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2010/06/02のBlog
久しぶりにスペインに住む母が日本に一時的に戻ってまいりました。母は向こうで介護福祉士として公的機関で訪問介護の仕事をしています。日本に来るときに、行っている家の淑女から泣きつかれ、「行かないで!行かないで!」とか「帰ってくると約束してちょうだい!」とか「息子さんとお母さんによろしくね」とか言われたそうですので、わが母ながら立派なことをしているのだと誇らしげに思います。普段はそれほど話す習慣はないのですが、久方ぶりに話をすることで刺激を受け、私も負けずに自分なりの道で頑張らなあかんな、という思いが益々強まってきました。

 我が家は経済的には豊かではなく、どこをたたいても埃くらいしか出ませんが、少しずつでも徳を積み上げられていけば、何千万円のおこずかいや莫大な資産よりも将来の助けとなるのではないでしょうか。私はまだまだ不徳であり、ふつつか者ですので、これからも精進してまいりたいと思います。

 さて堅い話はこれ位にして、今回土産話と共にいろいろな物資の方も持ってきてくれたので、その方に移りませう。

 まず一つ目の写真にあるのは、私の酒の「友」といえるオリーブさんです。
話は変わりますが皆さんは「友」という言葉を聞いてまず初めに何を連想されるでしょうか。友愛ですか。

 世の中にはいろいろな「友」がいます。心の友、竹馬の友、ご飯の友、そして今回紹介する酒の友…。普段はあまり気がつかないかもしれませんが、我々は様々な「友」に囲まれ、そして支えられているのかもしれません。友に歩き、友に笑い、友に泣き、永遠に友に…

 オリーブというと油のイメージが強いかもしれませんが、そのままでも食することができ、大変おいしゅうございますね。時々ピザの上でも見かけたりしますが、やはりお酒を片手にオリーブの実をつまむ、これに勝るものはございません。

 一口噛めば脂がしみ出て、お口の中はパラダイス銀河。遊ぼうよコロンブス。お酒はぬるめの燗でいい。まあ出来ればワインかビールが合うかと思いますが、何にでもあうでしょう。

 飲む方はぜひ一度ご賞味あれ。もちろん飲みすぎには気を付けてください。

 飲みすぎと言えば、余談ですが、三国志で諸葛孔明のライバルとして描かれることの多い呉の将周瑜は、どんだけ酒を飲んでいても、宴会に呼ばれている生バンドの演奏に間違いがあれば、それにするどく気づき振り向いたそうです( ̄ー+ ̄)こんな顔で。このことから人は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」と言ったそうですが、我々もどうせ飲むならこのくらいのレベルで飲みたいものです。

 ちなみに二枚目の写真のオリーブは中にアンチョビが入っております。
このalcachofaという野菜はよくパエリアなどに入っています。タケノコのように何層かの堅めの皮に覆われていて、普通は中身の柔らかいところだけを食べるのですが、私の通っていた学校の給食ではよく皮も入っていて難儀したことがあります。

 そしてこのmejillonesはいわゆるムール貝というやつですが、これもよくパエリアに入っています。私の大好物の中の一つに、よく母親が作ってくれた、生のムール貝をそのまま塩とニンニクの欠片とともに煮たやつがあり、シンプルですがなかなか美味です。日本でもパスタなどの中にムール貝が入っていると、思わずヤッホーと言ってしまいます。

 私は一人家で飲む習慣というのがあまりないので、残念ながらつまみとしては食わんでしょうが、思い出を噛みしめながら、ちびちびと消費していきたいと思います。まあ我が家は退役軍人、いや大食漢が多いので、知らないうちに全部平らげられる可能性もありますが


2010/05/23のBlog
[ 00:35 ] [ エッグマンのつれづれ探求 ]
私は闇の中を歩く。

遠い目的地に向い、ひたすら足を前に運ぶ

頑丈だった足は徐々に乳酸が溜まり、引きずるようになる。靴は擦り切れ、服は汗と少し前から降り始めた雨で湿り気を帯びる

呼吸は荒くなり、疲労感と倦怠感に襲われ、歩を止めそうになりながら、しかし私の中の希望の灯に気付く。恐らく方向は間違っていない。なぜなら私は目的地を知っているから

一人道を歩いていると、色々なことが頭を駆け巡る。そして何か懐かしい感覚におそわれる

そういえば、前はいつだっただろうか…

終電に乗り遅れたのは


今回は珍しくポエムらしきものを書いてみましたが、実際歩いていると贅肉が削ぎおとされ、雑念も浄化される感覚になります。

 例え終電に乗り遅れても、てやんでぃバーロ畜生!、Fu○k!、¡Hijo de pu○a!等と思うのではなく見方を変えて、天が自分に歩く機会を与えてくれた(少なくとも)、と感謝の気持ちを持てば、歩いている時間を学びや振り返りの時として使うことも出来ます。

