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川西断酒会 ☆酒害に悩む本人と家族の方へ☆ 「必ず立ち直れる」と信じてください
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2039/11/23のBlog
6.例会には夫婦共に出席しよう。
 断酒会がスタートした時は、家族が例会に出席しなければ断酒が成功しにくいとは誰も考えていなかったようです。それに、過去あれほど酒で迷惑をかけた奥さんに、例会にまで出席しろなどとは、言えた義理ではなかったと思っていました。ところが夫の毒舌で他の会員に迷惑がかかるのを恐れたある奥さんが、夫にかわって謝って回るために例会出席をしました。一番酒を止めにくいと考えられていた彼だけが、何故か一度の失敗もなく断酒出来ていたのは、奥さんの協力の方により多くあると松村会長は見抜いたのです。それからは、主婦出席を口を酸っぱくしてすすめるようになったわけです。

◎何故、奥さんの出席がこんな良い結果をだすのでしょうか。

 私達は酒浸りの生活の中で自分自身を随分と駄目にしていました。特に奥さんとの関係は、いびつなものになっていたらしいのです。夫婦の愛情関係は冷え切ったものになっていたり、憎しみすら持っている人もいるのです。しかし、夫婦が一緒に例会に出席するようになると、家庭で見る夫とを違った夫を例会の中で見ることが出来るのです。
・素直に過去のどうしようもない自分を語っている夫。
・奥さんを傷つけたこと認め詫びている夫。
・これからどんなふうにして生活を改善して行こうかと真剣に取り組んでいる夫。
・そうした先輩会員や家族の話をじっと聞いている夫。
・ぽつりぽつりと自分の誤りを語り始めた夫。

 奥さんもアルコール症そのものや、断酒する意味、断酒会の持つ効果等が段々と理解できるようになり、自分も夫のアル中に巻き込まれて心を病んでいたことまで判るのです。そして、奥さん自身も例会に出席して自分を素直に語ることで、自分の病んだ心を治すことが出来るのです。

◎三光病院院長市川正浩氏は、松村語録の中であえて最も重要な項目をひとつ挙げるとすればこの点で、さらに付け加えるとするならば、「例会での体験発表もまず家族より行い、その後に酒害者本人が発表すること」で断酒意欲は向上し、断酒会自体も更なる大きな発展をとげると主張しています。
7.例会の2時間は断酒の話のみ真剣に。
 例会の2時間と定めた理由は「2時間が人間の緊張の限界である」ということだったからです。

 例会で話されることは「断酒会だから断酒の話をするのが当たり前」という単純な発想だけでなく、「酒害者が断酒するためには、酒と自分との係わり合いを事実通り真剣に話すより他にない」と松村会長は最初から堅く信じていたいたようです。

 初めの頃に例会の中で何を喋ってもよいことにしたところ、農作業の話が主となり、世間話におわる結果となって、「忙しいのに、その程度の例会なら出席する必要がない」と考える会員が出始め、例会が低調になり、脱落者が続出することになったと言われています。
 例会で断酒以外の話が語られるようになると、緊張感がなくなり、だらけてしまいます。例会は、『体験談に始まり体験談に終る』という現在の形に統一されました。

 私達は、価値観・道徳心を養うことは非常に大切なことだと思いますが、例会で、そのことのみ語ることは疑問です。自分の体験の中でそうしたことに気付き、それを語るのは良いのですが、専門的な学んで、それを例会で発表しても意味がありません。日々の断酒実践の中で自分の手でつかんでほしいのです。

 緊張して行われる例会を想像すると、如何にも重苦しく感じられるようですが、私達が素直に自分を語り、人の話しを素直に聞く姿勢があればそんな雰囲気にはなりません。
 緊張の中に安らぎがあり、真剣さの中に楽しさがあり、苦しさの中に明るい展望があるのです。それは、私達の魂の触れ合いがあるからでしょう。


8.自分に断酒の道を見出そう。
 断酒会に入って一番最初に経験する驚きは、先輩会員達が本当に酒を止めていることであり、非常にやさしく接してくれることです。止められる筈はないと自分勝手にきめていたものの「自分も止めれそうだ」と考えるようになります。

 例会出席すれば断酒はそんなに難しいことではないと言ってくれるのですが、当人にとってはかなり苦しいこともあり、時には自分には断酒が出来ないのではないかと考えたりするのです。日常生活の中で何を考え、何をやればよいのか、よく判らず不安を持つのです。

 そうした新入会員に一番多く見られる傾向が、自分に一番親しくしてくれる先輩や、自分と一番似た体験を持っている先輩を真似することです。しかし、断酒がだんだんと継続されるようになると、いつまでも真似るだけではやって行けないことに気が付きます。性格も、職業も、家庭環境も、その他何から何まで違うのです。先輩達とすべての面で合わせるのは不可能です。やがて自分自身の独創的な考え方も確立されるようになるのです。

 自分の新しい生き方は、自分で創らねばなりません。その新しい生き方を目指すための唯一の手段である断酒の道は、その人が自分で切り開いた道でなければなりません。

 断酒会はある期間新入会員にとっては、温室のようなものかも知れません。しかし、ある程度のめどがつくと、その人の個性や、主体性のある断酒を大切にしますので、その人が好むと好まざるに係らず突き離すことがあります。
 いつまでも先輩会員に依存してはいけません。新入会員の面倒を見る役割が待っています。新入会員に協力することで、自分の斷酒が益々堅いものになり、また、人間的な成長もあるのです。

9.断酒優先をいつも考えよう。
 「断酒は生きていくための唯一の手段である」と松村会長は私達にいつも説いていました。だから、私達にとって「断酒優先」ということは絶対的なことです。

 アルコール症者が酒を飲むということは、仕事を放棄すると同じようなことでもあり、入会当初から例会出席もしない人達は、簡単に脱落するという事実があります。

 例会出席と仕事の問題は話によく出ます。
・例会出席していたらめしの食いあげだ。
・仕事がお留守になる。
・職場の人達に迷惑をかける。 等々です。

 彼等の気持ちも判るのですが、一つだけ大きな誤りを侵しているのです。それは自分達の生きて行く上で一番大切な断酒を、仕事と比較して考えていることです。私達にとっての断酒は他のことと比較して考えるような軽いものではないのです。仕事をしないで例会出席しろと言っているのではないのです。仕事は人並み以上にしなければならないのです。いつも断酒優先をさせて考えていれば道は開けるのです。

 あらゆる知恵を絞って努力して例会に出席すれば良い訳で、努力の結果として遅刻は許されるのです。どうしても出席できない状況の人に無理に出てこいとは申しません。
 どう考えても無理だと思う環境にある人が、毎回のように出席する場合があります。要は意欲の問題なのです。断酒優先を常に念頭に置いて意欲的に断酒に取り組んでいる人達は、情熱だけでなく智恵を使っています。不可能を可能にしています。

◎松村方式と言っている断酒方式は、実践を第一に考えます。生きていくための唯一の手段である断酒をいつも優先させて考えましょう。

10.アル中は心身の病気である。
 断酒会に入会しますと、ほとんどの人が酒が直接原因で身体の病気になっていることを認めます。そして、酒を飲んでいる限りこれらの病気はいくら治療しても決して回復せず、遂には命まで失うことになることも知っています。

 ところが、心の方も病気になっていることを認めていない人は意外と多く、自分は正気であり、何んらの異常もないと堅く信じているようです。しかし、アルコール症という病気は、酒がその人の人間性に大きな係り合いを持つもので、飲み続けることでだんだんとその人が作り変えられていきます。表面は正常に見えながら心の奥の部分は病むようになっているのです。

 アルコール症者を自己中心的であり、依存心が非常に強くなっている等の批判は当っています。酒が原因でそうした悪い方に向っていくのがはっきり判るだけに、やっぱり異常であり、心の病気と言えるのではないでしょうか。自分のアル中に妻や子どもが巻き込まれて苦しみもがいても、酒を止めようと決断できないのも心の病気のせいではないでしょうか。

◎アルコール症を心と身体の2つの病気だと認めた時、その人にとって本当の斷酒が始まるのです。

 もし、アルコール症が身体だけの病気だと考えていますと、ある期間斷酒が継続されて、身体の健康が回復されると、例会出席の必要も、いや断酒する必要すらないと考えるようになっても不思議ではないのです。

 しかし、心の方も病気になっていると気付いている人達は、決してそうした考え方はしないのです。歪んだ心、偏った心を治すということは、その人の人間性の向上に通じるものであり、自分自身の人間としての在り方を考えることなので、永久に取り組んで行かねばならない問題になるのです。そして、それは、人生の最大の目的である「幸せの追求」にもなるからです。


11.例会で宗教や政治の宣伝をしてはいけない。
 断酒会ではどんな宗教を信仰していても、どんな政治思想を持っていても、そうしたことで差別されることはありません。
 酒を断ちたいという願望を持っている人なら誰でも入会できるのです。そのため、あらゆる宗教、イデオロギーを持っている人達が断酒会の中にいます。

 もし、例会の中で特定の宗教や、イデオロギーの礼賛や批判がなされると無用の混乱が起こることは明らかです。なぜならば、宗教やイデオロギーは絶対的とも言えるもので、違った宗教やイデオロギーを持つ他の会員とは、こうした問題については協調できないからです。

 私達は例会の中で、過去の酒に溺れていた自分、現在の断酒に真剣に取り組んでいる自分、将来への断酒継続への自分の持つ抱負等、ただひたすらに自分について語ることを原則としており、そうした問題について語る時間はない筈です。

 私達の断酒会は、断酒会活動の発展のために、行政側と政治的な交渉を行いますが、これはあくまで断酒会そのもののために行われるもので、問題はありません。

 政治家等より選挙やその他の応援の依頼があっても、政治運動をしないという原則に従って、宣伝やその他の協力はしません。断酒会の持つ純粋さが侵されるからです。



12.酒害者の最大の敵は自分自身であり酒ではない。
 断酒運動とは、広く社会に酒が存在することを認めながら、アルコール症になった自分にとって酒を飲むことはなく、酒を飲むことが人間性も命も失うことであるので、アルコール症者にとっての酒は否定しているのです。

 「断酒」が自らの意志で酒を断つことだと定義されているので、アルコール症の人が酒を飲んでいても、その人が断酒する意志がなければ、その人から無理に酒を取り上げることはできないのです。そのかわり、あらゆる方法でその人達に断酒する気持ちを起こさせるように努力しているのです。

 私達は酒そのものよりも、酒を飲まずにいられない自分の心に問題があると考えています。アルコール症になると10人が10人、酒に関して弱い心を持つようになるので、そのこと自体は責められるべきものではないのです。酒に関しては弱い心を持っていることを素直に認めない心が悪いのです。

 酒に依存し切った自分の心を認めながら、何の努力もしない自分が本当の敵なのです。そして、その依存する心は酒だけでなく、あらゆることで家族や周囲の人達に依存する心にもつながるのです。そうした依存の心を改めることが自分の中にある敵と闘うことなのです。

◎自分にとっては本当の敵が何であるかは、例会を通じて努力していれば、誰にでもはっきり分かります。
2039/10/23のBlog
13.自信過剰は失敗のもと。
 毎日こつこつと真面目に働きながら、地道な断酒努力を積み重ねた結果として自分のものにした自信は何物にも変え難いものです。今後の断酒継続への大きな糧となることは間違いないと思います。しかし、その自信を実力以上に評価すると、必ずといってよいほど失敗につながるのです。過信の恐ろしさです。

 断酒して間のない頃は誰が見ても危なっかしい状態であるにもかかわらず、当人は絶対的な自信を持つようになっていることがあります。精神の不安定な状態の中で起こる錯覚かも知れません。酒の持つ本当の恐ろしさがよく判っていないのかも知れません。

 絶対止められないと思っていた酒が止められたのは、断酒会について深い理解のある人は、集団療法の効果だと考えられることが出来るのですが、そうでない人達の中には自分自身が信じられないくらい大きな力を持っているのだと考えたりする人もあるのです。そうした人の中には「酒さえ飲めねばよい」と言って、とにかく酒のある場所に行きたがります。

 過信そのもののような人には「転ばぬ先の杖」のような話はなかなか受け付けてもらえません。どんな危険な状態でも例会に出ていれば何とか防げます。連続して例会に出るようすすめた方がよいでしょう。

 何年たっても過信に陥る人達に共通しているのは、自分の考えだけが絶対であると思っていたり、自分の考え方が一番進んでいると思ったりしていることです。「断酒」の持つ意味がどれだけ大きいものかがよく判ってないのです。そして、自分の断酒はすでに完成していると考えます。

 私達は失敗しなくとも、しょっ中壁に突き当ったり、挫折を味わったりしながら自分の断酒を確立して行くのです。改善点を加えながら実践活動を続けている人に生まれるのが本当の自信なのです。
 本当の自信は、自分を客観的に見ることのできる理性がなければ生まれないと言えます。

14.失敗したらすぐ例会へ。
一度の失敗もなく断酒が継続されている人達も多いのですが、失敗を乗り越えて断酒に成功した人達も多いのです。
 何故、彼らが失敗を乗り越えられたかについては、いろいろな要因があるのですが、その中で一番大きなものは、失敗した時はすぐに例会に出席して、再飲酒を防いだからではないでしょうか。

 失敗すると恥ずかしいと考えます。そして、例会に出席するのが苦痛にもなります。真剣に取り組んでいた人ほど、そうした感じが強いようです。しかし、私達には断酒する意外に生きて行く方法はないのです。
 勇気をふるって例会に出て下さい。例会場の敷居が高くなって、例会出席をしぶることは、次の失敗につながり、つまりは入院ということにもなるのです。

 先輩達は失敗した貴方を決して非難したりはしないでしょう。
 松村会長は失敗した会員がしぶしぶ、或いは恐る恐る例会に出席すると「恥ずかしさを乗り越えて出席された勇気と決断に満腔の敬意を表します」と最大級の賛辞を贈りました。改めてやる気になった会員は多いのです。
 失敗しても、早い機会に例会出席すると何とか頑張ることができます。そして、考え方も良い方向に変わるのです。

 私達は、失敗しながらも勇気をふるって出席した会員に、その失敗の原因の追求などということをしてはいけないと思います。
 失敗の原因の追求は、自分自身でもっと時間がたって、断酒が継続されるようになってからやっても遅くはないのです。

 失敗した人が例会に出席した場合は、あらゆる配慮の上でその人に「よし!もう一度頑張るぞ!」という気持ちを起こすようなアドバイスをすることだと思います。
15. アル中は一家の病気である。
 酒を飲み続けてアルコール依存症といわれる病気になるまでには、10年、20年と長い年月がかかります。「自分の酒は普通の酒ではない。止めなければならない」と努力するようになってからでも4~5年たっているのが普通です。病的な飲み方をするようになってから平均10年も経過しています。
 この10年もの長い間、家族は病気とも知らずに共に生活するのですからその間に、いつの間にか家族全員が病気に巻き込まれて、家族自身も病的な状態になっています。

 家族は生活の全てを振り回され、互いに傷つけあい、憎しみ、苦しみの生活の中で絶望し、孤独で無気力で不安定な精神状態になっています。争いの絶えない暗い家庭で生活を強いられている子供は被害をもろに受けて、無気力、無関心、学力低下、登校拒否、非行、更には自閉症、心因性反応等の症状を示す様になることさえあります。

 この様な病的な状態に陥っている家族がそのままでは、酒害者のよい協力者となることはできません。日本の断酒会が酒を飲んだ酒害者だけの会ではなくて、家族ぐるみの会にした理由は、ここにあると思われます。家族自身も酒害から、病的な状態から解放され、立ち直る必要があるのです。

 松村会長は「アル中は一家の病気である」とだけ言っていたのではなく、必ずその後に「だから家族ぐるみで治して行かなくてはならないのです」と結んでいました。そうでなければこの言葉は生きてこないのです。



16.断酒会は、酒害者の酒害者による酒害者のための会である。
 断酒会は平等な立場から参加した酒害者の主体性のある運営によらなければなりません。そして断酒会は酒害者によって構成された自助(セルフ・ヘルプ)に徹した市民団体でなくてはなりません。

 我が国の多くの断酒会は、精神科医の指導によって結成されました。従って、病院に依存した状態で運営されている断酒会は、いつまでも自立しようとしないで発展性がありません。このままだと断酒会としての機能をしないことに気付き、指導の立場から協力者の立場に、そして助言する立場に転換することになりました。

 行政依存の状態の断酒会も同じく健全な発展は望めませんでした。

 断酒会活動は、酒害者である私達が、自分のために酒害者や家族のためにやるもので、それ以外の人達を対象とはしていません。従って、断酒会の構成は、酒害者を中心に作ります。

 医療・行政関係者の断酒会に深い理解のある人達をスタッフとしてご協力をお願いすることは、賢明なやり方であります。

 いつも自分が酒害者であり、自分の酒害について自覚があり、酒害の克服に真剣に取り組んでいれば、この言葉の意味は自然に判るようになります。

17.酒害者は酒のため墓場へ行くか、断酒会で酒を断つか二つの道しかない。
 アルコール症になると、自分の選べる道は2つしかなくなります。

1.酒を飲む方の道を選べば
 毎日飲み続け、間違いなく酒が直接原因で墓場行きになります。あまりにも周囲の人達を傷つけ、自分自身をも傷つけたまま死んで行きますので、人間として生まれたことの意味が何も生かされないまま死んで行かざるを得ません。

2.酒を飲まない道を選べば
 断酒会に入会して酒を断ち、新しい生き方を目指すようになります。豊かな人間関係の中で、幸福を死ぬまで追い続けることが出来ることは、本当に素晴らしいことです.しかも、その道は自分で選べるのです.

