ふるさと自立計画日記、この前の日曜日、赤米の御田植え祭り の後、養父市大屋町の「明延」を散策してきました。(%左足%)
一時期小降りになってた雨もザーザーと再び強くなってきました。(%雨%)
ま、雨の中の散策もオツなもんでしょう。これまでは、地域の中央、南の方(明延振興館、あけのべ自然学校、坑道跡とか・・・)にはちょくちょく行ってたのですが、今日は反対側、大屋の中心部から来たら集落の入り口の方ですね、こちらを散策してみました。(%雨%)

1枚目の写真は、いつもの一円電車(明延振興館前)です。 
おや?電車前の説明版がなんか違ってます。リニューアルされたのかな?

振興館前の広場に車を停めて、川沿いに旧道を歩いていきます。こんな景色です。山と川の間に、所狭しと家屋が並んでいます。わずかな土地を活かして、いや、川に張り出して建っているという感じですね。
そうそう、・・・所狭しと並んでいました、という表現が正しいかな。
明延鉱山閉山後、人口も減り続け、今では空き地になっているところも見かけられました。

車は通りません。こんな天気ですし、誰に会うこともなく、まったりと散策できました。
おっと、こんな看板を発見。こちらのお宅では音楽教室を開かれていたのですね。
最盛期には4千人を超える住民が暮らしていた明延。銭湯が6つもあったということですし、この通りもたくさんの人が歩いていたのでしょうね・・・・・。

てくてくと歩き続けます。いつしか靴下はずぶ濡れですが、いったん濡れてしまうと、水たまりの中を歩くのも苦になりません。

「北星」の社宅も間近で見ました。
かつて明延には、北星(東部・西部)、旭山、東山、観音町、坂の谷、明盛、桜ヶ丘と7つの社宅群があったそうです。北星西部には、当時は珍しかったプレコン(プレキャストコンクリート造)の社宅が建ち、いまでも現存しています。現在は、市営住宅としての住まいの場となっています。生活の邪魔にならぬよう、通りから見て歩くだけにしました。 (%右足%) (%左足%) 

旧道から新道に移り、てくてくと歩き続けます。このあたりの街灯の形が変わってます。蛍のようですね。

さて、もうすぐ振興館に戻ります。
おや、橋の欄干になにやら細工がしてありました。鉄琴の版が欄干手すりにくっつけてありますよ。(%ショック男%)観音橋という名前がついていますが、「メロディーブリッジ」とも書いてあります。
ばち(ばちっていうんですか?)が備えてあり、端からたたいていくと『さくら』のメロディーがあたりに響き渡ります。途中の部分から叩いてはいけません。橋だけに端からお願いします。(%ニヤ男%)

さて、車を停めていた明延振興館に戻ってきました。昼間は開放されているのですかね。なかには、現役時代の一円電車を紹介する新聞、雑誌記事が飾ってあったりします。(%笑う男%)
鳥さんも雨宿りに来ていました。夫婦かな。

天気のせいか、ぎゃくにゆったりと散策できたような気がします。
また新たな発見があった明延のまちでした。

さて、「ふるさと自立計画推進モデル事業」では、自ら地域づくりに取り組む、意欲のある地域を応援していきます。策定された計画の実践についても、スタート部分のきかっけについてお手伝いをさせていただきます。
計画実践はこれからですねー。

くろ