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2041/06/16のBlog
第49回 中国断酒ブロック(広島)大会
長尾澄雄院長先生(呉みどりヶ丘病院)の講演「内観について」その1
主管:広島県断酒連合会 
於:上野学園ホール
平成26年4月6日(日)
PDFにて閲覧プリントできます。

ご紹介に預かりました、長尾でございます。
本日は第49回中国断酒ブロック広島大会、沢山の方にお会い出来、少し喋れという事で上がっておりますが暫くの間お付き合いをお願いしたいと思います。

えーと、先程の話にもありましたように昨年末にはアルコール健康障害対策基本法とかいう長たどしい法律が国会の方を通りまして成立し。
まあ聞く処によりますと、これの肉付けを今からやっていかないかんと。
それの肉付けも上手くいかなきゃ案外、その大変な事になるかも解らんという事のようでございます。
皆さん方の検討をお願いしたいと思いますし・・・。
そこでアルコール依存と今ではそういう言い方をしておりますけれども。
昔はアルコール中毒という呼び方をしていたわけでございますが、現在でもこれが果たして、あのうこの病気の実態いうものが人にはっきり理解されているか?
考えてみました場合にあんまりこの病気の実態を知っている人が非常に少ないわけでございます。

まあ、私は医者になります前に、アルコール中毒というのを・・・まあ、授業をちょいちょいサボっておりましたんで、その間にあったのかもしれませんが、あんまり診て習った記憶が無いわけですね。
現在でもそんなもんでないかと思うんですよねえ。
だから医者が一番ねえ、この実態を良く知っておりませんな。
それから、まあ一般の人と。
それからその中間にアルコール依存症の方本人という事。
あんまりこの病気の事を知って無いと言えるかと思うわけです。
一昔前迄は先生が一所懸命になってくれても、性格やからね治りゃせんと。
いらん事しんさんなと忠告してくれる患者さんもおりましたけれども。
最近あんまり聞かなくなりましたがねえ。
まだ一般の認識はそういうもんでないかと思うんですね。
しかし、私も精神科の医者としてはちょっと片輪(かたわ)でございます。
アルコールに偏ったあれで五十何年間か来ておるわけでございますが。だからといって他の精神病を知らないわけでもないと思うんですけれども。えー、それは、まあアルコール依存というものに対する認識は五十数年前と私自身はかなり現在変わって来ておるわけですねえ。

どう変わって来ているかと言えば、これはもう治らない病気じゃないんだと。
治らない、治せないのは医者の野暮なんだというねえ。
これ、あのうアルコール中毒というのは人工的にねえモルモットの実験なんかでも作り出す事が出来ますけどね。
慢性中毒や。

しかし、アルコール依存というのはねえ、これはあのうこんな人工的にねえ、一所懸命、酒飲ましたら誰しもなるもんじゃないわけで。
結局これは心の問題だと。それが決して病的な心を最初から持っていたわけでは無いんだというような事が言えると思うんですねえ。
もう以前はその病的な性格というようなものが問題になっていた。
どういう性格か言えば、人間としての状性言いますかね。

こういう事やれば迷惑だとか、或いは倫理観、道徳心の欠けた人がアルコール中毒という風になるんだという考え方に一般的になっていたんですね。
それでアルコール中毒というあれ、これは果たしてどういうあれか?と、病気か?性格異常か?とやるとこれは病気じゃない。性格異常だと。

だから一所懸命手を尽くしても治らんと。
こういう風な言い方する精神科の医者が殆どだったと。
一昔前まではね。
ある種の・・・それでその性格的な問題いうのは精神病質、生まれつきの性格のねえ、陰陽性の為に問題がある為に上手く社会に適用出来なくてねえ。
社会を非常に悩ますとか。自分自身が悩むとか。
こういうのは精神病です。
生れ付きのものだというようなねえ。

これもドイツ流の考え方で、そういうのが蔓延(はびこ)ってた。アルコール依存、アルコール中毒の患者いうのは殆ど精神病質者だとか、こういうな言い方をしてたわけですねえ。
しかし、これがだから治らんのだというに決め付けていたわけですけれども。
治る人が出て来たわけですねえ。
ご存知のようにA.Aの創始者のあの二人さん。
そうすっと医者が泡食っとる。治らん言よったのに治るんが出てきたらねえ。
それは根本的にこう直さないかんと。こういう事になって泡食って来たというのが。
それでもアルコール依存っていうのがねえ。


・・・アルコール依存というより前に、薬物依存いうのもあったわけですわねえ。
薬物いうのは麻薬であるとか、覚醒剤であるとか、或いはシンナー、まあ今日日の薬物ですね

。睡眠薬とか安定剤とか、こういう風な鎮痛剤と、ノーシンとかセデスとかね。
ああいう類(たぐい)の・・・こういうものを吸引する。
こういうのがあって、こういうのを薬物依存と。
そういうのを総称してね言ってたわけですけれども。
この中にアルコールも後で加えて貰ったと。それで依存というものの中に加えられたとこういう事ですわ。
依存いうのはその薬の効果と、それからもう一つはその薬の効果を味わいたいという人間がおりましてね、その両方の気持ちをマッチとしましてねえ。
必要以上にそいつを用いるとか。
或いは用いちゃいかんの解っとりながらに使わざるを得ないと。
そういう風なものを薬物依存というとる。そのうちにその薬の効能と飲んだら気持ち良くなるとかね、あのう目の前がバラ色になるとか、こういう風な気持ちになれるとかいうような。そういう風になるからその苦しみを忘れる為にそいつを用いざるを得ないという、こういう風なのを急吸?中毒というんですねえ。

その薬を使ったが為にそういう効果が出てくると。
中には薬がもうねえ用いなくなっても具合が悪いと。こういうのが・・・まあ中に居るんね。特に麻薬中毒とか、マリファナ、ヘロイン、モルヒネ、これアフガニスタンとかね、その辺が原産地でございますが。そういう風な麻酔中毒になって来ると、モルヒネいうのは鎮痛剤ですわねえ。今でも癌の末期の患者さんなんかにどの薬を使っても効果が無いっていう場合にはモルヒネを使ってねえ、痛みを和らげてますけど。
これの麻薬のモルヒネ中毒っていうのは痛いから使うっていう人はいないんですねえ。所謂、禁断症状と。そいつが薬を使わないと非常に調子が悪いと。

こう辛い状態になって来るのを紛らわすという事で使わずにおれんという事でね。これが今日日の薬物中毒の中に全部あるんですよねえ、睡眠薬とか安定剤とか。
これ皆禁断症状です。身体が中毒起こしている。
まあセデス中毒だとかね。セデスを用いないと気分がイライラ、イライラして落ち着きが無いと。
そいつを飲んだら頭が痛いのが治るんじゃなしに、気分がすっきりしてシャンシャン仕事が出来るとかこういう状態ですよね。

これが切れて来ると物凄く体がだるくてねえ、これと同じような症状がアルコールに診られるんでねえ。
そういう狭い意味での薬物に似た状態を起こしてくるから、こいつを一色単にしようというてねえ。
今日日の薬物依存の中にアルコール依存という格好になってくる。
ご存知のように、このアルコールの前には禁断症状いうのが出てきますわねえ。
ああ、使わないようにする。夜が眠れない。
気持ちがすっきりしない。

それから世の中が全部ボォーとしてね。
こう気持ちの何かやろうかいう事がはっきり出来ないと。
まあ、キッチンドリンカーの奥さん方は朝起きても何にも手に付かんと。
これで一杯飲んだら、非常にテキパキと仕事が出来ると。
掃除も出来るし、買い物にも行けるしねえ。洗濯も出来るし、と。
それで酒が切れて来ると又だるくなって、どうにもならなくなって又手を出すと。

夕方旦那さんが帰って来る時には、あのう鼻から提灯出して大の字になって寝ていると。やはりこういうのがやっぱりアルコールによる禁断症状。身体的な症状ですね。
こういうのがまあアルコールには起こって来ると。
特に女性の場合は男性よりも早くそういう症状が起こると。
こういうのが言われている。

でえ、アルコール・・・今日日の薬物の場合にはこいつの酷い症状いうのがねえ、癲癇を起こす。
引付を起こすとか。それから、聞こえもしない声が聞こえて来るとか。或いは最終的にはその姿とか。
ああ、自分を雁字搦(がんじがら)めに縛られてね、火葬場の籠の中に入れられたと。まあ、まさに今火を付けられそうになる、そういう状況異常に置かれている。
そういう症状が出て来るっていうのが一番最終的なねえ、あのう禁断症状なんですねえ。
誰でも起こって来るっていうのが最近では解って来た。
この禁断症状っていうのは昔はアルコール精神病って言っておりましたけれども、現在では禁断症状である。
皆起って来るんだ、そういう症状はねえ。
最近唯一起らんのは同じ類(たぐい)の薬という事でアルコールに似通った薬、安定剤。
特にバランスっていう奴が良く売ってますがねえ。
それから、アルコール依存症いうものからバランス中毒に一時なっちゃうと。
・・・それで禁断症状が出てくるのを予防するいう事も出来ると思いますけれども。

まあ、最近でもその内科辺りへ入院しとりますとねえ、大抵あのう、癲癇発作を起こして高血圧やなかろうか?
脳腫瘍じゃなかろうか?何じゃかんじゃいうて色々検査しとるうちに、まあせん妄状態([意]意識混濁に加えて幻覚や錯覚が見られるような 状態)で暴れ出す。
ああ、病院の窓から飛び出そうとするとかね。
他の患者さんのベッドへ入り込むとかね。色んな事で難儀するようなケースが出てくる。
これはアルコールだったんだと理解出来る場合が出て来るんですけれども。そういうのが今でも一般病院に入院したりしますとそういう症状を起こしてくる。これはやっぱり禁断症状ですねえ。
一旦酒を切って再飲酒したりしますとそういう症状が出てくる。
こういう風に今はなって来とるわけです。
まあこういう風にありもしない全く非現実的な状態が起こって来ると。
酒飲んだ時の方が、又薬飲んだ時の方が真面にねえ、精神的に安定している。
こういう状態、こういうのが起こってくる。これがアルコールの特徴なんですねえ。
そういうので所謂、禁断症状いうのがこの場合には麻薬のようにねえ活発に起こって来ないようなんですけれども。
アルコールの場合には非常にバラエティに富んでおる。
こういう事があるわけです。
しかし、それが誰しも出てくると。そういう事になっておると。
・・・何でそんなにねえなるまで飲むんか?という。
まあ所謂精神依存、精神的にやり切れんから酒を用いらなければならん。
こういうんがあるんですねえ。
そうなって飲んでやると言えば結局普通の人間でもねえ、面白くない時やけ酒を飲む。こういう時は殆どの人が体験を持っております。

酒にそういう効能があるから酒飲むわけでねえ。
そういう効果が無ければノンアルコールいうんを飲むんと一緒やからねえ。
酔うのが目的で飲む人がノンアルコール飲んでおる。これはしょうがないと。
ただおかずをねえ、ちょっと食べるのにいきなりご飯を食べたんじゃあ、生き辛いから。そのお、おかずを食べるのに酒を飲んでたというのが所謂晩酌ですな。

そういう飲み方の人はノンアルコールの方がある程度効果があるか解らん。
ただの氷水飲むよりかはちいとはそれらしい気になれるとあるかと思うんですけれども。酔うのが目的で飲むという人が方法が無いねえ。
返って味も何もない方が呼び水になりましてねえ。
又やってしまう事になる。
そういうのがあるんですね。
それで酔うという効果が無ければこれムキになるわけ。
何で酔いたいか?いえば嬉しいから酔いたいというのは少ないですなあ。

大抵面白くないから酔いたい。忘れたい時、こういうのが多いんで。
こういうになる前が多いんですねえ。
これで動物実験でアルコール中毒を作り出す事は出来る。
モルモットとかマウスとかねえ。
・・・中毒症状を引き起こしてきます。これは離脱症状とか身体症状とかそういうものを引き起こしてくるけれども。
或いは自分から勧んで酒を飲むという事は絶対に無いわね。
アルコール依存いうんはやっぱり本人の心と、依存いうのにはこいつを用いたいという片一方の要求とこういうものが必要なんですわねえ。
中毒いうのは中毒症状を起こす薬だけを飲む。
それに一方的に責任を負わせておるようですけれども。
依存いうのはそういう薬のそういう症状とその薬の効果を味わいたいという人間の気持ちというものが合致致しまして両方に責任があるとこう言われていますよねえ。
普通人間いうのは自分に損になると。

これはどっちがプラスにならんと思うと改めるのが普通ですわね。
それから「酒を飲んでメタボリック・シンドロームだったかな、或いは腎臓、肝臓が悪いですよとか心臓に問題がありますよ。」
とか言われますと「酒を控えなさいと。」
言われると酒を控える人の方がまあ殆どだと思うんですけれども。でも、酒止められない。これがちょっと問題だと言うんですね。

こういう風に自分にとってプラスにならないと解っているのにそいつを適当な量に控えるとか止めるとかが出来ないとかが依存の一つのあれになるわけですね。
これ何で出来ないかと言えば、どうも私はその良心の呵責に責められているんだろうと。
本質的な問題では人間的な苦しさモロに味わっとるからね。
そいつを忘れたいから飲まないかんというのが依存だと。
普通の呑み助いうのはちょっと飲んだ方が気持ちが楽になるからだろうと。

飲む事によって自分が損するいうんだったら止めると。こういうのが普通ですね。
そこが違うと。何でそんなに辛いかと言えばね、まああのう自分の生き様いうものによって立場いうのが非常に辛いになっていると。
こういうなのが目の前にあるという事がいえるかと。
それ以外なのが酒だと。
こういうなのが言えると思うんですね。それでえ、あのう内科医というのは己主導であると。

己いうのは自分で良く解ってるように皆思ってるんですけれども。
自惚れているんですけれど、実際は良く解っていないと。
自分自身。こういう方が多いわけです。
でえ、この自分、「ワシが、ワシが・・・。」いう姿勢ね。こういうものが我々を悩ます元なんだというね。
こういう方は何か御釈迦さんが言っているらしいですね。
「人の一生又苦であれ。」これは楽しいから苦で無いんでね。
思い通りにいかんから苦しい。
苦しいのは何であるか?自己中心的な姿勢と。
「ワシが、ワシが。」という姿勢。自分の利益を求めようと。

そいつが求められない。これが早く言えば「人が死んでも自分だけ死にたくない。」
って言ったっていずれ死なないといけないね。
「ああいう憎たらしい人間と会いたくない。」
言うたって会わんといかんとかね。
それから「別れたくない親子である。」
とか「妻子」とかね。これも別れないかん。
これらも自分の思い通りにいかんのが人生なんですがね。

そいついかんから飲むいうんじゃこれどうしようもないですわね。無い物ねだりばっかりしとったら悩みばっかり起こってくる。
ね。これが自分の願い事を叶えて貰いたいいう邪(よこし)まな気持ちと。
こういうのもが根にあるからだという。これ無くすのにどうしたらええか?
そういう気持ちは無い。出来ないものは出来ないと割り切れる気持ちになればいいわけですねえ。そういう風に苦しみの元いうのは自分の過信であると。

こういう苦しみを無くすにはどうしたらええか?これは「出来ないものは出来ない。」
言うんですわねえ。
これは「自分の思い通りに人が動いてくれん。」と。
言うたってそれは相手の立場いうのもを考えてみなければいけないしねえ。
それから、それをまあ客観的に見て合い入れられるものであるか?どうであるか?よしんば自分が正しい事を言っても、といつを理解してくれない相手がいたとしましても、これはまあ相手の人がこういうのを理解出来ないのを哀れんでとかね。
気の毒に思うとか。
そういう人に対して、むしろ自分の方に問題があったんだという考え方をすれば腹が立たんだろうねえ。

言う事聞いてもらえんでも。そういう風に姿勢を返る事が大事なんだという、こういう事をまあ言っておるんですねえ。
続きその2へ
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2041/05/16のBlog
第49回 中国断酒ブロック(広島)大会
長尾澄雄院長先生(呉みどりヶ丘病院)の講演「内観について」その2
主管:広島県断酒連合会 
於:上野学園ホール
平成26年4月6日(日)
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これがまあ世の中、今現在非常にこうあれに
なって来ております。
人間社会のねえ、ややこしいなってきている。
特に国同士のあれでもねえ、国際連盟か連合か、あれもねえ国連の言う事であれ(しよったら、国連の中に「駄目じゃ。」
言よる奴おるんだから。

どうにもならないそういうような状況になっておりますわねえ。これ日本はその中でもアメリカに次いで沢山の委託金を払っておくと。
それなのにええ目にあわされとると。こういう事考えたら腹立つけどねえ。
「まあ、腹立ててもしょうがないから。相手も解らんのじゃから。」そういう気持ちでねえ。相手も許してやるいう気持ちになれば腹も立たんという。
まあそういう国同士なんですけれども、国家の問題もそういう事なんですねえ。

だから、相手の立場に立って自分のやっている事を考えてみると。
そうするとやっぱり無理強いをしとったと、自分の方に。
いうのがあればどうすればいいか?と。
自分のそういうあれを引っ込めてねえ、無い物ねだりしなくなりゃ、怒ったりする事が無くなってくるわけですな。
そういう風に物事を考える事を変える事が大事なんだと。こういう事を言っておる。
別に難しい事を言っておるわけでは無いわけですなあ。
そうすれば悩みは無くなってくると。
こういうな言葉を御釈迦さんは言ったらしいですわね。
それだけ言ったんでは芸が無いから、次々後から出て来た連中が理由付けをやっておると。
まあ、凄く当たり前の事を言っておるという事ですねえ。

だから、物事は何事もねえ、これで絶対的ないう事は無いんだと。
この世の中には一つあれしたら、そいつが優れていつまで経ってもそれがそのままであるという事は無い。
ね。これが矛盾いう事らしいですね。
常にあるとは限らないと。
常に移り変わっていくんだと。
そういう風な。
それをまあ常にあると思い違いをしとるから、色々苦しい事が起こって来るんだという風に思うんですけれども。まああのう対、北の人間との関係におきましてもね、根本的な事は理解できておる。

自分が自分の役割をしっかりと果してないと。
いう事よりかはその反発を食らいますわな。
そりゃ反発食って皆に相手にされなくなったら寂しくなる。
孤立して孤独になる。
これは辛いと。
それからアルコール依存の人というのはねえ、やっぱりそういう風に悩みいうのを酒でごまかしよったと。
最初はそれで良かったかも解らんけども、そいつをやりよると、とどのつまり全く酒飲んだ結果がどうひいき目に見てもね、自分の役割をしっかりと果してないと責任を果たしてないという結果になる。
責任預けられた人間はね、慕うてくれる人間がいませんわな。

特に我が子であっても、所謂酒ばっかり飲んで働きもせずにお母さんが働いている。「酒飲んで大きな事ばっかり言よる。もう嫌いじゃ。」
思う方が当たり前ですわな。
こういう風に子供がそういう風に思わざるを得ないと。したい事が出来ないような状況にやっといて。
子供が慕うてくれんから、私は寂しいと。うちの女房はじっとおると。家ん中じゃ孤立さしとると。
職場じゃあしょっちゅう酒で穴開けるから皆から避けられて来たんですねえ。
仕事場には皆に差別されてねえ。
家の中では孤立して。「ワシは可哀想な。」いうようになりますわなあ。ある意味見れば。

その可哀想な自分を癒すために酒を飲んでいく。本人にとっては別になっていくんでしょうけど。
しかし、第三者の目から見たら「そうなるんはあんたがやっとる事じゃない。
そういう風になるように自分が仕向けとるんじゃない。
これで寂しがっとる言うたってどうしようも無い。」ね。

そんな事よりゃあ、親を尊敬しなけりゃいけない子供の立場が親を尊敬できないと。「死んでしまえ。」と言わなければならない子供の気持ちを感じて、これは申し訳ないいう気持ちになれるだろう。
これは一般に言えますよね。
そういう風に思い方を変えればねえ、結局腹が立たんのですよね。「済まんかった。」いう気持ちになりますよね。

そういう己を知る方法と。
正しい己のあるべき姿を知る方法いうのがねえ。
そうすると苦しい事が無くなってくるというような当たり前の事を言っているわけですねえ。
これが最近鬱病が増えて来た。
これで私等の所へ入院してくる患者さん、大抵何かねえクリニックいう所に行っとりますわ。
それで鬱病、それからようけもろうとる。
アルコールの事を言わんのじゃろうね。
ところがその酒飲んで仕事に行けない朝、「頭がボォーとする。よう右も左の良く解らん。今日どうしたらいいんじゃろうか?」いう様な事を・・・「夜もあんまり眠れんし、重いし。」すると「鬱病。」と言われる。

鬱病じゃない、二日酔いじゃ。そいでその薬貰うて、その薬を酒で一緒に飲みよる。
余計にだるうなって来るんね。
鬱病いうのとね、今ではその鬱病いうのはものの考え方が違うとるという事になって来とるようですがね、最近では。

しかし、それより前にもうアル中の物質が少なくなっているから、そういう薬の出し方して。
・・・特に前頭葉がしっかりと働いて、そこからその神経細胞のねえ、あれさす復活さすような物質を出すこういう事になってございますけれども。
それであのう、それだけでは効果が無いと。今の鬱病というのには精神医療が必要だ。
ものの考え方が改めさす事が大事だという事をねえまことしやかに今頃になって言い出しておるような動きがあるようでございますけれども。
これは当たり前。精神治療が原因になって起って来る精神的な治療。
これを治すには精神的な心の持ち方を変えて行くしかないんですねえ。
だから、鬱病であるとか、色んなノイローゼであるとか、或いは色々こうねえ自分の思いが叶わんから、私の事をあれしてくれんからいうんで八つ当たりしておる連中がいますわな。

ああいう人間の心理とか、それからまあ酒に逃げる事によってその憂さ晴らしをしようとする人達の思いとかいう様なものは、どちらかと言えばそういう心の持ち方に問題があるという事ですよねえ。
酒の結果自分で今陥っている状況いうのを考えてみりゃあ嬉しい人間は無いですわね。
それは辛いと。
情けない。
情けない自分だからまあ人を見ると妬(ねた)みがある。
・・・これからのご存知のように花見シーズンねえ。
見ると頭に来ると。
ワシは我慢しとるのに。これが妬みや怒りやとかね、愚痴とかいうのが三拍子揃いますと自分が苦しいと。
だから妬みやとかね、怒りやとか、愚痴とかが起こって来ないようにする心を持つことが大事なん、こういう事を言われてますねえ。
この妬みとかいうのは自分を中心にしとりますわねえ。
自分がやれんから腹が立ってくる。これ自分中心なん。

しかし、自分のやった事によって相手が受けた状況とか相手の心を考えてみた場合にこれは辛いねえ。頃を知る方法というのを自分のした事として貰った事と迷惑を掛けた事。
これに絞って考えてみたら迷惑を掛けた事が非常に多いと。
これも本当の内科医の・・・まあ殆どはねえ、浄土真宗の坊さんの修行の道は・・・方法はそうでございます。
まあ一人に使われて皆が寄って集(たか)ってねえ、結局、検事が尋問するように「お前が悪かった。
もっとしっかりやれ。
」という事であれするのが行事だそうでございますけれども。

まあ、一般向けにあれして壁に向かってねえ、十時間ぐらいか?一日。
これ一週間とにかく人との接触とかいうのを断つんね。そうしてズゥ-と自分と関係を持った人との関係を調べてみる。
こういう事です。
そうすると最初は「ああしてくれなんだ。こうしてくれなんだ。」
という様な事を思っているけれども、翌々時間がたっぷりあります。
翌々考えてみたら、「ああいう時にこうしてくれた。」とか。
自分が熱出した時に親が、いつも怖いと思っている親父が自分を負ぶってねえ一所懸命に走ってくれ医者に連れて行ったとか、
いう様な事が思い出されてくるという。
そうするとそんな親父を今まではねえ、「あれしとった。」とか「ワシを解ってくれんくそ親父が。」とか思っとったけれども。