人事が万事塞翁が馬
千里の道も一歩から
三歩進んで二歩さがる
江戸川乱歩よりエドガー・アラン・ポー…

 最後はあまり関係なかったですが、迷い、つまずきながらもしぶとく前に進んでいく精神を大切に、これからも歩いていきたいと思います。
2010/05/07のBlog
新年度が始まり、先月はてんやわんやしていましたが、ようやくペースがつかめてきました。

 昨年度から私にも多少の変化があり、四月から自然あふれる美しいKという市(ブログをくまなく見て頂ければ大体すぐわかります)の市民活動センターの運営スタッフとして勤務するようになりました。まだまだ微力ですが市民活動を幅広くサポートするという立場になりました。いつもそこにいるわけではないですが、市民活動に興味のある方は一度おいで下さい。

 さて今回その市民活動センターの近くにある神社で護摩を焚くということで、ゴマキ(護摩木)を頂いていたのですが、今日それに93歳になる祖母と連名で願いを書きました。
護摩を広辞苑で調べてみると、『密教で、火炉を設け、乳木などを焚いて本尊に祈ること。智慧の火で煩悩の薪を焚き、息災・増益・降伏・敬愛を祈願する。不動明王などが本尊とされる。』とあります。古い広辞苑ですので今では若干定義が変わっているかもしれません(そんなに大きくは変わっていないとは思いますが)。

 行者が私たちや他の多くの方の願いのこもったゴマキを焼き、その成就を祈願をする護摩焚きは日曜にあるそうで、ちょうどその日はセンターの方にいるので、護摩を焚いている煙が漂ってくるかもしれません。
完全に余談ですが、行者という言葉を聞くといつも子どもの時に読んだ水滸伝に出てくる行者武松を思い出します。彼は昔から私のお気に入りの人物で、水滸伝に出てくる人物は変人、奇人が多いのですが(もちろん愛情を込めて言ってます)、その中では数少ない真面目な人というイメージがあり、私も武松の様になれるよう日々研鑽中です。

 また市民活動センターの取組み等もお伝え出来るかもしれません。もちろんセンターの業務以外にも、活動を今まで以上により一層励んでいく予定ですので、皆様またよろしくお願いいたします。
[ 22:55 ] [ エッグマンのつれづれ探求 ]
時々思い出したように性教育についての議論が起こることがありますが、その議論を見てみると体や生殖器に関する内容の是非に重点が置かれていて、あまり「愛」に関する教育については触れられません。

 確かに体の成長等とは違って、「愛」とは何かという統一見解がないので、教育の中にいれるのは難しいという点があります。

 「愛」と言ってもこの前のビオタウンのところでも述べたように自然に対する愛もありますし、人に対する愛でも、某首相の言う友愛の様な(若干キリスト教ちっくな)隣人愛的なものもあります。

 愛に関する定義も様々ですが、一応もっともらしい…いや納得しやすそうな例を一つあげると「ある他人(B)の幸せを自分(A)の幸せのように感じ、その他人(B)も自分(A)の幸せを当人(B)の幸せのように感じる、これが愛なんだー!」というものがあります。恐らくこの考え方によると、この精神に基づいて恋愛も性愛も発生する、つまりは全てはこの「愛」の精神がベースとなり、性愛等は大きな「愛」の中の一部となります。

 ではそれならば性教育など部分的なことを大々的にやらずに、「愛」についての教育をまず優先的にやったらいいじゃないか、ということになります。

 ただ先程述べたように愛に関する定義が定まっておらず(逆に個人的には完全に定まってしまうと怖いような気がしますが)、一つの考えを押し付けるのは、教育的、心理的にまずいのなら、「愛」にとは何かについて議論するような教育を行うことも一つの方法でしょう。それと同時平行して性教育も行えば良いのではないでしょうか(バイオロジーの一環としてやるのも面白そうです)。

