性教育バッシングが言われて久しいですが、たぶん、世間ではバッシングがあったことさえも記憶のかなたなのでしょうか。
学校だけでなく、社会内の公的機関でも、性教育だけでなく、「ジェンダー」「セクシュアリティ」「性の健康・権利」などの啓発に対して、ここ数年、激しいバッシングがあり、危険思想として弾圧され、男女共同参画政策の予算も年々削減されていると聞いています。

幸いなことに、キララには、非難・中傷は、これまでただの一度も届いたことがありません。
「幸い」といっていいのか・・・業界内の混乱ぶりや先人の方々が個人的に中傷を受けているのを見ていますので、心を痛めていたのは私も同じです。キララの性質上、非難・中傷の的にならなかっただけというのもありますが、それ以上に、地域の皆さんに守っていただいていたのが何より大きいです。それについては、本当にありがたく、感謝の言葉もないくらいです。

ここ数年、とにもかくにも、業界内の混乱ぶりは相当なものでした。
「踏み絵」があちらこちらにあり、露骨な弾圧が繰り広げられていました。そのさなかにいるたくさんの仲間や学校現場から、キララに悲鳴が届いていました。

ところが、昨年あたりから、少しずつ変化を感じています。
風向きが変わってきているようです。
政権が交代したのも大きな影響があるのでしょうが、どうやらそれだけではないようです。
「『バッシング』にひるんでいる場合じゃない!」という声を、よく耳にするようになりました。子ども・家庭が危険にさらされているのに、何も手を施さないことに、もう我慢ならないという人が、一人また一人と立ち上がってきているような感じを受けるのです。

キララにも、講師依頼が入ってきますが、その依頼の内容にこれまでと違いがあります。これまでは、どのテーマであれ、基礎知識を学習できるような、つまりは一般ウケするような内容の依頼が多かったのですが、昨年あたりから、具体的に踏みこんだ内容を依頼されるようになったのです。
たとえば、「性暴力(DV・セクハラ含む)」については、これまでは「予防」という観点が中心でしたが、今は「対応」を重点にした話の要請へと変化している、といった具合です。
それはどういうことを意味するかと言うと、性暴力を「対岸の火事」から、「自分の問題」として捉えるようになってきたということです。
天の声に恐れおののいていたら、足元が危なくなっていた、ということなのでしょうか・・・。

それだけ、「性暴力」が身近になりつつあるということの表れなので、喜んでいられる状態ではないのは言うまでもありません。ことはより深刻になりつつあります。

今、子ども・家庭にどんなことが起こっているのか、どんな問題が取り巻いているのか、次回以降、報道より拾っていきたいと思います。