昨日の活動でまた大きなものを気付かせてもらいました。

自分の存在って何だろうか?コーチって?指導者って?人と人の繋がりって?・・・

そんな事を一晩中考える中で一つの答えを自分なりに見つけました。正解を求めたものではなく、自分自身で出した答えである事に意味があると思っています。優しいを勘違いしないように!!!甘やかす事ではないという事。寄り添うという行為は先に手助けするものではないという事。人を空気として扱わない事。そんな事をしっかり整理し、今日も最初に大切な話をしました。

夏の集大成となる高円宮杯では何を目的にした戦いをしないといけないのか?目先の勝敗ではなく、各自が自分の中で戦えているのかどうか?ベンチで満足?心からスタメンを応援している?出来る?その為にはどうすればいい?そんな話をしました。

うちは確実に甘いよ、という基準の話。

今日、目の前で【必死にやってみて!】という言葉に反応してがんばってくれた1対1は【守備対守備】でした。意味が伝わりにくいかも知れませんが、彼等の中にある【失いたくない本能】がある限り、チャレンジもなければ殻を破る事もなければ、壁を乗り越える事も出来ないという話をしました。

そこからはかなり厳しい言葉も含めて目の色を変えて勝負をしてもらいました!明らかに変化はしたけど、スイッチを押したのはコーチだったよね?だから今日の変化は各自の成果ではないという事をまず認識してほしい。そして、そのスイッチを自分で押さないといけない事も理解してほしい。

このメンバーはこれまでの経験の中で【がんばりました】はあるけれど、【必死】になった事はないという事なんです。

だから基準値を高める為には仲間の力が必要であり、周りの助けが必要になってくる。

一人では越えられないけど、背中を押されればがんばれる子はいる。今はこうやって少しずつ自分の中にある基準を一旦壊し、越える経験をするしかない。その経験を持って【自分一人でも必死になれる】という基準を持てないと戦えないという事。

チームとして戦うスポーツだとしても、中でやる一人一人の判断の延長に勝利や勝敗が決まってくる。

最後のゲームでも、自分の【ちょっとした】と思っているミス一つで仲間を苦しめる状況が生まれる。それらを助け合うのもまたこのスポーツの特徴でもあるけれど、ずっと助けられる基準の中にいるとその事すら当たり前だと勘違いをする。

自分が身体を張り、心を張り、仲間の為に力になる経験をしないと少年から男にはなれない。1年生はまだまだ甘えてばかりで自分からの意思表示はあっても、仲間を助ける、指示をする勇気も責任もない。

がんばっている事は認めるが、必死になる経験をこの夏には求めたい。

実際に、自分の中で【これ以上ないがんばりをしたつもり】でも、隣を見ればもっとすごい2,3年生がいる事は練習中でも簡単に分かる話。基準をその2,3年生のほうへ向けられるかどうか?が自分の成長に繋がる。いつまでも【僕なりに・・・】では前には進めない。

この夏に一つ殻を破ってほしい。

少年から男になる兆しが見えれば涼しくなる秋に成果は出てくる。今が一番きついだろうけど、こういう一つ一つを逃げずに向き合ってほしい。何度も言うが、弱い事は構わないが、卑怯にだけはならないでほしい。

一歩踏み出せる夏にしよう!!本気の集団になろう!