 一方、「実際の恋愛で性と愛を分けることは難しい、従って肉体的な『性』と精神的な『愛』を分けて教育するのはいかがなものか」、といった反論もあるかと思います。

 これもある程度説得力がある意見ですので、それを踏まえて、恋愛の精神的な部分と肉体的(性的)な部分を違ったもの、相反するものとして分けるのではなく、恋愛に関しては幾つかの重要な要素が相互に作用しあっているという図式でとらえるという方法もあります。

 例としては、精神的な「愛」、性的な欲求、自己承認の欲求等々、恋愛を総合的に見て、そして個別に詳しく(諸説等を)説明し、議論を促していく。物議を醸しがちな性交や性器についての説明等は性的な欲求の中で説明していけば良いのではないでしょうか。
その一方自分の中には、「愛」に関してあれこれ説明出来るものなのか、いやそれ以前にしてもよいものなのか、という(ロマンチスト的な)疑問もあります。従って教育の範囲では必要最低限な知識を教え、考えさせるという程度に抑えて、後は本人の良心と自由意思(これを育むための教育は別途行って)に任せるという感じで良いんじゃないかと思います。

 余談ですが、ある飲み会で格差について論じ、その中で恋愛格差について半分ネタっぽく、
「そもそも恋愛なんて数値化出来るものじゃないのに、何をもって格差というのか」
 と述べたところ、そこにいた若い女性に、
「その考え方は高校生までよ」
 とツッコミをいれられました。まあ確かに高校生になる前に日本から離れたので、ここではまだ高校生扱いでしょうが(んなこたーない)。

 冗談はさておいてこの恋愛格差については、就労問題、少子化、そして何より幸福度に関連するところも大きく、個人的にはかなり深刻で、“格差問題”の中でももっと重要視されてもよいのではないかと認識しています。またこれもとりあげたいとは思いますが、心理的にも結構ヘビーなテーマとなりそうです。

 さて今回は性教育から「愛」についても少し見ていきましたが、私自身はいわゆる耐え忍ぶ恋というのも「愛」の一つに加えてもいいじゃないか、と思うところがあります。例え相手と両想いにならずとも、誰かを大切に想う心自体が尊い、という考え方もこれからの時代見直されるかもしれません。

 某首相による性教育ならぬ友愛教育構想(あるのか?)にも多少期待しますが、日本古来(マジで?鍋島藩だけじゃね?)の葉隠的純愛教育構想、或いは、世に生を受けるもの全てを尊重する八百万愛教育(こちらは結構日本古来っぽい)教育なんてのも、温故知新でオリジナリティーもありなかなか面白そうです。
2010/05/03のBlog
グワシ!

 4月27日に認知症サポーター養成講座に行って参りました。

 もともとカウンセリングや心理学を学んできたこともあり、認知症にも興味はありましたし、認知症とうつ病はよく見分けがつかないことがあると聞いていたので、個人的にはそのところをじっくり聞ければと思い、参加いたしました。

現在認知症は85歳以上では4人に1人で、日本では169万人いるそうですが、この二十年間で倍増する可能性もあるそうです。

 意外に思われる方もおられるかも知れませんが、認知症の症状が出てくると、周囲が気付く前に本人が気が付くことが多いそうです。

 認知症の人への対応の心得として“三つの「ない」”というのがあるそうです。①驚かせない②急がせない③自尊心を傷つけない、というのがその三つですが、特に3番目の自尊心を傷つけないというところは重要であると思います。

 一般的には本人は自分の症状には無自覚である、といったイメージもあるかもしれません。また本人は気付かないから意外と気楽で、逆に周りの方が大変だと思う向きがあるかもしれませんが、それは大きな誤認であるということを今回の講座で学びました。

 どうしても反応がないと、何も分からないと思って無礼なことをすることもあるかもしれませんが、それは大間違いです。正に「己の欲せざること人に施すなかれ」(by 魯出身の偉大なる大男、いわゆる孔子)の精神で接することが大切です。
他にも①驚かせないというのは、例えば後ろから急に声をかけたりしない等気をつける、②急かさないというのも相手のペースに合わせる等、相手のことを思いやり、自分ではなく相手の基準は何かと思いを巡らせるところなんぞはカウンセリングとも類似点があります。