 中間の道はないのです。

・断酒する気で入会しても、失敗する人もいますが、酒を飲んだことを反省し、断酒に真剣に取り組むことによって、酒を飲まない道を選べるようになります。

・断酒ずれして、ちょいちょい隠れ飲みをしながら口を拭(ぬぐ)っている人もいますが、必ずアル中らしい死への道を選ぶことになります。断酒が出来ている人に較べると、感動も喜びもなく、人は欺(あざむ)けても自分は欺けず、だんだんと向上心が失われて行くからです。節酒は絶対に出来ず、私達には中間の道はないのです。

◎ 私達には2つの道しかありません。人間でありたいと願うなら断酒の道を選ぶしかないのです.

18.会員は断酒暦に関係なく平等である。
 断酒会は、酒を止めたいという願望さえあれば、、その人の社会的地位や経済状態などは全く関係なく誰でも入会出来、そして、入会してからも全く平等な扱いを受けることが出来ます.

1.断酒会は断酒歴が長いといって特別扱いをしません. 何故なら
・アルコール症という病気を持っていること。
・この病気を克服するには酒を飲まないこと。
・自分の人間としての在り方を生涯考えて行かねばならないこと。
など、共有した方法をとるからです.

2.断酒会は新しい、古いの比較で優劣を論じられない世界です.
・断酒歴のある人でも人間的な成長が止まり、危険な状態になることがあります.
・新しい人でも真剣な取り組みの中で素晴らしい人間になりつつあり、全く不安を感じさせないことがあります。

3、残念なことに、一部の人にその断酒歴を誇り、偉くなっていく人を見受けます.
・例会の中で断酒歴の長い人の説教めいた話には感動を与える力はありません.
・新しい人の必死に頑張っている人の本音には感動があります.
・断酒会では、断酒歴の長さだけで評価しないことが基本にあることを知っておかねばなりません.

◎一番大切なことは、例会では、私達が全く同じレベルで体験を語り、聞くことによって、魂の結びつき、人格の触れ合いを得るということです。

19.自覚なき酒飲みの多い中で入会された勇気に敬意を表する。
 松村会長は、新入会員に対して、いつもどんなほめ言葉を使えば良いか考えていた方です.
 「あなたは、自分の酒害について自覚できた立派な人です.」
 「勇気ある決断に敬意を表します」等です.

◎入会を決意するまでに誰でも悩んだり、迷ったりするものです。
・命より大切だと思っていた酒を断つのですから、生やさしい考え方では断酒に踏み切れるものではありません。
・動機が何であれ入会することは勇気がなければできません.
・本心から酒を断つ気になった人は勿論ですが、たとえ疑心暗鬼であったにせよ、何とかしなくてはと考えただけの入会であっても素晴らしいことです。

 ぼろぼろの心と、よれよれの身体で会場に姿を見せた新入会員に私達は、心の底から感嘆し、敬意の念を持ちます。駆け寄って握手を求めるのは芝居ではありません。そうしなくてはならない衝動に駆られるからです。

 新入会員にとってほめられるということは、どんなに嬉しいことでしょう。自分自身に愛想をつかし、虚無感にとりつかれているときに、他人に認められ、他人にほめられるこの感激は一生忘れることはないでしょう。

20.断酒会員には普通の人より何か優れたところがある。
 優れた素質を持つ人が、アルコール症になる傾向があるなどと、誤解しないで下さい。

 松村会長は「アル中を克服する人は、世間一般の人より何か優れたところがある」と言っていたのであって、それは、アル中(アルコール症)から立ち直るには、「心」と「体」の二つの病気を克服していかねばなりません。病気を一つ克服するのにも相当な努力を要するのに、二つも一緒に克服するというのは大変なことだからです.

・一般の人でも精神的に一歩前進することは困難なことです.

 だから、断酒が継続される中で、一般の人達よりすっと真剣に人生に取り組まねばならないのです。その努力が出来ている人は、何か優れたところがあると言っているのです.

・しかし、優れたところがあるとほめられても、決して思い上がらないで下さい。

 2つの病気を病むようになった原因は自分自身にあり、この2つの病気を克服するのは、私達にとっては義務であり、断酒は私達にっとって当然やらねばならないことですから。

21.節酒は出来ないが断酒は出きる。
 アルコール症を癒すということは、節酒出来る状態に戻すことであると考えていた精神科医等もいました。
 「節酒はできないが禁酒はできる」と、その治療方法を「酒のないところに隔離する。それは1年より2年と少しでも長い期間の方が良い」というスイスのフォーレル博士等もいました。
 「節酒は出来ないが、断酒はできる」と、酒のある地域の中で同じ酒害者と一緒に頑張って行く「断酒」しかないと実証したのは
・アメリカのAAの創始者ビル・ウィルソンやその仲間達。
・日本の「全日本断酒連盟」松村春繁会長やその仲間達です。

◎なぜ、私達は節酒が出来ないのでしょうか。
 アルコール症の恐ろしさの最大のものは、何と言っても
・自分自身の人間性の喪失であり
・周囲の人達との人間関係の破壊です。
 そうしたことのすべては、私達の酒を飲むことによって起きて来たことです。

◎そのため、たとえ、酒の量を減らしたといっても
・酒を飲んでいる自分自身に向上心が起こる筈もなくなく
・周囲の人達も少しでも酒の入っている私達を見て、かつての信頼感を回復してくれる筈はありません。

◎断酒とは「自らの意志によって酒を断つ」ことなので、人間らしい心を大切にしている限り、いつまでも酒を飲むことはないのです。
 そこには生きる喜びが、いつも満ち溢れているからではないでしょうか。

22.飲酒に近づく危険の予防のため自己の酒害を常に認識しよう。
 入会して10日、20日と必死の努力を重ねて、どうやら断酒が続くようになっても、酒を飲みたくてたまらない気持ちは急には消えてくれません。「断酒の喜び」とともに[少しぐらいなら]と考えたりする「飲酒の誘惑」がいつもあるのです。

 長い間、断酒が継続されている人達でも、酒びたりの頃の最悪な状態や、入会当時の苦しかった努力も、いつの間にか忘れ、懐かしい思い出となり、時には楽しかったと錯覚することもあるのです。

 人間の心くらい不思議なものはないのです。時間の流れの中で、どんな苦しかった記憶も過ぎてしまえば、全て美しいものに変えてしまい、酒害の恐ろしさも、それにつれて薄れていくのです。自分の酒害を非常に軽く見てしまう傾向が必ずといってよいほどくっついていることを知っておかなければなりません。

 そうした傾向を危険だと考えて改善しない人は、20年、30年と断酒が継続されたとしても、元のアル中に戻る可能性が強いのです。

2039/09/23のBlog
23.酒害者に対する奉仕は自分の断酒の糧である。
 AAの創始者ビル・ウィルソンは、アルコール依存症であった旧友ボブ・スミスとの出会いがあって断酒が継続されていきましたが、記録の中に、初めの頃は、飲酒へ戻りそうになったことは何度もあったが、その中で彼は「ほかの何が失われても、アルコール依存症の仲間たちと務めに励むこと」が彼を救うということを悟りました。
 「失望しては何度も病院へ足を運び、患者さん達と話すことで不思議に意気高陽できるのであった」と記されています。

 アルコール症で入院している患者さん達に断酒を説いて廻った、その行動が、自分の断酒の糧になっていることに気付いたわけです。「人につくして我が身をたくす」ということです。

 松村春繁会長も断酒会が結成されるまでの1年8ヶ月間、一人で断酒が継続された理由の一つに、下司病院を退院した患者さんに励ましの手紙を書いたり、訪問して説得したりしたことをあげています。

 酒害相談に積極的に取り組んでいる会員達は言います。「最初は酒のために困っている人のため、何かしてあげようと思って努力しているのですが、結果は人のためでなく、自分自身のためになっている」と自分の断酒の糧になることは誰も否定できません。「自分自身のため」そうした意味では、世間一般の奉仕活動とは少々意味が違うかもしれません。
 酒害に対する奉仕は、酒を飲んで苦しんでいる人や、家族と接する中で
・自分にとっての病気の本質をいやというほど再確認出来る。
・酒害者と酒害者の温かい連携。
・人間と人間との触れ合い。
・自分自身の人間としての在り方。
など、あまりにも多くのことを学ぶことが出来ます。

24.仲間の体験をよく聞き、自分の断酒を再確認しよう。
 「語るは最高の治療」という言葉が記録の中にありますが、自分をひたすら語ることは
・自分の持つアルコール症という病気を一番的確に確認することであり、
・過去の誤りを反省をこめ素直に話すことによって、自分の心を浄めることが出来るのです。

◎しかし語るだけでは駄目であって、仲間の体験を熱心に聞くということを並行してしていかなければなりません。
 なぜなら、仲間の話を聞くのに不熱心な人には、やがて自分を語ることが出来なくなります。自分の経験したことが無数にあるにもかかわらず、話せることがだんだん少なくなり、遂には、自分を語るのにマンネリ化し、同じ話の繰り返ししか出来なくなります。
 仲間の体験をじっくり聞いている人は、自分で今まで気のつかなかった心の奥底にある歪み、ひずみ、優しさ、温かさといった短所や長所まで気付いていくことが出来ます。
・仲間の話に啓発されて、いろいろな物の考え方が出来るようになる。
・新しい方で先輩達の話を聞くことによって、何らかのヒントが得られ、体験を話すようになる。
・新入会員の話に感動し、最低だった頃の自分を素直に語るようになったり、
・恰好の良い話だけしか喋れなくなっていた人が、自分の欠点を素直に語っている先輩の話に感動して、事実のみを語るようになったりする。
◎自分の力で創り上げた断酒理論も、それが絶対でなく、まだまだ改善すべきであり、まだまだ成長すべきだと判るのも仲間の体験話からです。

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25.家族、同僚の協力を得るために、絶対呑んでは行けない。
家族は長い間、ご主人の酒に巻き込まれて苦労した奥さんの仲には、入会したことで酒が止まるとは毛頭期待していない人もいます。
同僚は、普段は好意的でいろんな面で理解を示してくれる人でも世間一般に根強く残っている「アル中になると酒は絶対止められない」という考え方を持っていて、断酒会に入会しただけでは余り評価はしてくれません。「どうせすぐ飲むだろう」ぐらいにしか考えてくれないものです。

 だから自分を取りまく人達が、断酒や断酒会について理解の進んでいない場合、入会早々失敗することは、致命的な結果を出すことがあるから注意が必要です。

 最初からたいして期待していない人にとっては、失敗は当然の結果だと考えられるため、当人が失敗を乗り越えて頑張ろうとしても、なかなか協力をしてくれません。

 こうした状況に置かれた人達は、何か何でも頑張って欲しいと思います。

 全く期待していなかったのに断酒が出来ると、家族や同僚の考え方は180度変わり、どんな協力でも積極的にやってくれるようになります。

 しかし、たとえ、失敗があったとしても、決して挫(くじ)けないで下さい。何回かの失敗があり、家族・同僚の協力が得られない中で断酒に成功すると、すんなり断酒に成功した人よりもっと強い協力と深い理解が得られるからです。
26.断酒会に入会すること。
 アルコール症は一人で克服は出来ない病気であります。だから、アルコール症者は断酒会に入会する事によって全てが始まります。

 しかし、そうした事実は入会して断酒が出来てはじめて判るものであって自分の酒に悩みながらも入会の決断が出来ない人達にはなかなか判りません。

 しかし、一人で何回となく断酒に挑戦し、失敗を重ねながらも断酒への願望を捨てることなく、遂に断酒会につながった人達を私達は心から尊敬します。

 松村会長の新入会員の歓迎の言葉の中に入会に踏み切った勇気と決断をたたえながら必ずといってよいほどこう付け加えていました。「入会しただけで貴方の断酒は90%成功したと言えます。しかし、残りの10%がなかなか難しいのです。早く会員にとけ合って、一緒に努力すれば必ず断酒に成功します。」
 稀(まれ)には一人で断酒に挑戦して頑張っている人達もいます。しかし、残念なことに、一人だけの弱さがいつかは出て来るものです。
・なぜか断酒会のように判り合える仲間が居りません。
・断酒の理念を知ることが出来ません。(断酒して生涯幸福を追い続ける)
・一人だけでは、一人だけの独特な考え方でだんだん断酒の方向を見失い、やがて失敗につながるのです。

◎断酒会なくして断酒なく、断酒なくして己れなし
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27.最初の一杯に口をつけないこと。
 入会当初は、ただひたすら我慢のときで、私達は何故、断酒しなければならないか、何のために断酒会に入会したのか、考える余裕がなくなることがあります。

◎そうした時の私達の酒との闘いは、酒の入ったコップを手にするかしないか、極めて単純な二つの選択を迫られることになります。
・ちょっと考えて下さい。私達にとっては一杯の酒が一升・ニ升の酒と同じであるのです。私達は適量が判っていないがら、それを守ることの出来ないアルコール症という病気を持っているのです。
・そうした切迫した状況に時々なる人は、それの予防として、お金を持たないようにしている人もあります。

◎また短期間の断酒の出来ている人で少しぐらいなら大丈夫と考えて、試し飲みをする人もいます。
・今までの努力の跡を振り返ってください。
・失敗の経験のある人は、それを思い出してください。
 ほんのちょっぴりで何回となく、どうしようもない状態にまでなったのではないですか。