そういう罰当たりな自分いうものを解ってくる。「済まんかった。」という感動、感銘というものが湧いて来てね。
それでしっかりと自分を反省して、言ってみれば今回のテーマ「反省、感謝、報恩」ですか?反省する事によって色んな人から受け取った恩に感謝という気持ちも湧いてくると。
こういう報恩の気持ちがねえ、人間豊かに暮らせる唯一の方法であると。
これは昔からね、我々のご先祖様が気付いて言っている事で。
現在の我々にも充分当てはまるんですねえ。
こういうので迷惑を掛けたのをしっかりと振り返ってみよういう事で、これ一般の人間には誰に迷惑掛けたのか?いうのがあるのか解らんが。アルコール依存の人いうのは他の事考えんでもええ。酒飲んでどうだったか?と。迷惑掛けて、職場にも迷惑掛けるし、女房子供にも旦那さんもの迷惑掛けとるし。親にも迷惑掛けるし。

特に子供が一番の被害者やと考えるとねえ、迷惑以外の何物でもないわねえ。
昔、あのうアルコール中毒の人が何だかの拍子に酒止めたと。そうすると2、3か月すると・・・ケース多いんやねえ。
自殺してしまう。
何でかと言えばそういう自殺してもしょうがないような、自分なんか死んでしもうたらええんだと人も思うとるし、自分も死んでしもうたらええと思うとるそういう気持ちでおるのをグッと抑えるのには酒飲んで・・・一番手っとり早い方法。
そいつがねえ、もろに真面の頭に自分の頭に降りかかって来ると生きる希望を失ってしまう。
この体験を・・・徹底的にね、何で飲んで倒れるか?自分を自殺する為に飲んで倒れるんですよね。


それから頭がマヒして意識がハッキリせんようになりゃ、死んだんと同じ状態になる。・・・まあ死なんでもいい。それが酒飲むいう様な事になるんでねえ。だから、あのう酒止めていくんにはもろにそれが引っ掛かって来てねえ。

自分のこれまでの罪の深さ。
こんな事ではねえワシの人生は取り返しがつかんという気になってあれしてしまうんだと思うんですよね。
しかしこれはねえ、胆略的なんですよね。
自分が辛いから自分の一生をあれして、その後残された人間の苦労いうのは考えとらんわけ。
・・・後に残された者がどういう風な目に会うかという。
自殺者認知の会とかいうのもある。これはアルコール依存症者の子供の会とかと同じようなもんやね。

そういう風な悪いものを残してやる。
そういう事も起ってくる。これを考えりゃどうすればいいか?もうねえ、全うに生きて行くしかない。
許して貰おうという事は思わんと。
せめて最後は立派に酒止めてね。
頑張ったいう姿勢を残してやる。そういう生き方をせないかんとそういう事に気付くのが大事なんですね。だから、断酒会にしっかり繋がって酒止めていって自殺したいうんはあんまり聞いた事は無いですわ。
私も何人かの人を診とるが、誰もいないでしょう。そういう人はね。いうのは心の持ち方が変わっている
。飲まないでも死なないでも済むような心境になっている。こういう事ですかね。
だから、これはこう人としてね、上手な生き方に目覚めてきたという事が言えるかと思うんですね。

やっぱり、あのう自分の責任で生きていかないといけないという意味をしっかりと自分で気付いていると。
これは迷惑を掛けたそれに対する反省いう目から済まなかったと。それに対して報わないかん。
報恩という気持ちが芽生えてきた。
それから、過去の自分の体験からもたらしとると。だからこういう風にして、今後こうしなければならん、とかね。これからこうしていけば、いう様なね正しい生き様いうものを自分で導き出す事が出来るんだという。
こういう事で総ての人間が反省、感謝してねえ、報恩の気持ちに目覚めるというのが望ましいという事でありますこれを皆さんは実践しているわけでございますよね。

これが酒止めるという同じ方法で皆と同じ方法でやっていく事が出来ると。
それが幸せ以外何物でもない。
だから内科医いうのはしち面倒臭い方法とらなくても、断酒会の会員さんは反省する材料は皆充分持ち合わせているわけで。
まず持って酒を飲んじゃいかんいう所にいる。
・・・これ何でかいやあ、酒飲んで迷惑を掛けて心配かけちゃいかんだろうと。
こういうな気持ち、許して貰える貰えないは別としてねえ、自分でこうしなきゃ気が済まんと。

これ報恩の気持ちに芽生えていくという事ですわねえ。
それに迷惑掛けられた人間がねえ、もう迷惑掛けてくれんから寂しい言うんじゃないんです。
喜んでもらえるねえ。喜んで貰えるならもうちぃっと長生きしてあれしてくれよ。「早よう死ね。」
言よったんがねえ。皆からあれして貰えるようになれば・・・意識になりますわな。
上手な生き方という事になるんですね。

そういうのを実践しているのが皆さんでございまして。
結局はこれをね、一番内部の元いうのは自分の利益だけを求めるという姿勢。
それを無くして、人様の為に尽くすというような気持ちなれれば楽なもんです。
最後はそれを勧めてねえ、これを生甲斐にやる生き方が出来れば一人自分だけ無理せずに今までと同じ様に一所懸命生きていくと。これをやっているのがまさに断酒会ですわなあ。
・・・アルコール飲まんでも鬱病になる患者は沢山おるやろうし。
犯罪者も居るだろうしねえ。そういうものにこう共通のものを満たすとなると・・・そういう勤めに一所懸命になると。そういう事よりも頭の方の・・・所謂マヒというものの進行を抑えておる。

老人性の痴呆というようなもの起って来るのも少なくなると。健康によってね。
なんか下司先生は九十何歳ですか?亡くなったそうでございますけれども。亡くなる前まで仕事をされていたと聞いておりますけれども。
ああいう生き方こそが人間としての究極的なね、要するに望んでる姿じゃないかと思うんですね。それをまさに皆さん実践されているわけで大いにその価値というものを自覚して頂きまして頑張って頂きたいと思います。
終わります。(拍手)
PDFにて閲覧プリントできます
2040/08/15のBlog
東大阪断酒会一日研修会 
豊山宗洋 大阪商業大学教授 の講演
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その1
パワーポイント画像が、下記PDFクリックしていただき閲覧プリントできます。

・こんにちは。大阪商業大学の豊山と言います。今日はお時間を40分位頂けるという事で話をしていきたいと思いますが、今日ここに来てこれだけの人数が沢山いて、それから深い話沢山聞かせて頂いたんですけれども、そういった状況を見ていると本当に断酒会の会員、東大阪もそうですけれども、会員そのものが減っているのか?と気になります。ですけど考えてみたら、会員が減っているという事はここに来れない人達がたくさんいるということですから、ここの参加者の多さとか、ここで聞いた話の深さとか、そういったものだけを見ていてはいけないだろうと思い直し、お話させていただきます。色々厳しい事も言うかもしれませんが、アンケートに基づく話ですので、私に悪意があるという訳でないということも前もってお断りしておきます。
それでは今日の話をやっていきたいんですが、まず私が関わり始めたのが東大阪市アルコール関連問題会議、“ひぁかもか”って略称で呼ばれるんですけれども、断酒会、医療機関等の集まりです。原則毎月一回開催しております。ひがし布施クリニックの辻本先生を中心にやっており、昭和60年から続いています。そこにおいてアルコール関連問題について話し合うなかで、次のような意見、疑問が生じて来た訳です。で、どういった意見、疑問かといいますと、「東大阪市に“いちご”とかいったような施設はいるのか?」、もう一つは「昼間に仲間の集まれる場所が欲しい」、3つ目「現在の断酒会、医療機関受診者の平均年齢はいくつ?」、「東大阪の会員は今の生活に満足しているのか?」、「会員数の減少―私もここに関心が非常にあるんですが―、この原因は何?」、そして「数値化、見える形にする必要があるんではないか?」というこんな意見や疑問が出て来た訳です。それで、今このパワーポイントファイルで四角で囲った部分、これに関しては今回のアンケートである程度の結果が見られたと思います。つまり「平均年齢いくつ?」「会員数の減少の原因は何か?」「数値化、見える形にする必要がある」という様な事に関しては―完璧な答えが出た訳では無いですけれども―、一部一定の情報を皆さんにお渡しする事が出来ると思います。それで、どういったアンケートを実施したかというお話なんですけれども、期間は去年の7月から8月です。対象は、東大阪の東大阪断酒会、例会参加者76名で、これは東大阪断酒会会員の67%をカバーしています。実際には少しややこしい話があるんですけれども、それはちょっと飛ばします。次の対象は、ひがし布施クリニックの受診者116名です。これは比較のためにとりました。例えば東大阪断酒会の例会に来ている方に「何で断酒会来ないんですか?」って聞いても、来ている人ですから、聞いても意味が無い訳ですね。ただ一つ言っておきたいんですが、こういった冊子の形でアンケート纏まっており、東大阪市のサイトで、PDFで見る事が出来るんですが、ひがし布施クリニックの受診者については、3日間でとったアンケートなので、就業者の方は仕事の都合であまり回答していません。ですからクリニック回答者に「収入は何ですか?」って聞いた時、「就業収入」っていうのが低く出ています。つまり「生活保護」の比率が高く出ています。そのことはご了承下さい。
ここで一つ言っておきたいんですが、回答者の方々、東大阪の方々なんですけれども、本当に協力頂いて有難うございました。本当に感謝いたします。東大阪市アルコール関連問題会議の中で、参加している私達が思った事は「出来ることに関してはなるべく対応していこうやないか。」ということでした。アンケートというのは往々にして取りっ放しで知らんっていうのが多いんですけれども、会議の中では「なるべく対応していこうやないか。」という事で、今話し合っている所です。それが会員の参加意欲とか退会防止にも繋がるだろうと思っています。勿論、充分対応が出来るかどうか解りませんけれども、それでも、それなりに考えていきたいと思っています。
さてアンケート結果の抜粋なんですが、平均年齢については、会員の回答者もクリニックの回答者もほぼ同じです。これは同居状況についてなんですけれども、断酒会の回答者、それからクリニックの回答者両方共「自分ひとり」っていうんが一番多いんですね。これは東大阪の事例なので、全国的な傾向がどうかは解りませんが、全断連では家族重視の姿勢を前面に出しています。例えば「断酒会規範」の6番には「例会は家族の出席を重視します」という事を書いてある訳ですけれども、それはそれで大事な事なんですが、しかし今これを見てみると、一人、単身者が増えてます。そう言った状況に対しても、色々と考えないといけないんではないかとアンケートの結果から解るわけです。全断連も「アクションプラン」を何年か前に出していますが、そこでも実際に単身者が辞めていっているっていう指摘が見られます。女性も辞めていっているんですが。それらへの対応をどう考えるか?っていうんがこれから考えて行かないといけないことと思っています。ドイツの話をしますが、ドイツではクロイツブント(1896年発足。Kreuzbund)とかアルコール依存症者の色んな自助グループがあるんですが(A.A以外に5系統ある)、そこでは、単身者が独自に対応しないといけないという事で、独自の課題群として区分分けされています。女性とか高齢者とか若者と並んで。単身者を独自にターゲットとして、それにどう対応するかを一所懸命考えています。ですから、ドイツの事情を見るという事はそういった所でもプラスがあるのかと思います。もっとも今回はそこに焦点を当てる事は出来ませんけれども。
次に行きます。アンケート結果に関しては収入に関して断酒会回答者は生活保護が一番多い。で次に老齢年金、就労収入がくる。これらは28.6%で同率です。クリニックの回答者は生活保護が半分以上。ただ先程言いましたように、クリニック回答者は就業収入が小っちゃく出て、生活保護が大きく出て来ています。3日間でアンケートをとったという事を考慮して考えて下さい。次に、未就労の理由を聞いたわけですが、健康不良とか高齢それから健康不良というのが結構あります。よく未就労と聞くと、この人等をどういうに働かせるかとか、技術が身に付いていないから身に付けさせないといけないんじゃないかと考えがちなんですけども、これらの人達は働く必要が無いとか、或いは働く事が出来ない。そういった人達が結構いらっしゃいます。ですから未就労だからと言って就労技術を身に付けさせる対応っていうのも大切で必要なんですけれども、居場所作りという様なものもここでは必要であることがわかります。次に、アンケート結果の抜粋で、断酒会の評価についてなんですが、回答者の61.8%がプラス評価をしています。ここではマイナス評価に焦点を合わせますから誤解のないように言っときますけど、6割以上の人達はプラスに評価している。これはこれで大事で伸ばしていかないといけない部分です。それはそれでいいんですが、マイナス評価の部分をもっとよく改善していったらさらにいい断酒会になりますよと、そういった意図でこの話をします。くれぐれも豊山は断酒会は良くないと言っておったとそういった誤解はしないでください。良い所が半分以上あるんだけど、悪い所もありますよ、悪い所を変えていきましょうや、っていう意味で出しております。もう一回言いますよ。断酒会が全体として悪いと言っておりませんので、意義のある団体だと思っております。それでマイナス評価の改善ですけれども、見てみると、自由記述のなかには9のマイナス評価がありました。自由記述のプラス評価は27で、こっちの方が多いんですが、マイナス評価に注目すると例えば「言い放し聞き放しってみんな嘘」「マンネリ化している」「役についたら休みにくい」というのがあります。皆さん、どうでしょうか?「言い放し聞き放しってみんな嘘」、これへの対応は考えないといけないだろうと私は思います。例会のときに紙に書いてあって、毎回注意を喚起しても、やっぱり人は慣れてきますからね。マンネリ化というのは、そうしたことが蔑(ないがし)ろにされることにもつながると思います。だから定期的なキャンペーンのようなものがいいのではないかと、私は東大阪市アルコール関連問題会議でも言っています。こういった話もこういったかしこまった場所で聞いたらなるほどって思うんですけど、それを毎回の例会でどのように活かしていくか、そこを考えることが大事だと思っています。それから「役についたら休みにくい」という話なんですが、行事が多い。この研修会もその一つとなるんでしょうけれども。これは評価が難しくってですねえ、最初は行事が多すぎるというのを受けて「少し絞りこんでいったらどうか」と考えたんですね。そうすると色んな人が役を引き受けてくれたり、或いは違う人が入って来てくれるんではないか?そういう気持ちは今でもあります。これは話し合っていく必要があるんだと思うんですけれども、逆にこういったイベント事が頻繁にあるので皆の気持ちを新たに断酒に向けることができる。そういった側面も当然あります。その両方をどのように考えていくか?っていうのが今後皆さんと一緒に話し合っていくのが非常に大切だと思っています。
今アンケート結果で「マンネリ化している」「役についたら休みにくい」とかいう話をしましたけれど、これらの問題への対応は今後考えていく必要があるんですが、私が今回の報告で話をしたいのはここの部分ではありません。ドイツの関連で問題にしたいことは「断酒会をなにで知ったか?」っていうアンケートの質問と関係しています。断酒会回答者の場合、医療機関が78.9%、クリニック回答者の場合は80.2%の人が医療機関で知ったとなっており、医療機関が圧倒的なんですね。だから、医療機関以外で断酒会を知る機会があんまり無い。この広報活動に関してドイツから何かヒントが得られないか、これが本日のメインテーマとなります。圧倒的に医療機関が多いっていうのは東大阪のアンケートなんですけど、これは東大阪だけの話ではなくて、全断連の調査でも、先程言いましたアクションプランのなかで指摘されているんですけれども、そこでは6割位が医療機関を通して断酒会を知っています。それ以外の所で知るっていう事は少ない。断酒会の存在を医療機関を通して以外で、どういったふうに知らしめていくのか? そのための広報活動のヒントという事でドイツの事例を見て行きたいと思います。勿論ドイツの事例をそのまま日本に適用するっていうのは難しいです。しかしこれとこれに関しては大事だよっていう項目がありますので、その点に関して皆さんにお知らせして、お持ち帰りいただければと思います。


PDF icon 結合:豊山宗洋教授講演アンケート案内.pdf
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[ 更新日時:2014/06/15 07:01 ]
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2040/07/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その2
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それでドイツの話に入っていきますが、なぜドイツか?っていう話なんですけれども、ドイツには7万から10万自助グループがあると言われています。そこに大体300万人が参加しています。日本の場合そういったデータが無いので、どのくらい参加しているか?って、いえないわけですが、ドイツではそうです。また政府とか、医療保険、日本で言う健康保険組合などから資金支援が行われており、先進的な試みが行われています。依存症の自助グループだけを対象としているわけじゃないですが、全体で医療保険からは2014年で大体60億円のお金を出しています。だから先進的な試みをやれるわけですね。私の意図としては、お金をかけて良い試みをしたのであれば、それをドイツから拝借しようということになります。
それで2年に1回ドイツでは、ここが今日のメインになるんですが、アクションウィーク・アルコールという全国的な広報イベントをやっています。このイベントの内容とか、実施体制を見ることで日本へのヒントを導き出していこうではないかという事でこれから見て行きたいと思います。これがアクションウィーク・アルコールのイベントのロゴなんですが、このパワーポイントのページはDHS(ドイツ連邦依存症問題センター)という団体の職員が作ったファイルを、私が加工したものです。もとのページに私が日本語を入れた訳ですが、どういったイベントかというと、去年ありました。2年に1回なので今年は無かったんですけど、5月の25日から6月2日の間にドイツ全国で、一斉にアルコールのイベント、キャンペーンを集中的に行うわけです。そういった試みです。10日間ぐらいで集中的にやるんですが、どういった意図があるか?っていうと、2年に1回で2013年に4回目、来年の2015年が5回目になるんですが、対象者は一般の人々です。モットーはWHOから持ってきていまして「アルコールは少ない方がいい。」というものです。そして出来るだけ多くの人に出来るだけ多くの場所で情報を届けようということを目指しています。運営をやっているのはDHSっていう団体ですけども、これアクションウィーク・アルコールの運営上の枠組みを設定し、さらにいろんな資料をイベントの場で活用出来るようにしています。イベント等の多くはボランティアとかによって行われています。それでここからどういったヒントを得られるか?っていう話なんですが、まずキャンペーンのタイトルが解り易いんですよ。「アルコール」って直接言っています。色んなイベントとか広報をする場合に、わかりやすいタイトルと付けるということは、理解のある人を増やすための重要な戦略になります。ですから、奥ゆかしくちょっと凝ったタイトルを付けたりすると、皆忙しいですのでそれが何のイベントか解らない。だから直接的なタイトルを、極力前面に出した方がいい。ドイツでは相談機関の名称に関しても、依存症という名称がドンと付くわけです。

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2040/06/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その3
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ドイツでは依存症援助センターというのが機関の名称になっている。日本では、例えば全部が全部っていう訳では無いんですけど、ホームページなどでは「精神保健福祉センター」の方に行ってその中に入っていって、ようやく依存症の所に辿り着く。専門家とかグループに行き付いた当事者の方っていうのは「アルコール依存症は精神障碍ですよ。」ということを理解していると思います。ところが一般の人に「アルコール依存症というのは精神障碍者か?」って聞いたら解るか?っていうと、解らないと思います。すると依存症のところにはたどり着けないわけです。精神保健福祉センターの中にありますから。アルコール依存症が精神障碍者ということがわからない人は、精神保健福祉センターのなかにある依存症の相談にもたどり着けない。勿論全くたどり着けないというよりは、たどり着きにくい。だから直のタイトルをどんどん出した方が良い。ここから「一般の人々っていうのは、どういう風に考えるか、精神障碍者といってわかるか」どうかを考えながらやった方が良いと思います。実際にここに来ている人達は断酒会に辿り着いている人達なんですね。それゆえ、来ている人の視点で全て考え始めると、来てない人に対する発想というものが浮かびにくいのではないかなあというのが私の考えです。だから、ここへ来て話を聞くと、それは本当に良い話だし、是非いろんな人に聞いてもらいたいと思うんですが、それを積極的にアピールしても来た人は解りますけど、来ていない人、関心のない人には届かないし、解らない。それを、どう届けていくのか、っていうのは体験談とは別に考えていかなければならない。この写真は、ドイツ語で依存症援助センターっていう名称の看板が掲げてありますよという事の確認です。
さて、どういった形でイベント化されているかいうのを、全体として見たのがこの図です。この図はこれから何回も出します。まず、一番下の部分ですが、これらの組織や人びとによってイベントが10日間くらいで集中的にやられます。実施している主体として一番多いのは「相談所」、ドイツにも色んな商談所があるんですが、依存症相談所、心理社会的な相談所、教育の相談所などで1300以上あります。その横にある「依存症セルプヘルプ」っていうのが自助グループ。その横が「企業」です。ほかにも「予防センター」とか「お医者さん」、「飲食店」でも少ないですけどやっています。こういったのを10日間でドンッとやる。

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2040/05/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その4
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それを取り仕切るのがこのDHSっていうとこなんですが、イベントを主催しているのはここの「連邦政府」です。日本でいえば国です。で、アクションウィーク・アルコールというイベントの費用をどういう風にしているのか? 先程も言いましたけども医療保険とか年金保険、諸団体がお金を出している。ですから充実した活動が出来る訳です。ドイツで折角充実した活動をお金を掛けてやってくれているんだから、ここから良い物は持って来ようやないか、という事が私がドイツの話をしている理由である事は先に述べた通りです。そこで具体的にイベントの実施者が、どのような活動をしているのかという話をします。どういったイベントがやられているかっていうことですが、10日間ほどの間に1200以上のイベントが行われます。その一つのやり方としては舞台演劇を上演している。そのタイトルは「薬物―マリファナから覚醒剤までー」。こういった舞台演劇を地図のこの場所でやっている訳ですね。それから、各地域で情報スタンドを立てます。ここでも、ここでも行われています。情報スタンドに人が来てグループの人たちと話をして帰っていく。今年ドイツで情報スタンドの写真を見た時に「人来るんか? 来ないんじゃないか?」と聞いたんですね。道端にスタンドが立ててあったとしても、人は買物とか娯楽とか他の目的があって道を歩いているということがほとんどですから。ところが「結構寄って来る」という話でした。そこは日本と違う所ではないかと思います。ほかにも、事例としてこういった建物の中でも行われています。机の上には色々資料が置いてあります。あっちこっちで聞いたんですが、イベントには「良く人が来るよ」と言ってました。
イベントの中身ですけど、この中でも「企業」というのを見てみます。「企業」はイベント実施者の種類としては2番目に多いんですわ。1番目の「相談所」っていうのは医療等の施設ですから良く解るし、3番目の「自助グループ」もよく解るんですけれども、「企業」が2番目に来ているのは少し驚く。「何をしてるか?」という話なんですけど、「企業」はこの時期に合わせて自社の社員にセミナーをやったりしているんですよ。産業医の方とかが多分やるのだと思いますが。その時にDHSっていう団体があるって言いましたけど、イベント実施者は、DHSの作成した、こういったパンフレットを「何部頂戴。」というふうにDHSに言ってくるわけです。で、それをDHSは実施者に必要部数送るわけです。これを見ながらチェック項目などを色々やる。それでこのパンフレットにはどういった事が書いてあるか?というと「何でアルコール問題を抱える社員を企業が面倒見なければならないのか」といった企業の管理者に対する動機付けの問題だとか、「こんな風にすればいいよ」っていうテクニックなどが書いてある訳です。先程も言いましたけど、アクションウィークの期間に集中的にやるっていうのがとても大事で、何でかというと「イベント実施者はアクションウィークという枠組みのなかで自分もやってますから、結構関心のアンテナが立っている訳ですね。関心があるので人の事も眼に入る。物事は関心があれば眼に入ってきますけど、関心が無ければ近くにあっても気付きませんから、集中的にやるっていうのが大事なのかなと思っています。今度日本でアルコール健康障害対策基本法が出来ましたが、基本法第10条に規定されている啓発週間が11月(11/10~11/16)にあります。この機会に、取り組みを考えて、医療とか福祉とかだけにかぎらない「企業」とか「学校」とか、そういった主体を色々巻き込む仕掛けをしないといけないっていう風に考えています。勿論、日本全国に目をやればいろんな主体を巻き込んでいるところはあるでしょうけど、それぞれの地域、地域で「いろんな主体を巻き込む」、そういった発想でやって欲しいっていうのがここで言いたいことです。その為には、DHSのような自主的な取り組みを総括する様な機関も必要なのではないかと思っています。
それで先程の図に戻ります。「企業」の話はしたので、