 まあというか普通に誰に対してもそういう対応の出来る人が大多数の世の中であればいうことは無いのですが、良いわやすし、怒るでしかし…いや、言うは易し、行うは難し、で私自身も気をつけていかねばなりません。常に磁界の静止、いや自戒の精神が大事です。

さて気になっていたうつに関してですが、認知症の初期にうつ状態を示すことがあり、その原因には「もの忘れなど認知機能の低下を自覚し、将来を悲観してうつ状態になる」というのと「元気や、やる気が出ないこと自体が脳の細胞が死んでしまった結果である」という二つの考え方があるそうです。

 考えてみると奇しくも他の問題にも同じような議論はあり、例えば「引きこもり」の場合を当てはめてみると、「引きこもって、社会とのつながりが希薄になり、将来を悲観してうつ状態になる」というのと「元気や、やる気が出ないこと自体がうつ状態であり、その結果引きこもる」といった二つの考え方が出来ます。

 ざっくりと分けてみると前者は環境とそれに対する本人の認知の仕方によって病気や病的状態になるといった考え方、後者はそもそも始めから病気であり、それにより症状が現れ、周囲の環境も変化していく、という考え方に近いと言えます。イメージ的には前者は外から内へ、後者は内から外へ、といった感じになるでしょうか。

 うつに対しても対応も変わり、前者の考え方に沿えば、機能の低下によって絶望することがうつが原因ですから、作業療法、認知行動療法、カウンセリングなどを組み合わせ、機能の低下を防ぐ(遅らせたり)、そして機能の低下による心理的ストレスを軽減するといった方向になるでしょう。

 後者ではうつ状態になるのは脳(脳内物質)の働きに原因があるという考え方ですので、うつに対しては主に薬物を使って対処していく可能性が強いかと思います。

 私は、環境と心は相互作用しあう(お互いに強化しあう)という考え方ですので、ニワトリが先か卵が先か、といった議論よりは、両方の特徴を踏まえ、そして何よりも、個人個人の状況に沿った対応を複合的に行うことが、認知症でもまたその他のケースでも大事になるかと思います。

ただ今回の認知症サポーターの講座としての目的は、具体的な対処法を考え、行うことではなく、認知症を理解した認知症の応援者となるということでしたので、不遜にも私ごとき羽虫の様な人間があーだこーだ考える必要は今のところ無いのかもしれませんが、ただこれを機会に認知症に対してもアンテナをはっていければと思います。

サバラ!
2010/04/17のBlog
[ 23:09 ] [ Bio Town ビオ タウン ]
今周りでビオタウン構想という計画が動き出しています。
私も縁があってメンバーの一人となり、僭越ながら会議にも出席させていただいていますが、他のメンバーの方々のお話を聞いていると、人間も自然の一部であり、必要不可欠なものであり、決してあってもなくていいものなのではない、と痛感します。会議に参加するたび、自然に対する想いや愛情、そしてするどい洞察には毎回驚き、心を打たれます。
普段まちで暮らしていると正直自然に目をとめることは少なく、通り過ぎてしまう者になりがちですが、日本にはまだ豊かな自然は各地に多くあり、我々が気づいていないだけなのではないでしょうか。「気づかないものに気づく」などと言うと、なにか水木しげるの妖怪の世界のようですが、今回のコンセプトの一つになるかもしれません。
今日はプレイパークの候補にあがっている原っぱを視察しにいきましたが、大の大人が皆子どものように花や木、草などと戯れ、エンジョイいたしました。天才的に自然に詳しい方がおられたので、一つ一つの植物について説明もいただきましたが、とても短時間で覚えきれるものではありません。また繰り返し復習しながら学んでいきたいと思います。今回はとりあえずいくつか写真の方を貼らしていただきます。エッグマンのブログといえば、無粋、ぶっきらぼう、ブ男で有名ですが(T_T)、今回は写真を多くはりまっせ。
ただ単に子どもの遊び場を作るだけではなく、全体的、総合的なまちづくりの観点から自然を活かし、そして共生する方向になっていくと思います。

 そして個人的には何より教育、そして子育てにもつなげていければと思いますし、他の方々もその思いは強く持っておられると思います。生死、共生、痛み、喜び、そしてイワシ、いや癒しなど様々な学びを自然は与えてくれます。