◎笹の露ほども飲んではいけないのです。一滴の酒で命を失うことになるからです。

28.時間励行。
 「アルコール症の人は狂った時計を持っているようだ」といわれています。
 どんな大切な約束があっても、酔っぱらっていれば平気ですっぽかし、約束の場所に行く途中にでも飲みたくなるとすぐさま予定を変更しました。私達の持っていた時計は飲みたい欲望と酒の酔いの加減で自由自在に針が動いていたのです。

 私達は断酒会に入って、時間が特別に厳守されていることに驚きました。断酒するということは、酒を飲まないだけでなく、酒に支配されていたすべての状態から脱却することであると教えられ、時間に関しても酒のために自由自在に振り回されていた狂った時計を捨てて、正常に時を刻む時計を持つことであると理解しました。

 例会は雨が降っても火が振っても定刻に開かれます。会長や支部長や司会者が遅れてもそんなことには関係ありません。定刻には、きちっと閉会されます。

 酒のために生活の折り目、切り目を失っていた私達が、断酒して社会に適応するために一番手近にあってやれることが、この時間遂行でもあるのです。難しい断酒理論を理解することよりも、時間通りに例会に出席することの方がずっと重要です。

 松村会長が時間遂行を特に強調していた最大の理由は、断酒して新しい人生に取り組むためには、従来の日常生活を一新する必要を痛感したためです。そのスタート地点にあるのが時間を守ることだったのです。

◎私達は、断酒会員としても、社会人としても、きっちり時間を守らなくてはなりません。

29.仲間に励ましの手紙を書こう。
 松村会長は、全国行脚の列車の中で、駅のベンチで、事務所で、自宅で寸暇を惜しんで励ましのハガキを書き続けました。

 失敗し、絶望して断酒会を撤退しようとしている仲間達は、一様に孤独になっています。劣等感や無力感の中で再び酒を手にするようになっているのです。

 そうした仲間達に温かい励ましの手紙が届いた時、彼等はもう一度やり直す気になるのです。励ましの手紙でなくても、例会案内のハガキでも、彼等は断酒会の仲間達との間に見えない糸でつながれている友情を感じとれるのです。

 松村会長からもらった励ましの手紙で、もう一度断酒への再スタートをした仲間も多く、また、例会案内のハガキでもう一度何とか頑張って見ようと決意した仲間もいます。

 お互いに頑張っている者同士が励ましの手紙を交換したり、断酒に踏み切ったばかりの一番苦しい状態の仲間に励ましの手紙を出すことの重要さは誰もが知っていることです。

 全国大会やブロック大会、または研修会等で、遠くの仲間達との交流も盛んです。

◎連帯の輪を大きく拡げるためにも励ましの手紙を仲間に出しましょう。
2039/06/23のBlog
30.全国組織の拡大につとめよう。
 松村会長が酒害者のために全国行脚をはじめたとき、「全日本断酒連盟会長」という肩書きのある名刺をいただいた方が、「たった高知と東京の二つの会で全断連とは少々オーバーだ」と思ったそうですが、いや「全断連というのは大風呂敷ではなく、何が何でも全国の酒害者のためにひろげなくてはならない志だった」と理解したそうです。

 松村会長は少しでも早くに全国に断酒会組織のネット・ワークをひろげ酒害に苦しんでいる人達の為ために力を貸さねばならないと考えていました。病躯を押して全国行脚を続けたのもそのためです。

 「全断連の原点は、何といっても松村春繁会長の全国行脚である」と言えます。

 「断酒できた喜びを、酒害の何たるかも知らずに苦しんでいる酒害者とその家族のために一刻も早く伝える」という酒害者救済活動は、断酒会活動の原点であり使命でもあります。

 酒で苦しんでいる人や、その家族に接することで、ともすれば薄れがちになる自分の酒害の記憶を生々しく思い出し、自分のやるべきことが再確認できます。

◎常に愛と感情を自分のものにできる純粋な酒害相談活動に取り組みましょう。

31.厳しさのないところに断酒なし。
 アルコール症を克服することの困難さは、普通の病気とは根本的に異なった病気であることです。
 普通の病気になると、医師は診断し、病名をつけ、治療してくれます。少々時間がかかったとしても元通りの状態に回復します。

 しかし、アルコール症を克服するためには、医師の治療を受け回復したとしても、それは一時的に元の状態に戻ったということで、それから先は自分で治して行かなければならないのです。再び飲酒するとすぐにも元の状態になるため、自分の努力で断酒していかねばならないのです。

 そして、私達がアルコール症を完治するためには、生きている限り断酒しなければならず、「断酒実践は永久の課題です。」
 従って、いくら長期間断酒が出来ていても決して真剣な取り組みを怠ってはなりません。

 私達は人間としての在り方を間違え続けて来た歴史を持っています。断酒して新しい生き方を始めた現在、少々厳しいと思っても常に人間としての在り方を考え、酒のみならずあらゆる面で過去の甘ったれた生活を反省し、改善して行かねばならないのです。

 また厳しさは他の人達に求めるのではないのです。厳しさに馴れ、厳しさを楽しさに変えてこそ、本当の意味での断酒が出来るのです。

32.実践第一。
 松村会長や多くの先輩達が考えていた断酒法を一言で説明すると「実践第一主義です」ということになります。

 時間と労力をかけなくても、アルコール症の病識を徹底的に頭にたたき込めば、或いは断酒出来るかも知れません。自宅で、心静かに内観でもすれば、或いは酒を飲まなくなるかも知れません。しかし、そうした傾向の断酒を志した人に現在断酒が継続されている人は居りません。

 何故でしょうか?随分長い時間をかけて酒を飲み、随分長い時間をかけて次々と周囲の人間関係を駄目にし、自分自身もだんだんと駄目になって行くのに気が付き、「止めよう!止めよう!」と何回となく考え、反省し、懺悔し、そして飲み続けてきた歴史があります。アルコール症への軌跡を遡(さかのぼ)って考えれば、そんな楽な方法ではとても断酒は続けられないと思います。

 やはり、アルコール症者が断酒し、断酒を継続するためには、体を使って例会に出席し、足を使って酒害相談に駆けめぐり、そうした行動の中で仲間達と徹底的に判り合う努力をし、また、自分自身を知る努力をする。即ち、行動の中で断酒とは何か?について考えて行くしかないと思います。

 「松村方式」の持つ二大理念である「新生」と「連帯」には、日常生活の中で真面目にこつこつ働きながら、新しい生き方を創り、仲間達と心の底から判り合える連帯をするために常に仲間達のいる場所に出て触れ合う機会を作るという実践活動なしでは考えられないのです。

 実践の中で得たものを、自分の持つ理性を使ってじっくり判断して始めて体得できるものだと思います。

33.他力による断酒でなく、自力、自覚の上に立つ断酒であること。
 入会当初は当人がこれといった断酒への動機付けができず、何のために断酒しているのかはっきりしない場合があります。しかし断酒会は不思議な力を持っており、たとえ当人に積極的な努力がなくても、何とか断酒の日々が続くとそれなりの自覚も芽生えて来ます。そして、断酒の喜びも徐々に感じるようになりますが、まだまだ家族のために止めてやっているとか、先輩会員のために止めてやっているというような甘ったれた考え方も残っています。

 断酒は自分自信のためにやるのであるという自覚を持つことが大切です。自分以外の人のためにやる断酒では到底永続きはしないと思います。

 自分の努力が自分の生き方を良い方向に変えていることが判れば、積極的に断酒に取り組むようになります。そうした良い方向に考えを変えてくれるのは例会です。その例会で恥ずかしがらずに過去の体験や現在の考え方を事実通りに喋れることによって、自然に断酒の自覚も出来、自分の力で精一杯頑張るものだと気付くようになります。

 押しつけがましい意見を述べたり、考え方の間違いを細かく正したりしないのは、そうしたやり方が決して彼等に自覚を与えないことを知っているからです。

 永く断酒が継続されている先輩の歩んだ道や考え方を真似すること、それ自体は決して悪いことではありません。しかし、いつまででも先輩の真似では断酒は続かないでしょう。いつかは自分で自分に最も適した方法を捜し、自分に一番似合った断酒理論を持つべきでしょう。

◎他人の力に依らずに、自覚の上に立った断酒を確立しましょう。
2039/05/24のBlog
34.失敗しても悲観するな、成功への糧とせよ。
 私達は失敗することによって自信をなくします。「断酒会に入っても酒の止められないどうしようもない人間だ」と卑下し、断酒することを諦め、「俺はこんな生き方しか出来ないのだ」と考え、ますます飲むようになります。

 断酒会では何回となく失敗しながら、その失敗の中から自分自信を見つける力をつけ、成功に結びつけた人は沢山います。決して諦めないで下さい。家族も同様です。
 挫(くじ)けずに素直になって自分自身を洗い直してみましょう。入会時の白紙の状態に引き戻してみましょう。多くの誤まりに気付くことでしょう。

 再び失敗しないために、前回の失敗の原因について考える必要があります。失敗のパターンは自分が一番よく知っています。
 前回と同じ傾向が見えた時は、従来と全く違った考え方や、やり方を選ばなくてはなりません。そうでないと失敗します。
・例会出席がだんだん減っていたのではないでしょうか。断酒優先を常に考えて下さい。
・少し断酒が続いたからといって、少々断酒することの持つ意味を軽く考えるようになったのではないでしょうか。
・何か壁につき当ったとき、素直に仲間に相談しなかったのではないでしょうか。

◎「失敗した頃と同じ考え方、同じやり方が次の失敗につながる」ということの確認が、失敗を乗り越えて成功するための糧となる一番大切なことであります。

35.消極的だが初心者は酒席に出ないこと。
 松村会長は、そのケース、ケースで言葉を使い分けており、酒席に出ないことが消極的というよりもむしろ積極的な断酒法であると言っていた方が多かったようです。

 私達は断酒することによって自分自身の中に「酒のない文化」を作りつつあるのですが、一般社会人として酒席について考えた時、無視できないものに冠婚葬祭等の義理があります。

 入会当初の不安定な時は、家族が代わりに出席したりします。当人が出席しても、早目に出席して早目に帰るという方法を取っています。それは飲酒の誘惑に駆られるから危険だということだけでなく、私達断酒会員と一般飲酒者との間には大きな差があるからです。
 その差とは、酒を飲むことによって酒そのものの価値判断が、彼等とは全く正反対になっているのです。酒席での長居は無用です。
 愛酒家にとって一滴も飲まない人間と同席することは、余り気持ちが良いものではないようです。座が白けることがあったり、酔いが進むと無理に飲まそうとしたりします。初心者に限らず酒席に出ることは極力避けた方がよいのではないでしょうか。自分のためにも相手のためにもです。

 この言葉は「消極的だが」を除いて「初心者は酒席に出ないこと」として考えた方が良いと思います。

36.姓名を堂々と名乗り、断酒会員であることを明確にせよ。
 AAが匿名にしたのは、その方が断酒するために有利であり、私達の断酒会が姓名を堂々と名乗るのも全く同じ意味です。
 欧米ではアルコール症であることが判ると、社会的に大きな差別を受けるようです。しかし、我が国では断酒会に入会して酒を止めることによって、評価されても、新しい偏見を生む心配はありません。

 酒は冠婚葬祭の儀式には欠くべからずものであり、その他の神事に於(お)いてもおなじです。酒は人間関係を円滑にするために使われており、そうした酒席に参加することが半ば義務のようにも考えられています。そうした酒席に出て明確に断酒会員であることを名乗らなければ、他の理由では盃一杯の酒を断る理由にならない場合が多いようです。

 アルコール症であること、断酒会員であることを恥ずかしがらずに堂々と名乗ることで、私達は酒を飲まずに社会に適応していくことが出来るのです。

 稀(まれ)に、姓名を名乗るだけではなく、断酒会に於(お)ける役職名まで得意になって名乗る人もいますが、見当違いもよいところです。私達は社会に対して断酒していることを明確に意思表示する必要がありますが、無名志向であることに間違いありません。

 一日一日こつこつ努力を積み上げて行くことを、世間一般では不言実行という言葉で表現しますが、同じ努力の積み重ねでも断酒会は世間に名を名乗り、例会では事実を語り抱負を述べます。有言実行だとも言えなくもないでしょう。
2039/04/24のBlog
37.各人の性格の相違を認め、各人が自らの体験を通じて体得せよ。
 アルコール症による性格は、意志の弱い人、依存心の強い人、内向型の人等で、ひどい場合は異常性格の持主だけがなるとまで言われたものです。

 確かにアルコール症になってからの私達には、共通した物の考え方や、性癖とも言えるものが見受けられますが、ありとあらゆる性格の持ち主が居り、共通した性格の持主がアルコール症になるとは信じられません。

 断酒会に入会されたばかりの会員達に多少の似た傾向があったとしても、断酒が継続されている中に、断酒方法論に性格の違いから来た発想の差をまざまざと感じます。
・例会で学んだことをただひたすら、こつこつと積み重ねるlことによって、まず自分自身の改善に全力を集中する人。
・自分自身の改善は行動の中から自然に出来ると考え、例会だけでなく酒害相談、教宣活動と最初から幅広く動く人。
・例会は安らぎを与えてくれる場所と考えて、ゆったりとした表情で坐っている人。
・例会は厳しさを与えてくれる場所と考えて、いつも緊張した表情で坐っている人。
・暗い過去を主にして体験発表をする人。
・明るい現在の生活を主にして体験発表する人。

 断酒に真剣に取り組む姿勢は同じでも、性格の違いから来る断酒方法論はさまざまです。そうした時は、どちらの考え方が良いか悪いかを、断酒会で論じるような愚かなことをしないのです。
 基本的な断酒会の持つ理念さえ理解されていれば、方法論はその人その人の体験の中で少しずつ変ったり、または変ることなくしっかりと自分の心の中に定着するのです。日常の実践活動が真剣になされていればとやかく批判されることはないのです。

 松村会長の言いたいことは「自分の考え方に自信を持ちなさい。そして、相手の考え方も肯定しなさい。性格の差からくる考え方の差は致し方ないもので、そんなことよりも一番大切なことは、真剣に努力してつかんだものを完全に自分のものにすることですよ」であると考えます。

38.お互いが欠点や失敗を話し合って、裸のふれ合いが出来るようにつとめること。
 アルコール症の特徴の一つに見栄っ張りがあります。私達は見栄を捨てないことには、仮に断酒が出来ていても永続きはしないのです。
 見栄っ張りの人は過去の恥ずかしい体験を語ることも出来なければ、現在の苦しい状態も打ち明けることが出来ません。むろん、自分の欠点を語ることも出来ないでしょう。

 例会に出席しても恰好の良い話や、建前しか語ることが出来ず、何でも素直に事実が言えないため本当に理解出来る仲間になりにくいのです。何故なら、本音の出ない人を理解するくらい難しいことはなく、また近寄りにくいのです。

 断酒会で酒が止められている最大の理由が、平等の立場から参加した人達が、例会の中で事実あった体験と本音を素直に話すことで、お互いの人格の触れ合い、魂の結びつきがあるからだと言われています。そうした人達にはこうした断酒会の持つ一番大切なものを自分のものに出来ないのです。

 アルコール症に至る要因は複合的で、長い年月大量の飲酒をしたという共通点以外には相当な差もありますが、アルコール症になってからは急速に人格の低下が進むのは同じです。そのため、飲酒時代を事実通り語れば、全員碌(ろく)でもない体験はあるものですし、また。断酒してからもいろいろな欠点に気付く筈です。

◎失敗を語り、欠点を認めることがアルコール症を克服する鍵です。つまらない見栄は捨てて、裸のお付合いをして下さい。

39.酒の奴隷になるな。
 「酒にとらわれた自由のない哀れな奴隷になるな」ということでしょう。
 松村会長は「酒の力は、我々の意志をはるかに上回る」と言っています。過去の自分を振り返って見れば容易に納得出来ます。

