今日はナイター練習でファルコとエリート塾の練習でした!!

その前にはスクールをやりましたが、そこでも小学3年生達と気持ちをぶつけ合ったし、真剣に向き合えば必ず伝わる事も分かっています。大人の欲や感情ではなく、相手を想う気持ちを持って真剣に向き合えば・・・です。

そしてナイター練習では小学5,6年生と中学生達。身体は大きくなっても心まで同じように成長しているとは限りません。身体も、心も、【乗り越えた経験】というものが強くさせるからです。いくら【どんな苦しい事があっても。。。】なんて言えても本当にそんな事も耐えられるか?となれば口だけの人は無理です。でも、経験を持って乗り越えた事実のある人間は実際に耐えられるはずです。言葉の一人歩き・・・現場で実感しています。

子供達はすでに【家庭】にて習慣がほぼ決まっています。親の何気ない言葉や行動によって、子供達の意思の大半は決定されていると言って良いでしょう。

その事を自覚している親の行動や言動には当然責任が伴い、子供もまたそれを反映するかのように周りに対してそういう振る舞いをします。ですが、反対も当然起きる訳です。自覚のない親の行動と言動にも当然子供は反映します。都合の良い時だけ【子供の判断なので・・・】になる。そして親の言う事を聞かなければ【反抗期】と決められる。

その時点ですでに子供にとっては不利な状況ですよね?反抗期があるならば、大人の【やたらと怒る期】とかあるのでしょうか???とか思う今日このごろ・・・。

そういう中で育った事により、対話がほとんど出来ない子供が多くなった印象です。

【自らの意思、意見が尊重されていない】

からです。だから、気持ちや想いを聞いても【別に・・・】とかそんな言葉が増えるのです。関わるべき時にしっかりと関わるという事がいかに大切か?ある小学校の1年生の教室をフト思い出しました。。。

【はい!○○さんと同じです】
【いいえ!わたしは○○さんとはちがいます】

と、【言い方】まで指定されている掲示物がありました。そうやって【大人の決めた言い方】をさせる、させようとするからその習慣が数年もすれば子供だって馬鹿じゃないから、【こうやって言えばあなたは納得、満足するんでしょ?】と言わんばかりに綺麗な言葉、綺麗な作文を書いてしまうという結果。

本人の意思というものが最優先されていない事が【育てる】という事において一番真逆の進み方だと思う。

良かれと思って言う言葉、伝える事、教える事が全て【育たない】事になる事を考えた事はあるでしょうか???

と!こういう文章も含め、【是非とも一度読んでみてください】と思う人ほど読まないし、読んでくださる方ほど【こんな事は言う必要などない人】である事も最近痛感させられています。

今、目の前の子供達は毎日色々な事に悩み、考え、苦労をしているのです。その一つ一つを【成長の最中】と思えていますか???

自分は今、現場でこの覚悟を持って取り組めています。

だから、その子にとって今はきついような話もするだろうし、考えさせて、悩ませてする事だってあります。でもね、成長に寄り添うってそういう事なんだと思うのです。

ちょっと考えている時に、すぐに答えを言ったりヒントを与えたりするのは寄り添ってなんかいないのです。大人の都合の良い方向へ持って行ってるだけ!その場でジックリ時間を掛けてでも、自らの足で一歩を踏み出す覚悟を子【主人公】に持たせない限り前進はありません。

そういう意味で、停滞している小学生、中学生、本当に多いです。まだ場所や環境のせいにしますか???

目の前の自分が見えている子供の姿こそが【現実】であり全てです。誰かのせいではなく、自分自身が見直す時なんだと思います。もちろん私自身も含めて、です。