 人手や知恵はどんどん必要となってくると思いますのでまた自然やエコ(もちろんまちづくり、教育や子育てなどでも)に興味のある方はお気楽にご連絡くださいな。
2010/04/07のBlog
新任の方への引き継ぎも終了し、私の子育て支援コーディネーターとしての業務も完了いたしました。短い間でしたがこの仕事で経験したことを思い起こすと、正に涙、涙、なみっだ~(サザンか?)という気分でおます。
炎の就任会見の様子はこちら

 今回の機会を通じて、子育てとは何かと考えるという貴重な体験をさせていただきました。

 もともと教育はもちろんのこと、特に不登校や引きこもりに関しては並々ならぬ関心があり、昔相談会や講演会を通じてサポートする活動をしたこともあります。というか社会全体の問題でもあり、自分自身の問題でもあるという感覚を持っています。

 そしてカウンセリングや心理学を学ぶうちに(その前からも)、親子や家族関係も教育において重要な要素を占めることを実感し、今回子育て支援コーディネーターを受ける際には、その流れもあり、大いなるチャレンジ精神と決意、責任感をもちその職にのぞみました。

 ただ実際やってみると、年齢層の違いか、今まで自分のやってきた教育関係の活動とは感じが違うところも多かったのですが、その分新しい発見がありました。

 一番感じた(感服した)のはそれぞれの子育て団体の子育てに関する熱い思いです。

 子育てコーディネーターとしての一番大事な業務の一つが子育て支援団体のネットワーク(今回の場合は兵庫県、私の担当は阪神北でした)を作り、広げていくことなのですが、その前に実際に子育ての現場に行ってお話を聞かせて頂く機会がありました。

 どの団体、施設も本当に真剣にそして真摯に子育てについて考え、そして実践されており、非常に頼もしく感じ、もし自分に子供がいればここに預けたいと思ったところもあります(というか子供の前にパートナーどころか女っ気ゼロ、カロリーゼロなんですけど何か(´A`))。

 各団体や個人の子育てに関する真摯な姿を見ていると、安心感を覚えると共に自分ももっと×∞頑張っていかねば、という気持ちが古田新太に湧きあがり…いや、心新たに湧きあがりました。
これからも立場や年齢なども越えて皆で忌憚なく話し合い、協力しあいながらより良い社会、世の創造を目指し、こつこつと、時には大胆に活動していきます。

 今年度もオープンマインドと乾坤一擲をmottoにやっていきますので、皆さん、共にぼちぼちと頑張っていきましょう
2010/03/30のBlog
3月21日にたかとりコミュニティーセンター内で行われた移動ペルー領事館へ行ってまいりました。

 前に少しご紹介したNPOユース合宿で偶然出会った、多文化プロキューブの村上さんに誘われてボランティアとして、パスポートや身分証明書の申請に来られたペルー出身の日本に滞在している方々のサポートのために足を運んだわけですが、本当に様々な人たちとの出会いがあり感慨深い一日となりました。

 実は前日ほとんど睡眠江おとっておらず、早朝から電車に乗り現地に向かったので、正直最初はかなりグロッキーな感じでした。ついてみるともう沢山の人が集まっており、人の整理や付近に車を止めていないかの見周り等を任されましたが、そのうち少し体調が回復してくると(目が覚めてくると)、来ている人といろいろ話をし始めました。

 ペルーから来た人たちと会話をしていると、何か昔の雰囲気を思い出し、ひさしぶりにラテンの血が騒ぎました。スペインなどではビザの申請などを行う場では、かなり騒然とした感じとなり、騎馬隊等も出動したりすることもあるのですが、それと比べると日本におられるペルーの人たちは非常に行儀正しいイメージをもちました。ただ話を聞いてみると去年は今回よりはるかに多くの人が来て、手続きが出来ない人もいたそうなので、人数が少なかったということもあるかもしれません。ただその日も時折見せる人々の激しさや陽気さ、人懐っこさを見ると、じんわりと懐かしい気持ちになり、今同じ日本に住んでいて場所も共有しているということも含めて、何か共感するものも感じました。