 何をやるにしても、何を考えるにしても私達は酒を飲んでいなければならなかったのです。素面では何も出来ない酒の奴隷でしかなかったのです。

 あの酒浸りの生活の中で「酒があるからこそ生きていけるのだ」と考えた人は多い筈です。したがって、この言葉の意味は簡単なことで「酒を飲んで、その酒の酔いに勝てるアル中はいないから、酒を止めるしか方法はないのだ」ということだと思います。

 「酒は飲んでも呑まれるな」と世間一般ではよく言われますが、これも酒の奴隷になるなという意味を含んでいますが、それとは全然違うのです。

40.断酒会員であることを誇りに思え。
 もちろん「アル中」であることが誇りになる筈はありません。心身共にボロボロの状態からアルコール症を克服し、自分自身の新しい人間像を求めて努力する姿勢そのものが誇るに足るという意味だと思います。

 過去、無意味に送った長い年月を惜しいと後悔することもありますし、と言って、今から一体どんな事が出来るかとも考えると、もうたいした時間もないから酒さえ飲まずに無事平穏に暮らすしかないのではないかと考えるようになったりします。

 しかし、どんなに年を取ってからの断酒であっても、新しい生き方を目指さなくては、断酒そのものも危ないのです。従って、断酒が継続されている人達は、それぞれ創意工夫をして、何処に出しても恥ずかしくない誰と較べてもより立派な誇るに足る生き方をしています。そうした人達は、自分自身に誇りを持って、人生に取り組んでいます。断酒会員は、世間一般の人達よりずっと真剣に人間としての在り方を追求しているのではないでしょうか。

◎断酒会はアルコール症者が酒を断つ会であると同時に、誇るに足る生き方をしている人達の会でもあります。

2039/03/24のBlog
41.どんなことがあっても会から離れるな。
 私達にとっては、断酒会に入会することですべてが始まり、会から離れることですべてが終わるといっても過言ではないでしょう。

 いろいろな理由で、会から離れたがるようになる人がいます。短期間で脱会したがる人には、断酒ができないという理由が一番多いようですが、何としてでも、もう一度頑張って欲しいと思います。
 数年で会から離れたがる人達には、失敗が度重なり、どんなに努力しても止められないと諦めてしまった人もいますが、反対に、かなり長い期間断酒が出来ている人で、もう例会に出席しないでも一人で止められているからという理由や、会の運営上のことや、その他いろいろの断酒活動の在り方に不満を持ったりする人に多いようです。

 初心に還れとよく言われますが、不可能と思っていたことが確実に可能になった時の感動を思い出してください。会から離れることは、そうした大切なものをすべて放棄することにもなるのです。

 一人で止められると考えている人は、あなたが断酒についてどんなに立派な考え方を持っていたとしても、あなたを理解してくれる人は周囲にいなくなるのです。あなたは多分理解されない淋しさから、また酒に走るようになるでしょう。

 会の運営等に不満を持って会から離れたがっている人達は、そうした不満をすぐ会から離れることに結びつけることに問題があることに気付いているでしょうか。少数意見だとしてもその方が正しいことも確かにあります。しかし、支持されないからといって短兵急(たんぺいきゅう)([意]だしぬけ。せっかちにする様子。)に結果を出そうという考え方は、かつての飲酒時代の根気のなさと同じではないでしょうか。時間をかければ、あなたの考え方が正しければ支持されるようになるでしょうし、正しくなければあなたは自分の考え方を変えることができるでしょう。

◎断酒会との出会いが、今までの人生の中で一番大きな意味を持っていたことについて、今一度確認しましょう。そうでないとすべてが終る可能性があります。

42.条件をつけて断酒するな。
 生命より大切だと思っていた酒を止めるのですから、入会当初は何かと条件をつけたがる人がいます。

 一番多いのは期限付きの断酒ではないでしょうか。1年だけ止めてみるとか、3年だけ頑張るとか。息子が一人前になるまでとか、娘が結婚するまでというのが多いようです。

 入会早々から断酒するということは、一生飲まないことなどとは考えも及ばないことですし、また、人間らしい新しい生き方を始めるのだという考え方もなかなかできないものです。

 何故酒を止めなければならないかについて、正確に、幅広く考えることはなかなか難しいことです。しかし、どんなつまらない条件をつけて断酒していたとしても、例会に積極的に出席している人達は、自分のつけた条件が実は全く馬鹿馬鹿しいものであることに気付き、徐々に考え方を改善していきますが、例会出席のできない人達は、いつまでも自分のつけたいろいろな条件にこだわり、信じられないことですが、ある期間の断酒が成功すると急に飲み始める場合が稀(まれ)にあります。

 入会当初、自分の断酒にいろいろな条件をつけたとしても、それは断酒の持つ意味や、断酒会の理解の進んでいない時でもありますので、決して悪いとは申しませんが、条件をつけての断酒が非常に危険なものでありますので、例会だけは積極的に出席して下さい。そうすれば、やがて自分の考え方の間違いに気付くようになり、断酒は継続されるでしょう。

◎断酒は、私達にとっては生きるための唯一の手段であり、無条件で永久に続けるものであることが、例会の中で理解されます。

43.酒害者の最後の一人までも残すな。
 この言葉は、断酒会の持つ目的の中でも一番大きな意味を持つものです。
いや目的そのものと言えるでしょう。

 世間一般の人達は、この言葉を聞くと「ほらを吹くな」と言うでしょう。断酒会に理解のある精神科医でも「患者さんの中で5%位は、絶対断酒できない人達がいます」と断言します。私達は、仮にそれが事実だとしても容認してはならないのです。自分の周囲を見てみましょう。私達の会員の中に「彼だけはどうしても無理です。あきらめた方がいいです」と宣言された人が立派に断酒しています。

 自分自身を振り返ってみましょう。入会以前、私達の仲には絶対止められないと確信していた人は多く、そして、家族もそう思っていたのです。だから、断酒会に入って酒が止められた時「奇跡が起こった」と家族や友人に言われた人は多いのです。私達は、真剣な努力を続ける中で、今まで不可能だと思っていたことを次々と可能にして来たのです。たとえ、何10回、何100回失敗があったとしても、あきらめてはいけないし、決して「駄目な奴」と断定してはいけないのです。そうした人達にいつも温かい励ましの言葉をかけましょう。「絶対止められるんだ!」という私達の信頼感があればいつかきっと成功するでしょう。

 「一人の酒害者も残すな」という実現不可能と思われる言葉もいつか果たされると信じましょう。「どんなひどいアル中でも、必ず断酒することが出来る」と松村会長は口ぐせのように言っていました。

◎一人の酒害者も居なくなった社会、即ち断酒会を必要としない社会を作るのが、断酒会の究極の目的なのです。

44.素直な心で話を聞こう。
 断酒するために一番大切なことは、素直になることだと誰もが言います。過去のどうしようもない酒中心の生活から抜け出して、全く新しい生き方を目指すためには、素直になるしかないでしょう。素直な心で仲間達の話を聞いて、これからの自分の生き方の糧にしなければ、自分の力だけではいくら断酒会に入会して酒を止めたといっても、自分を改善することができません。

 素直な心で人の話しを聞くことは、最初のうちは意外と難しいものです。参拝会員達がそれぞれの体験を発表しているのに、自分の欠点を突っつかれているような気がして腹を立てたり、やさしく話しかけてくれる先輩に警戒心を持って、少しも相手の気持ちを有難いと考えなかったりします。

 アルコール症になるということは、長い間酒ばかり飲んだだけの結果ではないのです。周囲の人達の人間関係を破壊し、信頼をなくしただけでなく、孤独になって、歪(ゆが)みや、ひずみが心に根強くへばりついているようにもなっています。そのため、はっきり言って、入会当初から素直な心で断酒に励んでいる人は意外と少ないのです。しかし、例会出席が続く中でそうした状態から少しずつ素直な心が持てるようになり、人の話も素直に聞けるようになります。

 語ることで、自分に欠けているものが判り、聞くことで、自分の考え方の間違いに気付くようになり、いつの間にか、いやでも素直になるのではないでしょうか。

◎例会は私達の心をも変えてくれます。素直な心で話を聞くことによって得る収穫は計り知れないほどあります。断酒が継続されるだけでなく、人間として大きな成長があります。
2039/02/24のBlog
45.一年半したら会の運営に参加しよう。
 何故一年半なのか、具体的に説明出来ないのが残念ですが、なるべく早い機会に会の運営に参加しましょうという事だと思います。

 一年半も断酒が継続できれば、不安定な精神状態も始まり、また、能力的にも他の人達のためにもいろいろなお世話が出来るようになると思います。
 人のために尽くすことで、私達の断酒は益々賢くなり継続されるでしょう。

 会の運営に参加することで、
・物事を幅広く見ることも出来るようになります。
・欠けていた価値判断も出来るようになります。
・断酒会の仕組みについてもよく理解出来ます。
・何処に出しても恥ずかしくない社会人としての智恵を自分のものに出来ます。

 断酒会は一部の役職者だけによって運営されると、いろいろ間違いが生じます。大勢の会員の意見を聞き、なるべく会員の意向の反映された運営をしなくてはなりません。

◎一年半断酒が出来たら積極的に参加しましょう。

46.私の屍を乗り越えて断酒会を益々発展さして下さい。
 松村会長は、昭和41年の5月、脳軟化症で倒れました。
 昭和38年の全日本断酒連盟結成以来、全国に断酒会のネット・ワークを作るため、全国行脚に全力を挙げていた無理がたたったためです。しかし断酒運動に生命を賭けていた松村会長は、病気が回復するのを待ち切れず、小康状態を取り戻すと再び全国行脚を始めたのです。しかし、いくら松村会長の断酒運動に賭ける意欲が凄まじいものであっても、精神力だけでは身体の健康は保持できないものです。昭和44年夏から病状の悪化した松村会長は、下司病院のベットで安静を強いられるようになりました。

 この年の11月26日、全断連の第6回全国大会が高知市で開催されましたが、松村会長は病状を心配する会員さんや下司博士の制止を振り切って登壇し、全断連会長挨拶の中で「私の屍を乗り越えて、断酒会を益々発展させてください」とこの言葉を発したのです。

 死期が迫っていることを自覚しながらも、現状の断酒運動はまだまだ満足出来るものでなく、やらねばならないことも、全断連の法人化、全断連会館の建設、組織の拡大等を山積していた松村会長が全国の同志に後の事を遺託した悲痛な言葉でもあったのです。

 私達は自分の断酒が長く継続されていると、ともすれば積極的な取り組みを忘れがちになります、会員個人個人だけでなく、断酒会そのものも沈滞気味になることがあります。そうした時は、私達はこの言葉に込められた松村会長の気持ちを思い出しながら、松村会長の言った「酒害者の最後の一人まで残すな」の大目的達成に情熱を燃やし続けようではありませんか。

47.一県、一断酒会。
 昭和38年の全断連結成を契機に「断酒会」の主旨は次第に全国に浸透し、昭和42年頃から「燎原(りょうげん)の日」([意]野原を焼く火のように、ひじょうな勢いで物事がひろがるさま。)のごとく燃え拡がっていただけに、松村会長はその目標の一つの県に一つの断酒会の結成を夢みて、全断連が本当の意味での全国組織になるように願っていました。

 しかし、当時すでにある県では分裂騒ぎがあり、かつての仲間達が意見の相違から反目対立するという事態もあり、このことを非常に心配し「一つの県に二つの断酒会の必要はない。一つの組織の中でなんとか努力して仲良くやれないものだろうか」という願いを持っていました。そうした意味では一つの県に一つの断酒会でよいとも取れます。

 しかし、現状のように会員数が激増しますと、大都市や人口の多い県ではあまりにも組織が肥大化し、運営面でも非常にむずかしく、現在ではいくつかの断酒会があり、それが一つの連合体を作っています。また、連合体がつくられていなくても、我々は同じ理念のもとに断酒会活動を行っているのですから、多少の技術的な差があっても協調できるはずです。

◎一つの県に一つの断酒会しかないと思わすような、調和のとれた断酒会活動を行いたいものです。

48.会員は人に疑われるような場所に行くな。
 松村会長は断酒会結成以前から一人で断酒していましたが、一滴も飲まずに頑張っているとはなかなか信用してもらえず(口惜しい思いをしたそうです。)それは、「アル中」になると絶対に酒は止められないと、世間一般では考えられていたからです。従って、彼は日常生活の中でもいつも自分の姿勢に細心の注意を払っていました。

 奥さんが僻(へき)地(ち)の小学校で教員をしていたため、独り暮しの彼は、近くに食料品店がなかったため、食酢は酒店で求めていましたが、「アル中」の松村が酒店に出入りすることは世間の疑いを招くと考えて、一升瓶に白い紙を貼り、カタカナで「ス」と大きく書いていたそうです。また、酒席も冠婚葬祭に限られ、必要最小限しか出席せず、いつも明確に酒を止めていると意思表示していました。

 「断酒成功率」に関しては創世期と大して変わりなく、30%前後が普通で、断酒会に入会しても断酒に成功する人よりも失敗する人の方が多いのです。酒さえ飲まねば良いのだと言って、進んで酒席に出るような無意味なことをすることは、断酒会に対する誤解を招きかねません。確かに断酒会員は酒さえ飲まなければ、会員としての最低の条件を満たすことになりますが、はたして、それだけでよいものでしょうか。そうした行為は単に世間の誤解を招くだけでなく、自分自身が飲酒文化の魅力にはまだまだ捉(とら)われていることを意味するのです。

 断酒するということは、世間に酒のあることを認めながら、自分の中に断酒文化を創ることでもあるのです。酒場の雰囲気が好きなのはまだまだ危険な状態です。

◎私達の断酒に取り組む姿勢は、ただ積極的であるだけでなく、理性的な細心の注意も必要なのです。

49.初志貫徹。
 初心に立てた志は最後まで貫き通しましょう。

 酒を止めようと決意しました。酒のない人生を送りましょう。

 断酒会に入会しました。生涯断酒会員でありましょう。

 例会に出席することによって明るい展望が開けました。終生例会に出席しましょう。

 仲間達の友情に感動しました。いつもそれについて考えられる人間でありましょう。

 自分自身の人間としての成長を願いました。一生努力しましょう。

 断酒することは新しい人生の創造であることが判りました。常に若々しい精神でこれからの人生に挑戦しましょう。

 志は貫徹してこそ意味があるのです。
2039/01/24のBlog
50.君と僕とは同じ体質だ。断酒するより他に生きる道はない。
 断酒会の創世記に松村会長がよく使っていた言葉です。全国行脚の行く先々で難しい話をするより、この話の方が説得力があったようです。

 AA運動の創始者達は、アルコール中毒はアルコールへのアレルギーであると言う内科医W・Pシルクロースの一つの疾患説を採用していました。もちろん今では支持されません。

 松村会長も一時期アルコール・アレルギー体質という言葉を使っていましたが、やがて使わなくなりました。そのかわり「一度アルコール症になると、いくら断酒しても再度の飲酒で簡単に元の身体に戻るため、私達は絶対酒を飲んではいけない体質になってしまっているのだ」と強調していました。

 アルコール症は、心と身体の二つの病気であると理解しています。従って、長期間断酒できても、潜在的には飲酒の願望を持ち続けるという心理的な因子が潜在し、体内に少量でもアルコールが入るとたちまち考え方がガラリと変ってしまって、飲むことにしか頭になくなり、短期間で昔のように酒を要求する身体に戻ってしまうと考えています。

