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「小規模集落元気日記」 今日も集落は元気です!
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2009/05/14のBlog
[ 15:58 ] [ 千町(宍粟市) ]
密かにブレイク中の「地名の由来を調べるシリーズ」。今日は、宍粟市一宮町の千町(せんちょう)についてです! 

 
 千町集落は、宍粟市の北東部(一宮町)、朝来市との市境に位置する山間集落です。むらは、なんと標高650mほどのところにあり、周りは1000m級の山々に囲まれています。「宍粟50名山」に選ばれている山が5つもあるんです(千町ヶ峰、段ヶ峰、杉山、笠杉山、大段山)。夏でもクーラーいらずなんですよ。

 地名の由来は、山間部の谷間や山上に広い土地が開けているところを「千畳敷(せんじょうじき)」といい、それが変遷したものという説、瀬戸内海までの距離が千町(約百九キロメートル)あるからという説があります。瀬戸内海となんかつながりがあるのかな? 何か運んでいたのかな?

 江戸時代には、始め姫路藩領、ついで備前岡山藩領、山崎藩領、生野代官所の直轄地と移ってきました。木地屋もいてはったようです。椀・盆・鉢・杓子などの木製品も生産されていました。

写真:杉山山頂からの眺めです。9月の終わりでしたが、めちゃくちゃ寒かったなぁ。

 参考 : 兵庫県の地名(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店) 

2009/05/13のBlog
[ 15:54 ] [ 馬瀬(養父市) ]
今日は、養父市の馬瀬(まぜ)について書きます! 

 
 馬瀬集落は、養父市の北東部(旧八鹿町)に位置し、円山川の支流である小佐川流域の集落です。養父市役所から西に3㎞。昨年3月には、日高町知見とを結ぶ「珍坂トンネル」が開通し、日高町へ買い物に行く地元の方も増えているようです。

 ちなみに「珍坂トンネル」は「珍坂峠」をくぐるので、そういう名前が付いたようですが、そもそも「珍坂」の由来は、豊臣秀吉が但馬征伐の時、峠越えをしようとしましたが、柔らかい地盤に馬が滑って先に進めなかったので、「珍なる坂」と嘆いたという伝説によるそうです。へぇ~。

 馬瀬集落は、かつて小佐(おさ)村の枝村「馬瀬」と九鹿(くろく)村の枝村「馬瀬」とで同一集落を形成し、家・耕地とも入り組みあっていたようです。このため、「混ぜ」、すなわち「馬瀬」の地名が起こったとの説があります。ダジャレですやん。こんな由来もあるんですね。

 参考 : 兵庫県の地名(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店) 

2009/05/12のBlog
[ 15:49 ] [ 久斗山(新温泉町) ]
今日は、新温泉町の久斗山(くとやま)について書きます! 

 久斗山集落は、新温泉町の東部、香美町との町境に位置し、久斗川最上流の山間集落です。久斗山という名の山(標高650m)もあります。

 地名の由来はよく分かりません...。新温泉町は、平安中期には、温泉、八太、熊野、刀岐、陽口、久斗、二方、田公、大庭の九郷に分かれていたとされています。久斗という名称はこのころからあったんですね。
 鎌倉期~戦国期にかけては、久斗荘という荘園だったようです。江戸時代には豊富な木材資源を背景に、鉄穴流し(かんながし:風化して砂のようになった花崗岩を川の上流からながし、砂それぞれの成分の差による比重差を利用し、砂鉄を取り出す工法)やタタラ(鉄を作るところ)が盛んだったようです。

 氏神は「大杉神社」。境内には樹齢700年と言われるオオヒノキがあり、県指定天然記念物。この大木の根元に古丹波の壺を埋めて濁酒が仕込まれています。地元では万年酒と呼ばれ、秋祭り(10/1)の時に神前に捧げ、豊凶を占います。直会式(なおあいしき)と呼ばれ、全国的にも少ない神事のようです。

 参考 : 兵庫県の地名(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店) 

2009/05/08のBlog
[ 15:44 ] [ 生田(淡路市) ]
ゴールデンウィーク、淡路市のモデル集落、「長沢」と「生田」が、宝塚市と尼崎市での地場産品の出張販売に行きました。

 元気作戦の取り組みに関心を持たれた「ASUネット」さんのご紹介により実現しました。ASUネットさんが長沢集落を訪問されたことがきっかけです。
 
 5/2は、宝塚市長谷の「長谷牡丹園 牡丹と芍薬まつり」に、長沢集落から6名の方が参加されました。
体験農園をされている方との出会いもあったようで、今後の村づくりのヒントになったのではないでしょうか。

5/6には、「尼崎青年会議所50周年記念事業 あまてらす2009」に、長沢集落から3名、生田集落から2名の方が参加されました。
キャベツなどの青野菜はすぐに売れてしまったようです。

 自然とこのような動きが出てき始めました。だんだんと顔の見える関係ができつつあります!!

2009/05/07のBlog
ご無沙汰しました。GWはブログもお休みさせていただいてました。今日から復活しま~す! 「小規模集落元気作戦」のホットな情報を発信していきま~す。

 先日のブログでもお知らせしましたとおり、ご存じ「薬王寺(豊岡市但東町)」で、5/3(日)に大生部兵主神社春の大祭(天王さんまつり)が開催されました。

もちまき、金魚すくい、中学生の巫女による浦安の舞、練り込み太鼓などの催しも行われました。
舞を踊る女の子は地元にはいないので、出石から出張で来てもらっているようです。
 続けるのは大変なことだと思いますが、先祖代々続いてきたことを急にやめるわけにもいかんでしょうねぇ。

これからも是非続けていただきたいと思います。
お疲れ様でした!
練り込み太鼓


こちらも見てくださいね。お祭りの模様が掲載されています。
ブログ江笠山 (管理者は薬王寺の区長さん)
高橋振興対策協議会ブログ

2009/04/30のBlog
[ 14:58 ] [ 薬王寺(豊岡市) ]
ご存じ「薬王寺」で、5/3(日)に大生部兵主神社(場所)春の大祭(天王さんまつり)が開催されます。

 但東町の春を告げるこのお祭り。もちまき、浦安の舞、練り込み太鼓など催しも多彩です。山の緑も豊かになってきました。GWはどこに行っても込みますよ。

薬王寺でほっこりしてみませんか?