 会話の中で、私は社会活動に携わっており、今NPOでも働いていて、教育問題委に興味があると伝えると、また何かあったら一緒に協力してやってみようかという人も何人かおり、思わぬところでつながりが出来るという収穫がありました。ちなみにNPOをスペイン語で言うとOrganización sin lucro propioとなりますが、スペインなどで非営利団体といえばまずONG(organización no gubernamental)、日本語で言うとNGO(日本語か?(~_~;))というのが一般的で、経験上あまりNPOという言葉はそれ程一般的ではないようです。NGOは非政府組織ですが、非営利(お金を稼がないという意味ではない)の性格をもっているところも多いのであながち遠い概念でもありませんが。

 山に幸あれ、いや何はともあれプロキューブの吉富さんやロクサナさんなど多くのスタッフの方々とも親交を深めることができ、優しくしていただいた上ペルーのお弁当などたくさんお土産に頂き、本当に皆さんに感謝感激東条英機です。

 さらにその後村上さんと飲み語り明かし、なかなか激しい一日でいたが、非常に楽しく有意義な時間を共に過ごし、明日に向かって戦うための力をいただきました。恐らくこの日出会った人たちとはまた何かの形で関わるんでないかな、と感じます。
2010/03/25のBlog
何も意識していない時に急に思いがけないところで新しい発見や出会いがある時があるもんです。

 先日ぼんやりと初めて見る深夜のトーク番組を見ていました。ゲストのお笑い芸人のトークの方も終わったので、さあもう寝るかとテレビを消そうと腰を上げた時に、その番組の出演者の一人が歌を歌いだしました。私はその歌手とはなかったのですが(とあるグループの一員であることは知っていました)、初めてだからどんなんだか試しに聴いてみるか、と何気なく聴いていると、あれ、という思いがわきました。

 歌詞を聴いているとえらく無骨な感じがしたからです。特にいつ死んでも後悔しないような生き方をする、という内容の歌詞があり、思わず葉隠かいっ、と突っ込んでしまいましたが、正直私の中で印象に残りました。

 後日調べてみるとその曲は「道しるべ」という曲で、歌っていたのはEXILEのATSUSHIという人でした。この曲はどうやらアルバムやシングルにはなっておらず、前のShania Twainの時のごとく、主にヨウトゥーベの力を使って探し当てたのですが、聴きなおしてみるとやはり歌詞の内容が、このブログにも出てくる「人事を尽くして天命を待つ」という感じの意味合いをもっているように私には感じられます。このEXILEは大変人気があるそうなのですが、海外にいたせいか(言い訳がましい)知っている曲はチューチュートレイン位ですし、このATUSHIさんも正直他にどんな曲を歌っているのか存じ上げません。ただこの曲からは、例え世の中がどうあろうと、己の道を信じ、真っ直ぐに生きよ、というメッセージが発せられている気がします。

 EXILEのファンからもアンチEXILEからも異論が出るかもしれませんが、なかなかこのATUSHIさんは詩的でなおかつ古武士の様な所があるのかなと感じました。もちろんこの一曲を聴いただけの勝手な野郎のインプレッションですが。

 さらに調べてみると天皇陛下の前でも歌を披露したということがあるそうで…うーん、やはり何かそういう感じなのか、と思います(どんな感じやねん)。

 あまりこういう歌詞の歌を聴くことがないので、さりげない少し意外な出会いでした。あまり世には知られていないようですが、また聴いてみてください。
2010/03/18のBlog
2月27日に兵庫県民会館11階「パルテホール」にて子育て支援メッセが行われました。このメッセは「NPO と行政の子育て支援会議」が主体となって実施され、当日は出演者も合わせて300人以上の来場者があり、大変な盛り上がりを見せ無事終えることが出来ました。

 私は阪神北地域の子育て支援コーディネーターとして、もう一人のコーディネーターと共に会場の設営、阪神北地域のブースの準備、きんたくんの付添などをいたしました。
阪神北地域からはこの前も紹介したNPO法人のピースゲームさんと能勢電鉄さんにも出展いただき本当にお世話になりました。

 ピースゲームさんは遊びながら世界の他の国のことを学べるカードゲーム「ピースゲーム」やこれまでの活動の様子を写した写真等を展示され、来場者は始めて知るゲームを興味深げに見学していました。

 能勢電鉄さんは鉄道関係の資料や物品を多く展示され、正に全国の鉄ちゃん、鉄子さんにとっては垂涎の代物ばかりだったでしょうが、その他にも子ども用の駅員の制服も持ってきていただき、会場に来た子どもたちはそれを着て、楽しく記念撮影をしていました。
兵庫県内から終結したゆるキャラも大活躍しました。