◎断酒するしか生きる道はないのです。

51.語るは最高の治療

 新会員が例会出席を嫌がる理由は「何を喋ってよいのか判らない」と「何か喋ると笑われそうではずかしい」の2つがあるようです。
 松村会長は「無理に喋る必要はありません。名前だけでも結構です」名前を喋る習慣がついてくると、いつの間にかその後に「頑張りますのでよろしく」とつけ加えることが出来るようになるからです。

 先輩達がいろいろ気を遣って少しでも喋らせようとするのには、深い意味があります。いつ、どんな場合でも、未知の者同志に新しい人間関係が作られる時には、必ず両者が言葉を交わすことが必要です。何かを喋るからこそ、人と人とが係り合いを持つことが出来ることを知っているからです。
 例会で一番先に生まれる一番大きな収穫は何といっても仲間意識の芽生えです。これはほんのちょっぴり何かを語ることで始まるのです。
 
 断酒会は酒を断って新しい自分を創造して行く会ですが、酒を断った直後には新しい物の考え方はなかなか生まれて来ません。従来通りの発想で、従来通りの生活の中で、ただ、酒だけは飲んでいないという形を作るので、酒を止めていることの意味が判らなくなったりします。
 私達は随分長い間、何をするにもその前にまず一杯でした。それが、一滴のアルコールも入っていない状態で物を考え、何かやろうとするのですから混乱するのも無理のないことです。

 混乱を防ぐには例会に出席していろいろなことを知らねばなりません。例会で人の話しをよく聞き、聞いたことを自分なりに判断して、今度は自分が話すのです。少しずつ考え方も進み、いつの間にか、酒を止めて初めて自分自身の独創的な考え方を確立するようになります。そして、自分に初めて生まれた考え方に固執する人と、、次から次へと経験する中から新しい考え方を創り出す人に分かれるのです。

 頑固に自分の考え方に固執すると、相反する意見や、少し違った考え方まで否定するようになり、仲間との人間関係をまずくして、遂には例会でも素直に自分の考えを語ることが出来なくなり、折角の語ることの大切さが生かされなくなるからです。

 「語るは最高の治療」という松村会長の言葉も、素直に語り、素直に聞くという前提があってこそ生きて来るもので、自分なりに深く掘り下げた立派な意見でも押しつけがましく語るようでは意味がなく、また、自分に合わない話でも、それなりに評価はしてあげる度量がなくてはならないからでしょう。自分も肯定し、人も肯定することによって、私達は温かい人間関係を保っていけるのです。

 「語るは最高の治療」という言葉の意味も、語ることによって自分の裸の姿を理解してもらうことであり、お互いが裸になることによって、本当の話し相手が出来、仲間であることを確認し、仲間であるからこそ一緒に酒が止めて行けるということなのでしょう。
 体験発表の中で現在を語り、将来への抱負を語るだけでなく、過去の酒浸りの時にあった事実を語ることは、自分自身の持つアルコール症という病気を語ることであり、一番大切な部分だから、ただひたすら自分を語る必要があるのです。

 過去のどうしようもない自分を語ることによって、アルコール症の恐ろしさを再確認し、現在の真剣な努力を語ることによって人間らしく生きていることの喜びを感じ、将来への抱負を語ることによって、断酒幸福の本当の意味を追い続けることが出来るのです。
 「語るは最高の治療」といっても、現在の満たされた状態を得々と語るだけでは、大した意味はないのです。

52.例会は体験発表に始まり体験発表に終る

例会では「自分の体験のみ、ひたすら語る」という原則は、案外守られていない場合があります。危なっかしい内容の発表が新入会員によって話されますと、先輩達は非常に危険だった頃のことを思い出して、アドバイスもやはり自分の体験の発表という形でなされるべきだと思います。「そういう考え方は間違っている」とか、「こういう考え方にしろ」とかいう指導や説得が行われますと、例会の空気は一変します。アドバイスしている当人が何年も断酒が継続されてようやくつかんだアドバイスでは、押しつけがましくて相手の気持に訴えるものがありません。余りにも考え方のずれがあるからです。

 一番大切なことは、私達は断酒会に入って断酒できても、一足跳びに従来の酒で歪められた考え方が改善されるのではなく、日常の実践活動の中で少しずつ良い方向に変っていっているわけで、間違った考え方でも正直に語っていることに意味があります。そうしたことを評価しながら、自分のかつての状態をありのまま語る方が、ずっと効果があります。例会の持つ真剣で純粋な雰囲気を保ちながら感動を与え盛り上ります。
 こうした状態の例会で一番大切なことは、会員全部が入会時の自分の状態を思い出し、自分自身の断酒の原点に立ち還ることだと思います。そうすることによって、一番理想的なアドバイスができるのではないでしょうか。

 あるところでは、2時間の例会の時間帯が、30分、40分という長い時間に渉(わた)って会長のお説教によって占められていたり、時には、発表の内容の批判が名指しで公然となされる場合すらあると聞きます。こうなると何のための例会なのか疑問になります。会員達は事実を話すことを怖れ、恰好の良い話を聴くことに疲れ、何の感動もない形だけの集会となります。家族もお茶くみやあとかたずけ等のお世話に終始して体験発表もろくにしないところもあると聞きます。それでは、参加者もだんだん遠のき、最後には例会は成立しなくなるかも知れません。

◎原則通り、全員がひたすらに自分の体験を語る「体験発表に始まり、体験発表に終る」例会を持ちたいものです。

2038/05/17のBlog
写真ーーーーーー>中田陽造先生

2012年11月11日(日)

【西宮断酒友の会 第12回 ≪体験談を語る集い≫
講師:中田 陽造 先生(神戸協同病院特別指導医)
 テーマ:アルコール依存症って、どんな病気?」
回復への道・・・なぜ断酒会なのか

於:若竹公民館講堂
主催:西宮断酒友の会

中田陽造先生の講演 その1
おはようございます。中田です。私は西宮の住民なんです。
そういう関係がありまして、ここの断酒会とは古くからのお付き合いで。
元々は阪神断酒会の西宮支部と言ってました。

その阪神断酒会の西宮支部の時からのお付き合いでありまして、その頃はい五十川さんっていう方が支部長しておられたんです。
彼が「西宮の断酒会も独立しようと思うんですが」とおっしゃいましたんで。
「大変良い事やから、僕も住民として、全面的に協力するから独立しなさい」言うて阪神断酒会から独立した西宮断酒会、最初の断酒会の名前です。
で、色々あったんです。
色々あるのは横に置きまして、次は西宮断酒会から、西宮断酒新生会っていうのが出来たんです。

その次に、西宮断酒新生会から、この西宮断酒友の会が出来ました。
最初の西宮断酒会っていうのは、地域の名前です。
そこを出た時に断酒会の名前どうしましょうか?と、相談受けたんです。
で、日本の断酒会の原点は、高知と、東京にある東京断酒新生会と、高知断酒新生会ですね。だから、「新生会にしたらどうですか?」と、僕がお勧めした。
それで西宮断酒新生会が出来た。

そこから、また、この西宮断酒友の会の初代の会長の桑野さんが新しい断酒会を造られたんですが、その時桑野さんが私んとこへ、「新生会があって、西宮断酒会があって、その次にどういう名前にしたらいいですか?」と聞くから「そもそも日本の断酒会の原点の名前は東京断酒友の会と言った。
その会は、もう東京にはありません。
元々は日本禁酒同盟が、東京の本郷教会で月例会をやっていました。
月曜例会をやっていました禁酒同盟っていうのはキリスト教がスポンサーです。
その日本のキリスト教が、アメリカでA.A(Alcoholics Anonymous)という会が成功しているという話を聞いて、救世軍の山室武甫(ぶほ)という人をアメリカへ送ってA.Aを勉強させたんですねえ。
昭和26年です。
山室武甫(ぶほ)さんが、研究してきて色んな資料を持って日本へ帰って来られた。それから禁酒同盟と、救世軍とが、研究を重ねましてねえ、昭和28年まで、2年間も研究した。中々しっかりしてますわあ。

2年間研究に研究を重ねて、A.Aをそのまま入れたら、日本では拒絶反応を起こす。
何故かと言ったらA.Aは宗教なんです。
A.Aが宗教であるという事をねえ、今頃あまり知られてないんですねえ。
だけど、私はアメリカに6年留学したので、上手じゃないんだけど、英語を読めるんです。この仕事を始めるにあたってA.Aのビックブック(BigBook)、こんな厚い本を読んだんです。

そしたら、そこに一番大事な事が書いてあるのが、この別紙(チラシ)の、こういう風に横向きにして下さい。
・・・左手の下の所に書いてあります。
A.Aのこの下に書いてんのがねえ、A.Aの大事な原則の最初の3つです。
・・・(読まれる。)・・・1..我々は酒に無力である事を認めます。

えー。2番目、PowerはPが大文字です。
英語では大文字で書いてあるのは神を意味するんですね。
我々よりも偉大な神があってその神が我々を正気に戻してくれる事を信じる。
believe、信じるです。
はっきり書いている。

・・・3番目、我々の身も心も神のケアにお任せします、と。
神に我々の身も心もお任せしますと書いてあるんですねえ。
これが向こうの非常に大事な・・・。神というのは唯一絶対的な神で、「神の言う事を聞かなかったら死後の霊魂が地獄に落ちる」という信仰ですね。

ユダヤ教から、キリスト教に。
ダヤ教から、イスラム教にと、一神教なので神様は一人です。
基本的なところはですねえ、キリスト教徒が言うてる旧約聖書。
私はアメリカに行った時に最初の2年間はニューヨークにあるユダヤ系の大学病院におったんです。
ユダヤ人と友達になった、2年間。
ユダヤ人が言うのには、「キリスト教徒の旧約聖書、the Old Testament、あれは間違いであって、あれが唯一絶対的な聖書である。
「聖書」は「神の言葉」なんです。

それは絶対的で、本当は翻訳してはいけないんです。
それをユダヤ人はタナックと言うんですねえ。
TNKと書いて。
ユダヤ語には“A、I、U、E、O”という字が無いんです。
ですから、子音がズラズラーっと並んでいるのを如何に発音するかっていうのは、旧約聖書の事をTNKというんですが、
その旧約聖書の中に書いている言葉がキリスト教でthe Old Testamentとしている。

それがユダヤ人には許しがたい事だと言うんです。
それが最後にはイスラム教でクルアーンの中にも取り入れられている。
クルアーンというのはアラビアの言葉でして、日本ではコーランと言うてます。
これをコーランとイスラム教徒に言うたら殺されます。
クルアーンと発音せないかんのですが、とにかく、一神教の最後になったクルアーンの中にはですねえ、神の絶対的な禁止命令がはっきり書いてあるんです。

具体的に神様がやったらいかんて言うのは、
①占い事をしたらいかん。
②賭け事をしたらいかん。
③偶像を崇拝にしたらいかん。
だから、タリバンがバーミアンで仏像を爆破するんですね。
あれは現在は文化遺産ですけどね。
イスラム教徒にとっては、あれは偶像なんですねえ。

だから、偶像を崇拝しないように爆破していきます。
その次に4番目が、「酒飲んだらいかん!」。

イスラム世界では。クルアーンに書いてある。
絶対にいかんと書いてあるという事はその他の一神教でも、キリスト教も、ユダヤ教も基本的には好ましくない。
ただ、イスラム教のように、はっきり言葉には書いてないだけで。
で、その4つの禁令を破ったらですねえ、政府の裁判官じゃない、聖書というのは「神の言葉」を書いてあるから、それに対する違反はですねえ、教会の坊主が死刑を宣告するんです。

で、その死刑はねえ、イスラムの時代の死刑は「石打の刑」といって、市場の中に穴を掘って下半身を埋めて、町の人が石を持ってきてボォーンとぶつけるんです。
「石打の刑」です。
で、石で埋まるまで積み上げて、で、取り除いて全く無傷であれば、神様はこの人を無罪だと認めたと言って解放されるんですねえ。
そんな事ありえないですよ。

ですから、酒というのはイスラム世界では絶対にいかん!他の一神教でも基本的にはいかんのです。
私はニューヨークに2年おって、その後、ワシントンDCの郊外のメリーランド州の連邦政府のメディカルセンターに4年おったんです。
大体、東海岸っていうのはですねえ、基本的にはカトリックであるイギリスから新教徒(プロテスタント)が迫害されて、逃げて来たんだから、あの辺のアメリカの地方をニューイングランドというんです。

ニューイングランドというのはイギリスから逃げてきた人達が国を造ったからニューイングランドというんです。
非常に敬虔なキリスト教徒です。
新教というのはカトリックに抵抗したプロテスタントですけれども、皆さんは、マルティン・ルターをご存じだと思うんですけれども、ルターは学者なんですね。
それで、聖書を初めてドイツ語に翻訳した。
聖書はラテン語で書いてあったんです。
えー、向こうの人は、教養のある人はラテン語を読んで書けるんです。

だけどそれはもう死んだ言語なんです。
ラテン語からイタリア語ができ、ラテン語からフランス語ができ、英語ができ、ラテン語からドイツ語が出来た。
そのヨーロッパの言語の原点がラテン語です。
それは現実には死んでいるわけです。

しかしラテン語は色んな所に出て来てますねえ。
皆さん方幾らかは聞き覚えてらっしゃると思うんですけれども、元々アメリカで起こった断酒運動の事をアルコーリックス アノニマスと言うんですね。
アルコールリックスというのはアルコール依存症者。
アノニマス(Anonymous)のAは打消しですね。
ノーマルは正常でしょう。
アブノーマルは異常でしょう。

そういう風にですねえ、Aが前についたら打ち消すんです。
アノニマスのノム(nom)というのはラテン語なんです。
ラテン語から英語になってネームになり、ドイツ語ではナーメになったんです。
Aでノム(nom)を打ち消しているという事は匿名ではないんです。
匿名とは名前隠すんです。
アノニマスは無名なんです。

何で無名かと言うとちょっと日本人には理解が出来ないけど、私は6年間も、アメリカで非常に敬虔なクリスチャンの多い、東部で生活していましたから、生活の実態として知っているんですねえ。
向こうの人達は普通子供が産まれますとねえ、自分たちの所属するキリスト教会へ連れて行く。
そのキリスト教会へ連れて行って、カトリックでは神父さん。
アメリカでは大部分がプロテスタント。
プロテスタントであれば牧師さんが、「洗礼」という、クリスチャンになるという儀式洗礼をしてくれる。

洗礼をしてくれたらその後、神父さん或いは牧師さんが洗礼名、クリスチャン名を付けてくれるんです。
で、僕の最後のメディカルセンターの直属の上司は、ジョン・ポール・ベーダー。
ジョンというのは自分の親が付けてくれた名前。
ベーダーは家の名前。
真ん中にあるポールという名前が洗礼名。

で、A.Aは洗礼名でお互いを呼び合う。
決して匿名ではない。
何で洗礼名で呼び合うかと言うたら、神の一族になるという印なんですね。
神の一族になったら、神様のいう事を聞かなかったら、死後の霊魂が永遠の地獄に落ちる。それを彼らは信じているんです。

本当に信じてるんですよ。
僕は6年間アメリカに居って色んな人に接しました。
最初の2年間はどちらかというとユダヤ人が多かったですねえ。
ユダヤ人は勿論、一神教の原点ですから、死後の霊魂を信じていて、その霊魂が地獄に落ちるという事を信じている。
キリスト教徒も信じている。
勿論、イスラム教徒も信じてます。