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2040/04/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その5
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今度はこっち(DHS:連邦依存症問題センター)の話をします。タイトルに依存症と付いており、コーディネートをしているんですが、どういった所かっていうのを具体的に見ていきましょう。これがDHSの建物です。この中がどうなってるかっていうと、こんなふうになっています。この2人がセルフヘルプやアクションウィークの担当者で、この左側の女性が今私が使っているパワーポイントの基を作ったルンメル(Rummel)さん。この右の方がセルフヘルプの担当者でミュラー(Müller)さんです。今回の調査に当たっては結構お世話になっているので、「日本でこういうふうに報告をしていますよ、ドイツの話を日本の皆さんに報告してますよ」っていうのをドイツに知らせるために、本日写真を撮らせてもらっています。ご了承ください。建物の中は色々と事務室があって、こういった恵まれた状況の中でミュラーさんも仕事をやっています。DHSの関連でもう一つ大事な話がこの『依存症年報』の公刊です。現物はこれなんですけど、こういった本を毎年出しているんですね。その中身は、色んな出所の違うデータを集めて、こうなってますよっていうふうに一覧できるようなかたちで毎年出している訳ですね。こういった情報を集めるような機関っていうのも必要になって来ると思います。
次ですがDHSからは求めに応じて資料が配布される訳ですが、いろいろな種類の資料が送付されています。実際にパワーポイントに示した、これだけの種類の資料が編集され、求めに応じて送られる訳です。それでこれらの資料の中のサンプルの1つがこれです。

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2040/03/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その6
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本日はこれだけ人が集まると思わなかったので、Zカード(多重折りカード)を一箱分持って来たんですけれども、全然足りません。このカードにどんな事が書いてあるかっていうと、よくある10の質問とかが書いてあります。例えば「昏睡するまで飲む人には若者に多いやろう。年寄りには多くないでしょう。⇒そんな事は無いよ。」とかですねえ、或いは「アルコールはストレス解消に役に立つのか?」とか、「カロリーはどの位あるんや? カロリーは少ないんちゃうか?」とかが書いてあるわけです。これを必要部数送付するわけですね。で、この費用を誰が負担しているかっていうと、これはZカードの一部を大きくしたものですが、費用負担者の名前が載っています。公的医療保険の1つの保険者、さらに年金保険連合会です。ここから出るお金を使って、Zカードの様なものを作るわけです。それでここから日本にとってのヒントを導き出してみると、DHSという所から一括して資料は送付されますからアルコールに対する共通理解というのが形成されやすくなる。2つ目ですが、公的医療保険の保険者に支援を働きかける可能性も検討したらどうかということです。難しいとは思いますが、全く裏付けが無いわけでは無くて、健康障害対策基本法の9条には医療保険の保険者等に関する言及も見られます。だから、医療保険の保険者に働きかけるっていうのも少しは検討をなされたらどうかな?という風に思います。
次ですが、アクションウィークについての報道はこれだけ多くされてますよということの紹介です。新聞やテレビ、地下鉄なんかでも看板を出して大々的にやっている訳です。
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2040/02/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その7
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後ですねえ断酒会に関係している、依存症のセルフヘルプの団体ですが、一番大きな団体は“クロイツブント”で、そのなかに“クロイツブント・マインツ教区”という団体が支部としてあります。“クロイツブント”は1万3000人位全国で会員がいます。それで“クロイツブント・マインツ教区”がどういった活動をやっているかっていう事ですが。イベントの時にこういった風にローカルテレビでインタビューをしたり、或いは先程いったような情報のスタンドを立ててアルコールやアルコール依存症に関して広報をしている訳です。この写真は“クロイツブント・マインツ教区”事務局長のロッゲ(Rogge)さんです。この人達の話も聞いたんですが。この人達がどういった話をしてくれたかについてはここでは端折りたいと思います。“クロイツブント・マインツ教区”というのは組織の中の支部の1つであり、そのうえに“クロイツブント・連邦”があって、その“事務局”があって、これが先程のDHS(ドイツ連邦依存症問題センター)に加盟している訳です。22団体って書いてありますが、この原稿を確認の為ドイツに送ったら25団体という事でしたので、25団体と書き換えておいてください。この“事務局”をちょっと見てみたいと思うんですけど、この建物が事務局の建物になります。“クロイツブント”がいつ頃からあるかっていうと1896年からあります。断酒会と似ているんですが(最大であり、会員は名前を名乗り、会費もとり、家族も参加する)、面白いのは断酒会だと「言い放し、聞きっ放し」なんですけれども、ここでは例会で話を聞いてフィードバックをする。それがプログラムに入っているんです。「そこがA.Aと違う所」とその人が言っていました。それに関しても今調べている所です(上下関係ができるのではないか、対立が生じやすくなるのではないか)。それでこれが連邦事務局の職員達なんですが、スタッフは全部で8人です。この人達が働く事で色んな広報とかがされている訳です。例えば季刊誌での広報です。これは年5回発行されています。記事の内容としては、例えばドイツの中央駅ではアルコールを飲む事は禁止されているところがあるんですけれども、ニュルンベルク中央駅では新たにアルコールを飲むことが禁止されたとか言う記事があります。それからアクションウィークに関係してくるんですが、その紹介記事を出すという事で、クロイツブントに加盟する自助グループの人にイベントやキャンペーンを独自にしませんか?と募っています。それからクロイツブントならびに異なる系列との自助団体との共同プロジェクトとして「チャンスを切れ目なく利用する」というのがあります。これはどういう事かというと、皆さんそれが重要な問題ということはご存知だと思いますが、当事者が自助グループにうまく繋がっていかない。最初に医療機関に繋がったとしても、その後上手く自助グループに繋がって行かない。

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2040/01/15のBlog
「アルコール関連問題に関する東大阪アンケートから今後のあり方を考える
 -ドイツからヒント-」その8

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日本でもまさに問題となっていることですが、それを何とかしようやないかという事で結構金掛けてプロジェクトをやっています。調査結果として、例えば「依存症援助サービス間に隙間がある」とか、「セルフヘルプへの消極的なイメージがある」とかが明らかになっています。このプロジェクトではないんですが、自助グループっていったらドイツでも若者が来ない。「何で来ないんや?」って調べたら、「自助グループは古い」「お年寄りが行く所であり、若者が行く所ではない」というイメージがある事が明らかになった。だから、そこをどう変えていくかっていう所も問題となっている。後「切れ目なく利用する」プロジェクトでは「外来リハビリとか専門職アフターケアによる依存症者の抱え込み」とか、これらがデータとして明らかにされている。それをどう変えていくかっていう事で今具体的なプロジェクトをやっている訳ですが、これに関して今ドイツでも一所懸命対応を考えている所です。で、これに関しては非常に参考になると思いますので、又調べ次第皆さんの前でお知らせできればと思っています。
後、パワーポイントのスライドでは、纏めです。今言った事の繰り返しですのでもう繰り返しませんが。もう少しで終わりますのでお待ち下さい。こういったドイツの事例、全部が全部日本に当てはめる事が出来る訳では無いんですけど、その中でプラスとして得られるものは日本でも生かしていきたい。勿論これ以外にもデータがあるんですが、今日はこういったお話ということにしておきたいと思います。最後に一言ですが、断酒会には良いところもありますし、色々問題になるところもあります。そういった事を話し合うような機会作っていきたいですね。今日もそうなんですけど、私講演する人、これ終わったら聞いているだけってなると思うんですけども、皆さんからもバンバン意見を出していって欲しいと思っています。例えば、お医者さんとか、専門職の方から話を聞いてそれで帰るというのではなくて、断酒会の方からもガンガン意見を言っていくっていう事で変わっていくんだろうなあと思います。実際会員が減っているっていう事は、これから対応が必要だと思います。そうした中で、当事者の方達の意見を聞いていくっていう事は非常に大切で、またそこからプロジェクトや活動に繋げていく、そのために私は皆さんと付き合っていきたいと思ってますし、皆さんも色々考えて頂けたらと思います。
本当にこれ最後ですが、本日の1日研修会でも断酒会の方から体験談をして頂きましたけど。私も何回も聞いているんですが、「それ私の話や」という事が本当にありますね(そういった共感というのは断酒会の人だけに限らない)。午前中の最後の方でしたか、「自分は、人から頼まれれば何でもかんでも引き受けてしまう。そして頼んだ人の気持ちを察して自分で引き受けることを決めたはずなのに、自分の選択としては考えられない」まさに私の状況です。私労働組合の委員長もしていましたし、東大阪断酒会の顧問も今回仰せつかりましけど「それを自分の選択として捉えていかなくてはならない、またそう思えるためにはすべてを引き受けるのではなくて断ることも必要だ」という、先程の体験談をしてくださった人の話からは私が感銘を受けました。私の今後にも役立つ話と思いますので、今後とも宜しくお願い致します。長い話でしたけど、私からは以上です。(拍手)
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2039/12/23のBlog
写真ーーー>初代全日本断酒連盟会長松村春繁先生遺影
著者(公社)全日本断酒連盟参与岩崎廣明さまから掲載了解いただき
ました。
再び『松村語録』に学ぶ
著書 (社)香川県断酒会 元理事長 岩 﨑 廣 明
監修 医療法人 光風会 三光病院院長 市 川 正 浩
(公社)全日本断酒連盟参与 小 林 哲 夫
―序分―
アルコール症を克服したい人の為に
(社)香川県断酒会元理事長の岩崎廣明氏に長年にわたり、三光病院の院内断酒会にかかわって頂き、今、感謝の気持ちでいっぱいです。そのうえ岩崎氏の奥様すゑ子氏まで本院の断酒会に参加し続けて頂けたことはさらに大きな驚きであります。
アルコール症の方々が酒をやめて、しらふの生活を続けることがどのような世界なのか、私達には想像のつかないものでした。当病院では毎週2回院内断酒会が行われていますが、そのうち1回は家族優先に体験発表をしてまいりました。この事が断酒成功への決定的分岐点であったことを、今確信しています。
 最初の数年は酒害者本人が体験発表していましたが、断酒率がどうも良くならなかったのです。ところがある単身者が「本人より家族の体験発表なら素直に聴くことができる。酒害者のそれは、まだ真実を話していないから信用できない」と診察室で私に言ってくれた事がヒントになりました。以来この十数年、参加した家族の方々より体験発表して頂くことになり現在に至っています。要するに、アルコール症とは酒のために「自分の事しか考えられなくなってしまった病気」と定義してもおかしくない一面がありますから、家族の一言がアルコール症者に響く訳です。妻達も主人の酒に振り回されて、仕事と子供のみが生きがいになって家族崩壊に繋がったのですから、断酒会の方法論は存外重要な問題を含んでいるのです。又、、欧米のAAと根本的に違うのは、家族の体験発表の場が常に優先されるかどうかと考えられます.ここに日本の断酒会の未来があるのだと思われます。。
すでに高知断酒新生会が出版された「語録に学ぶ」を、「再び松村語録に学ぶ」と題して岩崎廣明氏が30年以上断酒された実践の知恵と心意気をここで感じとりたいと思います。
現在、老人医療が盛んに議論されていますが、私が一番感じているのは老人虐待の問題です。実はここにはタブーが存在します。介護する側の視点が少なすぎるのです。介護される側の論理のみが先走りしますがそれではうまくいきません。介護で疲れきった家族が、老人の一言にカッとなってしまい暴力事件を起こし、不幸にも殺人にまで至ることは故なき事ではないのです。実際に私もその現場を見てきた訳です。なぜここでこんな事を急に言いだしたのかと不思議に思われるかも知れませんが、アルコール問題と老人問題は深いところで繋がっていることいいたいのです。アルコール症で寝たきりになった父又は母をACである子供達がどのように介護するのでしょうか。
老人虐待にはもっと深い意味があるのですが、介護者の気持ちを代弁する場所は日本にはありません。自助グループは医療側と全く対等です。私は全日本断酒連盟副理事長の小林哲夫しよりこの事をまなびました。、我々が再び松村語録を学ぶことができたのは岩崎廣明氏及び小林哲夫氏のお陰です。
最後にいまだ断酒できていない人、今苦しんでいる御家族の皆様に断酒のこつは何かと問われれば、私はこう答えています。
「とりあえず可能な限り家族共々断酒会に出席すること。できるだけ多くの県外の断酒一泊研修会に参加することだ。」と。
医療法人 光風会 三光病院院長 市 川 正 浩

1. 例会には必ず出席しよう。
断酒が継続されている最大の要因は、例会出席にあるから、断酒会では例会には「必ず」出席しようと特別に強調しています。

◎何故なのでしょうか?

・例会に出席することによって、自分の悩みを本当に理解してくれる仲間に廻り逢えるからです。
・例会では、今まで恥ずかしくて言いたくても言えなかったことが事実通りに、何のためらいもなく話せるのです。
・例会の中では自分の短所や長所を探し出すことが出来るのです。
・例会の中では、自分という人間の在り方や、今までと違った新しい生き方を見つけることが出来るのです。

◎松村会長ですら「断酒」や「断酒会」の持つ本当の意味が例会に出席しなければ理解出来なっかたのですから、あなたも私も語録全体の中から例会出席の重要性を理解しようではありませんか。

2.一人で止めることは出来ない、無駄な抵抗は止めよう。
私達は一人で断酒しようと努力した結果は無惨なもので、断酒会に入会することでやっと断酒することが出来ています。

 酒害者は酒の歴史と共に生まれていて、酒に悩む人達の中には、酒を断つしかないと考え、一人でそれなりの努力をしてきましたが、しかしそうした人達の努力がことごとく失敗したため、アルコール依存症は不治の病気であるという偏見が生まれました。

 一人では酒が止められないから断酒会が必然的に出来たとも考えられます。

 断酒会は誰かの指導で酒の止め方が教えられている訳ではなく、私達は例会に全く平等な立場で参加して、本当に腹を割って話し合える仲間として、お互いが啓発し合い、助け合い、新しい生き方を目指すのです。
 そうした暖かい人間関係が断酒会にあるため酒が止めれるのです。

 私達には、とても一人で断酒出来るとは考えられません。

 一人で止められないと判っていないから一人で止めると言う場合が多いのです。無駄な抵抗をしないで素直に一人で止められない事実を認めましょう。
 また、注意すべきことは、数年断酒が継続されてくると、自分の力を過信して、もう仲間と一緒でなくても一人で立派にやって行けると考えて、会から離れ、あの飲んでいた頃の孤独な常態に戻ることです。飲酒の誘惑に勝てなくなるのは時間の問題です。

◎無駄な抵抗は止めましょう。
3. 断酒に卒業なし。
 断酒して数ヶ月、もしくは数年ひたすらに我慢の連続でも結構だと思います。しかし、いつまでも我慢の断酒では危険です。

 断酒を単に酒を口に入れるか、入れないかの問題としてしか考えられない人達は、酒を飲むことはあるまいと考えるようになり、例会や断酒学校、研修会等に参加することが、あまり意味を持たないものだと考えるようになります。
 例会出席がだんだん少なくなり、短期間は一人でなんとか頑張っているものの、結局は酒に走るようになります。

 研修会、例会出席の中で真剣に断酒に取り組んでいますと、常に断酒が自分の人生にどんな係りを持つかについて深く考えさせられ、卒業するおそれはありません。

 断酒して、新しい人生を創造していくためには、学ばねばならないことが無限にあり、毎日毎日学んだことをこつこつ積み重ねていかなければならないことを知っているからです。
 そうした会員は、いつも同じテーマで同じ結論を出している例会をマンネリだとは決して思っていません。
 同じ結論を出していても、発表者の断酒に取り組む姿勢によって様々な相違を持ち、より幅広い解釈があり、より深く掘り下げられた思考があることを知っているからです。
 また、自分自身の体験を語っても、もう話しつくして言うことがなくなったなどとは決して考えません。

 心の内側にあるものをじっくり見つめて、語りつづける人の話しには魅力がいっぱいあり、何回聞いても感動します。

◎断酒にjは卒業はありません。永久に続けていかねばならない私達の命題だと思います。

4.今日一日だけ止めよう。そして、その一日一日を積み重ねよう。
 「今日一日の断酒」という言葉を例会でよく使っています。あまり先のことを考えずに今日一日だけ全力を出して、断酒に取り組もうということで、私達にとってはもっとも大切な基本的な考え方です。

 「今日がなければ明日がない」という判り切ったことを一番大切に考えて一日一日と地道に積み重ねていくより他に私達の断酒継続方法はないのです。

◎決意だけでは断酒は出来ません。一日一日の実践の積み重ねしかないのです。

 斷酒が続くようになると、二つの考え方に分かれる場合があります。前者は、今日一日の充実した暮しに断酒そのものがどれくらい大きな影響を与えているかについて、じっくり考える理性的な判断を持つようになります。
 後者は、だんだんと楽に断酒が出来るようになるので、そのうち、何もしなくても自然に酒は飲まなくなるだろうという甘ったれた考え方になる場合があるのです。
 前者と後者では時間がたつと大きな差となって現れてくるようです。
・今日一日、今日一日と確実に、充実した断酒の一日を送った人は、断酒の中に生き甲斐を発見し、益々真剣に努力するようになります。
・何となく一日一日が過ぎた人は、断酒会を卒業することすら考え始めるのです。今日一日を大切に考えなかった分だけ、一日の重さが判らないからです。

◎断酒会は生涯断酒を目的としてはいますが、日常の実践活動の中では「生涯」よりも「今日一日」の方を重要視する方がずっと良い結果を生んでいるようです。


5.前向きの断酒をしよう。
 前向きの断酒とは、断酒することによって、より積極的に新しく始まった生活に取り組んでいこうという意味です。

 断酒さえすれば元の人間性を回復することが出来るという考え方がありますが、そうした消極的な考え方でなく、松村会長は、回復ということよりも創造ということに重点を置いていました。

 断酒することは「一から出直す」という言葉のとおり酒を止めて全く新しい生活を始めることです。
 飲酒時代の暮しの中から酒だけを取り除いた暮しをするという考え方ではなくて、日常生活の中のほんの些細なことでも創意工夫して、生き甲斐につながるものを見つけていくことが必要なのです。

 普通の人達は、年と共に身体も精神も老化して行くものですが、断酒会員は、身体の老化はあっても、精神の老化はなかなかやってこないものです。
・自分自身の人間性の向上を積極的に計りましょう。
・家族との人間関係を積極的に改善するよう努力しましょう。
・断酒会活動に積極的に参加しましょう。
・例会出席、研修会参加、会の運営並びに酒害相談など何でもやりましょう。

◎前向きの姿勢で断酒に取り組んでいると、昨日より今日、今日より明日の方がより着実に成長した自分を作ることが出来るのではないでしょうか。

2039/11/23のBlog
6.例会には夫婦共に出席しよう。
 断酒会がスタートした時は、家族が例会に出席しなければ断酒が成功しにくいとは誰も考えていなかったようです。それに、過去あれほど酒で迷惑をかけた奥さんに、例会にまで出席しろなどとは、言えた義理ではなかったと思っていました。ところが夫の毒舌で他の会員に迷惑がかかるのを恐れたある奥さんが、夫にかわって謝って回るために例会出席をしました。一番酒を止めにくいと考えられていた彼だけが、何故か一度の失敗もなく断酒出来ていたのは、奥さんの協力の方により多くあると松村会長は見抜いたのです。それからは、主婦出席を口を酸っぱくしてすすめるようになったわけです。

◎何故、奥さんの出席がこんな良い結果をだすのでしょうか。

 私達は酒浸りの生活の中で自分自身を随分と駄目にしていました。特に奥さんとの関係は、いびつなものになっていたらしいのです。夫婦の愛情関係は冷え切ったものになっていたり、憎しみすら持っている人もいるのです。しかし、夫婦が一緒に例会に出席するようになると、家庭で見る夫とを違った夫を例会の中で見ることが出来るのです。
・素直に過去のどうしようもない自分を語っている夫。
・奥さんを傷つけたこと認め詫びている夫。
・これからどんなふうにして生活を改善して行こうかと真剣に取り組んでいる夫。
・そうした先輩会員や家族の話をじっと聞いている夫。
・ぽつりぽつりと自分の誤りを語り始めた夫。

 奥さんもアルコール症そのものや、断酒する意味、断酒会の持つ効果等が段々と理解できるようになり、自分も夫のアル中に巻き込まれて心を病んでいたことまで判るのです。そして、奥さん自身も例会に出席して自分を素直に語ることで、自分の病んだ心を治すことが出来るのです。

◎三光病院院長市川正浩氏は、松村語録の中であえて最も重要な項目をひとつ挙げるとすればこの点で、さらに付け加えるとするならば、「例会での体験発表もまず家族より行い、その後に酒害者本人が発表すること」で断酒意欲は向上し、断酒会自体も更なる大きな発展をとげると主張しています。
7.例会の2時間は断酒の話のみ真剣に。
 例会の2時間と定めた理由は「2時間が人間の緊張の限界である」ということだったからです。

 例会で話されることは「断酒会だから断酒の話をするのが当たり前」という単純な発想だけでなく、「酒害者が断酒するためには、酒と自分との係わり合いを事実通り真剣に話すより他にない」と松村会長は最初から堅く信じていたいたようです。

 初めの頃に例会の中で何を喋ってもよいことにしたところ、農作業の話が主となり、世間話におわる結果となって、「忙しいのに、その程度の例会なら出席する必要がない」と考える会員が出始め、例会が低調になり、脱落者が続出することになったと言われています。
 例会で断酒以外の話が語られるようになると、緊張感がなくなり、だらけてしまいます。例会は、『体験談に始まり体験談に終る』という現在の形に統一されました。

 私達は、価値観・道徳心を養うことは非常に大切なことだと思いますが、例会で、そのことのみ語ることは疑問です。自分の体験の中でそうしたことに気付き、それを語るのは良いのですが、専門的な学んで、それを例会で発表しても意味がありません。日々の断酒実践の中で自分の手でつかんでほしいのです。

 緊張して行われる例会を想像すると、如何にも重苦しく感じられるようですが、私達が素直に自分を語り、人の話しを素直に聞く姿勢があればそんな雰囲気にはなりません。
 緊張の中に安らぎがあり、真剣さの中に楽しさがあり、苦しさの中に明るい展望があるのです。それは、私達の魂の触れ合いがあるからでしょう。


8.自分に断酒の道を見出そう。
 断酒会に入って一番最初に経験する驚きは、先輩会員達が本当に酒を止めていることであり、非常にやさしく接してくれることです。止められる筈はないと自分勝手にきめていたものの「自分も止めれそうだ」と考えるようになります。

 例会出席すれば断酒はそんなに難しいことではないと言ってくれるのですが、当人にとってはかなり苦しいこともあり、時には自分には断酒が出来ないのではないかと考えたりするのです。日常生活の中で何を考え、何をやればよいのか、よく判らず不安を持つのです。

 そうした新入会員に一番多く見られる傾向が、自分に一番親しくしてくれる先輩や、自分と一番似た体験を持っている先輩を真似することです。しかし、断酒がだんだんと継続されるようになると、いつまでも真似るだけではやって行けないことに気が付きます。性格も、職業も、家庭環境も、その他何から何まで違うのです。先輩達とすべての面で合わせるのは不可能です。やがて自分自身の独創的な考え方も確立されるようになるのです。

 自分の新しい生き方は、自分で創らねばなりません。その新しい生き方を目指すための唯一の手段である断酒の道は、その人が自分で切り開いた道でなければなりません。

 断酒会はある期間新入会員にとっては、温室のようなものかも知れません。しかし、ある程度のめどがつくと、その人の個性や、主体性のある断酒を大切にしますので、その人が好むと好まざるに係らず突き離すことがあります。
 いつまでも先輩会員に依存してはいけません。新入会員の面倒を見る役割が待っています。新入会員に協力することで、自分の斷酒が益々堅いものになり、また、人間的な成長もあるのです。

9.断酒優先をいつも考えよう。
 「断酒は生きていくための唯一の手段である」と松村会長は私達にいつも説いていました。だから、私達にとって「断酒優先」ということは絶対的なことです。

 アルコール症者が酒を飲むということは、仕事を放棄すると同じようなことでもあり、入会当初から例会出席もしない人達は、簡単に脱落するという事実があります。

 例会出席と仕事の問題は話によく出ます。
・例会出席していたらめしの食いあげだ。
・仕事がお留守になる。
・職場の人達に迷惑をかける。 等々です。

 彼等の気持ちも判るのですが、一つだけ大きな誤りを侵しているのです。それは自分達の生きて行く上で一番大切な断酒を、仕事と比較して考えていることです。私達にとっての断酒は他のことと比較して考えるような軽いものではないのです。仕事をしないで例会出席しろと言っているのではないのです。仕事は人並み以上にしなければならないのです。いつも断酒優先をさせて考えていれば道は開けるのです。

 あらゆる知恵を絞って努力して例会に出席すれば良い訳で、努力の結果として遅刻は許されるのです。どうしても出席できない状況の人に無理に出てこいとは申しません。
 どう考えても無理だと思う環境にある人が、毎回のように出席する場合があります。要は意欲の問題なのです。断酒優先を常に念頭に置いて意欲的に断酒に取り組んでいる人達は、情熱だけでなく智恵を使っています。不可能を可能にしています。