 冒頭の写真のようにきんたくんと私も一食触発の状態になり、抗争が勃発するかと思われる場面もあったような無かったような(何のために…(゜.゜))感じでしたが、実際は終始良好な関係を持ち続け、メッセを盛り上げようと共に短足とでかい頭をひっさげて会場内を歩き回りました。

 ありがとうきんたくん、地球の平和を守るため星に帰った(どこの?)君のことは忘れない。

 様々な舞台での催し物が終わった後の子育て支援団体、個人等のための大懇談会も大成功に終わり、新しいつながりができたり、お互いに交流を深めたりして、これからの子育て支援活動の発展にもつながっていく会になったのではないかと思います。

 子育ては社会教育、まちづくり、就労問題等様々な問題と関連性をもち、今回のメッセやその他のコーディネーターの業務を通じてさらに関心が深くなったので、また積極的にこの問題についても取り組んでいきたいと思いますし、メッセやその他の子育て支援の活動についても、おそらく子育て支援コ―ディネータ―としてではないでしょうが、何らかの形で関わっていき、また参加していければと思います。
2010/03/15のBlog
先日行った誕生日会の二次会の様子はお伝えいたしましたが、一次会については触れませんでした。

 一次会は一言でロベルト、いや述べると…楽しい修羅場でした。

 その宴は深夜一時位からとある居酒屋で始まりました。そこは赤ちり亭という所で、飲み放題のセットもあり、料理も上手く、なにより店員さんが明るく、ノリも良く、セットにも関わらず料理を大盛りにしてくれ、皆楽しい時間を過ごせました。

 ただ我々がこの店を選んだのは別の大きな理由があり、それはこの店の名物のハバネロチキンレベル5を食べるためです。

 私ともう一人の同僚が食べたことがないので、一度食べてみたいと言った時から、誕生日会をこの店で行うことが決定しました。

 前にそのチキンを食べた中国人の客がブチギレて厨房に怒鳴り込んだという話を聞いていましたが、正直私は辛いものには強いので、チキンハートじゃあるまいし、それ程大したことはないんじゃないか、と考えていましたが、レベル5をなめていました。

 昔スペインの高校時代に仲良くしていた南米人が、「これかれーから食ってみろよ」とむしゃむしゃ食っていた何かの実をくれ、食ってみるとそこそこ辛く、「かれーな、何なんじゃこれは」と言った、あの時の実が確かハバネロだったかと思うのですが、その店で見たハバネロは見た目はイメージにあった実ではなく粉でした。

 それを口にいれた瞬間は大量の粉が口の中に広がり、その後にジューシーなチキンが出てきます。当初の辛さは大したことはありませんが、時間差攻撃で徐々に辛くなっていき、最終的には唇が腫れあがり、鼻に刺激が来ました。

 他の人はそれを食べると皆氷を口にふくみ、悶絶気味でしたが、私は辛いことは辛いが意外と平気でビールとトマトジュースを混ぜたものを飲んで辛さをしのぎました。私の最初は氷が欲しかったのですが、皆が我先にと取っていくのでミーのような内向的な者は氷を奪取することが出来なかったざんすが、後から考えると私が一番回復が早かったので、むしろ氷を使わない方が良かったのかもしれません。
その内少し辛さが収まってくると場を盛り上げるため、皿に残ったハバネロの粉をベロンと舐めたところ、皆ドン引きになり、店員さんにも「こんな人見たことねぇ」と言わしめました。

 こうして私が辛さに強いということを証明出来たのは良かったのですが、いちびってハバネロの粉を舐めたおかげで胃腸に若干痛みが走りました。皆さんも辛いものを食べる時には十分に気をつけましょう。
辛い者選手権の暫定王者(具体的になんなのかは不明)である私に勝負を挑みたい辛い物が得意な人はいつでもどうぞ。まあ私の場合は辛い物に強いというよりはやせ我慢が得意ということかもしれませんが。
2010/03/14のBlog
先日家庭教師センターの同僚の誕生日会(の二次会)で
JAYWALKの「何も言えなくて…夏」を歌いました。

