって明るい気持ちを持たせてくれました。

このニュースを詳細に見ると、鉱山に共通する多くのことがあります。
金、銅を産出し、大深度でのトラックレス・マイニングによる操業、さらには200年以上の歴史がある・・・・等々、おもわず明延鉱山の操業をしていた頃を思い出します。

いま私たちは「鉱山の音楽祭」を行う準備を始めようとしていますが、日本には無くなった鉱山を偲ぶあるいは懐かしむだけで、果たして良いのだろうかという思いを強く感じます。

私たちの生活に欠かすことのできない、銅、錫、亜鉛、鉛といったベースメタルの鉱石を日本は全量外国から輸入していますが、特にチリは昔から関係の深い鉱石の供給国なのです。この事故を遠い他国の事故としてとらえるのではなく、今回の「鉱山の音楽祭」をサンホセ鉱山労働者救出のお手伝いに役立てることができないかと考えています。

音楽に国境はありません。音楽に託して、私たちの思いを届けることはできないでしょうか。あわせて心を込めた募金活動はできないものでしょうか。皆さんと共に、考えていく機会にし、そしてそれをぜひ目に見える形に表したいと思うのです。

11月20日、おおやホールで開く「鉱山の音楽祭」に皆さんの力や思いを結集し、この但馬から日本だけでなく、世界に向け発信していこうではありませんか。
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(%青点%)とき 22.11.20(土)
(%青点%)ところ おおやホール(養父市大屋町山路7番地)ほか
 <音楽祭>13:30〜16:00 おおやホール
 <パネル展>9:00〜16:00 大屋市民センター
 <見学会>9:30〜12:00 明延鉱山探検坑道

(2枚目の写真中央に見える白い点は地表の光です。明延探検坑道で撮影)

くろ