◎松村方式と言っている断酒方式は、実践を第一に考えます。生きていくための唯一の手段である断酒をいつも優先させて考えましょう。

10.アル中は心身の病気である。
 断酒会に入会しますと、ほとんどの人が酒が直接原因で身体の病気になっていることを認めます。そして、酒を飲んでいる限りこれらの病気はいくら治療しても決して回復せず、遂には命まで失うことになることも知っています。

 ところが、心の方も病気になっていることを認めていない人は意外と多く、自分は正気であり、何んらの異常もないと堅く信じているようです。しかし、アルコール症という病気は、酒がその人の人間性に大きな係り合いを持つもので、飲み続けることでだんだんとその人が作り変えられていきます。表面は正常に見えながら心の奥の部分は病むようになっているのです。

 アルコール症者を自己中心的であり、依存心が非常に強くなっている等の批判は当っています。酒が原因でそうした悪い方に向っていくのがはっきり判るだけに、やっぱり異常であり、心の病気と言えるのではないでしょうか。自分のアル中に妻や子どもが巻き込まれて苦しみもがいても、酒を止めようと決断できないのも心の病気のせいではないでしょうか。

◎アルコール症を心と身体の2つの病気だと認めた時、その人にとって本当の斷酒が始まるのです。

 もし、アルコール症が身体だけの病気だと考えていますと、ある期間斷酒が継続されて、身体の健康が回復されると、例会出席の必要も、いや断酒する必要すらないと考えるようになっても不思議ではないのです。

 しかし、心の方も病気になっていると気付いている人達は、決してそうした考え方はしないのです。歪んだ心、偏った心を治すということは、その人の人間性の向上に通じるものであり、自分自身の人間としての在り方を考えることなので、永久に取り組んで行かねばならない問題になるのです。そして、それは、人生の最大の目的である「幸せの追求」にもなるからです。


11.例会で宗教や政治の宣伝をしてはいけない。
 断酒会ではどんな宗教を信仰していても、どんな政治思想を持っていても、そうしたことで差別されることはありません。
 酒を断ちたいという願望を持っている人なら誰でも入会できるのです。そのため、あらゆる宗教、イデオロギーを持っている人達が断酒会の中にいます。

 もし、例会の中で特定の宗教や、イデオロギーの礼賛や批判がなされると無用の混乱が起こることは明らかです。なぜならば、宗教やイデオロギーは絶対的とも言えるもので、違った宗教やイデオロギーを持つ他の会員とは、こうした問題については協調できないからです。

 私達は例会の中で、過去の酒に溺れていた自分、現在の断酒に真剣に取り組んでいる自分、将来への断酒継続への自分の持つ抱負等、ただひたすらに自分について語ることを原則としており、そうした問題について語る時間はない筈です。

 私達の断酒会は、断酒会活動の発展のために、行政側と政治的な交渉を行いますが、これはあくまで断酒会そのもののために行われるもので、問題はありません。

 政治家等より選挙やその他の応援の依頼があっても、政治運動をしないという原則に従って、宣伝やその他の協力はしません。断酒会の持つ純粋さが侵されるからです。



12.酒害者の最大の敵は自分自身であり酒ではない。
 断酒運動とは、広く社会に酒が存在することを認めながら、アルコール症になった自分にとって酒を飲むことはなく、酒を飲むことが人間性も命も失うことであるので、アルコール症者にとっての酒は否定しているのです。

 「断酒」が自らの意志で酒を断つことだと定義されているので、アルコール症の人が酒を飲んでいても、その人が断酒する意志がなければ、その人から無理に酒を取り上げることはできないのです。そのかわり、あらゆる方法でその人達に断酒する気持ちを起こさせるように努力しているのです。

 私達は酒そのものよりも、酒を飲まずにいられない自分の心に問題があると考えています。アルコール症になると10人が10人、酒に関して弱い心を持つようになるので、そのこと自体は責められるべきものではないのです。酒に関しては弱い心を持っていることを素直に認めない心が悪いのです。

 酒に依存し切った自分の心を認めながら、何の努力もしない自分が本当の敵なのです。そして、その依存する心は酒だけでなく、あらゆることで家族や周囲の人達に依存する心にもつながるのです。そうした依存の心を改めることが自分の中にある敵と闘うことなのです。

◎自分にとっては本当の敵が何であるかは、例会を通じて努力していれば、誰にでもはっきり分かります。
2039/10/23のBlog
13.自信過剰は失敗のもと。
 毎日こつこつと真面目に働きながら、地道な断酒努力を積み重ねた結果として自分のものにした自信は何物にも変え難いものです。今後の断酒継続への大きな糧となることは間違いないと思います。しかし、その自信を実力以上に評価すると、必ずといってよいほど失敗につながるのです。過信の恐ろしさです。

 断酒して間のない頃は誰が見ても危なっかしい状態であるにもかかわらず、当人は絶対的な自信を持つようになっていることがあります。精神の不安定な状態の中で起こる錯覚かも知れません。酒の持つ本当の恐ろしさがよく判っていないのかも知れません。

 絶対止められないと思っていた酒が止められたのは、断酒会について深い理解のある人は、集団療法の効果だと考えられることが出来るのですが、そうでない人達の中には自分自身が信じられないくらい大きな力を持っているのだと考えたりする人もあるのです。そうした人の中には「酒さえ飲めねばよい」と言って、とにかく酒のある場所に行きたがります。

 過信そのもののような人には「転ばぬ先の杖」のような話はなかなか受け付けてもらえません。どんな危険な状態でも例会に出ていれば何とか防げます。連続して例会に出るようすすめた方がよいでしょう。

 何年たっても過信に陥る人達に共通しているのは、自分の考えだけが絶対であると思っていたり、自分の考え方が一番進んでいると思ったりしていることです。「断酒」の持つ意味がどれだけ大きいものかがよく判ってないのです。そして、自分の断酒はすでに完成していると考えます。

 私達は失敗しなくとも、しょっ中壁に突き当ったり、挫折を味わったりしながら自分の断酒を確立して行くのです。改善点を加えながら実践活動を続けている人に生まれるのが本当の自信なのです。
 本当の自信は、自分を客観的に見ることのできる理性がなければ生まれないと言えます。

14.失敗したらすぐ例会へ。
一度の失敗もなく断酒が継続されている人達も多いのですが、失敗を乗り越えて断酒に成功した人達も多いのです。
 何故、彼らが失敗を乗り越えられたかについては、いろいろな要因があるのですが、その中で一番大きなものは、失敗した時はすぐに例会に出席して、再飲酒を防いだからではないでしょうか。

 失敗すると恥ずかしいと考えます。そして、例会に出席するのが苦痛にもなります。真剣に取り組んでいた人ほど、そうした感じが強いようです。しかし、私達には断酒する意外に生きて行く方法はないのです。
 勇気をふるって例会に出て下さい。例会場の敷居が高くなって、例会出席をしぶることは、次の失敗につながり、つまりは入院ということにもなるのです。

 先輩達は失敗した貴方を決して非難したりはしないでしょう。
 松村会長は失敗した会員がしぶしぶ、或いは恐る恐る例会に出席すると「恥ずかしさを乗り越えて出席された勇気と決断に満腔の敬意を表します」と最大級の賛辞を贈りました。改めてやる気になった会員は多いのです。
 失敗しても、早い機会に例会出席すると何とか頑張ることができます。そして、考え方も良い方向に変わるのです。

 私達は、失敗しながらも勇気をふるって出席した会員に、その失敗の原因の追求などということをしてはいけないと思います。
 失敗の原因の追求は、自分自身でもっと時間がたって、断酒が継続されるようになってからやっても遅くはないのです。

 失敗した人が例会に出席した場合は、あらゆる配慮の上でその人に「よし!もう一度頑張るぞ!」という気持ちを起こすようなアドバイスをすることだと思います。
15. アル中は一家の病気である。
 酒を飲み続けてアルコール依存症といわれる病気になるまでには、10年、20年と長い年月がかかります。「自分の酒は普通の酒ではない。止めなければならない」と努力するようになってからでも4~5年たっているのが普通です。病的な飲み方をするようになってから平均10年も経過しています。
 この10年もの長い間、家族は病気とも知らずに共に生活するのですからその間に、いつの間にか家族全員が病気に巻き込まれて、家族自身も病的な状態になっています。

 家族は生活の全てを振り回され、互いに傷つけあい、憎しみ、苦しみの生活の中で絶望し、孤独で無気力で不安定な精神状態になっています。争いの絶えない暗い家庭で生活を強いられている子供は被害をもろに受けて、無気力、無関心、学力低下、登校拒否、非行、更には自閉症、心因性反応等の症状を示す様になることさえあります。

 この様な病的な状態に陥っている家族がそのままでは、酒害者のよい協力者となることはできません。日本の断酒会が酒を飲んだ酒害者だけの会ではなくて、家族ぐるみの会にした理由は、ここにあると思われます。家族自身も酒害から、病的な状態から解放され、立ち直る必要があるのです。

 松村会長は「アル中は一家の病気である」とだけ言っていたのではなく、必ずその後に「だから家族ぐるみで治して行かなくてはならないのです」と結んでいました。そうでなければこの言葉は生きてこないのです。



16.断酒会は、酒害者の酒害者による酒害者のための会である。
 断酒会は平等な立場から参加した酒害者の主体性のある運営によらなければなりません。そして断酒会は酒害者によって構成された自助(セルフ・ヘルプ)に徹した市民団体でなくてはなりません。

 我が国の多くの断酒会は、精神科医の指導によって結成されました。従って、病院に依存した状態で運営されている断酒会は、いつまでも自立しようとしないで発展性がありません。このままだと断酒会としての機能をしないことに気付き、指導の立場から協力者の立場に、そして助言する立場に転換することになりました。

 行政依存の状態の断酒会も同じく健全な発展は望めませんでした。

 断酒会活動は、酒害者である私達が、自分のために酒害者や家族のためにやるもので、それ以外の人達を対象とはしていません。従って、断酒会の構成は、酒害者を中心に作ります。

 医療・行政関係者の断酒会に深い理解のある人達をスタッフとしてご協力をお願いすることは、賢明なやり方であります。

 いつも自分が酒害者であり、自分の酒害について自覚があり、酒害の克服に真剣に取り組んでいれば、この言葉の意味は自然に判るようになります。

17.酒害者は酒のため墓場へ行くか、断酒会で酒を断つか二つの道しかない。
 アルコール症になると、自分の選べる道は2つしかなくなります。

1.酒を飲む方の道を選べば
 毎日飲み続け、間違いなく酒が直接原因で墓場行きになります。あまりにも周囲の人達を傷つけ、自分自身をも傷つけたまま死んで行きますので、人間として生まれたことの意味が何も生かされないまま死んで行かざるを得ません。

2.酒を飲まない道を選べば
 断酒会に入会して酒を断ち、新しい生き方を目指すようになります。豊かな人間関係の中で、幸福を死ぬまで追い続けることが出来ることは、本当に素晴らしいことです.しかも、その道は自分で選べるのです.

 中間の道はないのです。

・断酒する気で入会しても、失敗する人もいますが、酒を飲んだことを反省し、断酒に真剣に取り組むことによって、酒を飲まない道を選べるようになります。

・断酒ずれして、ちょいちょい隠れ飲みをしながら口を拭(ぬぐ)っている人もいますが、必ずアル中らしい死への道を選ぶことになります。断酒が出来ている人に較べると、感動も喜びもなく、人は欺(あざむ)けても自分は欺けず、だんだんと向上心が失われて行くからです。節酒は絶対に出来ず、私達には中間の道はないのです。

◎ 私達には2つの道しかありません。人間でありたいと願うなら断酒の道を選ぶしかないのです.

18.会員は断酒暦に関係なく平等である。
 断酒会は、酒を止めたいという願望さえあれば、、その人の社会的地位や経済状態などは全く関係なく誰でも入会出来、そして、入会してからも全く平等な扱いを受けることが出来ます.

1.断酒会は断酒歴が長いといって特別扱いをしません. 何故なら
・アルコール症という病気を持っていること。
・この病気を克服するには酒を飲まないこと。
・自分の人間としての在り方を生涯考えて行かねばならないこと。
など、共有した方法をとるからです.

2.断酒会は新しい、古いの比較で優劣を論じられない世界です.
・断酒歴のある人でも人間的な成長が止まり、危険な状態になることがあります.
・新しい人でも真剣な取り組みの中で素晴らしい人間になりつつあり、全く不安を感じさせないことがあります。

3、残念なことに、一部の人にその断酒歴を誇り、偉くなっていく人を見受けます.
・例会の中で断酒歴の長い人の説教めいた話には感動を与える力はありません.
・新しい人の必死に頑張っている人の本音には感動があります.
・断酒会では、断酒歴の長さだけで評価しないことが基本にあることを知っておかねばなりません.

◎一番大切なことは、例会では、私達が全く同じレベルで体験を語り、聞くことによって、魂の結びつき、人格の触れ合いを得るということです。

19.自覚なき酒飲みの多い中で入会された勇気に敬意を表する。
 松村会長は、新入会員に対して、いつもどんなほめ言葉を使えば良いか考えていた方です.
 「あなたは、自分の酒害について自覚できた立派な人です.」
 「勇気ある決断に敬意を表します」等です.

◎入会を決意するまでに誰でも悩んだり、迷ったりするものです。
・命より大切だと思っていた酒を断つのですから、生やさしい考え方では断酒に踏み切れるものではありません。
・動機が何であれ入会することは勇気がなければできません.
・本心から酒を断つ気になった人は勿論ですが、たとえ疑心暗鬼であったにせよ、何とかしなくてはと考えただけの入会であっても素晴らしいことです。

 ぼろぼろの心と、よれよれの身体で会場に姿を見せた新入会員に私達は、心の底から感嘆し、敬意の念を持ちます。駆け寄って握手を求めるのは芝居ではありません。そうしなくてはならない衝動に駆られるからです。

 新入会員にとってほめられるということは、どんなに嬉しいことでしょう。自分自身に愛想をつかし、虚無感にとりつかれているときに、他人に認められ、他人にほめられるこの感激は一生忘れることはないでしょう。

20.断酒会員には普通の人より何か優れたところがある。
 優れた素質を持つ人が、アルコール症になる傾向があるなどと、誤解しないで下さい。

 松村会長は「アル中を克服する人は、世間一般の人より何か優れたところがある」と言っていたのであって、それは、アル中(アルコール症)から立ち直るには、「心」と「体」の二つの病気を克服していかねばなりません。病気を一つ克服するのにも相当な努力を要するのに、二つも一緒に克服するというのは大変なことだからです.

・一般の人でも精神的に一歩前進することは困難なことです.

 だから、断酒が継続される中で、一般の人達よりすっと真剣に人生に取り組まねばならないのです。その努力が出来ている人は、何か優れたところがあると言っているのです.

・しかし、優れたところがあるとほめられても、決して思い上がらないで下さい。

 2つの病気を病むようになった原因は自分自身にあり、この2つの病気を克服するのは、私達にとっては義務であり、断酒は私達にっとって当然やらねばならないことですから。

21.節酒は出来ないが断酒は出きる。
 アルコール症を癒すということは、節酒出来る状態に戻すことであると考えていた精神科医等もいました。
 「節酒はできないが禁酒はできる」と、その治療方法を「酒のないところに隔離する。それは1年より2年と少しでも長い期間の方が良い」というスイスのフォーレル博士等もいました。
 「節酒は出来ないが、断酒はできる」と、酒のある地域の中で同じ酒害者と一緒に頑張って行く「断酒」しかないと実証したのは
・アメリカのAAの創始者ビル・ウィルソンやその仲間達。
・日本の「全日本断酒連盟」松村春繁会長やその仲間達です。

◎なぜ、私達は節酒が出来ないのでしょうか。
 アルコール症の恐ろしさの最大のものは、何と言っても
・自分自身の人間性の喪失であり
・周囲の人達との人間関係の破壊です。
 そうしたことのすべては、私達の酒を飲むことによって起きて来たことです。

◎そのため、たとえ、酒の量を減らしたといっても
・酒を飲んでいる自分自身に向上心が起こる筈もなくなく
・周囲の人達も少しでも酒の入っている私達を見て、かつての信頼感を回復してくれる筈はありません。

◎断酒とは「自らの意志によって酒を断つ」ことなので、人間らしい心を大切にしている限り、いつまでも酒を飲むことはないのです。
 そこには生きる喜びが、いつも満ち溢れているからではないでしょうか。

22.飲酒に近づく危険の予防のため自己の酒害を常に認識しよう。
 入会して10日、20日と必死の努力を重ねて、どうやら断酒が続くようになっても、酒を飲みたくてたまらない気持ちは急には消えてくれません。「断酒の喜び」とともに[少しぐらいなら]と考えたりする「飲酒の誘惑」がいつもあるのです。

 長い間、断酒が継続されている人達でも、酒びたりの頃の最悪な状態や、入会当時の苦しかった努力も、いつの間にか忘れ、懐かしい思い出となり、時には楽しかったと錯覚することもあるのです。

 人間の心くらい不思議なものはないのです。時間の流れの中で、どんな苦しかった記憶も過ぎてしまえば、全て美しいものに変えてしまい、酒害の恐ろしさも、それにつれて薄れていくのです。自分の酒害を非常に軽く見てしまう傾向が必ずといってよいほどくっついていることを知っておかなければなりません。

 そうした傾向を危険だと考えて改善しない人は、20年、30年と断酒が継続されたとしても、元のアル中に戻る可能性が強いのです。

2039/09/23のBlog
23.酒害者に対する奉仕は自分の断酒の糧である。
 AAの創始者ビル・ウィルソンは、アルコール依存症であった旧友ボブ・スミスとの出会いがあって断酒が継続されていきましたが、記録の中に、初めの頃は、飲酒へ戻りそうになったことは何度もあったが、その中で彼は「ほかの何が失われても、アルコール依存症の仲間たちと務めに励むこと」が彼を救うということを悟りました。
 「失望しては何度も病院へ足を運び、患者さん達と話すことで不思議に意気高陽できるのであった」と記されています。

 アルコール症で入院している患者さん達に断酒を説いて廻った、その行動が、自分の断酒の糧になっていることに気付いたわけです。「人につくして我が身をたくす」ということです。

 松村春繁会長も断酒会が結成されるまでの1年8ヶ月間、一人で断酒が継続された理由の一つに、下司病院を退院した患者さんに励ましの手紙を書いたり、訪問して説得したりしたことをあげています。

 酒害相談に積極的に取り組んでいる会員達は言います。「最初は酒のために困っている人のため、何かしてあげようと思って努力しているのですが、結果は人のためでなく、自分自身のためになっている」と自分の断酒の糧になることは誰も否定できません。「自分自身のため」そうした意味では、世間一般の奉仕活動とは少々意味が違うかもしれません。
 酒害に対する奉仕は、酒を飲んで苦しんでいる人や、家族と接する中で
・自分にとっての病気の本質をいやというほど再確認出来る。
・酒害者と酒害者の温かい連携。
・人間と人間との触れ合い。
・自分自身の人間としての在り方。
など、あまりにも多くのことを学ぶことが出来ます。

24.仲間の体験をよく聞き、自分の断酒を再確認しよう。
 「語るは最高の治療」という言葉が記録の中にありますが、自分をひたすら語ることは
・自分の持つアルコール症という病気を一番的確に確認することであり、
・過去の誤りを反省をこめ素直に話すことによって、自分の心を浄めることが出来るのです。

◎しかし語るだけでは駄目であって、仲間の体験を熱心に聞くということを並行してしていかなければなりません。
 なぜなら、仲間の話を聞くのに不熱心な人には、やがて自分を語ることが出来なくなります。自分の経験したことが無数にあるにもかかわらず、話せることがだんだん少なくなり、遂には、自分を語るのにマンネリ化し、同じ話の繰り返ししか出来なくなります。
 仲間の体験をじっくり聞いている人は、自分で今まで気のつかなかった心の奥底にある歪み、ひずみ、優しさ、温かさといった短所や長所まで気付いていくことが出来ます。
・仲間の話に啓発されて、いろいろな物の考え方が出来るようになる。
・新しい方で先輩達の話を聞くことによって、何らかのヒントが得られ、体験を話すようになる。
・新入会員の話に感動し、最低だった頃の自分を素直に語るようになったり、
・恰好の良い話だけしか喋れなくなっていた人が、自分の欠点を素直に語っている先輩の話に感動して、事実のみを語るようになったりする。
◎自分の力で創り上げた断酒理論も、それが絶対でなく、まだまだ改善すべきであり、まだまだ成長すべきだと判るのも仲間の体験話からです。

2039/08/23のBlog
25.家族、同僚の協力を得るために、絶対呑んでは行けない。
家族は長い間、ご主人の酒に巻き込まれて苦労した奥さんの仲には、入会したことで酒が止まるとは毛頭期待していない人もいます。
同僚は、普段は好意的でいろんな面で理解を示してくれる人でも世間一般に根強く残っている「アル中になると酒は絶対止められない」という考え方を持っていて、断酒会に入会しただけでは余り評価はしてくれません。「どうせすぐ飲むだろう」ぐらいにしか考えてくれないものです。

 だから自分を取りまく人達が、断酒や断酒会について理解の進んでいない場合、入会早々失敗することは、致命的な結果を出すことがあるから注意が必要です。

 最初からたいして期待していない人にとっては、失敗は当然の結果だと考えられるため、当人が失敗を乗り越えて頑張ろうとしても、なかなか協力をしてくれません。

 こうした状況に置かれた人達は、何か何でも頑張って欲しいと思います。

 全く期待していなかったのに断酒が出来ると、家族や同僚の考え方は180度変わり、どんな協力でも積極的にやってくれるようになります。

 しかし、たとえ、失敗があったとしても、決して挫(くじ)けないで下さい。何回かの失敗があり、家族・同僚の協力が得られない中で断酒に成功すると、すんなり断酒に成功した人よりもっと強い協力と深い理解が得られるからです。
26.断酒会に入会すること。
 アルコール症は一人で克服は出来ない病気であります。だから、アルコール症者は断酒会に入会する事によって全てが始まります。

 しかし、そうした事実は入会して断酒が出来てはじめて判るものであって自分の酒に悩みながらも入会の決断が出来ない人達にはなかなか判りません。

 しかし、一人で何回となく断酒に挑戦し、失敗を重ねながらも断酒への願望を捨てることなく、遂に断酒会につながった人達を私達は心から尊敬します。

 松村会長の新入会員の歓迎の言葉の中に入会に踏み切った勇気と決断をたたえながら必ずといってよいほどこう付け加えていました。「入会しただけで貴方の断酒は90%成功したと言えます。しかし、残りの10%がなかなか難しいのです。早く会員にとけ合って、一緒に努力すれば必ず断酒に成功します。」
 稀(まれ)には一人で断酒に挑戦して頑張っている人達もいます。しかし、残念なことに、一人だけの弱さがいつかは出て来るものです。
・なぜか断酒会のように判り合える仲間が居りません。
・断酒の理念を知ることが出来ません。(断酒して生涯幸福を追い続ける)
・一人だけでは、一人だけの独特な考え方でだんだん断酒の方向を見失い、やがて失敗につながるのです。

◎断酒会なくして断酒なく、断酒なくして己れなし
2039/07/23のBlog
27.最初の一杯に口をつけないこと。
 入会当初は、ただひたすら我慢のときで、私達は何故、断酒しなければならないか、何のために断酒会に入会したのか、考える余裕がなくなることがあります。

◎そうした時の私達の酒との闘いは、酒の入ったコップを手にするかしないか、極めて単純な二つの選択を迫られることになります。
・ちょっと考えて下さい。私達にとっては一杯の酒が一升・ニ升の酒と同じであるのです。私達は適量が判っていないがら、それを守ることの出来ないアルコール症という病気を持っているのです。
・そうした切迫した状況に時々なる人は、それの予防として、お金を持たないようにしている人もあります。

◎また短期間の断酒の出来ている人で少しぐらいなら大丈夫と考えて、試し飲みをする人もいます。
・今までの努力の跡を振り返ってください。
・失敗の経験のある人は、それを思い出してください。
 ほんのちょっぴりで何回となく、どうしようもない状態にまでなったのではないですか。

