お帰りなさい お千代さん 〜明延想い出コンサート

今回は養父市にある明延の取組の紹介です。前々回のブログで少しふれていました「明延での大イベント」は、歌手の島倉千代子さんを明延にお呼びしてコンサートを開く、というものです。
(%ショック男%)(%ショック女%)
なぜ明延に島倉千代子さんかとといいますと、鉱山が華やかだった昭和33年に一度来られているんですよ。(%ショック女%)当時、明延には劇場がありまして、映画が流れ、大物芸能人のコンサートや劇を開催していました。で、昭和33年に鉱山会社がお呼びしたのが、島倉千代子さん、20歳のときです。

島倉千代子さんは昭和29年に第5回コロムビア歌謡コンクールで優勝しデビュー。昭和30年3月に発表された「この世の花」が大ヒット、時の人になりました。
その後も「東京だョおっ母さん」(昭和32年)など数々の大ヒット曲をだされました。そうそう、年号が平成になる2年ほど前に出された「人生いろいろ」もブレイクしましたよね。「人生いろいろ、会社もいろいろ」なんていう言葉もなにやら耳に残ってます。(%痛い男%) ・・・・話が脱線しました。
NHK紅白歌合戦にはなんと通算35回も出場されているそうですよ。ビッグですねー。
その島倉さんを51年ぶりにお迎えするということで地域は盛り上がってます。
(%笑う女%)(%笑う男%)(%笑う女%)

でもなんで、島倉さんが51年ぶりに?
実は島倉さんのコンサートは地域の方にとっては語りぐさになってまして、むかしを思い出すときには必ず話に出る、いわば「ヤマの象徴」になっていたんです。
これまで2回行ったワークショップでもその話が出てきましたよ。

そんななか、朝日新聞社の記者の方が明延&一円電車の特集記事を組まれる際に島倉さんに取材され、記者から話を聞いた島倉さんご本人が「明延に行って、明延の方のために歌いたい」と言われ、今回の運びとなりました。(%音符1%)今回はなんと無償でのコンサートです。(%音符2%)

島倉さんに当時のお話をしていただき、明延の最盛期を振り返り、地域の方が明延の良さを再認識しながら明日の明延づくりの意識を高める・・・・いいじゃないですか、ふるさと自立計画でも応援させていただきます。(%ニコ男%)
鉱山最盛期には4千人を超えた住民もいまや140人をきってます。そんななか、地域の方で実行委員会を作られ、準備を続けてこられました。
会場ですが、当時、コンサートが開かれた劇場は、いまでは会社の倉庫になっています。明延ドームで、という話もありましたが空調の問題もあり、自然学校の食堂で行うことになりました。収容人数に限りもあり、紅白歌手をお呼びするのは・・・という声もあったのですが、いや、島倉さんをあたたかく迎える気持ちがあればそれが一番だ、と食堂のおもたーいテーブルを移動させ、ステージをこしらえました。(%雷%)

コンサート前日の12/18に私がお邪魔したときには、会場の飾り付け、照明機材の転倒防止作業など最終段階でした。恐るべし明延パワー。(%ショック男%)

さて、夕方にほぼ準備が済みました。あとは、翌朝に神戸から音響屋さんに来ていただき、機材のセッティング、リハとなります。
地域の方も明日が待ち遠しいようです。「島倉さんが来たのは私が○歳の時でねー、ほんときれかった、びっくりするくらいきれいやったわ、劇場の前をねつづら折れで並んでね・・・・」話が止まりません。まるで51年前にタイムスリップしたようですね。

さて、こちらの写真は自然学校の玄関に鎮座する木彫アートです。こいつも島倉さんを静かに待っているようですね。

本番(12/19)が楽しみです。(%CD%)

おっと、私はこの後も仕事が待ってます。大蔵地域(朝来市)での自立計画策定会合です。「お帰りなさい お千代さん 明延想い出コンサート」の様子は後日・・・・。

その2その3に続く。

くろ