 私はあまりカラオケに行かず、従って
持ち歌と呼ばれるものも持たないわけで、
誕生日を祝うために何を歌うべきか悩んだ結果…
今話題になっている曲だろうと思い、
JAYWALKの「何も言えなくて…夏」を選びました。
今までこの曲は歌ったことが無かったのですが、歌ってみるとなかなか奥深く、良い曲でした。歌詞の意味はいまいちよくわかりませんでしたが。

実はこの前の記事でも紹介した特に面白い人と一緒にデュエットで歌ったのですが(別に彼の誕生日だったわけではないです)、彼が初めて行ったコンサートがJAYWALK(当時はJ-WALK?)だったということで彼にとっても良い思い出になったのではないでしょうか(そんなわきゃない)。

前にも紹介しましたが、この家庭教師センターでは誕生日や何か祝い事の時には皆で祝うという風習があり、去年の年末には大して何の価値もないような私の誕生日も祝ってもらい、高級鼻メガネをプレゼントしてもらいました。

 近頃は社会活動、NPO活動、コーディネーター活動などが忙しく、ほとんど家庭教師センターの方には行けていないのですが、皆と非常に良い関係が出来ています。
個々人がどういった状況、立場であっても、
皆がつながりをもち楽しみを分かち合う、
そんな場を多く作っていくことも
私のやるべきことの一つかもしれません。
(by 鼻メガネ野郎)
2010/03/11のBlog
「企業は目標を共有する集団、アソシエーションだとバーナードは言っているが、ニコラスルーマンによると企業は存続のために経営目標も変えてしまう、理念もさることながら経営資源となるリソースも調達出来ていることが重要であると述べている。さらにタルコットパーソンズによると資源調達力が権力で、存続という視点から見ればそちらのモデルが適切だ…」

 こんなことを誰かが言っているのを聞いて、私はハッとあることを思い出しました。

あ、そうだ、京都行こ…
 ではなくて、前回相当前に書いた自治の学校第二弾アソシエーション革命の続きの記事をあげていなかったな、ということを。

 実はこのアソシエーション革命に関しては、もう少し調べてから、ゆっくり書こうと思っていたのですが、そうこうしている間に日々の忙しさにまぎれ、自治の学校の最後の講義も終了してしまいました。その講義も非常に興味深いので紹介せねばならないのですが、順序的にはまず先に第二回自治の学校「アソシエーション革命とNPO ~市民自治におけるNPOの積極的な役割とは?~」を紹介していきたいと思います。

 さてまずアソシエーション革命という名前ですが、これはラディカル民主主義とも言い換えられるそうです。

 大きく言うと元来(昔)のリベラリズムは、富、所得の采配分、を基軸としていたので、その富を集め(税金、保険料等)で、管理し、采配分するために結果的に大きな政府になってしまいます。

 アソシエーション革命においては国家セクターや個人セクターからアソシエーションセクターへの移行する、ということです。その内容としては、市民の生活は国や行政に依存するのではなく、市民が積極的に社会参加、参画することを目指すということなのかな、という風に個人的には解釈しました。

 アソシエーションのイメージとしては、普段はindependentな活動をする個人が、他方結集し自律的連帯集団を作り出すといった感じでしょうか。

 一つ講義の中で気になった点があり、基本はボランティア(自発性)で物事を解決し、足りないところは政府が保管するという考え方がアソシエーション革命の中にある、ということです。この考え方は部分的には自己責任を主軸におく新自由主義の考え方と重なる部分もあるのではないかと思い、そのことを講師に聞こうと思いました。

 話の流れから、まあ新自由主義とは違う考え方だろうなとは思いつつも、実際にその起源、過程において何か類似点があるのか、或いはそういう風に見られる可能性はないのか、ということが気になり、また講師の方がどの様な質問でも誠実にそして哲学的に答えていただける雰囲気があったので、講義が終わった後にその様な質問をぶつけてみました。

 講師の方がいうには、新自由主義とアソシエーション革命の一番の違いは、前者は市場を最重要視するのに対し、後者は市民の自発的な協議によって物事を決めるという点です。市場によって個人が左右されるのを防ぐという点はリベラリズムに似ていますが、意思決定の手段は市民のボランティア(自発性)を契機にして、自律的連帯集団を形成し、それが生活、経済、政治等で次第にドミナント(支配的)になっていくのがアソシエーション革命のようです。

 では次回は講義の後で行われたテーブルセッションの中で話し合った内容をもとに、様々な角度からアソシエーション(革命)について見ていきたいと思います。