◎笹の露ほども飲んではいけないのです。一滴の酒で命を失うことになるからです。

28.時間励行。
 「アルコール症の人は狂った時計を持っているようだ」といわれています。
 どんな大切な約束があっても、酔っぱらっていれば平気ですっぽかし、約束の場所に行く途中にでも飲みたくなるとすぐさま予定を変更しました。私達の持っていた時計は飲みたい欲望と酒の酔いの加減で自由自在に針が動いていたのです。

 私達は断酒会に入って、時間が特別に厳守されていることに驚きました。断酒するということは、酒を飲まないだけでなく、酒に支配されていたすべての状態から脱却することであると教えられ、時間に関しても酒のために自由自在に振り回されていた狂った時計を捨てて、正常に時を刻む時計を持つことであると理解しました。

 例会は雨が降っても火が振っても定刻に開かれます。会長や支部長や司会者が遅れてもそんなことには関係ありません。定刻には、きちっと閉会されます。

 酒のために生活の折り目、切り目を失っていた私達が、断酒して社会に適応するために一番手近にあってやれることが、この時間遂行でもあるのです。難しい断酒理論を理解することよりも、時間通りに例会に出席することの方がずっと重要です。

 松村会長が時間遂行を特に強調していた最大の理由は、断酒して新しい人生に取り組むためには、従来の日常生活を一新する必要を痛感したためです。そのスタート地点にあるのが時間を守ることだったのです。

◎私達は、断酒会員としても、社会人としても、きっちり時間を守らなくてはなりません。

29.仲間に励ましの手紙を書こう。
 松村会長は、全国行脚の列車の中で、駅のベンチで、事務所で、自宅で寸暇を惜しんで励ましのハガキを書き続けました。

 失敗し、絶望して断酒会を撤退しようとしている仲間達は、一様に孤独になっています。劣等感や無力感の中で再び酒を手にするようになっているのです。

 そうした仲間達に温かい励ましの手紙が届いた時、彼等はもう一度やり直す気になるのです。励ましの手紙でなくても、例会案内のハガキでも、彼等は断酒会の仲間達との間に見えない糸でつながれている友情を感じとれるのです。

 松村会長からもらった励ましの手紙で、もう一度断酒への再スタートをした仲間も多く、また、例会案内のハガキでもう一度何とか頑張って見ようと決意した仲間もいます。

 お互いに頑張っている者同士が励ましの手紙を交換したり、断酒に踏み切ったばかりの一番苦しい状態の仲間に励ましの手紙を出すことの重要さは誰もが知っていることです。

 全国大会やブロック大会、または研修会等で、遠くの仲間達との交流も盛んです。

◎連帯の輪を大きく拡げるためにも励ましの手紙を仲間に出しましょう。
2039/06/23のBlog
30.全国組織の拡大につとめよう。
 松村会長が酒害者のために全国行脚をはじめたとき、「全日本断酒連盟会長」という肩書きのある名刺をいただいた方が、「たった高知と東京の二つの会で全断連とは少々オーバーだ」と思ったそうですが、いや「全断連というのは大風呂敷ではなく、何が何でも全国の酒害者のためにひろげなくてはならない志だった」と理解したそうです。

 松村会長は少しでも早くに全国に断酒会組織のネット・ワークをひろげ酒害に苦しんでいる人達の為ために力を貸さねばならないと考えていました。病躯を押して全国行脚を続けたのもそのためです。

 「全断連の原点は、何といっても松村春繁会長の全国行脚である」と言えます。

 「断酒できた喜びを、酒害の何たるかも知らずに苦しんでいる酒害者とその家族のために一刻も早く伝える」という酒害者救済活動は、断酒会活動の原点であり使命でもあります。

 酒で苦しんでいる人や、その家族に接することで、ともすれば薄れがちになる自分の酒害の記憶を生々しく思い出し、自分のやるべきことが再確認できます。

◎常に愛と感情を自分のものにできる純粋な酒害相談活動に取り組みましょう。

31.厳しさのないところに断酒なし。
 アルコール症を克服することの困難さは、普通の病気とは根本的に異なった病気であることです。
 普通の病気になると、医師は診断し、病名をつけ、治療してくれます。少々時間がかかったとしても元通りの状態に回復します。

 しかし、アルコール症を克服するためには、医師の治療を受け回復したとしても、それは一時的に元の状態に戻ったということで、それから先は自分で治して行かなければならないのです。再び飲酒するとすぐにも元の状態になるため、自分の努力で断酒していかねばならないのです。

 そして、私達がアルコール症を完治するためには、生きている限り断酒しなければならず、「断酒実践は永久の課題です。」
 従って、いくら長期間断酒が出来ていても決して真剣な取り組みを怠ってはなりません。

 私達は人間としての在り方を間違え続けて来た歴史を持っています。断酒して新しい生き方を始めた現在、少々厳しいと思っても常に人間としての在り方を考え、酒のみならずあらゆる面で過去の甘ったれた生活を反省し、改善して行かねばならないのです。

 また厳しさは他の人達に求めるのではないのです。厳しさに馴れ、厳しさを楽しさに変えてこそ、本当の意味での断酒が出来るのです。

32.実践第一。
 松村会長や多くの先輩達が考えていた断酒法を一言で説明すると「実践第一主義です」ということになります。

 時間と労力をかけなくても、アルコール症の病識を徹底的に頭にたたき込めば、或いは断酒出来るかも知れません。自宅で、心静かに内観でもすれば、或いは酒を飲まなくなるかも知れません。しかし、そうした傾向の断酒を志した人に現在断酒が継続されている人は居りません。

 何故でしょうか?随分長い時間をかけて酒を飲み、随分長い時間をかけて次々と周囲の人間関係を駄目にし、自分自身もだんだんと駄目になって行くのに気が付き、「止めよう!止めよう!」と何回となく考え、反省し、懺悔し、そして飲み続けてきた歴史があります。アルコール症への軌跡を遡(さかのぼ)って考えれば、そんな楽な方法ではとても断酒は続けられないと思います。

 やはり、アルコール症者が断酒し、断酒を継続するためには、体を使って例会に出席し、足を使って酒害相談に駆けめぐり、そうした行動の中で仲間達と徹底的に判り合う努力をし、また、自分自身を知る努力をする。即ち、行動の中で断酒とは何か?について考えて行くしかないと思います。

 「松村方式」の持つ二大理念である「新生」と「連帯」には、日常生活の中で真面目にこつこつ働きながら、新しい生き方を創り、仲間達と心の底から判り合える連帯をするために常に仲間達のいる場所に出て触れ合う機会を作るという実践活動なしでは考えられないのです。

 実践の中で得たものを、自分の持つ理性を使ってじっくり判断して始めて体得できるものだと思います。

33.他力による断酒でなく、自力、自覚の上に立つ断酒であること。
 入会当初は当人がこれといった断酒への動機付けができず、何のために断酒しているのかはっきりしない場合があります。しかし断酒会は不思議な力を持っており、たとえ当人に積極的な努力がなくても、何とか断酒の日々が続くとそれなりの自覚も芽生えて来ます。そして、断酒の喜びも徐々に感じるようになりますが、まだまだ家族のために止めてやっているとか、先輩会員のために止めてやっているというような甘ったれた考え方も残っています。

 断酒は自分自信のためにやるのであるという自覚を持つことが大切です。自分以外の人のためにやる断酒では到底永続きはしないと思います。

 自分の努力が自分の生き方を良い方向に変えていることが判れば、積極的に断酒に取り組むようになります。そうした良い方向に考えを変えてくれるのは例会です。その例会で恥ずかしがらずに過去の体験や現在の考え方を事実通りに喋れることによって、自然に断酒の自覚も出来、自分の力で精一杯頑張るものだと気付くようになります。

 押しつけがましい意見を述べたり、考え方の間違いを細かく正したりしないのは、そうしたやり方が決して彼等に自覚を与えないことを知っているからです。

 永く断酒が継続されている先輩の歩んだ道や考え方を真似すること、それ自体は決して悪いことではありません。しかし、いつまででも先輩の真似では断酒は続かないでしょう。いつかは自分で自分に最も適した方法を捜し、自分に一番似合った断酒理論を持つべきでしょう。

◎他人の力に依らずに、自覚の上に立った断酒を確立しましょう。
2039/05/24のBlog
34.失敗しても悲観するな、成功への糧とせよ。
 私達は失敗することによって自信をなくします。「断酒会に入っても酒の止められないどうしようもない人間だ」と卑下し、断酒することを諦め、「俺はこんな生き方しか出来ないのだ」と考え、ますます飲むようになります。

 断酒会では何回となく失敗しながら、その失敗の中から自分自信を見つける力をつけ、成功に結びつけた人は沢山います。決して諦めないで下さい。家族も同様です。
 挫(くじ)けずに素直になって自分自身を洗い直してみましょう。入会時の白紙の状態に引き戻してみましょう。多くの誤まりに気付くことでしょう。

 再び失敗しないために、前回の失敗の原因について考える必要があります。失敗のパターンは自分が一番よく知っています。
 前回と同じ傾向が見えた時は、従来と全く違った考え方や、やり方を選ばなくてはなりません。そうでないと失敗します。
・例会出席がだんだん減っていたのではないでしょうか。断酒優先を常に考えて下さい。
・少し断酒が続いたからといって、少々断酒することの持つ意味を軽く考えるようになったのではないでしょうか。
・何か壁につき当ったとき、素直に仲間に相談しなかったのではないでしょうか。

◎「失敗した頃と同じ考え方、同じやり方が次の失敗につながる」ということの確認が、失敗を乗り越えて成功するための糧となる一番大切なことであります。

35.消極的だが初心者は酒席に出ないこと。
 松村会長は、そのケース、ケースで言葉を使い分けており、酒席に出ないことが消極的というよりもむしろ積極的な断酒法であると言っていた方が多かったようです。

 私達は断酒することによって自分自身の中に「酒のない文化」を作りつつあるのですが、一般社会人として酒席について考えた時、無視できないものに冠婚葬祭等の義理があります。

 入会当初の不安定な時は、家族が代わりに出席したりします。当人が出席しても、早目に出席して早目に帰るという方法を取っています。それは飲酒の誘惑に駆られるから危険だということだけでなく、私達断酒会員と一般飲酒者との間には大きな差があるからです。
 その差とは、酒を飲むことによって酒そのものの価値判断が、彼等とは全く正反対になっているのです。酒席での長居は無用です。
 愛酒家にとって一滴も飲まない人間と同席することは、余り気持ちが良いものではないようです。座が白けることがあったり、酔いが進むと無理に飲まそうとしたりします。初心者に限らず酒席に出ることは極力避けた方がよいのではないでしょうか。自分のためにも相手のためにもです。

 この言葉は「消極的だが」を除いて「初心者は酒席に出ないこと」として考えた方が良いと思います。

36.姓名を堂々と名乗り、断酒会員であることを明確にせよ。
 AAが匿名にしたのは、その方が断酒するために有利であり、私達の断酒会が姓名を堂々と名乗るのも全く同じ意味です。
 欧米ではアルコール症であることが判ると、社会的に大きな差別を受けるようです。しかし、我が国では断酒会に入会して酒を止めることによって、評価されても、新しい偏見を生む心配はありません。

 酒は冠婚葬祭の儀式には欠くべからずものであり、その他の神事に於(お)いてもおなじです。酒は人間関係を円滑にするために使われており、そうした酒席に参加することが半ば義務のようにも考えられています。そうした酒席に出て明確に断酒会員であることを名乗らなければ、他の理由では盃一杯の酒を断る理由にならない場合が多いようです。

 アルコール症であること、断酒会員であることを恥ずかしがらずに堂々と名乗ることで、私達は酒を飲まずに社会に適応していくことが出来るのです。

 稀(まれ)に、姓名を名乗るだけではなく、断酒会に於(お)ける役職名まで得意になって名乗る人もいますが、見当違いもよいところです。私達は社会に対して断酒していることを明確に意思表示する必要がありますが、無名志向であることに間違いありません。

 一日一日こつこつ努力を積み上げて行くことを、世間一般では不言実行という言葉で表現しますが、同じ努力の積み重ねでも断酒会は世間に名を名乗り、例会では事実を語り抱負を述べます。有言実行だとも言えなくもないでしょう。
2039/04/24のBlog
37.各人の性格の相違を認め、各人が自らの体験を通じて体得せよ。
 アルコール症による性格は、意志の弱い人、依存心の強い人、内向型の人等で、ひどい場合は異常性格の持主だけがなるとまで言われたものです。

 確かにアルコール症になってからの私達には、共通した物の考え方や、性癖とも言えるものが見受けられますが、ありとあらゆる性格の持ち主が居り、共通した性格の持主がアルコール症になるとは信じられません。

 断酒会に入会されたばかりの会員達に多少の似た傾向があったとしても、断酒が継続されている中に、断酒方法論に性格の違いから来た発想の差をまざまざと感じます。
・例会で学んだことをただひたすら、こつこつと積み重ねるlことによって、まず自分自身の改善に全力を集中する人。
・自分自身の改善は行動の中から自然に出来ると考え、例会だけでなく酒害相談、教宣活動と最初から幅広く動く人。
・例会は安らぎを与えてくれる場所と考えて、ゆったりとした表情で坐っている人。
・例会は厳しさを与えてくれる場所と考えて、いつも緊張した表情で坐っている人。
・暗い過去を主にして体験発表をする人。
・明るい現在の生活を主にして体験発表する人。

 断酒に真剣に取り組む姿勢は同じでも、性格の違いから来る断酒方法論はさまざまです。そうした時は、どちらの考え方が良いか悪いかを、断酒会で論じるような愚かなことをしないのです。
 基本的な断酒会の持つ理念さえ理解されていれば、方法論はその人その人の体験の中で少しずつ変ったり、または変ることなくしっかりと自分の心の中に定着するのです。日常の実践活動が真剣になされていればとやかく批判されることはないのです。

 松村会長の言いたいことは「自分の考え方に自信を持ちなさい。そして、相手の考え方も肯定しなさい。性格の差からくる考え方の差は致し方ないもので、そんなことよりも一番大切なことは、真剣に努力してつかんだものを完全に自分のものにすることですよ」であると考えます。

38.お互いが欠点や失敗を話し合って、裸のふれ合いが出来るようにつとめること。
 アルコール症の特徴の一つに見栄っ張りがあります。私達は見栄を捨てないことには、仮に断酒が出来ていても永続きはしないのです。
 見栄っ張りの人は過去の恥ずかしい体験を語ることも出来なければ、現在の苦しい状態も打ち明けることが出来ません。むろん、自分の欠点を語ることも出来ないでしょう。

 例会に出席しても恰好の良い話や、建前しか語ることが出来ず、何でも素直に事実が言えないため本当に理解出来る仲間になりにくいのです。何故なら、本音の出ない人を理解するくらい難しいことはなく、また近寄りにくいのです。

 断酒会で酒が止められている最大の理由が、平等の立場から参加した人達が、例会の中で事実あった体験と本音を素直に話すことで、お互いの人格の触れ合い、魂の結びつきがあるからだと言われています。そうした人達にはこうした断酒会の持つ一番大切なものを自分のものに出来ないのです。

 アルコール症に至る要因は複合的で、長い年月大量の飲酒をしたという共通点以外には相当な差もありますが、アルコール症になってからは急速に人格の低下が進むのは同じです。そのため、飲酒時代を事実通り語れば、全員碌(ろく)でもない体験はあるものですし、また。断酒してからもいろいろな欠点に気付く筈です。

◎失敗を語り、欠点を認めることがアルコール症を克服する鍵です。つまらない見栄は捨てて、裸のお付合いをして下さい。

39.酒の奴隷になるな。
 「酒にとらわれた自由のない哀れな奴隷になるな」ということでしょう。
 松村会長は「酒の力は、我々の意志をはるかに上回る」と言っています。過去の自分を振り返って見れば容易に納得出来ます。

 何をやるにしても、何を考えるにしても私達は酒を飲んでいなければならなかったのです。素面では何も出来ない酒の奴隷でしかなかったのです。

 あの酒浸りの生活の中で「酒があるからこそ生きていけるのだ」と考えた人は多い筈です。したがって、この言葉の意味は簡単なことで「酒を飲んで、その酒の酔いに勝てるアル中はいないから、酒を止めるしか方法はないのだ」ということだと思います。

 「酒は飲んでも呑まれるな」と世間一般ではよく言われますが、これも酒の奴隷になるなという意味を含んでいますが、それとは全然違うのです。

40.断酒会員であることを誇りに思え。
 もちろん「アル中」であることが誇りになる筈はありません。心身共にボロボロの状態からアルコール症を克服し、自分自身の新しい人間像を求めて努力する姿勢そのものが誇るに足るという意味だと思います。

 過去、無意味に送った長い年月を惜しいと後悔することもありますし、と言って、今から一体どんな事が出来るかとも考えると、もうたいした時間もないから酒さえ飲まずに無事平穏に暮らすしかないのではないかと考えるようになったりします。

 しかし、どんなに年を取ってからの断酒であっても、新しい生き方を目指さなくては、断酒そのものも危ないのです。従って、断酒が継続されている人達は、それぞれ創意工夫をして、何処に出しても恥ずかしくない誰と較べてもより立派な誇るに足る生き方をしています。そうした人達は、自分自身に誇りを持って、人生に取り組んでいます。断酒会員は、世間一般の人達よりずっと真剣に人間としての在り方を追求しているのではないでしょうか。

◎断酒会はアルコール症者が酒を断つ会であると同時に、誇るに足る生き方をしている人達の会でもあります。

2039/03/24のBlog
41.どんなことがあっても会から離れるな。
 私達にとっては、断酒会に入会することですべてが始まり、会から離れることですべてが終わるといっても過言ではないでしょう。

 いろいろな理由で、会から離れたがるようになる人がいます。短期間で脱会したがる人には、断酒ができないという理由が一番多いようですが、何としてでも、もう一度頑張って欲しいと思います。
 数年で会から離れたがる人達には、失敗が度重なり、どんなに努力しても止められないと諦めてしまった人もいますが、反対に、かなり長い期間断酒が出来ている人で、もう例会に出席しないでも一人で止められているからという理由や、会の運営上のことや、その他いろいろの断酒活動の在り方に不満を持ったりする人に多いようです。

 初心に還れとよく言われますが、不可能と思っていたことが確実に可能になった時の感動を思い出してください。会から離れることは、そうした大切なものをすべて放棄することにもなるのです。

 一人で止められると考えている人は、あなたが断酒についてどんなに立派な考え方を持っていたとしても、あなたを理解してくれる人は周囲にいなくなるのです。あなたは多分理解されない淋しさから、また酒に走るようになるでしょう。

 会の運営等に不満を持って会から離れたがっている人達は、そうした不満をすぐ会から離れることに結びつけることに問題があることに気付いているでしょうか。少数意見だとしてもその方が正しいことも確かにあります。しかし、支持されないからといって短兵急(たんぺいきゅう)([意]だしぬけ。せっかちにする様子。)に結果を出そうという考え方は、かつての飲酒時代の根気のなさと同じではないでしょうか。時間をかければ、あなたの考え方が正しければ支持されるようになるでしょうし、正しくなければあなたは自分の考え方を変えることができるでしょう。

◎断酒会との出会いが、今までの人生の中で一番大きな意味を持っていたことについて、今一度確認しましょう。そうでないとすべてが終る可能性があります。

42.条件をつけて断酒するな。
 生命より大切だと思っていた酒を止めるのですから、入会当初は何かと条件をつけたがる人がいます。

 一番多いのは期限付きの断酒ではないでしょうか。1年だけ止めてみるとか、3年だけ頑張るとか。息子が一人前になるまでとか、娘が結婚するまでというのが多いようです。

 入会早々から断酒するということは、一生飲まないことなどとは考えも及ばないことですし、また、人間らしい新しい生き方を始めるのだという考え方もなかなかできないものです。

 何故酒を止めなければならないかについて、正確に、幅広く考えることはなかなか難しいことです。しかし、どんなつまらない条件をつけて断酒していたとしても、例会に積極的に出席している人達は、自分のつけた条件が実は全く馬鹿馬鹿しいものであることに気付き、徐々に考え方を改善していきますが、例会出席のできない人達は、いつまでも自分のつけたいろいろな条件にこだわり、信じられないことですが、ある期間の断酒が成功すると急に飲み始める場合が稀(まれ)にあります。

 入会当初、自分の断酒にいろいろな条件をつけたとしても、それは断酒の持つ意味や、断酒会の理解の進んでいない時でもありますので、決して悪いとは申しませんが、条件をつけての断酒が非常に危険なものでありますので、例会だけは積極的に出席して下さい。そうすれば、やがて自分の考え方の間違いに気付くようになり、断酒は継続されるでしょう。

◎断酒は、私達にとっては生きるための唯一の手段であり、無条件で永久に続けるものであることが、例会の中で理解されます。

43.酒害者の最後の一人までも残すな。
 この言葉は、断酒会の持つ目的の中でも一番大きな意味を持つものです。
いや目的そのものと言えるでしょう。

 世間一般の人達は、この言葉を聞くと「ほらを吹くな」と言うでしょう。断酒会に理解のある精神科医でも「患者さんの中で5%位は、絶対断酒できない人達がいます」と断言します。私達は、仮にそれが事実だとしても容認してはならないのです。自分の周囲を見てみましょう。私達の会員の中に「彼だけはどうしても無理です。あきらめた方がいいです」と宣言された人が立派に断酒しています。

 自分自身を振り返ってみましょう。入会以前、私達の仲には絶対止められないと確信していた人は多く、そして、家族もそう思っていたのです。だから、断酒会に入って酒が止められた時「奇跡が起こった」と家族や友人に言われた人は多いのです。私達は、真剣な努力を続ける中で、今まで不可能だと思っていたことを次々と可能にして来たのです。たとえ、何10回、何100回失敗があったとしても、あきらめてはいけないし、決して「駄目な奴」と断定してはいけないのです。そうした人達にいつも温かい励ましの言葉をかけましょう。「絶対止められるんだ!」という私達の信頼感があればいつかきっと成功するでしょう。

 「一人の酒害者も残すな」という実現不可能と思われる言葉もいつか果たされると信じましょう。「どんなひどいアル中でも、必ず断酒することが出来る」と松村会長は口ぐせのように言っていました。

◎一人の酒害者も居なくなった社会、即ち断酒会を必要としない社会を作るのが、断酒会の究極の目的なのです。

44.素直な心で話を聞こう。
 断酒するために一番大切なことは、素直になることだと誰もが言います。過去のどうしようもない酒中心の生活から抜け出して、全く新しい生き方を目指すためには、素直になるしかないでしょう。素直な心で仲間達の話を聞いて、これからの自分の生き方の糧にしなければ、自分の力だけではいくら断酒会に入会して酒を止めたといっても、自分を改善することができません。

 素直な心で人の話しを聞くことは、最初のうちは意外と難しいものです。参拝会員達がそれぞれの体験を発表しているのに、自分の欠点を突っつかれているような気がして腹を立てたり、やさしく話しかけてくれる先輩に警戒心を持って、少しも相手の気持ちを有難いと考えなかったりします。

 アルコール症になるということは、長い間酒ばかり飲んだだけの結果ではないのです。周囲の人達の人間関係を破壊し、信頼をなくしただけでなく、孤独になって、歪(ゆが)みや、ひずみが心に根強くへばりついているようにもなっています。そのため、はっきり言って、入会当初から素直な心で断酒に励んでいる人は意外と少ないのです。しかし、例会出席が続く中でそうした状態から少しずつ素直な心が持てるようになり、人の話も素直に聞けるようになります。

 語ることで、自分に欠けているものが判り、聞くことで、自分の考え方の間違いに気付くようになり、いつの間にか、いやでも素直になるのではないでしょうか。

◎例会は私達の心をも変えてくれます。素直な心で話を聞くことによって得る収穫は計り知れないほどあります。断酒が継続されるだけでなく、人間として大きな成長があります。
2039/02/24のBlog
45.一年半したら会の運営に参加しよう。
 何故一年半なのか、具体的に説明出来ないのが残念ですが、なるべく早い機会に会の運営に参加しましょうという事だと思います。

 一年半も断酒が継続できれば、不安定な精神状態も始まり、また、能力的にも他の人達のためにもいろいろなお世話が出来るようになると思います。
 人のために尽くすことで、私達の断酒は益々賢くなり継続されるでしょう。

 会の運営に参加することで、
・物事を幅広く見ることも出来るようになります。
・欠けていた価値判断も出来るようになります。
・断酒会の仕組みについてもよく理解出来ます。
・何処に出しても恥ずかしくない社会人としての智恵を自分のものに出来ます。