ですから現在、イスラム世界では激しい戦いがあるでしょう。
あれ、あんまり良くないですねえ、宗教というのは信じる信じないは別として、僕は信じてませんけど、勉強して理解せんといかんですねえ。
元々のイスラム教も、時代と共に宗派が別れたわけです。キリスト教でも、カトリックと、プロテスタントが別れましたねえ。
それと同じように、スンニ派とシーア派と2つの大きな宗派があるんです。
許しあえないんですねえ。

認め合えない。
シーア派の中心はイラン。
スンニ派の中心はエジプトなんです。

所謂東の方はシーア派、西の方がスンニ派なんです。
この両方の勢力が重なっているところがパレスチナなんです。
シリアはそういう風に重なっている場所なんです。
ですから、スンニ派とシーア派の人が混在しているんです。派が違うと全くの敵対関係ですねえ。
あそこの大統領はイランの系のシーア派なんです。
今、抵抗しているのはスンニ派なんです。

で、それはお互いに絶対許しあえない、絶対的な神様があるからね。
そういう風に神が出てくると非常にややこしい。
有り難い事に日本には神が無いんです。
だって“捨てる神あれば、拾う神あり”とか言うでしょう。
これ全然無いんですわ。
八百万(やおよろず)の神様がいらっしゃるからねえ。
そういう所に我々はおるわけですから。
その神に逆らう事によって死後の霊魂が地獄に落ちるという事でブレーキは掛からない。
しかし、一神教では掛かります。

でも、日本というところではね“赤信号皆で渡れば怖くない。
”という国ですから、「皆と一緒」という事が非常に大きなブレーキになるんですねえ。
だから、「断酒会」。だから、「断酒会」。

余計な事を私はすぐに言うてしまうんで、脱線しますから、あまり脱線しない
2037/01/24のBlog
写真ーーーー>中田陽造先生
その5
ない。「禁酒」は無理なんです。「禁酒」は無理だという事を私は勉強して初めからやらない。
だから、外来だけなんですねえ。
「断酒会へ行きなさい」。「断酒会へ行きなさい」。
それを言っているだけです。

「僕は全然力が無いよ。何もしてあげる事は無いよ。
でも、あなたは断酒会に行って、皆と断酒仲間になったら救われる」と教えてあげている。依存者の方は、酔いが覚めると、強烈な二日酔い。
そういう身体的泥沼と「又、失敗した」「又、やっちゃった」という精神的な地獄で「どん底」に陥る。
家族はここで、「どん底」に陥って飲んでいない時に言うとかんと、素面の時に言うとかんと、「ガンガンガン」言いますね。
体がしんどくて、精神的にもまいっている時に、ギャンギャン言われると「一杯飲まんとやっていけんわ」。「一杯飲まんとやっていけんわ」という状態になる。こういう事をひっくるめて飲酒に協力する、不可能な事をを可能にすると言う。
過保護というのは自立心を奪って、無力で依存的な人間を作る事をサミュエル・スマイルズという人が明治時代頃(1895年)に発表した「自助論」という本に書いてます。
逆にEnablerが反省して、飲んだらもう一切過保護をしない。
素面の時には、そこの絵に描いてますように「“口にチャック”して焦らないで待つ」事が大切です。
僕のある患者さんの家族が「先生」「先生」言うて、しょっちゅう来たんです。
それで「そんなん言うたらあかんやないの」「そんなんしたらあかんで」と、繰り返し、繰り返し家族に言うていた。
丁度その時の診療介助についていた看護助手の人がねえ、非常に絵の上手な人だったので、「こんな風な絵を描いてえなあ。頼むわ。」
言うたらこんな絵を描いてくれた。
この絵は随分古いんですよ。

コピー、コピー、コピーして使っている絵です。
「口にチャック!焦らないで待つ」。
配偶者はしばしば子供を味方につけるんですねえ。子供を味方につけて、子供を盾にします。そこまで行くと子供が両親に囚われてしまって、何とか家庭の崩壊を防ごうとする「大人のような子供」、それを「Adult Children:AC」と言います。
Adultというのは大人という意味ですねえ。
ここでは形容詞にして、Childrenの形容詞です。
略してACになるんです。

そういう子供は心理的に非常に無理をしますから、無理をして親孝行する。
無理をして優等生。私の患者さんの子供さんなど中学校の男の子でしたが、もう学校始まって以来の優等生!超優秀な優等生と言われた子供がいました。
そんなんに誰もなりたくないんです。
けど、家庭を守る為にそういう事をせざるを得ない状況になっていた。
Superkid(スーパーキッド)。スーパーマンですね、スーパーマン。kidは英語で子供ですね。

ところがその子供が学校を卒業した頃にお父ちゃんがお酒を止めた。
今度は極悪の劣等生になった。
一気に劣等生になった。

もう服装は乱れるわ、学校に出て来やへんわ、学校では暴言暴力を振うわ、どうしようもなかったですね。
心身症、不登校、非行、学校暴力、薬物依存症等Trouble-Makerになる。
Trouble-Makerもこっちの方に注意を引き付けてですね、問題の焦点をそらさせようとして、結局は全員が自分を見失う。

で、依存者の断酒で地獄の火が消えた後で大人になれないChildish Adult(チャイルディシュアダルト)。Childishは形容詞ですね。
発達障碍者は社会性を欠如し自立困難。で、そういう人は火が消えた後で不出勤、摂食障害、家庭内暴力、薬物依存、ギャンブル依存をやる。
アルコールはやらないですねえ。で、結局断酒の足を引っ張り、不全家庭を継代する。
まあ、そういう事が、大ざっぱなアルコール依存症の理解ですね。

山陰の断酒学校ではカレンダーを作っています。
全部が全部良い文言とは言えません。でも、妥当な文言を出したのが別紙ですね。
まず「医者も家族も断酒会も酒害者を治すことはできない。」禁酒は出来ないという事です。「しかし、酒害者を治す唯一、一人の人がいる。
それは酒害者その人である。」

断酒は出来る。
どうしたらいいかと言うと、カレンダーの5日のところ。
「今日一日断酒に全力をつくそう。」1日断酒ですね。
次に、21日のカレンダー「酒を止めるだけなら断酒会はいらない。
酒を止め続けるために断酒会が必要なのだ。」止め続けな話にならんね。
それでカレンダーの3日の「酒をやめることが何故恥ずかしいのか。
止められないことの方が本当は恥ずかしいのに」。

日本人は“恥”がブレーキになりますね。
「赤信号皆で渡れば怖くない」。“恥”。皆と一緒にならなければ恥ずかしい。じゃあ周りが皆飲んでると、飲む事が良くって、飲まないことが恥ずかしい。
下に書いてあるように、「酒席」には出ない。

どんな事があっても出ない。酒席では周りが飲んでいるのに私が飲まないのは恥ずかしい。しかし、「僕は飲まないから」何かの祝賀会に行って乾杯する時も、「僕飲まないから、水にしといてよ」と言います。
ウェイターもおかしな顔はしない。

しかし、それが酒害者には出来へんのやねえ。飲まへんのは恥ずかしいと思っている。
ですから、そういう所には行かんのが大事です!「酒をやめることが何故恥ずかしいのか。止められないことの方が本当は恥ずかしいのに。」これが断酒会の価値観ですね。
例会出席、一日断酒、が唯一の価値です!紙を横に向けて下さい。
左手に書いてある英文の文言の方はアメリカのA.Aの12ステップのうちの大事な1~3のステップ。
A.Aは神に背くのが「罪」。日本の八百万(やおよろず)の神々は皆、酒が好きですから、日本人にとっては断酒会しかない。
後は一番大事な体験談の時間です。いつもは最後までいるんですけど・・・。今日は先月から今月末まで、大阪社会福祉研修所の「社会福祉指導主事」コースの非常勤講師として木曜日の18:00~21:00の講義がありますのでWeek-dayは病院診療をしていますので、日曜日は講義の準備の為、これで失礼させて頂きます。どうも有難うございました。(拍手)
2034/11/01のBlog
写真ーー>講演者下司病院理事長下司孝之氏

「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その1
講演者 下司病院理事長下司孝之氏

「日本の断酒会発祥60周年記念例会」が、9月28日(土)東京都武蔵野市西久保コミュニティセンターにおいて開かれました。
高知市下司病院理事長下司孝之氏が、
「重なる歴史の断酒会 今日を活かそう」と題して
記念講演され、当会ブログ掲載了解いただき長文にて、
その1~その4まで、4コマにて掲載させていただきます。

尚日本禁酒同盟ホームページに掲載されていますので、検索「日本禁酒同盟」にて閲覧下さい。
http://nippon-kinshu-doumei.fd531.com/

日本の断酒会発祥60周年記念例会 2013.9.28
於 東京都武蔵野市西久保コミュニテイセンター

重なる歴史の断酒会 今日に生かす
~下司病院と断酒会の歴史を踏まえて~

下司病院理事長 下司孝之
キー・ワード 「断酒会の原点」 「内から外へ」
今日は60周年記念例会にお招きをいただきまして、
ありがとうございました。
小塩完次さんや山室武甫さんには父がお世話になりました。
下司孝麿宛のお手紙が沢山残っています。

先頃なくなられた貴会の小塩政子さんは二度も東京から高知酒害サマースクールに来られているのにおっしゃらないものですから、ご紹介もできずに失礼しました。
私の連れ合いも大学院の論文のことで貴会の49周年記念例会にお伺いして、お世話になりました。

下司孝麿は禁酒同盟からは断酒会結成後も大変なご指導を受け、
貴会の禁酒新聞も度々断酒会の動向を掲載してくださりました。
孝麿自身も亡くなるまで、永く顧問にまでさせていただいて恐縮の限りです。

1 断酒会のルーツ

断酒会のルーツ(源流)は禁酒運動です。
有名なところでは「青年よ、大志を抱け」の名文句で知られる
北大クラーク博士が「学生が飲酒にふけり、学問を疎かにしている」様を嘆いて禁酒運動をしたことが知られています。

又、安藤太郎ハワイ総領事が日本からの出稼ぎサトウキビ刈り労働者が飲酒の悪癖に染まっているのを嘆き、樽を割って自らも禁酒に踏み切ったことが知られています。

 禁酒は会ではなく「運動」から始まります。
アメリカではワシントンクラブの禁酒ステップに手を入れAAは発展します。
AAは会というよりは断酒以外は手がけない運動体です。

日本では戦後、日本禁酒同盟が断酒の会を発想します。
1953年、昭和28年9月12日禁酒同盟傘下に「断酒友の会」が生まれ、これが日本における最初の断酒会発祥になります。
運動で始まったものは収まりかえった「会」で終わらせては発展がありません。断酒会は自らの問題とするところは会の名前を使って運動できます。(AAは出来ない)

一般財団法人日本禁酒同盟(Japan Temperance Union)は「酒害に関する知識を普及し酒害の予防及び酒害者の救済を目指す団体」で1920年設立されます。
禁酒運動の金字塔は 未成年者喫煙禁止法 明治33年 1900年
 未成年者飲酒禁止法 大正11年 1921年
を成立させていったことで、戦前もタバコよりも飲酒の法案に手を焼いて21年もの差が出来ています。

やがて禁酒愛国・断酒報国の軍国主義へ巻き込まれていきます。
ポスター標語にも『大東亜戦争に勝つまで酒をやめませう』『戦勝祈願断酒 酒代を戦費に』の文字が見られます。
禁酒同盟の加藤純二理事長(全断連顧問)は、全断連「かがりび」平成16年122号~平成17年125号へ寄稿してこうまとめています。

「禁酒運動は敗戦を機に『禁酒して対米英戦を勝ち抜こう』のスローガンが地に落ちてしまった。

明治初期から日本の近代化に尽くして日本の土となった多くの宣教師などの会員の献身があったにもかかわらず、禁酒同盟が『鬼畜米英』の声に抵抗しなかったことに大きな悔恨の念が起こったのではないかと思う。
組織がそれから立ち直るのは大変だったのではないか。
それに対して、断酒会とその全国組織である全断連には戦争体験責任は無かったのである。」

禁酒運動を政治が悪利用した例です。
だからこそ全断連『指針と規範』・断酒会規範の十項『断酒会は政治、宗教、商業活動に利用されない。』とありますが、単に選挙に利用されないといったことではない大問題なのです。

現行憲法は国民主権ですから、断酒会を国家政策に奉仕させるべきではないと考えられることになりますが、戦前の歴史に学ぶことは充分になされていないように思います。

2 断酒会の原点

原点は酒害者民主主義だと思います。
 『酒害者の酒害者による酒害者のための断酒会』(下司孝麿)
断酒会という言葉も禁酒運動が生み出した言葉ですが、禁酒運動の先進的な努力、工夫を取り入れて現在のアジア型というか、日本の断酒会を作り上げていきました。

キリスト教の影響も強い禁酒運動にして、よく断酒会の雛形を作り出したものだとご苦労を拝察いたします。

横一列平等のAAには仲間を超越する神の存在を想像させ、西欧ならこれはキリストでしょう。

「断酒会は町内会や消防団などと同じ縦型組織ですが、横々運営を心がければ良い」(吉田建夫・高知精神衛生センター初代所長)の言です。
『病院と断酒会は平等』(下司孝麿)の原則に即して患者さんの主体性を認め、会が築きあげられて、大きな不祥事も無く全断連も50年間やってこられたのだと思います。

高度経済成長期に松村さんという優秀なオルガナイザーを得たこと、時と人の存在があればこそで、民主主義を尊重する運動として会を発展させてゆこうという近代的な考え方が重要であったと思います。

そこには実践を尊ぶ地道な現場があります。
それ以前の病者運動は結核患者を中心とする戦闘的な『患者同盟』があり、治療には栄養をつける場の施設が必要な時代の要請から文字通り食べるための激しい生活権闘争を繰り広げていました。

経済と断酒会が急拡張を遂げる1960年代の後半からは学生の異議申し立て運動にも触発され、医療被害・薬害・公害など、会社や国の政策を問いただす運動が盛んになります。

このような要求を掲げる運動の間にはさまれて出来た断酒会は第一義的に自らの問題に取り組み、他人の課題に取り組むことを立ち直りの最初期には戒めています。これは政治的に無自覚であれとする運動ではなく自分の足元を先ず固めるのが肝要なアルコール依存症の特質から取られた運動です。

これが「一日断酒、例会出席」の主テーマとして表されています。

下司孝麿は新聞「断酒」4号より掲載された自らの断酒鉄言『酒をやめるにわけはない 一、今日一日だけ止めよう! 一、例会に必ず出席しよう!』(1962.2)が標語の元の言葉であったといっています。

国の社会保障政策や製造元責任を問う運動との違いが出たのは断酒会の持ち味でもあり、厚生省に『暴れる精神病院でも困り者のアル中の会』との警戒感を出させないようにしたからではないかと思います。

でも鉄言は「一日断酒、例会出席」のふたつにとどまらなかったし、政治的関心から遠のけというものでもなかったのです。

3 禁酒運動から断酒会運動へ
断酒会の原点はと問われれば、私は「酒害者民主主義」ではなかろうかと思います。
断酒会の最初期に提起された言葉ですが、下司孝麿は「酒害者の、酒害者による、酒害者の為の断酒会」として支援者による越権行為をたしなめていました。これが酒害者民主主義として定着してきたように思いますし、医療や、行政の過度の介入に対する規範として機能してきたことと思います。

下司孝麿は禁酒同盟から東京断酒新生会が独立する過程を目の当たりにしていますから、支援の限界を強く印象付けられたことでしょう。
これらの民主主義の理解は断酒会がAAの伝統から学びとったことでもあると思います。

断酒会の順当な発展は戦後の民主主義感覚と合致して断酒会を発展させてきたといえると思います。
断酒会が創始者は松村春繁だと力強くいうのは、彼らのアイデンテイテイからであります。