 近所には、「旬のさと のぼりお」もあります。地元で採れた野菜なんかも買って買って!

こちらのリンク先には関連情報が載っています。
高橋振興対策協議会ブログ
ブログ江笠山(薬王寺の住民さんが管理者です!)
但馬情報特急

同神社からふと空を撮してみました。なんかいい感じ!
2009/04/28のBlog
[ 14:56 ] [ 熊波(香美町) ]
熊波集落は、香美町の西部、矢田川の支流熊波川の中流域に位置し、国道9号線春来トンネル南から西に入ってすぐのところにあります。

 地名の由来は、「隈並」の当て字とされ、川の隅に集落が並んでいたことによると思われます。わたしゃ、てっきり「熊」に関係するんだと思ってました。

 記録には、室町時代、因幡国岩井庄(現鳥取県岩美町)の田地の売主として「いそう(射添)庄熊波入ゑ八郎左門」とあります。そのころから既に「熊波」だったんですね~。

 天文年中(1532~55)、北信濃の戦国大名「村上義清」の浪士溝口出羽政国と従者の諏訪源内は、宿梛神と諏訪大神を奉じて当地に住み、これらの諸神を大平神社に併祀したとのこと。
 熊波に「諏訪さん」が多いことと何か関係があるのかもしれませんね。

 大平神社では、現在でも10/9にお祭りが行われています。人が集まりにくいため、第○日曜とか決めて祭りをしているところが多いですが、毎年10/9に固定して伝統を守ってらっしゃるのは、すばらしいことだと思います。

 参考 : 兵庫県の地名(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店) 

2009/04/27のBlog
[ 14:53 ] [ 実山(香美町) ]
今日は、香美町の実山(さねやま)について書きます!

 実山集落は、香美町小代区の中心近くに位置し、背後を山林に囲まれた山間集落です。

 但馬国知高帳では「真山村」とあり、130石。地名の由来は、よく分かりません。でも、「真の山」の中にあるといったところでしょうか。

 元和元年(1615)の大阪の陣には、村岡藩の池田日向守清由が山名宗全の代わりに出陣。旗持ちとして実山の牧野新八を召し連れたとのこと。
 また、江戸時代には、実山の井上家は「小代」の大庄屋となっています。そういえば、実山には「井上さん」が多いですわ。

 近年では、実山宮ノ前に室町期前期の役所跡なども発掘され、往古より小代の中心となる村であったと思われます。内倉山は朝倉高清の伝説(※)でも有名ですが、近年、実山の人たちで内倉洞内に鎌倉時代を偲んで祠が祀られたそうです。

※ 源平の争乱で朝倉(養父市八鹿町)の居館を捨てた朝倉高清主従が実山に流れ来り、内倉と称する岩窟の洞穴に潜居したと伝えられています。

 参考 : 兵庫県の地名(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店)

2009/04/23のBlog
[ 23:10 ] [ その他 ]
今日は、小規模集落行脚の旅でした。

 姫路→朝来市→宍粟一宮町→香美町村岡→新温泉町→豊岡市竹野町→朝来市山東町→丹波市(氷上)→姫路。

 ふ~。400㎞は走ったんじゃないでしょうか。ちゃんと計っとけばよかった。でも、それほど疲れませんでした。カーナビってやつを最近買いましてね、ありゃ便利ですわ。山奥でもちゃんと連れて行ってくれる(ちょっとツメが甘いけど)。

 明日は多可町と朝来市です。また、明日も頑張ります。

 小学生の日記みたいなブログになっちゃいましたが、今日はおやすみなさい。

2009/04/22のBlog
今日は、朝来市の黒川(くろかわ)について書きます! 

黒川集落は、生野銀山から約10㎞、三方を標高700m以上の山々に囲まれ、市川の上流に位置します。

 地名の由来は、川の両岸から大木が枝を伸ばして昼も暗い幽谷で、岩盤が水垢で黒ずみ、水面が黒く見えることによるんですって。黒い川なんですね~。おもしろい~。

 「小右記」寛仁三年(1019)一二月九日条に「但馬黒河園等可充内供良円」とあるようです。平安時代から黒川(字は違うけど)っ呼ばれてたんですね。

 鎌倉期には荘園、江戸期には幕府領でした。生野より丹波・但馬方面との交流が頻繁で、文化的影響も大きかったとのこと。産業は農業が主流でしたが、農作は自給の域を出ず、林業も広大な山地を抱えながら、交通が不便なため発展せず、そのような中で製炭・飼牛・狩猟等が盛んでした。木炭は「黒川炭」として評価が高かったようです。

明治7年に奥銀谷小学校の支校が開校。のちの黒川小中学校。昭和60年、統合廃校となりました。現在は「日本ハンザキ研究所」(オオサンショウウオの研究施設)。
 また、昭和49年には黒川ダムが完成。生野奥地観光の中心となりました。

 参考 : 兵庫県の地名ⅠⅡ(平凡社)
 角川日本地名大辞典「28 兵庫県」(角川書店)