 断酒会は一部の役職者だけによって運営されると、いろいろ間違いが生じます。大勢の会員の意見を聞き、なるべく会員の意向の反映された運営をしなくてはなりません。

◎一年半断酒が出来たら積極的に参加しましょう。

46.私の屍を乗り越えて断酒会を益々発展さして下さい。
 松村会長は、昭和41年の5月、脳軟化症で倒れました。
 昭和38年の全日本断酒連盟結成以来、全国に断酒会のネット・ワークを作るため、全国行脚に全力を挙げていた無理がたたったためです。しかし断酒運動に生命を賭けていた松村会長は、病気が回復するのを待ち切れず、小康状態を取り戻すと再び全国行脚を始めたのです。しかし、いくら松村会長の断酒運動に賭ける意欲が凄まじいものであっても、精神力だけでは身体の健康は保持できないものです。昭和44年夏から病状の悪化した松村会長は、下司病院のベットで安静を強いられるようになりました。

 この年の11月26日、全断連の第6回全国大会が高知市で開催されましたが、松村会長は病状を心配する会員さんや下司博士の制止を振り切って登壇し、全断連会長挨拶の中で「私の屍を乗り越えて、断酒会を益々発展させてください」とこの言葉を発したのです。

 死期が迫っていることを自覚しながらも、現状の断酒運動はまだまだ満足出来るものでなく、やらねばならないことも、全断連の法人化、全断連会館の建設、組織の拡大等を山積していた松村会長が全国の同志に後の事を遺託した悲痛な言葉でもあったのです。

 私達は自分の断酒が長く継続されていると、ともすれば積極的な取り組みを忘れがちになります、会員個人個人だけでなく、断酒会そのものも沈滞気味になることがあります。そうした時は、私達はこの言葉に込められた松村会長の気持ちを思い出しながら、松村会長の言った「酒害者の最後の一人まで残すな」の大目的達成に情熱を燃やし続けようではありませんか。

47.一県、一断酒会。
 昭和38年の全断連結成を契機に「断酒会」の主旨は次第に全国に浸透し、昭和42年頃から「燎原(りょうげん)の日」([意]野原を焼く火のように、ひじょうな勢いで物事がひろがるさま。)のごとく燃え拡がっていただけに、松村会長はその目標の一つの県に一つの断酒会の結成を夢みて、全断連が本当の意味での全国組織になるように願っていました。

 しかし、当時すでにある県では分裂騒ぎがあり、かつての仲間達が意見の相違から反目対立するという事態もあり、このことを非常に心配し「一つの県に二つの断酒会の必要はない。一つの組織の中でなんとか努力して仲良くやれないものだろうか」という願いを持っていました。そうした意味では一つの県に一つの断酒会でよいとも取れます。

 しかし、現状のように会員数が激増しますと、大都市や人口の多い県ではあまりにも組織が肥大化し、運営面でも非常にむずかしく、現在ではいくつかの断酒会があり、それが一つの連合体を作っています。また、連合体がつくられていなくても、我々は同じ理念のもとに断酒会活動を行っているのですから、多少の技術的な差があっても協調できるはずです。

◎一つの県に一つの断酒会しかないと思わすような、調和のとれた断酒会活動を行いたいものです。

48.会員は人に疑われるような場所に行くな。
 松村会長は断酒会結成以前から一人で断酒していましたが、一滴も飲まずに頑張っているとはなかなか信用してもらえず(口惜しい思いをしたそうです。)それは、「アル中」になると絶対に酒は止められないと、世間一般では考えられていたからです。従って、彼は日常生活の中でもいつも自分の姿勢に細心の注意を払っていました。

 奥さんが僻(へき)地(ち)の小学校で教員をしていたため、独り暮しの彼は、近くに食料品店がなかったため、食酢は酒店で求めていましたが、「アル中」の松村が酒店に出入りすることは世間の疑いを招くと考えて、一升瓶に白い紙を貼り、カタカナで「ス」と大きく書いていたそうです。また、酒席も冠婚葬祭に限られ、必要最小限しか出席せず、いつも明確に酒を止めていると意思表示していました。

 「断酒成功率」に関しては創世期と大して変わりなく、30%前後が普通で、断酒会に入会しても断酒に成功する人よりも失敗する人の方が多いのです。酒さえ飲まねば良いのだと言って、進んで酒席に出るような無意味なことをすることは、断酒会に対する誤解を招きかねません。確かに断酒会員は酒さえ飲まなければ、会員としての最低の条件を満たすことになりますが、はたして、それだけでよいものでしょうか。そうした行為は単に世間の誤解を招くだけでなく、自分自身が飲酒文化の魅力にはまだまだ捉(とら)われていることを意味するのです。

 断酒するということは、世間に酒のあることを認めながら、自分の中に断酒文化を創ることでもあるのです。酒場の雰囲気が好きなのはまだまだ危険な状態です。

◎私達の断酒に取り組む姿勢は、ただ積極的であるだけでなく、理性的な細心の注意も必要なのです。

49.初志貫徹。
 初心に立てた志は最後まで貫き通しましょう。

 酒を止めようと決意しました。酒のない人生を送りましょう。

 断酒会に入会しました。生涯断酒会員でありましょう。

 例会に出席することによって明るい展望が開けました。終生例会に出席しましょう。

 仲間達の友情に感動しました。いつもそれについて考えられる人間でありましょう。

 自分自身の人間としての成長を願いました。一生努力しましょう。

 断酒することは新しい人生の創造であることが判りました。常に若々しい精神でこれからの人生に挑戦しましょう。

 志は貫徹してこそ意味があるのです。
2039/01/24のBlog
50.君と僕とは同じ体質だ。断酒するより他に生きる道はない。
 断酒会の創世記に松村会長がよく使っていた言葉です。全国行脚の行く先々で難しい話をするより、この話の方が説得力があったようです。

 AA運動の創始者達は、アルコール中毒はアルコールへのアレルギーであると言う内科医W・Pシルクロースの一つの疾患説を採用していました。もちろん今では支持されません。

 松村会長も一時期アルコール・アレルギー体質という言葉を使っていましたが、やがて使わなくなりました。そのかわり「一度アルコール症になると、いくら断酒しても再度の飲酒で簡単に元の身体に戻るため、私達は絶対酒を飲んではいけない体質になってしまっているのだ」と強調していました。

 アルコール症は、心と身体の二つの病気であると理解しています。従って、長期間断酒できても、潜在的には飲酒の願望を持ち続けるという心理的な因子が潜在し、体内に少量でもアルコールが入るとたちまち考え方がガラリと変ってしまって、飲むことにしか頭になくなり、短期間で昔のように酒を要求する身体に戻ってしまうと考えています。

◎断酒するしか生きる道はないのです。

51.語るは最高の治療

 新会員が例会出席を嫌がる理由は「何を喋ってよいのか判らない」と「何か喋ると笑われそうではずかしい」の2つがあるようです。
 松村会長は「無理に喋る必要はありません。名前だけでも結構です」名前を喋る習慣がついてくると、いつの間にかその後に「頑張りますのでよろしく」とつけ加えることが出来るようになるからです。

 先輩達がいろいろ気を遣って少しでも喋らせようとするのには、深い意味があります。いつ、どんな場合でも、未知の者同志に新しい人間関係が作られる時には、必ず両者が言葉を交わすことが必要です。何かを喋るからこそ、人と人とが係り合いを持つことが出来ることを知っているからです。
 例会で一番先に生まれる一番大きな収穫は何といっても仲間意識の芽生えです。これはほんのちょっぴり何かを語ることで始まるのです。
 
 断酒会は酒を断って新しい自分を創造して行く会ですが、酒を断った直後には新しい物の考え方はなかなか生まれて来ません。従来通りの発想で、従来通りの生活の中で、ただ、酒だけは飲んでいないという形を作るので、酒を止めていることの意味が判らなくなったりします。
 私達は随分長い間、何をするにもその前にまず一杯でした。それが、一滴のアルコールも入っていない状態で物を考え、何かやろうとするのですから混乱するのも無理のないことです。

 混乱を防ぐには例会に出席していろいろなことを知らねばなりません。例会で人の話しをよく聞き、聞いたことを自分なりに判断して、今度は自分が話すのです。少しずつ考え方も進み、いつの間にか、酒を止めて初めて自分自身の独創的な考え方を確立するようになります。そして、自分に初めて生まれた考え方に固執する人と、、次から次へと経験する中から新しい考え方を創り出す人に分かれるのです。

 頑固に自分の考え方に固執すると、相反する意見や、少し違った考え方まで否定するようになり、仲間との人間関係をまずくして、遂には例会でも素直に自分の考えを語ることが出来なくなり、折角の語ることの大切さが生かされなくなるからです。

 「語るは最高の治療」という松村会長の言葉も、素直に語り、素直に聞くという前提があってこそ生きて来るもので、自分なりに深く掘り下げた立派な意見でも押しつけがましく語るようでは意味がなく、また、自分に合わない話でも、それなりに評価はしてあげる度量がなくてはならないからでしょう。自分も肯定し、人も肯定することによって、私達は温かい人間関係を保っていけるのです。

 「語るは最高の治療」という言葉の意味も、語ることによって自分の裸の姿を理解してもらうことであり、お互いが裸になることによって、本当の話し相手が出来、仲間であることを確認し、仲間であるからこそ一緒に酒が止めて行けるということなのでしょう。
 体験発表の中で現在を語り、将来への抱負を語るだけでなく、過去の酒浸りの時にあった事実を語ることは、自分自身の持つアルコール症という病気を語ることであり、一番大切な部分だから、ただひたすら自分を語る必要があるのです。

 過去のどうしようもない自分を語ることによって、アルコール症の恐ろしさを再確認し、現在の真剣な努力を語ることによって人間らしく生きていることの喜びを感じ、将来への抱負を語ることによって、断酒幸福の本当の意味を追い続けることが出来るのです。
 「語るは最高の治療」といっても、現在の満たされた状態を得々と語るだけでは、大した意味はないのです。

52.例会は体験発表に始まり体験発表に終る

例会では「自分の体験のみ、ひたすら語る」という原則は、案外守られていない場合があります。危なっかしい内容の発表が新入会員によって話されますと、先輩達は非常に危険だった頃のことを思い出して、アドバイスもやはり自分の体験の発表という形でなされるべきだと思います。「そういう考え方は間違っている」とか、「こういう考え方にしろ」とかいう指導や説得が行われますと、例会の空気は一変します。アドバイスしている当人が何年も断酒が継続されてようやくつかんだアドバイスでは、押しつけがましくて相手の気持に訴えるものがありません。余りにも考え方のずれがあるからです。

 一番大切なことは、私達は断酒会に入って断酒できても、一足跳びに従来の酒で歪められた考え方が改善されるのではなく、日常の実践活動の中で少しずつ良い方向に変っていっているわけで、間違った考え方でも正直に語っていることに意味があります。そうしたことを評価しながら、自分のかつての状態をありのまま語る方が、ずっと効果があります。例会の持つ真剣で純粋な雰囲気を保ちながら感動を与え盛り上ります。
 こうした状態の例会で一番大切なことは、会員全部が入会時の自分の状態を思い出し、自分自身の断酒の原点に立ち還ることだと思います。そうすることによって、一番理想的なアドバイスができるのではないでしょうか。

 あるところでは、2時間の例会の時間帯が、30分、40分という長い時間に渉(わた)って会長のお説教によって占められていたり、時には、発表の内容の批判が名指しで公然となされる場合すらあると聞きます。こうなると何のための例会なのか疑問になります。会員達は事実を話すことを怖れ、恰好の良い話を聴くことに疲れ、何の感動もない形だけの集会となります。家族もお茶くみやあとかたずけ等のお世話に終始して体験発表もろくにしないところもあると聞きます。それでは、参加者もだんだん遠のき、最後には例会は成立しなくなるかも知れません。

◎原則通り、全員がひたすらに自分の体験を語る「体験発表に始まり、体験発表に終る」例会を持ちたいものです。

2038/05/17のBlog
写真ーーーーーー>中田陽造先生

2012年11月11日(日)

【西宮断酒友の会 第12回 ≪体験談を語る集い≫
講師:中田 陽造 先生(神戸協同病院特別指導医)
 テーマ:アルコール依存症って、どんな病気?」
回復への道・・・なぜ断酒会なのか

於:若竹公民館講堂
主催:西宮断酒友の会

中田陽造先生の講演 その1
おはようございます。中田です。私は西宮の住民なんです。
そういう関係がありまして、ここの断酒会とは古くからのお付き合いで。
元々は阪神断酒会の西宮支部と言ってました。

その阪神断酒会の西宮支部の時からのお付き合いでありまして、その頃はい五十川さんっていう方が支部長しておられたんです。
彼が「西宮の断酒会も独立しようと思うんですが」とおっしゃいましたんで。
「大変良い事やから、僕も住民として、全面的に協力するから独立しなさい」言うて阪神断酒会から独立した西宮断酒会、最初の断酒会の名前です。
で、色々あったんです。
色々あるのは横に置きまして、次は西宮断酒会から、西宮断酒新生会っていうのが出来たんです。

その次に、西宮断酒新生会から、この西宮断酒友の会が出来ました。
最初の西宮断酒会っていうのは、地域の名前です。
そこを出た時に断酒会の名前どうしましょうか?と、相談受けたんです。
で、日本の断酒会の原点は、高知と、東京にある東京断酒新生会と、高知断酒新生会ですね。だから、「新生会にしたらどうですか?」と、僕がお勧めした。
それで西宮断酒新生会が出来た。

そこから、また、この西宮断酒友の会の初代の会長の桑野さんが新しい断酒会を造られたんですが、その時桑野さんが私んとこへ、「新生会があって、西宮断酒会があって、その次にどういう名前にしたらいいですか?」と聞くから「そもそも日本の断酒会の原点の名前は東京断酒友の会と言った。
その会は、もう東京にはありません。
元々は日本禁酒同盟が、東京の本郷教会で月例会をやっていました。
月曜例会をやっていました禁酒同盟っていうのはキリスト教がスポンサーです。
その日本のキリスト教が、アメリカでA.A(Alcoholics Anonymous)という会が成功しているという話を聞いて、救世軍の山室武甫(ぶほ)という人をアメリカへ送ってA.Aを勉強させたんですねえ。
昭和26年です。
山室武甫(ぶほ)さんが、研究してきて色んな資料を持って日本へ帰って来られた。それから禁酒同盟と、救世軍とが、研究を重ねましてねえ、昭和28年まで、2年間も研究した。中々しっかりしてますわあ。

2年間研究に研究を重ねて、A.Aをそのまま入れたら、日本では拒絶反応を起こす。
何故かと言ったらA.Aは宗教なんです。
A.Aが宗教であるという事をねえ、今頃あまり知られてないんですねえ。
だけど、私はアメリカに6年留学したので、上手じゃないんだけど、英語を読めるんです。この仕事を始めるにあたってA.Aのビックブック(BigBook)、こんな厚い本を読んだんです。

そしたら、そこに一番大事な事が書いてあるのが、この別紙(チラシ)の、こういう風に横向きにして下さい。
・・・左手の下の所に書いてあります。
A.Aのこの下に書いてんのがねえ、A.Aの大事な原則の最初の3つです。
・・・(読まれる。)・・・1..我々は酒に無力である事を認めます。

えー。2番目、PowerはPが大文字です。
英語では大文字で書いてあるのは神を意味するんですね。
我々よりも偉大な神があってその神が我々を正気に戻してくれる事を信じる。
believe、信じるです。
はっきり書いている。

・・・3番目、我々の身も心も神のケアにお任せします、と。
神に我々の身も心もお任せしますと書いてあるんですねえ。
これが向こうの非常に大事な・・・。神というのは唯一絶対的な神で、「神の言う事を聞かなかったら死後の霊魂が地獄に落ちる」という信仰ですね。

ユダヤ教から、キリスト教に。
ダヤ教から、イスラム教にと、一神教なので神様は一人です。
基本的なところはですねえ、キリスト教徒が言うてる旧約聖書。
私はアメリカに行った時に最初の2年間はニューヨークにあるユダヤ系の大学病院におったんです。
ユダヤ人と友達になった、2年間。
ユダヤ人が言うのには、「キリスト教徒の旧約聖書、the Old Testament、あれは間違いであって、あれが唯一絶対的な聖書である。
「聖書」は「神の言葉」なんです。

それは絶対的で、本当は翻訳してはいけないんです。
それをユダヤ人はタナックと言うんですねえ。
TNKと書いて。
ユダヤ語には“A、I、U、E、O”という字が無いんです。
ですから、子音がズラズラーっと並んでいるのを如何に発音するかっていうのは、旧約聖書の事をTNKというんですが、
その旧約聖書の中に書いている言葉がキリスト教でthe Old Testamentとしている。

それがユダヤ人には許しがたい事だと言うんです。
それが最後にはイスラム教でクルアーンの中にも取り入れられている。
クルアーンというのはアラビアの言葉でして、日本ではコーランと言うてます。
これをコーランとイスラム教徒に言うたら殺されます。
クルアーンと発音せないかんのですが、とにかく、一神教の最後になったクルアーンの中にはですねえ、神の絶対的な禁止命令がはっきり書いてあるんです。

具体的に神様がやったらいかんて言うのは、
①占い事をしたらいかん。
②賭け事をしたらいかん。
③偶像を崇拝にしたらいかん。
だから、タリバンがバーミアンで仏像を爆破するんですね。
あれは現在は文化遺産ですけどね。
イスラム教徒にとっては、あれは偶像なんですねえ。

だから、偶像を崇拝しないように爆破していきます。
その次に4番目が、「酒飲んだらいかん!」。

イスラム世界では。クルアーンに書いてある。
絶対にいかんと書いてあるという事はその他の一神教でも、キリスト教も、ユダヤ教も基本的には好ましくない。
ただ、イスラム教のように、はっきり言葉には書いてないだけで。
で、その4つの禁令を破ったらですねえ、政府の裁判官じゃない、聖書というのは「神の言葉」を書いてあるから、それに対する違反はですねえ、教会の坊主が死刑を宣告するんです。

で、その死刑はねえ、イスラムの時代の死刑は「石打の刑」といって、市場の中に穴を掘って下半身を埋めて、町の人が石を持ってきてボォーンとぶつけるんです。
「石打の刑」です。
で、石で埋まるまで積み上げて、で、取り除いて全く無傷であれば、神様はこの人を無罪だと認めたと言って解放されるんですねえ。
そんな事ありえないですよ。

ですから、酒というのはイスラム世界では絶対にいかん!他の一神教でも基本的にはいかんのです。
私はニューヨークに2年おって、その後、ワシントンDCの郊外のメリーランド州の連邦政府のメディカルセンターに4年おったんです。
大体、東海岸っていうのはですねえ、基本的にはカトリックであるイギリスから新教徒(プロテスタント)が迫害されて、逃げて来たんだから、あの辺のアメリカの地方をニューイングランドというんです。

ニューイングランドというのはイギリスから逃げてきた人達が国を造ったからニューイングランドというんです。
非常に敬虔なキリスト教徒です。
新教というのはカトリックに抵抗したプロテスタントですけれども、皆さんは、マルティン・ルターをご存じだと思うんですけれども、ルターは学者なんですね。
それで、聖書を初めてドイツ語に翻訳した。
聖書はラテン語で書いてあったんです。
えー、向こうの人は、教養のある人はラテン語を読んで書けるんです。

だけどそれはもう死んだ言語なんです。
ラテン語からイタリア語ができ、ラテン語からフランス語ができ、英語ができ、ラテン語からドイツ語が出来た。
そのヨーロッパの言語の原点がラテン語です。
それは現実には死んでいるわけです。

しかしラテン語は色んな所に出て来てますねえ。
皆さん方幾らかは聞き覚えてらっしゃると思うんですけれども、元々アメリカで起こった断酒運動の事をアルコーリックス アノニマスと言うんですね。
アルコールリックスというのはアルコール依存症者。
アノニマス(Anonymous)のAは打消しですね。
ノーマルは正常でしょう。
アブノーマルは異常でしょう。

そういう風にですねえ、Aが前についたら打ち消すんです。
アノニマスのノム(nom)というのはラテン語なんです。
ラテン語から英語になってネームになり、ドイツ語ではナーメになったんです。
Aでノム(nom)を打ち消しているという事は匿名ではないんです。
匿名とは名前隠すんです。
アノニマスは無名なんです。

何で無名かと言うとちょっと日本人には理解が出来ないけど、私は6年間も、アメリカで非常に敬虔なクリスチャンの多い、東部で生活していましたから、生活の実態として知っているんですねえ。
向こうの人達は普通子供が産まれますとねえ、自分たちの所属するキリスト教会へ連れて行く。
そのキリスト教会へ連れて行って、カトリックでは神父さん。
アメリカでは大部分がプロテスタント。
プロテスタントであれば牧師さんが、「洗礼」という、クリスチャンになるという儀式洗礼をしてくれる。

洗礼をしてくれたらその後、神父さん或いは牧師さんが洗礼名、クリスチャン名を付けてくれるんです。
で、僕の最後のメディカルセンターの直属の上司は、ジョン・ポール・ベーダー。
ジョンというのは自分の親が付けてくれた名前。
ベーダーは家の名前。
真ん中にあるポールという名前が洗礼名。

で、A.Aは洗礼名でお互いを呼び合う。
決して匿名ではない。
何で洗礼名で呼び合うかと言うたら、神の一族になるという印なんですね。
神の一族になったら、神様のいう事を聞かなかったら、死後の霊魂が永遠の地獄に落ちる。それを彼らは信じているんです。

本当に信じてるんですよ。
僕は6年間アメリカに居って色んな人に接しました。
最初の2年間はどちらかというとユダヤ人が多かったですねえ。
ユダヤ人は勿論、一神教の原点ですから、死後の霊魂を信じていて、その霊魂が地獄に落ちるという事を信じている。
キリスト教徒も信じている。
勿論、イスラム教徒も信じてます。

ですから現在、イスラム世界では激しい戦いがあるでしょう。
あれ、あんまり良くないですねえ、宗教というのは信じる信じないは別として、僕は信じてませんけど、勉強して理解せんといかんですねえ。
元々のイスラム教も、時代と共に宗派が別れたわけです。キリスト教でも、カトリックと、プロテスタントが別れましたねえ。
それと同じように、スンニ派とシーア派と2つの大きな宗派があるんです。
許しあえないんですねえ。

認め合えない。
シーア派の中心はイラン。
スンニ派の中心はエジプトなんです。

所謂東の方はシーア派、西の方がスンニ派なんです。
この両方の勢力が重なっているところがパレスチナなんです。
シリアはそういう風に重なっている場所なんです。
ですから、スンニ派とシーア派の人が混在しているんです。派が違うと全くの敵対関係ですねえ。
あそこの大統領はイランの系のシーア派なんです。
今、抵抗しているのはスンニ派なんです。

で、それはお互いに絶対許しあえない、絶対的な神様があるからね。
そういう風に神が出てくると非常にややこしい。
有り難い事に日本には神が無いんです。
だって“捨てる神あれば、拾う神あり”とか言うでしょう。
これ全然無いんですわ。
八百万(やおよろず)の神様がいらっしゃるからねえ。
そういう所に我々はおるわけですから。
その神に逆らう事によって死後の霊魂が地獄に落ちるという事でブレーキは掛からない。
しかし、一神教では掛かります。

でも、日本というところではね“赤信号皆で渡れば怖くない。
”という国ですから、「皆と一緒」という事が非常に大きなブレーキになるんですねえ。
だから、「断酒会」。だから、「断酒会」。

余計な事を私はすぐに言うてしまうんで、脱線しますから、あまり脱線しない
2037/01/24のBlog
写真ーーーー>中田陽造先生
その5
ない。「禁酒」は無理なんです。「禁酒」は無理だという事を私は勉強して初めからやらない。
だから、外来だけなんですねえ。
「断酒会へ行きなさい」。「断酒会へ行きなさい」。
それを言っているだけです。