今ここで、そもそも断酒会という言葉は断酒会が作った言葉ではなく、禁酒運動から生み出された言葉であり、原点の彼方に影響を与えた禁酒運動が源流としてあった歴史を確認する必要があると思います。

禁酒運動が近代日本の最初期から活動をはじめ、一定の社会的役割を果たしつつも、国家の戦争政策に飲み込まれ、「大東亜戦争に勝つまで酒をやめませう」という禁酒報国に堕して、酒害者や国民の利益から離れていったことが戦後期に禁酒運動が国民の支持を失った原因ともなったことと思います。

戦前の禁酒運動が、誰に依拠するのかを探り当て得ないで国家と容易につながった限界をここにみます。
禁酒同盟の機関誌「禁酒之日本」には名古屋大教授による酒害者は「断種」せよとの優性学的な論文が掲載されていますから、とても酒害者本人による断酒運動というところまでは意識が繋がらなかったのだと思います。

その禁酒同盟も断酒会を生み出す際にはAAに学ぼうとします。
AAも戦後民主主義の申し子として取り入れられ、断酒友の会が日本AA支部を名乗ったことすらあります。

戦後の禁酒運動には、戦争への協力にいたった反省から、酒害者に向き合う努力がなされて、AAに学び断酒友の会、東京断酒新生会、断酒修養会などの開設運営がなされていったと思います。

AAは独立した存在ですから、断酒会も禁酒会から独立してゆくのも自然な流れだったのではないでしょうか。

また、戦後期の禁酒会は戦争への反省から反戦平和の理念を掲げ、戦後初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹などの「世界連邦」創設への運動へ手を伸ばしていったのだと思います。組織は別でしたが禁酒会理事長に世界連邦を推進する片山哲元総理がなっていましたから彼の心情でもあったと思うのです。

余談ですが1960年、私も高校2年生のときに「世界連邦を作ろう」との主旨で学内弁論大会に登壇したことがあり、その雰囲気は分かります。残念ながら理想主義に過ぎ、よって立つ政治基盤が無く運動は広がりませんでした。

断酒会は自助団体でありますが、現在の断酒会には、自分自身の断酒から、自分たちの断酒へ進んでいかなければ自分の断酒もおぼつかなくなるという確信部分が欠けていっているように思います。

それは戦後の経済成長期にかもし出されたマイホ-ム至上主義・中産階級意識による狭い意味の個人主義による仲間意識の解体によるものと思います。

こうして断酒会の社会への露出度も少なくなっていきます。
そうした今、断酒会は誰と提携すべきか考えてみる必要があります。

よく言われるのが、行政と病院との連携ですが、その二つともに行き詰っているのではないでしょうか。

「小さな政府」を掲げる社会保障政策により保健所は統廃合され、「役人を減らせ」で保健師さんは少なくなりデスクワークに張り付き、酒害家族教室はすっかりなくなり住民サービスは減りました。

病院でもアルコール医療に取り組んでいるところも減少し、極端な自己完結医療もみられます。

むしろ、断酒会にとっての連携相手は他の病者運動であったり、市民であったりする仲間性に目を向けるべきではないでしょうか。
今一度、なぜ会なのか、なぜ全国組織が必要なのか問い直しが必要と思うのです。


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2033/09/24のBlog
写真ーー>式典
「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その2

4) 松村春繁初代断酒会・会長との出会い

★ 松村春繁 享年65歳 
1905(明治38)年4月1日~1970(昭和45)年1月30日
後免町(現・南国市)の診療所・川田内科より紹介されて来院、下司孝麿が勤務する町田病院精神科外来を受診。1950年~1956年の6年間、高知市内帯屋町二丁目の町田病院内科に5回の入院を繰り返します。

『兄のアルコール依存症死』にも『今際の母の手が振り払った拒絶』にも『妻文子に常子の誕生』にも断酒できず、『主治医のなんともいえない顔』にこれは見捨てられては大変だと、ようやく断酒につながります。医師が医療の敗北を認め、そのとき松村に始めて断酒の意思が芽生えました。

○治療歴 精神病院入院歴はなし((町田には精神科ベッドはなく、なだいなだ等の精神病院入院記述は誤り。下司孝麿はアルコール依存症患者を系列の精神病院「精華園」には回さなかった) エメチン療法は失敗します。

○人柄 ベッドで聞いている広沢寅造 くどき文句は義理人情 ヘビースモーカー の印象があります。 このタバコで人生を終えました。

○労働運動 戦前の無産運動では検挙歴もあるがこのとき早くも酒害で開催届けを忘れ演説会が弾圧を受けます。

○民同人脈 江田三郎 西尾末広 氏原一郎 佐竹晴記 片山哲ら、断酒会時に人脈を生かす。

○断酒運動 「2年ほど経つと自分で前を切り出しました」 病院がつけた秘書の川村効子嬢の談
 「 余人はいざ知らず、貴君は治る 」 
聞いたインテリの小林哲夫さんは嬉しくなました
 「早く医師になって」 私に この時期、酒害に取り組む医師は皆無、今また医師不足な環境

☆ 下司孝麿 享年96歳 松村の9歳年下 1914(大正3)年8月17日~2011(平成23)年6月2日
1950年 エメチン療法を学会発表 この頃松村氏が受診に現れます。
1956年 松村春繁 断酒に踏み切ります
1958年 1月14日に下司が松村に断酒会創設・誘いの手紙を出します。
1958年 11月9日松村氏らの高知県断酒新生会設立を応援します。
禁酒同盟小塩完次講演会での松村春繁と小原寿雄、二人の出会いは、AAにおけるビル(証券マン)とボブ(外科医)の出会いを髣髴とさせます。当時は自助運動そのものが珍しい時代でそれまでは劣等者として「アル中は『断種』すべし」とされていました。
1960年 やっと断酒運動の芽が出ます
 高度経済成長の始まり 鉱工業生産性指数と酒生産量の右肩上がり同一カーブを描きます。 戦後猛威を振るった結核の終息と1960年代後半 医療被害・薬害・公害運動の起きた狭間に断酒会は高度成長を遂げます

5) 断酒会の誕生

断酒友の会 
 1953年、9月12日、日本で初、禁酒同盟傘下に発祥。

高知県断酒新生会 1958年11月25日、下司病院応接室

東京断酒新生会 1958年12月 5日、 池袋信用組合会議室 (断酒友の会より分離)

東京断酒新生会が禁酒同盟から独立 1962年 4月 1日

東京断酒新生会と高知の二つの会で全日本断酒連盟 結成 1963年11月10日 土佐電鉄文化ホール
 その相方に禁酒同盟の援助がありました。
「断酒会」という言葉や規範の原型が禁酒運動から継承しています。

6) 断酒会支援者

下司孝麿の高知県での取り組みは同時期取り組んだアメリカ生まれのライオンズクラブからは奉仕精神を学び、断酒会運営へのヒントにしました。

一方で、酒を排撃するものではないと酒国土佐で対社会的に断酒会とバランスを保つために知事などと酒を楽しむ社交クラブ『羊子会』結成します。

病気として酒害を捉え、治療は次第に →薬物療法 →集団精神療法 →断酒会へと進みますが、断酒会への支援が先行して、院内治療は遅れます。

全国行脚を続ける組織運動家の松村春繁氏を援助し組織化を支援することに精力を使ったといえます。

こうして、時と人を得た断酒会は高度成長の日本社会に適応してゆきました。
高知で断酒会を支援した人としては沢村栄一高知大教授と秦泉寺正一高知大教授が上げられます。 

沢村栄一 教授は、フルブライト資金で米留学。
AAを視察、翻訳しました。田舎の高知から独自調査をして断酒会を支えていったわけです。

秦泉寺正一 高知大教授は、旗・バッチ・歌などにオリジナリテイを発揮 集団療法の効果を知っていました。

下司孝麿と同時に断酒会に集団精神療法を構想したといえます。東京オリンピックの準備に駆り出されて1962年頃には断酒会支援を終えました。

中沢寅吉 中沢薬業社長は、戦前から高知の禁酒運動家として私財を投じて禁酒運動を続けていました。2年間、毎回断酒例会に連続参加して下さっていました。

7) 断酒会のいいところ

うわべを飾らずに心情を語れるところ。
薄れ行く人間性のよみがえるところ。
断酒会は株のように誰かが得するから誰かが泣くことがない、何人でも立ち直る人数に制限がない。

お酒をやめるには仲間から酒害体験を聞けるところ。
励ましあい、助け合い、慰めあいの気持ちが触れ合う場所。(下司孝麿)
日本経済に貢献、経済貢献は1兆円と言ったことがあります。
(下司孝麿)

何時でも何処でも誰でも出来る会(下司孝麿)
断酒の仲間を持てて、ないのが自殺です。

仲間を大切にする断酒会には除名がない。
(断酒鉄言・下司孝麿)
断酒会には病院への保険証も、税金の支払いも要りません。

断酒会こそ近江商人の家訓「売り手良し、買い手良し、世間良し」で繁盛した「三方良し」そのもので、
「酒害者良し、家族良し、世間良し」の実践者。(下司孝之)

断酒会は我が国最大の歴史のある自助共助の病者団体です。
公益法人になって相互援助団体になったのでは。
徒党を組める幸せもあります。
仲間がいていいですね。
精神病院の風通しを良くしました。
会として社会奉仕に動けます。

8) 断酒会は酒害予防に社会参加できる

酒害を生活習慣病として捉えると、アルコール依存症も予防が大切となります。予防には一次、二次、三次の三段階があります。

アルコール依存症の一次予防では病気の発生そのものを防ぎます。断酒運動は体験発表を持って地域や学校・職場の勉強会に参加が出来ます。

二次予防は病気の早期発見・早期治療のことで発見を手伝え、早期治療につなぐことが出来ます。

三次予防は再発防止で断酒会通いはリハビリのようなものでしょうか。
このように断酒運動は酒害を1次予防から3次予防までカバー出来る存在です。健康な習慣があるほど病気にかかりにくいことは酒害でも自明の理です。個人でも、会としてでも断酒会は予防活動に参加できる位置にいます。

9) 三つの否認を解除して

私は一つ目の『依存症の否認―私には酒の問題は無い―』の次、二つ目の『依存症以外の問題の否認―私には酒以外の問題は無い―』、を家族と社会に分けてみました。
1、依存症の否認
2、家族を省みない否認
3、社会を省みない否認

1、は医療サイドでも気付きを促します。
2、は酒を飲んでいた方がまだまし、ちっとも変わってないと言われる・ドライドランカーからの脱却
3、1,2を克服して『家族ぐるみ』で取り組む課題です。

3、においてやっと世直しと余直りを補い合う関係を持つことが出来るようになると思います。
下司孝麿は晩年「断酒して5年も経てば奉仕活動に踏み出すべきである」と申していましたが、このような時期の到来でしょう。
酒害は習慣性や親などからの模倣性が強く、否認の克服を奉仕で乗り越える必要性を強く感じます。

奉仕と言うと嫌がる向きもありますがボランテイアのことで、自らの問題を解決しながら社会改良や変革などの社会活動に参加していくことが望ましいと考えます。

その人の志向に会ったあらゆる分野の社会運動への参加が自らの断酒を確かなものにもします。

『世直し』を志向するならば世直しに持続するエネルギーを送り出していくための1~3の否認を解除してゆく時間も思考過程もいるということです。

「余直り」は『世直し』の高揚感の中でスリップするのを押しとどめます。
社会改良なり、変革なりを思考するにしても酒害者は「余直り」の自己検証を続けていかなければいけない存在のように伺われます。
だからアルコール依存症の場合は回復と言うよりも『立ち直り』だとわたしは思います。


2033/08/24のBlog
写真ーーー>高知市下司病院
「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その3
講演者 下司病院理事長下司孝之氏

10) 自らの問題は『政治』だからと忌避できない。

農協でも医師会でも自らの問題は政治一般として見逃すことはありません。
アルコール依存症者に対しての最初の大きな試練は1970年代に葬り去られた『保安処分』ではなかったかと思います。保安処分は精神障害者にかけられてきた治安維持法のような社会防衛論による取締を主旨とする法律でした。

「良いアル中は断酒会へ、悪いアル中は保安施設へ」(下司孝之)という酒害者より分けの法律です。

これに対して、「断酒会は除名してはいけない」(下司孝麿)という原則を断酒鉄言に掲げています。最近北海道の断酒会は刑事事件にも追放はしませんでした、立派なものでした。

保安処分のような酒害者に予防拘禁をかけていく社会防衛論は依存症者の運動に分断をもたらします。
小林哲夫さんは「ワイドショーでアルコール依存症者の犯罪を見ていると自分でも怖いと感じるが、こうして断酒例会に集まってくれば恐怖心も払拭されている。」と語っています。

1970年代、賛成に傾いていた大野徹全断連二代目会長のお宅に反対の立場で通いました

大野卓子夫人は所属するキリスト教人矯風会が反対しており反対で、話し合ってはご飯をいただいて帰りました。

保安処分には三重県断酒新生会や高知県断酒新生会などが反対しました。
 この反対運動は「指針と規範」の規範十項には抵触しないものであると思います。

11) 表彰・叙勲の捉え方

酒害者が断酒をしたことで公的な表彰を受けるのはおかしい 小林哲夫
酒害を国に認めてもらうためなら個人叙勲もいい 下司孝麿

全断連の場合は大野徹二代目会長が1992年勲4等瑞宝章受賞 継いで三代目井原理事長が受賞しました。対象団体として『保険文化賞』などに地方断酒会も選ばれるようになりました。

全断連が出来たとき、早く国に認められようとしたので受賞も理解できますが、今は国民と認め合う関係が大事ではないかと思います。
仲間とか病院から表彰を受けるのは無論いいことだと思います。

断酒会としての受賞はかまわないとして、保健文化賞などいくつかの県連が貰っています。

下司孝麿の場合酒害への取り組みから2011年6月2日(96歳)老衰で亡くなるまで国の叙勲は受けませんでしたが、叙勲の階級制が嫌だったようです。三代目井原理事長に勧められたときも断っていました。

アルコール関係で受賞したのは以下でした 
1965年(51歳)厚生大臣賞
1973年(59歳)保健文化賞
1988年(74歳)日本医師会最高優功賞

12) 下司病院からみた断酒会

下司病院は断酒会発足と同じ1958年に開設し、断酒会創立と共に歩んでいます。
最初に断酒会の体験性という「長所」を見抜いたのは、なだいなだです。

高知から下司孝麿の紹介状を持って久里浜病院を訪れた松村春繁を病棟に招きいれ講演をさせて、入院患者を感服させる体験性のすごさを会得しました

2008年の高知酒害サマースクールで講師におい出て下さった猪野亜朗先生も、「専門知識はスタッフの強み、断酒会は体験の強み、これを生かしあう事が大切です。」とおっしゃっています。

病院から見て断酒会運営に気がかりなこともあります。宇治の黄檗病院(おうばく)故・広兼明副院長(1983年没)は『病院を一歩でると同窓ではあるが、病院の子ではない』といっておられました。『××病院出身のだれそれ』と断酒会で言うのは断酒会の結束にとって良くないのではと私も思います。

対等の連携する相手として、賢明にも全日本断酒連盟は半世紀にわたり、不祥事もなく巨大な組織を維持しています。それは、行政の補助金に頼らず、自主財源を会員の会費に求めて、補助金はパンフレット製作などで社会に還元して公明正大な運営をなされてきたからだと思います。

2006年には全国精神障害者家族連合会(全家連)が国庫補助金流用分の返還要求をされ、それに伴う巨額負債で自壊してしまった事例もみうけられますから「補助金漬ばら撒き行政」とは恐ろしいものです。
 