「僕は全然力が無いよ。何もしてあげる事は無いよ。
でも、あなたは断酒会に行って、皆と断酒仲間になったら救われる」と教えてあげている。依存者の方は、酔いが覚めると、強烈な二日酔い。
そういう身体的泥沼と「又、失敗した」「又、やっちゃった」という精神的な地獄で「どん底」に陥る。
家族はここで、「どん底」に陥って飲んでいない時に言うとかんと、素面の時に言うとかんと、「ガンガンガン」言いますね。
体がしんどくて、精神的にもまいっている時に、ギャンギャン言われると「一杯飲まんとやっていけんわ」。「一杯飲まんとやっていけんわ」という状態になる。こういう事をひっくるめて飲酒に協力する、不可能な事をを可能にすると言う。
過保護というのは自立心を奪って、無力で依存的な人間を作る事をサミュエル・スマイルズという人が明治時代頃(1895年)に発表した「自助論」という本に書いてます。
逆にEnablerが反省して、飲んだらもう一切過保護をしない。
素面の時には、そこの絵に描いてますように「“口にチャック”して焦らないで待つ」事が大切です。
僕のある患者さんの家族が「先生」「先生」言うて、しょっちゅう来たんです。
それで「そんなん言うたらあかんやないの」「そんなんしたらあかんで」と、繰り返し、繰り返し家族に言うていた。
丁度その時の診療介助についていた看護助手の人がねえ、非常に絵の上手な人だったので、「こんな風な絵を描いてえなあ。頼むわ。」
言うたらこんな絵を描いてくれた。
この絵は随分古いんですよ。

コピー、コピー、コピーして使っている絵です。
「口にチャック!焦らないで待つ」。
配偶者はしばしば子供を味方につけるんですねえ。子供を味方につけて、子供を盾にします。そこまで行くと子供が両親に囚われてしまって、何とか家庭の崩壊を防ごうとする「大人のような子供」、それを「Adult Children:AC」と言います。
Adultというのは大人という意味ですねえ。
ここでは形容詞にして、Childrenの形容詞です。
略してACになるんです。

そういう子供は心理的に非常に無理をしますから、無理をして親孝行する。
無理をして優等生。私の患者さんの子供さんなど中学校の男の子でしたが、もう学校始まって以来の優等生!超優秀な優等生と言われた子供がいました。
そんなんに誰もなりたくないんです。
けど、家庭を守る為にそういう事をせざるを得ない状況になっていた。
Superkid(スーパーキッド)。スーパーマンですね、スーパーマン。kidは英語で子供ですね。

ところがその子供が学校を卒業した頃にお父ちゃんがお酒を止めた。
今度は極悪の劣等生になった。
一気に劣等生になった。

もう服装は乱れるわ、学校に出て来やへんわ、学校では暴言暴力を振うわ、どうしようもなかったですね。
心身症、不登校、非行、学校暴力、薬物依存症等Trouble-Makerになる。
Trouble-Makerもこっちの方に注意を引き付けてですね、問題の焦点をそらさせようとして、結局は全員が自分を見失う。

で、依存者の断酒で地獄の火が消えた後で大人になれないChildish Adult(チャイルディシュアダルト)。Childishは形容詞ですね。
発達障碍者は社会性を欠如し自立困難。で、そういう人は火が消えた後で不出勤、摂食障害、家庭内暴力、薬物依存、ギャンブル依存をやる。
アルコールはやらないですねえ。で、結局断酒の足を引っ張り、不全家庭を継代する。
まあ、そういう事が、大ざっぱなアルコール依存症の理解ですね。

山陰の断酒学校ではカレンダーを作っています。
全部が全部良い文言とは言えません。でも、妥当な文言を出したのが別紙ですね。
まず「医者も家族も断酒会も酒害者を治すことはできない。」禁酒は出来ないという事です。「しかし、酒害者を治す唯一、一人の人がいる。
それは酒害者その人である。」

断酒は出来る。
どうしたらいいかと言うと、カレンダーの5日のところ。
「今日一日断酒に全力をつくそう。」1日断酒ですね。
次に、21日のカレンダー「酒を止めるだけなら断酒会はいらない。
酒を止め続けるために断酒会が必要なのだ。」止め続けな話にならんね。
それでカレンダーの3日の「酒をやめることが何故恥ずかしいのか。
止められないことの方が本当は恥ずかしいのに」。

日本人は“恥”がブレーキになりますね。
「赤信号皆で渡れば怖くない」。“恥”。皆と一緒にならなければ恥ずかしい。じゃあ周りが皆飲んでると、飲む事が良くって、飲まないことが恥ずかしい。
下に書いてあるように、「酒席」には出ない。

どんな事があっても出ない。酒席では周りが飲んでいるのに私が飲まないのは恥ずかしい。しかし、「僕は飲まないから」何かの祝賀会に行って乾杯する時も、「僕飲まないから、水にしといてよ」と言います。
ウェイターもおかしな顔はしない。

しかし、それが酒害者には出来へんのやねえ。飲まへんのは恥ずかしいと思っている。
ですから、そういう所には行かんのが大事です!「酒をやめることが何故恥ずかしいのか。止められないことの方が本当は恥ずかしいのに。」これが断酒会の価値観ですね。
例会出席、一日断酒、が唯一の価値です!紙を横に向けて下さい。
左手に書いてある英文の文言の方はアメリカのA.Aの12ステップのうちの大事な1~3のステップ。
A.Aは神に背くのが「罪」。日本の八百万(やおよろず)の神々は皆、酒が好きですから、日本人にとっては断酒会しかない。
後は一番大事な体験談の時間です。いつもは最後までいるんですけど・・・。今日は先月から今月末まで、大阪社会福祉研修所の「社会福祉指導主事」コースの非常勤講師として木曜日の18:00~21:00の講義がありますのでWeek-dayは病院診療をしていますので、日曜日は講義の準備の為、これで失礼させて頂きます。どうも有難うございました。(拍手)
2034/11/01のBlog
写真ーー>講演者下司病院理事長下司孝之氏

「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その1
講演者 下司病院理事長下司孝之氏

「日本の断酒会発祥60周年記念例会」が、9月28日(土)東京都武蔵野市西久保コミュニティセンターにおいて開かれました。
高知市下司病院理事長下司孝之氏が、
「重なる歴史の断酒会 今日を活かそう」と題して
記念講演され、当会ブログ掲載了解いただき長文にて、
その1~その4まで、4コマにて掲載させていただきます。

尚日本禁酒同盟ホームページに掲載されていますので、検索「日本禁酒同盟」にて閲覧下さい。
http://nippon-kinshu-doumei.fd531.com/

日本の断酒会発祥60周年記念例会 2013.9.28
於 東京都武蔵野市西久保コミュニテイセンター

重なる歴史の断酒会 今日に生かす
~下司病院と断酒会の歴史を踏まえて~

下司病院理事長 下司孝之
キー・ワード 「断酒会の原点」 「内から外へ」
今日は60周年記念例会にお招きをいただきまして、
ありがとうございました。
小塩完次さんや山室武甫さんには父がお世話になりました。
下司孝麿宛のお手紙が沢山残っています。

先頃なくなられた貴会の小塩政子さんは二度も東京から高知酒害サマースクールに来られているのにおっしゃらないものですから、ご紹介もできずに失礼しました。
私の連れ合いも大学院の論文のことで貴会の49周年記念例会にお伺いして、お世話になりました。

下司孝麿は禁酒同盟からは断酒会結成後も大変なご指導を受け、
貴会の禁酒新聞も度々断酒会の動向を掲載してくださりました。
孝麿自身も亡くなるまで、永く顧問にまでさせていただいて恐縮の限りです。

1 断酒会のルーツ

断酒会のルーツ(源流)は禁酒運動です。
有名なところでは「青年よ、大志を抱け」の名文句で知られる
北大クラーク博士が「学生が飲酒にふけり、学問を疎かにしている」様を嘆いて禁酒運動をしたことが知られています。

又、安藤太郎ハワイ総領事が日本からの出稼ぎサトウキビ刈り労働者が飲酒の悪癖に染まっているのを嘆き、樽を割って自らも禁酒に踏み切ったことが知られています。

 禁酒は会ではなく「運動」から始まります。
アメリカではワシントンクラブの禁酒ステップに手を入れAAは発展します。
AAは会というよりは断酒以外は手がけない運動体です。

日本では戦後、日本禁酒同盟が断酒の会を発想します。
1953年、昭和28年9月12日禁酒同盟傘下に「断酒友の会」が生まれ、これが日本における最初の断酒会発祥になります。
運動で始まったものは収まりかえった「会」で終わらせては発展がありません。断酒会は自らの問題とするところは会の名前を使って運動できます。(AAは出来ない)

一般財団法人日本禁酒同盟(Japan Temperance Union)は「酒害に関する知識を普及し酒害の予防及び酒害者の救済を目指す団体」で1920年設立されます。
禁酒運動の金字塔は 未成年者喫煙禁止法 明治33年 1900年
 未成年者飲酒禁止法 大正11年 1921年
を成立させていったことで、戦前もタバコよりも飲酒の法案に手を焼いて21年もの差が出来ています。

やがて禁酒愛国・断酒報国の軍国主義へ巻き込まれていきます。
ポスター標語にも『大東亜戦争に勝つまで酒をやめませう』『戦勝祈願断酒 酒代を戦費に』の文字が見られます。
禁酒同盟の加藤純二理事長(全断連顧問)は、全断連「かがりび」平成16年122号~平成17年125号へ寄稿してこうまとめています。

「禁酒運動は敗戦を機に『禁酒して対米英戦を勝ち抜こう』のスローガンが地に落ちてしまった。

明治初期から日本の近代化に尽くして日本の土となった多くの宣教師などの会員の献身があったにもかかわらず、禁酒同盟が『鬼畜米英』の声に抵抗しなかったことに大きな悔恨の念が起こったのではないかと思う。
組織がそれから立ち直るのは大変だったのではないか。
それに対して、断酒会とその全国組織である全断連には戦争体験責任は無かったのである。」

禁酒運動を政治が悪利用した例です。
だからこそ全断連『指針と規範』・断酒会規範の十項『断酒会は政治、宗教、商業活動に利用されない。』とありますが、単に選挙に利用されないといったことではない大問題なのです。

現行憲法は国民主権ですから、断酒会を国家政策に奉仕させるべきではないと考えられることになりますが、戦前の歴史に学ぶことは充分になされていないように思います。

2 断酒会の原点

原点は酒害者民主主義だと思います。
 『酒害者の酒害者による酒害者のための断酒会』(下司孝麿)
断酒会という言葉も禁酒運動が生み出した言葉ですが、禁酒運動の先進的な努力、工夫を取り入れて現在のアジア型というか、日本の断酒会を作り上げていきました。

キリスト教の影響も強い禁酒運動にして、よく断酒会の雛形を作り出したものだとご苦労を拝察いたします。

横一列平等のAAには仲間を超越する神の存在を想像させ、西欧ならこれはキリストでしょう。

「断酒会は町内会や消防団などと同じ縦型組織ですが、横々運営を心がければ良い」(吉田建夫・高知精神衛生センター初代所長)の言です。
『病院と断酒会は平等』(下司孝麿)の原則に即して患者さんの主体性を認め、会が築きあげられて、大きな不祥事も無く全断連も50年間やってこられたのだと思います。

高度経済成長期に松村さんという優秀なオルガナイザーを得たこと、時と人の存在があればこそで、民主主義を尊重する運動として会を発展させてゆこうという近代的な考え方が重要であったと思います。

そこには実践を尊ぶ地道な現場があります。
それ以前の病者運動は結核患者を中心とする戦闘的な『患者同盟』があり、治療には栄養をつける場の施設が必要な時代の要請から文字通り食べるための激しい生活権闘争を繰り広げていました。

経済と断酒会が急拡張を遂げる1960年代の後半からは学生の異議申し立て運動にも触発され、医療被害・薬害・公害など、会社や国の政策を問いただす運動が盛んになります。

このような要求を掲げる運動の間にはさまれて出来た断酒会は第一義的に自らの問題に取り組み、他人の課題に取り組むことを立ち直りの最初期には戒めています。これは政治的に無自覚であれとする運動ではなく自分の足元を先ず固めるのが肝要なアルコール依存症の特質から取られた運動です。

これが「一日断酒、例会出席」の主テーマとして表されています。

下司孝麿は新聞「断酒」4号より掲載された自らの断酒鉄言『酒をやめるにわけはない 一、今日一日だけ止めよう! 一、例会に必ず出席しよう!』(1962.2)が標語の元の言葉であったといっています。

国の社会保障政策や製造元責任を問う運動との違いが出たのは断酒会の持ち味でもあり、厚生省に『暴れる精神病院でも困り者のアル中の会』との警戒感を出させないようにしたからではないかと思います。

でも鉄言は「一日断酒、例会出席」のふたつにとどまらなかったし、政治的関心から遠のけというものでもなかったのです。

3 禁酒運動から断酒会運動へ
断酒会の原点はと問われれば、私は「酒害者民主主義」ではなかろうかと思います。
断酒会の最初期に提起された言葉ですが、下司孝麿は「酒害者の、酒害者による、酒害者の為の断酒会」として支援者による越権行為をたしなめていました。これが酒害者民主主義として定着してきたように思いますし、医療や、行政の過度の介入に対する規範として機能してきたことと思います。

下司孝麿は禁酒同盟から東京断酒新生会が独立する過程を目の当たりにしていますから、支援の限界を強く印象付けられたことでしょう。
これらの民主主義の理解は断酒会がAAの伝統から学びとったことでもあると思います。

断酒会の順当な発展は戦後の民主主義感覚と合致して断酒会を発展させてきたといえると思います。
断酒会が創始者は松村春繁だと力強くいうのは、彼らのアイデンテイテイからであります。

今ここで、そもそも断酒会という言葉は断酒会が作った言葉ではなく、禁酒運動から生み出された言葉であり、原点の彼方に影響を与えた禁酒運動が源流としてあった歴史を確認する必要があると思います。

禁酒運動が近代日本の最初期から活動をはじめ、一定の社会的役割を果たしつつも、国家の戦争政策に飲み込まれ、「大東亜戦争に勝つまで酒をやめませう」という禁酒報国に堕して、酒害者や国民の利益から離れていったことが戦後期に禁酒運動が国民の支持を失った原因ともなったことと思います。

戦前の禁酒運動が、誰に依拠するのかを探り当て得ないで国家と容易につながった限界をここにみます。
禁酒同盟の機関誌「禁酒之日本」には名古屋大教授による酒害者は「断種」せよとの優性学的な論文が掲載されていますから、とても酒害者本人による断酒運動というところまでは意識が繋がらなかったのだと思います。

その禁酒同盟も断酒会を生み出す際にはAAに学ぼうとします。
AAも戦後民主主義の申し子として取り入れられ、断酒友の会が日本AA支部を名乗ったことすらあります。

戦後の禁酒運動には、戦争への協力にいたった反省から、酒害者に向き合う努力がなされて、AAに学び断酒友の会、東京断酒新生会、断酒修養会などの開設運営がなされていったと思います。

AAは独立した存在ですから、断酒会も禁酒会から独立してゆくのも自然な流れだったのではないでしょうか。

また、戦後期の禁酒会は戦争への反省から反戦平和の理念を掲げ、戦後初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹などの「世界連邦」創設への運動へ手を伸ばしていったのだと思います。組織は別でしたが禁酒会理事長に世界連邦を推進する片山哲元総理がなっていましたから彼の心情でもあったと思うのです。

余談ですが1960年、私も高校2年生のときに「世界連邦を作ろう」との主旨で学内弁論大会に登壇したことがあり、その雰囲気は分かります。残念ながら理想主義に過ぎ、よって立つ政治基盤が無く運動は広がりませんでした。

断酒会は自助団体でありますが、現在の断酒会には、自分自身の断酒から、自分たちの断酒へ進んでいかなければ自分の断酒もおぼつかなくなるという確信部分が欠けていっているように思います。

それは戦後の経済成長期にかもし出されたマイホ-ム至上主義・中産階級意識による狭い意味の個人主義による仲間意識の解体によるものと思います。

こうして断酒会の社会への露出度も少なくなっていきます。
そうした今、断酒会は誰と提携すべきか考えてみる必要があります。

よく言われるのが、行政と病院との連携ですが、その二つともに行き詰っているのではないでしょうか。

「小さな政府」を掲げる社会保障政策により保健所は統廃合され、「役人を減らせ」で保健師さんは少なくなりデスクワークに張り付き、酒害家族教室はすっかりなくなり住民サービスは減りました。

病院でもアルコール医療に取り組んでいるところも減少し、極端な自己完結医療もみられます。

むしろ、断酒会にとっての連携相手は他の病者運動であったり、市民であったりする仲間性に目を向けるべきではないでしょうか。
今一度、なぜ会なのか、なぜ全国組織が必要なのか問い直しが必要と思うのです。


下記クリックして、PDFにて閲覧プリントできます。
2033/09/24のBlog
写真ーー>式典
「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その2

4) 松村春繁初代断酒会・会長との出会い

★ 松村春繁 享年65歳 
1905(明治38)年4月1日~1970(昭和45)年1月30日
後免町(現・南国市)の診療所・川田内科より紹介されて来院、下司孝麿が勤務する町田病院精神科外来を受診。1950年~1956年の6年間、高知市内帯屋町二丁目の町田病院内科に5回の入院を繰り返します。

『兄のアルコール依存症死』にも『今際の母の手が振り払った拒絶』にも『妻文子に常子の誕生』にも断酒できず、『主治医のなんともいえない顔』にこれは見捨てられては大変だと、ようやく断酒につながります。医師が医療の敗北を認め、そのとき松村に始めて断酒の意思が芽生えました。

○治療歴 精神病院入院歴はなし((町田には精神科ベッドはなく、なだいなだ等の精神病院入院記述は誤り。下司孝麿はアルコール依存症患者を系列の精神病院「精華園」には回さなかった) エメチン療法は失敗します。

○人柄 ベッドで聞いている広沢寅造 くどき文句は義理人情 ヘビースモーカー の印象があります。 このタバコで人生を終えました。

○労働運動 戦前の無産運動では検挙歴もあるがこのとき早くも酒害で開催届けを忘れ演説会が弾圧を受けます。

○民同人脈 江田三郎 西尾末広 氏原一郎 佐竹晴記 片山哲ら、断酒会時に人脈を生かす。

○断酒運動 「2年ほど経つと自分で前を切り出しました」 病院がつけた秘書の川村効子嬢の談
 「 余人はいざ知らず、貴君は治る 」 
聞いたインテリの小林哲夫さんは嬉しくなました
 「早く医師になって」 私に この時期、酒害に取り組む医師は皆無、今また医師不足な環境

☆ 下司孝麿 享年96歳 松村の9歳年下 1914(大正3)年8月17日~2011(平成23)年6月2日
1950年 エメチン療法を学会発表 この頃松村氏が受診に現れます。
1956年 松村春繁 断酒に踏み切ります
1958年 1月14日に下司が松村に断酒会創設・誘いの手紙を出します。
1958年 11月9日松村氏らの高知県断酒新生会設立を応援します。
禁酒同盟小塩完次講演会での松村春繁と小原寿雄、二人の出会いは、AAにおけるビル(証券マン)とボブ(外科医)の出会いを髣髴とさせます。当時は自助運動そのものが珍しい時代でそれまでは劣等者として「アル中は『断種』すべし」とされていました。
1960年 やっと断酒運動の芽が出ます
 高度経済成長の始まり 鉱工業生産性指数と酒生産量の右肩上がり同一カーブを描きます。 戦後猛威を振るった結核の終息と1960年代後半 医療被害・薬害・公害運動の起きた狭間に断酒会は高度成長を遂げます

5) 断酒会の誕生

断酒友の会 
 1953年、9月12日、日本で初、禁酒同盟傘下に発祥。

高知県断酒新生会 1958年11月25日、下司病院応接室

東京断酒新生会 1958年12月 5日、 池袋信用組合会議室 (断酒友の会より分離)

東京断酒新生会が禁酒同盟から独立 1962年 4月 1日

東京断酒新生会と高知の二つの会で全日本断酒連盟 結成 1963年11月10日 土佐電鉄文化ホール
 その相方に禁酒同盟の援助がありました。
「断酒会」という言葉や規範の原型が禁酒運動から継承しています。

6) 断酒会支援者

下司孝麿の高知県での取り組みは同時期取り組んだアメリカ生まれのライオンズクラブからは奉仕精神を学び、断酒会運営へのヒントにしました。

一方で、酒を排撃するものではないと酒国土佐で対社会的に断酒会とバランスを保つために知事などと酒を楽しむ社交クラブ『羊子会』結成します。

病気として酒害を捉え、治療は次第に →薬物療法 →集団精神療法 →断酒会へと進みますが、断酒会への支援が先行して、院内治療は遅れます。

全国行脚を続ける組織運動家の松村春繁氏を援助し組織化を支援することに精力を使ったといえます。

こうして、時と人を得た断酒会は高度成長の日本社会に適応してゆきました。
高知で断酒会を支援した人としては沢村栄一高知大教授と秦泉寺正一高知大教授が上げられます。 

沢村栄一 教授は、フルブライト資金で米留学。
AAを視察、翻訳しました。田舎の高知から独自調査をして断酒会を支えていったわけです。

秦泉寺正一 高知大教授は、旗・バッチ・歌などにオリジナリテイを発揮 集団療法の効果を知っていました。

下司孝麿と同時に断酒会に集団精神療法を構想したといえます。東京オリンピックの準備に駆り出されて1962年頃には断酒会支援を終えました。

中沢寅吉 中沢薬業社長は、戦前から高知の禁酒運動家として私財を投じて禁酒運動を続けていました。2年間、毎回断酒例会に連続参加して下さっていました。

7) 断酒会のいいところ

うわべを飾らずに心情を語れるところ。
薄れ行く人間性のよみがえるところ。
断酒会は株のように誰かが得するから誰かが泣くことがない、何人でも立ち直る人数に制限がない。

お酒をやめるには仲間から酒害体験を聞けるところ。
励ましあい、助け合い、慰めあいの気持ちが触れ合う場所。(下司孝麿)
日本経済に貢献、経済貢献は1兆円と言ったことがあります。
(下司孝麿)

何時でも何処でも誰でも出来る会(下司孝麿)
断酒の仲間を持てて、ないのが自殺です。

仲間を大切にする断酒会には除名がない。
(断酒鉄言・下司孝麿)
断酒会には病院への保険証も、税金の支払いも要りません。

断酒会こそ近江商人の家訓「売り手良し、買い手良し、世間良し」で繁盛した「三方良し」そのもので、
「酒害者良し、家族良し、世間良し」の実践者。(下司孝之)

断酒会は我が国最大の歴史のある自助共助の病者団体です。
公益法人になって相互援助団体になったのでは。
徒党を組める幸せもあります。
仲間がいていいですね。
精神病院の風通しを良くしました。
会として社会奉仕に動けます。

8) 断酒会は酒害予防に社会参加できる

酒害を生活習慣病として捉えると、アルコール依存症も予防が大切となります。予防には一次、二次、三次の三段階があります。

アルコール依存症の一次予防では病気の発生そのものを防ぎます。断酒運動は体験発表を持って地域や学校・職場の勉強会に参加が出来ます。

二次予防は病気の早期発見・早期治療のことで発見を手伝え、早期治療につなぐことが出来ます。

三次予防は再発防止で断酒会通いはリハビリのようなものでしょうか。
このように断酒運動は酒害を1次予防から3次予防までカバー出来る存在です。健康な習慣があるほど病気にかかりにくいことは酒害でも自明の理です。個人でも、会としてでも断酒会は予防活動に参加できる位置にいます。

9) 三つの否認を解除して

私は一つ目の『依存症の否認―私には酒の問題は無い―』の次、二つ目の『依存症以外の問題の否認―私には酒以外の問題は無い―』、を家族と社会に分けてみました。
1、依存症の否認
2、家族を省みない否認
3、社会を省みない否認

1、は医療サイドでも気付きを促します。
2、は酒を飲んでいた方がまだまし、ちっとも変わってないと言われる・ドライドランカーからの脱却
3、1,2を克服して『家族ぐるみ』で取り組む課題です。

3、においてやっと世直しと余直りを補い合う関係を持つことが出来るようになると思います。
下司孝麿は晩年「断酒して5年も経てば奉仕活動に踏み出すべきである」と申していましたが、このような時期の到来でしょう。
酒害は習慣性や親などからの模倣性が強く、否認の克服を奉仕で乗り越える必要性を強く感じます。

奉仕と言うと嫌がる向きもありますがボランテイアのことで、自らの問題を解決しながら社会改良や変革などの社会活動に参加していくことが望ましいと考えます。

その人の志向に会ったあらゆる分野の社会運動への参加が自らの断酒を確かなものにもします。

『世直し』を志向するならば世直しに持続するエネルギーを送り出していくための1~3の否認を解除してゆく時間も思考過程もいるということです。

「余直り」は『世直し』の高揚感の中でスリップするのを押しとどめます。
社会改良なり、変革なりを思考するにしても酒害者は「余直り」の自己検証を続けていかなければいけない存在のように伺われます。
だからアルコール依存症の場合は回復と言うよりも『立ち直り』だとわたしは思います。


2033/08/24のBlog
写真ーーー>高知市下司病院
「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その3
講演者 下司病院理事長下司孝之氏

10) 自らの問題は『政治』だからと忌避できない。

農協でも医師会でも自らの問題は政治一般として見逃すことはありません。
アルコール依存症者に対しての最初の大きな試練は1970年代に葬り去られた『保安処分』ではなかったかと思います。保安処分は精神障害者にかけられてきた治安維持法のような社会防衛論による取締を主旨とする法律でした。

「良いアル中は断酒会へ、悪いアル中は保安施設へ」(下司孝之)という酒害者より分けの法律です。

これに対して、「断酒会は除名してはいけない」(下司孝麿)という原則を断酒鉄言に掲げています。最近北海道の断酒会は刑事事件にも追放はしませんでした、立派なものでした。

保安処分のような酒害者に予防拘禁をかけていく社会防衛論は依存症者の運動に分断をもたらします。
小林哲夫さんは「ワイドショーでアルコール依存症者の犯罪を見ていると自分でも怖いと感じるが、こうして断酒例会に集まってくれば恐怖心も払拭されている。」と語っています。

1970年代、賛成に傾いていた大野徹全断連二代目会長のお宅に反対の立場で通いました

大野卓子夫人は所属するキリスト教人矯風会が反対しており反対で、話し合ってはご飯をいただいて帰りました。

保安処分には三重県断酒新生会や高知県断酒新生会などが反対しました。
 この反対運動は「指針と規範」の規範十項には抵触しないものであると思います。

11) 表彰・叙勲の捉え方

酒害者が断酒をしたことで公的な表彰を受けるのはおかしい 小林哲夫
酒害を国に認めてもらうためなら個人叙勲もいい 下司孝麿

全断連の場合は大野徹二代目会長が1992年勲4等瑞宝章受賞 継いで三代目井原理事長が受賞しました。対象団体として『保険文化賞』などに地方断酒会も選ばれるようになりました。

全断連が出来たとき、早く国に認められようとしたので受賞も理解できますが、今は国民と認め合う関係が大事ではないかと思います。
仲間とか病院から表彰を受けるのは無論いいことだと思います。

断酒会としての受賞はかまわないとして、保健文化賞などいくつかの県連が貰っています。

下司孝麿の場合酒害への取り組みから2011年6月2日(96歳)老衰で亡くなるまで国の叙勲は受けませんでしたが、叙勲の階級制が嫌だったようです。三代目井原理事長に勧められたときも断っていました。

アルコール関係で受賞したのは以下でした 
1965年(51歳)厚生大臣賞
1973年(59歳)保健文化賞
1988年(74歳)日本医師会最高優功賞

12) 下司病院からみた断酒会

下司病院は断酒会発足と同じ1958年に開設し、断酒会創立と共に歩んでいます。
最初に断酒会の体験性という「長所」を見抜いたのは、なだいなだです。

高知から下司孝麿の紹介状を持って久里浜病院を訪れた松村春繁を病棟に招きいれ講演をさせて、入院患者を感服させる体験性のすごさを会得しました

2008年の高知酒害サマースクールで講師におい出て下さった猪野亜朗先生も、「専門知識はスタッフの強み、断酒会は体験の強み、これを生かしあう事が大切です。」とおっしゃっています。

病院から見て断酒会運営に気がかりなこともあります。宇治の黄檗病院(おうばく)故・広兼明副院長(1983年没)は『病院を一歩でると同窓ではあるが、病院の子ではない』といっておられました。『××病院出身のだれそれ』と断酒会で言うのは断酒会の結束にとって良くないのではと私も思います。

対等の連携する相手として、賢明にも全日本断酒連盟は半世紀にわたり、不祥事もなく巨大な組織を維持しています。それは、行政の補助金に頼らず、自主財源を会員の会費に求めて、補助金はパンフレット製作などで社会に還元して公明正大な運営をなされてきたからだと思います。

2006年には全国精神障害者家族連合会(全家連)が国庫補助金流用分の返還要求をされ、それに伴う巨額負債で自壊してしまった事例もみうけられますから「補助金漬ばら撒き行政」とは恐ろしいものです。
 
(全家連) http://www.kyosaren.or.jp/commentomo/2007/75.htm

断酒会はこのような不祥事もなく半世紀を経て病院にとって信頼できる相手であり、対等で自立した連携先です。

13) 支援のあり方

かつて断酒会への医療サイドからの支援は「財政」「不動産」「労務」提供がありました。
善意の提供であったとしても、これらの実例からみて過度であってはいけないと思います。過度や、恩恵的では依存からの脱却に阻害物となると思います。

最初期の始動措置として限定的なものとして評価されるべきものだと思います。酒害者が主体的に拘る会を理解していた下司孝麿は『黒子に徹する』と支援者の立場をとっていました。

一方、断酒運動からの他の病者運動への支援はこれから活発化しなければいけない分野だと思います。
公益法人としての病者組織としての責務であると思います。

支援は会員の多くが酒害相談にのることで断酒会の強化をもたらします。支援はまた酒害者との出会いを容易にします。それぞれの病者組織にも酒害者が含まれているからです。

国際連帯の一助となる支援も大事だと思います。
何も外国まで行かなくても在日の中にも依存症者は多くいますから、日本社会の中の問題でもあります。アメリカの人々から頂いたメッセージですから、それを断酒会として中国や韓国、ロシア、東南アジアの人々へと伝えることも大切だと思うのです。

断酒会は過去にもそのような取り組みがありました。
政治がギクシャクしているときこそ、断酒会も相互理解を深めるように動いて何も支障は無い様に思われます。

14) 現在の下司病院の成り立ち

断酒会とともに歩んだ55年でした。 
(基本的に個別断酒会ではなく県連との付き合い)
全50床のアルコール専門病院 
(平均在院日数62日で少し空床が出る小病院)
城下の街中に位置 (市民生活に密着・飲める環境)
開放病棟 (自由空間・任意入院)
患者自治会 (かつての久里浜方式)
酒害者雇用 (断酒会で会長職などはさせない。国の教育プログラムが必要)
小規模作業療法とデイケア (自己完結しない領域)
高知アル研 (酒害啓発など)
松村断酒学校、酒害サマーへの取り組み (職員。入院患者の参加)

15) 下司孝麿 断酒会までの道のり

1938年(24歳) 軍国下、卒業色紙への寄せ書きにフランス語で『自由と平等』と記します。
1941年(27歳)生理学教授と2人で昼食事に日米開戦を聞く「これで敗戦は決定した」と教授。
下司孝麿は戦前、精神科と生理学の両教室で学んだのが酒害の治療に役立ちました。

1945年(31歳)高知県立女子医学専門学校教授
 8月15日 疎開先でポツダム宣言受諾の放送を医学生一同が聴き、涙するも下司孝麿教授の「新生日本は普仏戦敗北後の仏国パスツールに習い科学で再興しよう」との演説に午後から授業に復帰しました。

1946年(32歳)敗戦と南海地震で止めを刺され医専は廃校、町田病院精神神経科長 兼 精華園院長へ復職しました。

1950年(36歳)塩野義製薬宣伝紙「モダンテラピー」に、慢性酒精中毒症の新しい治療薬:抗酒薬エメチンとアンタビュースが紹介されこれに着目し、
6月、日本で始めてエメチン療法を追試(酒へエメチン混入・吐根剤)しました。
10月、高知県医師会医学集談会で、慢性酒精中毒症の薬物療法(エメチンとアンタビュース)を発表

☆ この年アルコール依存症で苦しむ松村春繁氏を診察、エメチンを投与するも失敗しました。

パブロフの条件反射をヒントに高松の米軍図書館で抗酒剤資料を漁り、薬品会社に作らせました。

1951年(37歳) 日本精神神経学会にて 「慢性酒精中毒症のエメチン療法とアンタビュース療法」を発表し、これを全国紙が報道、全国からの問合せ788件→497名(エメチン343名、アンタビュース154名)を治療しました。

4月 下司孝麿がアンタビュース(抗酒剤)をNHKで発表、1000通の反響がありました。

1955年頃、中沢寅吉中沢薬業社長が禁酒新聞を届けてくれました。

1956年(42歳)下司孝麿が東京断酒新生会の例会を度々見学(少なくとも3回、銀座例会、個人宅例会など)して、断酒会が集団精神療法であることに着目 アルコール依存症治療に本格的に取り入れることを考えました。

昭和三十一年、アルコール中毒治療の一環として、当時高知市帯屋町-町田病院内入口の喫茶(笛)に「禁酒無料相談」を設置、高知新聞に広告も出したが失敗した。。

1957年(43歳) 薬物療法の限界を感じ精神療法加味へ 名大で田原講師から集団精神療法を学び、
6月 精神病患者を「人」とみる事を訪米の旅から学びました。
1958年(44歳)2年断酒を続ける松村氏への年賀状に、「アメリカにAAという会があって、断酒に成功している。貴方は断酒会を作って、救世主にならないか。」と送りました。
 下司神経科を9月開院
11月9日 禁酒同盟小塩氏は高知・中沢寅吉氏の招きで講演、AAを紹介
 講演を機に松村春繁氏が立ち上がり、断酒会結成を呼びかけます。その後も小塩氏はしばしば土佐入り、手紙もいただきます。禁酒同盟経由で高知から東京へ全断連結成勧誘の手紙を届けます。小塩完次氏は全日本断酒連盟結成に立会い、顧問になりました。
 断酒運動に禁酒同盟は触媒の働きをした
11月25日 高知県断酒新生会が下司神経科応接室で誕生(参加者;松村春繁、小原寿男の2名)

1961年(47歳) 11月12日 『新聞断酒』を創刊。
1962年(48歳) 松村断酒学校 発足(松村の名は没後に付け加えられたもの)
 高知アルコール問題研究所 設立
1966年(52歳) 9月 学術誌への松村・下司が共同発表しました(アルコール研究誌 創刊号)
1970年(56歳) 1月30日 松村春繁全断連初代会長死去。
1973年(59歳) 高知断酒サマースクール発足。(後日酒害サマースクールと改名)


2033/07/24のBlog
写真ーー>故人全断連最高顧問下司孝麿さん初代会長松村春繁さん
「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その4
講演者 下司病院理事長下司孝之氏


16) 下司孝麿 AAを知る

AA訪米時、文献・学術誌、禁酒同盟、学者、米軍病院(座間陸軍病院 横須賀海軍病院・米軍の高知市出身石丸博士より聞いて知りました。
他に武庫川病院AA =現兵庫医大からも聞きました。
 1957年、武庫川病院森村茂樹院長が酒害者の集団療法と抗酒剤の使用を見学、吉田医師に勧め、てAAが医師主導で発足。 (池田市断酒会20周年記念誌「生成-生まれかわる」池田市断酒会顧問・子安医院院長子安義彦氏の「吉田先生の教え」より。)

☆ 断酒会結成後もAA支部になれないかと打診
 1962年7月高知アルコール問題研究所が発足(下司孝麿所長)
 1964年夏に所員の川村効子をニューヨークAA本部へ送りamerica as number 1 の時代だからAA支部になるメリットを考え打診をしましたが、①匿名性、②会費徴収、③会長制と、システムの違いからを拒否されます。AAには支部制度は無く、1953年日本最初の断酒会である断酒友の会もAA日本支部を名乗ったことがありますが、認められなかったでしょう。
 
川村は次にNCA(AAの教育機関)マーチン・マン女史を訪ねた。女史は「アルコール中毒は病気です」「アルコール中毒者は尊敬されるべきです」と何回も力強く語ったそうです。

☆ 以後日本独自の断酒会作りへ
 当事者である ミニ-神父の日本でのAA開設に先立って断酒会が発足しました。
 ドイツ医学からアメリカ医学へ転換した日本だが集団療法ではソ連の存在が考えられます。主に教育畑で研究されたマカレンコフ理論を医療に取り入れようとした青森健生病院・津川武一医師の実践もあったが、労働者の節酒運動に重きを置いたものであって発展しなかった。

17) 私の八項目提案

1、健康サークルとして喫煙習慣など、生活を改善
 すぐ隣の依存症に対しての取り組みを今はまず見かけません

2、外に開かれた運営
 断酒会の知名度は落ちています ネットワークを作らないと断酒に障害が起きます

3、家族会と平等な運営
 妻子を会合時にエプロン姿で断酒会に奉仕させていいものだろうか

4、断酒後には奉仕を
 酒害者に対する奉仕は自分の断酒の糧である (高知県断酒新生会の断酒カレンダー)
 酒害者は5年もすれば奉仕活動を始めたらいい (下司孝麿 晩年の言葉)

5、他の障害者団体に学ぼう
2012年、高知難病連の総会で慶応大学医学部教授が断酒会を大変評価していましたが、当の断酒会員は交流が無くて誉められたことすら知りません

6、酒害相談を運動強化に
 酒害相談は例会と並ぶ大きな柱であったはずです。昼例の試みや社会へ体験出前もどうでしょうか

7、社会学者のアドバイスを
 社会的な観点からの外部からの指摘が欲しいところです

8、アジアとの交流
 アメリカからいただいたメッセージを中・韓・露・東南アジアに届けよう

18) もう一度標語化します。

○ 昼間例会 高齢化の中で出席しやすい会運営
○ 酒害相談 自らの決意と会が強化される
○ 他会交流 余所の会も覗いてみよう
○ 行動断酒 学習からアクションへ体験出前
○ 貧困対策 膨大な貧困層の出現に対応
○ 断酒運動 自己満足の断酒生活でなく
○ 学者動員 外部検証が必要
○ 断酒親善 日本の酒害運動が孤立しないように

参考文献 『断酒に捧げん 松村春繁記』 高知県断酒連合会 絶版 1981年
『新聞断酒』縮刷版・高知アルコール問題研究所 2000円 1987年
 『松村春繁』小林哲夫著 ASK出版 2000円+消費税 1990年
 『断酒必携―指針と規範』小林らによる全断連の出版 300円 1993年
 『根本正伝』 加藤純二著 けやきの樹 2000円 2006年
 ― 未成年者禁酒法を作った人 根本正伝
 『写真と日記で綴る小塩完次・とよ子の禁酒運動 世界連邦運動の歩み』2011年
 ―日本禁酒同盟 資料館発行 1,500円 印刷版、CDROM版共。

 酔芙蓉 色づく頃に 断酒会 (デイケアで 2013・9)

2032/09/26のBlog
写真 全日本断酒連盟初代会長松村春繁・文子夫人
(N)東京断酒新生会の60周年が、9月29日荒川区サンパール荒川にて開催されます。
下司病院理事長下司 孝之様から貴重な資料いただき掲載させていただきました。
松村春繁・全断連初代断酒会長の奥さんが井の頭病院内断酒懇談会の『セラピーNO88』(昭和43年10月23日発行)に寄稿した「東京断酒新生会の20周年によせて」の文章が出てきましたのでお届けいたします。

「東京断酒新生会の20周年によせて」
松村 文子
 東京断酒新生会の20周年を、心からお慶び申し上げます。
 思えば20年前の松村は、酒に溺れて家族を泣かせていた時代でした。その頃東京では、早くも救いの会が開かれていたのですね。
 会員相互の熱意と努力、それに幹部の方々の良い指導により、益々発展しまして、今日の不動の断酒会に成長しました。
 先日、高知でも15周年を祝いましたが、よくここまで発展したものだと感激しました。松村の霊も、定めし満足していることでしょう。
 生前、この運動こそ、自分の最もやりがいのある仕事であると、常に申しておりましたが、死後も皆様から慕われることは、誠に有難いことであります。
 私には、「松村に会いたければ、断酒会に出席せよ!」との声が聞こえるように感じるのでございます。
 高知で親子二人だけで、侘びしく暮らしておりますが、いつも断酒会の方々と共に歩いているのだ、と思うと生き甲斐のある心強さを感じます。
 20周年記念会によせて、日頃感じていますことを、申し上げた次第です。
 (全断連、設立者夫人)
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松村春繁さんは昭和45年1月30日になくなっていますからこのとき、この世には居られません。松村文子さんは断酒会が当初上手くいかないので辞めて就職しようとした松村春繁さんを私が働くからと言って、押しとどめた家族でした。
松村文子さんは春繁さんに似てとても筆まめで、「しんせい」の前身の『東京断酒』(昭和46年8月合、8月20日付け)にも、はがきが掲載されています。
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 暑中お見舞い申し上げます 高知市若松町215
松村 文子

夏休みになりましたが、毎日講習会で鍛えられて居ります。例会に出席して、会の方とお会いするのが楽しみです。こちらの皆さんも頑張っておられます。

9月28日、禁酒同盟の方の断酒会60周年で東京三鷹市で講演してきます。題名『重なる歴史の断酒会 今日を活かそう』
正当な評価をして差し上げるのもいいと思って、歴史を語りたいと思います。
 下司 孝之@下司病院理事長
9.29.日 (N)東京断酒新生会
60 周 年 記 念 東京都荒川区荒川1丁目
サンパール荒川 10:30~15:30
¥ 1,500 締・・・ ・・・
2031/08/05のBlog
[ 20:59 ] [ 故人 なだいなださんのことば ]
1990年7月 第18回高知断酒サマースクールでの
なだいなださんの挨拶(本名 堀内 秀しげる)
下司病院理事長下司 孝之さんが筆起こし

追悼 なだいなださん

なだいなださんの初期断酒会への貢献は、その文筆力を持って多大なものがありました。
特に月刊『文春」(1970・5)への執筆は断酒会を世に知らせる役割を果たしました。
また、紀伊国屋から出版した新書版『アルコール中毒』(1966)ははじめての市民向け図書でした。
高知県にはたびたび訪れ、そのたびに下司病院や断酒会で気軽に講演をしていかれました。
この原稿は県下随一の私学進学校での教育講演会時の直前になされた断酒サマーでの挨拶です。
1990年当時は、なだいなださんを教育界が呼ぶのも面白いと思いました。
なだいなださんは土佐の自由民権にも魅かれて「N君への手紙」を出版しますが、こういう機縁で
高知へ来られることが多かったのかもしれませんね。N君とは中江兆民のことで、国会に愛想を尽かし
『私はアル中だから失礼する』と国会代議士を降りた民権家です。

 下司病院理事長下司孝之

なだいなださんの挨拶

 こんにちは。ちょっと土佐高の先生に呼ばれて、こちらの方で講演会をすることになりましたので、ついでといっては申訳ありませんけど、ここでサマースクールが開かれるという話を聞いて、飛び入りで入れさせていただきました。
 いつも思うんですが、ここはやっぱり断酒会の発祥の地だなあーと思います。
それからもう一つは、下司先生が始められた日本のアルコール医療の発祥の地だなあーということを感じます。
発祥の地というのは、確かに名誉あることですけど、発祥の地で終ってはいけないんですね。それがエネルギーを持って、いつも日本のアルコール中毒運動のリーダーになっている、そのことをひしひしと感じます。
 私はアルコール中毒の治療を始める時に、偶然にお会いしたのが、ここの断酒会を創られた松村春繁さんです。
私などは全然、松村さんのマの字も知らなかったんですね。
国立久里浜病院でアルコール中毒センターの主治医ということになっていたんです。アルコール中毒の勉強を専門にやってきたから、センターの主治医になったんではないんですね。
誰もやる人がいないからなったんです。
給料が安かったり、或いは非常に辺鄙だったりするものですから誰もやる者がいない、私は若気の至りで或る私立病院で騒動を起し、組合をつくったりしたものですから、あっちの病院もこっちの病院もきてくれるなということになりまして行く所がなかった。
だから、ここしか行く所がないので久里浜病院に行ったら、アルコール病棟を建てるということになり無理矢理私は、やらされることになったんです。
 今までにアルコール中毒の患者を受持ったというたら十人位、みんな直らなかった。その人に専門病院の看板を掲げろと、いうのだからひどいものですね。
ただ私にとって救いだったのは、ひとつは偶然ですね。
専門にアルコールにかぎり看板をかかげることが、気楽にできたというのは、その頃アルコール中毒については直らないということになっていたんですよね。
高知のことは知りませんでしたから、直らないことになっておれば、私が診て直らなくても、そんなに責任を感じなくても済むという事ですよね。
だから非常に気楽に、誰がやっても直らないんだから、俺がやってもいいじゃないかということで楽にやることができました。
そして、そのために直らなければ何をするか、まあ話だけは聞きましょうということで患者さんの話を聞くことにし、もう一つは患者さんに逃げる人がいるのなら、いくらでも逃げて構わないように扉を開けておこうということにしたんですね。
開放にしておこう、それはどうしてかというと、患者さんの中には扉に鍵をしておくと蹴破ったり、窓をブチ毀したりして逃げる人が多かったんで、どうせ逃げるんなら逃がしてもいい、ついでに窓まで毀されるよりは、何も毀さないで簡単に逃げて貰ったほうがいいということで、開け放しにしておくことにした。
 そこに今考えますと、今の私よりも若い年令じゃなかったkと思う松村さんが来られた。シワクチャのじいさんが来たなあーと、その時の私は感じたんですけど、松村さんが来られて患者さんと話をした。
私に関していえば、松村さんの話を聞いたこともなかったんですが、非常に頼りない医者だということが幸いしたんですね。
「ネエー、先生をみていたら、今までの偉い先生みたいのと違って、今までの先生をみていたら、とにかくこの先生の言うようにやっていたらいいだろう。なにせ日本一の先生だから、この先生のいうようにやっていたらいいだろう。しかしそれが違っていた。それでは酒を止められなかった。ここに来て、始めて気がついた。俺がしっかりしなくちゃ駄目だ。頼りにするのは医者ではなく、自分だということがわかった。」
そのときに、タイミングよく松村さんに出会ったんですね。
「自分たちは仲間だ、助け合うことだ、それが大切なことだ。」ということが、なんだかわかって酒を止めた。
 私は、その話を聞きながらアルコール中毒の医者に簡単になれてよかったと思いました。
まあー、運がよかった。
しばらくの間、ずーっとおつきあいをしてきたんですけど、勉強をたくさんさせて貰いました。
大切なことは私もそうだったけど、それから断酒会のみなさんもそうだと思いますけど、長い間続けていきますと、ついマンネリになります。
マンネリにならないで済むには、一番大切なことは何かといえば、やはり誰かが治せる病気ではない。
本人が主役で本人が治してゆく、そして私達は仲間でもあるけれど、生証人であるということですね。
生証人であるかぎり人をみて学ぶこともできるし、そしてアルコール患者のみなさんをみていると面白いことですね。
つまり話の種になるという事です。
私は物書きですから、随分話の種を貰いました。
人生というのは別のみかたをすると、いいとか悪いとかいう価値の外に、もうひとつ死ぬ時になって自分の人生を語ろうとする時に、語る種があるかないかですね。
ふり返ってみると紆余曲折があって、いいことがあった。
不幸なこともあった。
悲しいこともあったし、さまざまなこともあったけど語るに不足はない、いくらでも語り続けることができる。
「うちの父さんが、ねえー。」というて子供に語る内容があるわけですね。
ところがあんまり真面目で、素直で、順調にきた人は、子供に語ってやる何物もなくなってしまうんですね。
「うちの父さんは、学校を卒業して、真面目に働いて、真面目につとめあげて終った。」「なにかあったの。」「なにもなかった。」というのでは、なんか人生の終りで淋しいものがするんですよね。
 しかし、アルコールという問題を自分に抱えたおかげで、話の材料にこと欠かない。それは勿論、お酒を飲んで直らないとなったら、無人島へ行って、すきなだけお酒を飲んで死んでしまったというのでは、物語りとしてちょっと単純すぎますよね。
もう少し、何かなければ話すことがないだろうと思うんです。
 そういう意味で私は、みなさんのお顔をみて話を聞くことを楽しみにしています。
今日も時間のとれるかぎりここにいて、この後講演が待っているので、長くいることができませんけど、お話の聞けることを楽しみにしています。
みなさんのサマースクールのご盛会をお祈りしております。
では少し長くなりましたけど、挨拶にかえさせていただきます、どうもありがとう。

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