(全家連) http://www.kyosaren.or.jp/commentomo/2007/75.htm

断酒会はこのような不祥事もなく半世紀を経て病院にとって信頼できる相手であり、対等で自立した連携先です。

13) 支援のあり方

かつて断酒会への医療サイドからの支援は「財政」「不動産」「労務」提供がありました。
善意の提供であったとしても、これらの実例からみて過度であってはいけないと思います。過度や、恩恵的では依存からの脱却に阻害物となると思います。

最初期の始動措置として限定的なものとして評価されるべきものだと思います。酒害者が主体的に拘る会を理解していた下司孝麿は『黒子に徹する』と支援者の立場をとっていました。

一方、断酒運動からの他の病者運動への支援はこれから活発化しなければいけない分野だと思います。
公益法人としての病者組織としての責務であると思います。

支援は会員の多くが酒害相談にのることで断酒会の強化をもたらします。支援はまた酒害者との出会いを容易にします。それぞれの病者組織にも酒害者が含まれているからです。

国際連帯の一助となる支援も大事だと思います。
何も外国まで行かなくても在日の中にも依存症者は多くいますから、日本社会の中の問題でもあります。アメリカの人々から頂いたメッセージですから、それを断酒会として中国や韓国、ロシア、東南アジアの人々へと伝えることも大切だと思うのです。

断酒会は過去にもそのような取り組みがありました。
政治がギクシャクしているときこそ、断酒会も相互理解を深めるように動いて何も支障は無い様に思われます。

14) 現在の下司病院の成り立ち

断酒会とともに歩んだ55年でした。 
(基本的に個別断酒会ではなく県連との付き合い)
全50床のアルコール専門病院 
(平均在院日数62日で少し空床が出る小病院)
城下の街中に位置 (市民生活に密着・飲める環境)
開放病棟 (自由空間・任意入院)
患者自治会 (かつての久里浜方式)
酒害者雇用 (断酒会で会長職などはさせない。国の教育プログラムが必要)
小規模作業療法とデイケア (自己完結しない領域)
高知アル研 (酒害啓発など)
松村断酒学校、酒害サマーへの取り組み (職員。入院患者の参加)

15) 下司孝麿 断酒会までの道のり

1938年(24歳) 軍国下、卒業色紙への寄せ書きにフランス語で『自由と平等』と記します。
1941年(27歳)生理学教授と2人で昼食事に日米開戦を聞く「これで敗戦は決定した」と教授。
下司孝麿は戦前、精神科と生理学の両教室で学んだのが酒害の治療に役立ちました。

1945年(31歳)高知県立女子医学専門学校教授
 8月15日 疎開先でポツダム宣言受諾の放送を医学生一同が聴き、涙するも下司孝麿教授の「新生日本は普仏戦敗北後の仏国パスツールに習い科学で再興しよう」との演説に午後から授業に復帰しました。

1946年(32歳)敗戦と南海地震で止めを刺され医専は廃校、町田病院精神神経科長 兼 精華園院長へ復職しました。

1950年(36歳)塩野義製薬宣伝紙「モダンテラピー」に、慢性酒精中毒症の新しい治療薬:抗酒薬エメチンとアンタビュースが紹介されこれに着目し、
6月、日本で始めてエメチン療法を追試(酒へエメチン混入・吐根剤)しました。
10月、高知県医師会医学集談会で、慢性酒精中毒症の薬物療法(エメチンとアンタビュース)を発表

☆ この年アルコール依存症で苦しむ松村春繁氏を診察、エメチンを投与するも失敗しました。

パブロフの条件反射をヒントに高松の米軍図書館で抗酒剤資料を漁り、薬品会社に作らせました。

1951年(37歳) 日本精神神経学会にて 「慢性酒精中毒症のエメチン療法とアンタビュース療法」を発表し、これを全国紙が報道、全国からの問合せ788件→497名(エメチン343名、アンタビュース154名)を治療しました。

4月 下司孝麿がアンタビュース(抗酒剤)をNHKで発表、1000通の反響がありました。

1955年頃、中沢寅吉中沢薬業社長が禁酒新聞を届けてくれました。

1956年(42歳)下司孝麿が東京断酒新生会の例会を度々見学(少なくとも3回、銀座例会、個人宅例会など)して、断酒会が集団精神療法であることに着目 アルコール依存症治療に本格的に取り入れることを考えました。

昭和三十一年、アルコール中毒治療の一環として、当時高知市帯屋町-町田病院内入口の喫茶(笛)に「禁酒無料相談」を設置、高知新聞に広告も出したが失敗した。。

1957年(43歳) 薬物療法の限界を感じ精神療法加味へ 名大で田原講師から集団精神療法を学び、
6月 精神病患者を「人」とみる事を訪米の旅から学びました。
1958年(44歳)2年断酒を続ける松村氏への年賀状に、「アメリカにAAという会があって、断酒に成功している。貴方は断酒会を作って、救世主にならないか。」と送りました。
 下司神経科を9月開院
11月9日 禁酒同盟小塩氏は高知・中沢寅吉氏の招きで講演、AAを紹介
 講演を機に松村春繁氏が立ち上がり、断酒会結成を呼びかけます。その後も小塩氏はしばしば土佐入り、手紙もいただきます。禁酒同盟経由で高知から東京へ全断連結成勧誘の手紙を届けます。小塩完次氏は全日本断酒連盟結成に立会い、顧問になりました。
 断酒運動に禁酒同盟は触媒の働きをした
11月25日 高知県断酒新生会が下司神経科応接室で誕生(参加者;松村春繁、小原寿男の2名)

1961年(47歳) 11月12日 『新聞断酒』を創刊。
1962年(48歳) 松村断酒学校 発足(松村の名は没後に付け加えられたもの)
 高知アルコール問題研究所 設立
1966年(52歳) 9月 学術誌への松村・下司が共同発表しました(アルコール研究誌 創刊号)
1970年(56歳) 1月30日 松村春繁全断連初代会長死去。
1973年(59歳) 高知断酒サマースクール発足。(後日酒害サマースクールと改名)


2033/07/24のBlog
写真ーー>故人全断連最高顧問下司孝麿さん初代会長松村春繁さん
「日本の断酒会発祥60周年記念例会」講演 その4
講演者 下司病院理事長下司孝之氏


16) 下司孝麿 AAを知る

AA訪米時、文献・学術誌、禁酒同盟、学者、米軍病院(座間陸軍病院 横須賀海軍病院・米軍の高知市出身石丸博士より聞いて知りました。
他に武庫川病院AA =現兵庫医大からも聞きました。
 1957年、武庫川病院森村茂樹院長が酒害者の集団療法と抗酒剤の使用を見学、吉田医師に勧め、てAAが医師主導で発足。 (池田市断酒会20周年記念誌「生成-生まれかわる」池田市断酒会顧問・子安医院院長子安義彦氏の「吉田先生の教え」より。)

☆ 断酒会結成後もAA支部になれないかと打診
 1962年7月高知アルコール問題研究所が発足(下司孝麿所長)
 1964年夏に所員の川村効子をニューヨークAA本部へ送りamerica as number 1 の時代だからAA支部になるメリットを考え打診をしましたが、①匿名性、②会費徴収、③会長制と、システムの違いからを拒否されます。AAには支部制度は無く、1953年日本最初の断酒会である断酒友の会もAA日本支部を名乗ったことがありますが、認められなかったでしょう。
 
川村は次にNCA(AAの教育機関)マーチン・マン女史を訪ねた。女史は「アルコール中毒は病気です」「アルコール中毒者は尊敬されるべきです」と何回も力強く語ったそうです。

☆ 以後日本独自の断酒会作りへ
 当事者である ミニ-神父の日本でのAA開設に先立って断酒会が発足しました。
 ドイツ医学からアメリカ医学へ転換した日本だが集団療法ではソ連の存在が考えられます。主に教育畑で研究されたマカレンコフ理論を医療に取り入れようとした青森健生病院・津川武一医師の実践もあったが、労働者の節酒運動に重きを置いたものであって発展しなかった。

17) 私の八項目提案

1、健康サークルとして喫煙習慣など、生活を改善
 すぐ隣の依存症に対しての取り組みを今はまず見かけません

2、外に開かれた運営
 断酒会の知名度は落ちています ネットワークを作らないと断酒に障害が起きます

3、家族会と平等な運営
 妻子を会合時にエプロン姿で断酒会に奉仕させていいものだろうか

4、断酒後には奉仕を
 酒害者に対する奉仕は自分の断酒の糧である (高知県断酒新生会の断酒カレンダー)
 酒害者は5年もすれば奉仕活動を始めたらいい (下司孝麿 晩年の言葉)

5、他の障害者団体に学ぼう
2012年、高知難病連の総会で慶応大学医学部教授が断酒会を大変評価していましたが、当の断酒会員は交流が無くて誉められたことすら知りません

6、酒害相談を運動強化に
 酒害相談は例会と並ぶ大きな柱であったはずです。昼例の試みや社会へ体験出前もどうでしょうか

7、社会学者のアドバイスを
 社会的な観点からの外部からの指摘が欲しいところです

8、アジアとの交流
 アメリカからいただいたメッセージを中・韓・露・東南アジアに届けよう

18) もう一度標語化します。

○ 昼間例会 高齢化の中で出席しやすい会運営
○ 酒害相談 自らの決意と会が強化される
○ 他会交流 余所の会も覗いてみよう
○ 行動断酒 学習からアクションへ体験出前
○ 貧困対策 膨大な貧困層の出現に対応
○ 断酒運動 自己満足の断酒生活でなく
○ 学者動員 外部検証が必要
○ 断酒親善 日本の酒害運動が孤立しないように

参考文献 『断酒に捧げん 松村春繁記』 高知県断酒連合会 絶版 1981年
『新聞断酒』縮刷版・高知アルコール問題研究所 2000円 1987年
 『松村春繁』小林哲夫著 ASK出版 2000円+消費税 1990年
 『断酒必携―指針と規範』小林らによる全断連の出版 300円 1993年
 『根本正伝』 加藤純二著 けやきの樹 2000円 2006年
 ― 未成年者禁酒法を作った人 根本正伝
 『写真と日記で綴る小塩完次・とよ子の禁酒運動 世界連邦運動の歩み』2011年
 ―日本禁酒同盟 資料館発行 1,500円 印刷版、CDROM版共。

 酔芙蓉 色づく頃に 断酒会 (デイケアで 2013・9)

2032/09/26のBlog
写真 全日本断酒連盟初代会長松村春繁・文子夫人
(N)東京断酒新生会の60周年が、9月29日荒川区サンパール荒川にて開催されます。
下司病院理事長下司 孝之様から貴重な資料いただき掲載させていただきました。
松村春繁・全断連初代断酒会長の奥さんが井の頭病院内断酒懇談会の『セラピーNO88』(昭和43年10月23日発行)に寄稿した「東京断酒新生会の20周年によせて」の文章が出てきましたのでお届けいたします。

「東京断酒新生会の20周年によせて」
松村 文子
 東京断酒新生会の20周年を、心からお慶び申し上げます。
 思えば20年前の松村は、酒に溺れて家族を泣かせていた時代でした。その頃東京では、早くも救いの会が開かれていたのですね。
 会員相互の熱意と努力、それに幹部の方々の良い指導により、益々発展しまして、今日の不動の断酒会に成長しました。
 先日、高知でも15周年を祝いましたが、よくここまで発展したものだと感激しました。松村の霊も、定めし満足していることでしょう。
 生前、この運動こそ、自分の最もやりがいのある仕事であると、常に申しておりましたが、死後も皆様から慕われることは、誠に有難いことであります。
 私には、「松村に会いたければ、断酒会に出席せよ!」との声が聞こえるように感じるのでございます。
 高知で親子二人だけで、侘びしく暮らしておりますが、いつも断酒会の方々と共に歩いているのだ、と思うと生き甲斐のある心強さを感じます。
 20周年記念会によせて、日頃感じていますことを、申し上げた次第です。
 (全断連、設立者夫人)
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松村春繁さんは昭和45年1月30日になくなっていますからこのとき、この世には居られません。松村文子さんは断酒会が当初上手くいかないので辞めて就職しようとした松村春繁さんを私が働くからと言って、押しとどめた家族でした。
松村文子さんは春繁さんに似てとても筆まめで、「しんせい」の前身の『東京断酒』(昭和46年8月合、8月20日付け)にも、はがきが掲載されています。
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 暑中お見舞い申し上げます 高知市若松町215
松村 文子

夏休みになりましたが、毎日講習会で鍛えられて居ります。例会に出席して、会の方とお会いするのが楽しみです。こちらの皆さんも頑張っておられます。

9月28日、禁酒同盟の方の断酒会60周年で東京三鷹市で講演してきます。題名『重なる歴史の断酒会 今日を活かそう』
正当な評価をして差し上げるのもいいと思って、歴史を語りたいと思います。
 下司 孝之@下司病院理事長
9.29.日 (N)東京断酒新生会
60 周 年 記 念 東京都荒川区荒川1丁目
サンパール荒川 10:30~15:30
¥ 1,500 締・・・ ・・・
2031/08/05のBlog
[ 20:59 ] [ 故人 なだいなださんのことば ]
1990年7月 第18回高知断酒サマースクールでの
なだいなださんの挨拶(本名 堀内 秀しげる)
下司病院理事長下司 孝之さんが筆起こし

追悼 なだいなださん

なだいなださんの初期断酒会への貢献は、その文筆力を持って多大なものがありました。
特に月刊『文春」(1970・5)への執筆は断酒会を世に知らせる役割を果たしました。
また、紀伊国屋から出版した新書版『アルコール中毒』(1966)ははじめての市民向け図書でした。
高知県にはたびたび訪れ、そのたびに下司病院や断酒会で気軽に講演をしていかれました。
この原稿は県下随一の私学進学校での教育講演会時の直前になされた断酒サマーでの挨拶です。
1990年当時は、なだいなださんを教育界が呼ぶのも面白いと思いました。
なだいなださんは土佐の自由民権にも魅かれて「N君への手紙」を出版しますが、こういう機縁で
高知へ来られることが多かったのかもしれませんね。N君とは中江兆民のことで、国会に愛想を尽かし
『私はアル中だから失礼する』と国会代議士を降りた民権家です。

 下司病院理事長下司孝之

なだいなださんの挨拶

 こんにちは。ちょっと土佐高の先生に呼ばれて、こちらの方で講演会をすることになりましたので、ついでといっては申訳ありませんけど、ここでサマースクールが開かれるという話を聞いて、飛び入りで入れさせていただきました。
 いつも思うんですが、ここはやっぱり断酒会の発祥の地だなあーと思います。
それからもう一つは、下司先生が始められた日本のアルコール医療の発祥の地だなあーということを感じます。
発祥の地というのは、確かに名誉あることですけど、発祥の地で終ってはいけないんですね。それがエネルギーを持って、いつも日本のアルコール中毒運動のリーダーになっている、そのことをひしひしと感じます。
 私はアルコール中毒の治療を始める時に、偶然にお会いしたのが、ここの断酒会を創られた松村春繁さんです。
私などは全然、松村さんのマの字も知らなかったんですね。
国立久里浜病院でアルコール中毒センターの主治医ということになっていたんです。アルコール中毒の勉強を専門にやってきたから、センターの主治医になったんではないんですね。
誰もやる人がいないからなったんです。
給料が安かったり、或いは非常に辺鄙だったりするものですから誰もやる者がいない、私は若気の至りで或る私立病院で騒動を起し、組合をつくったりしたものですから、あっちの病院もこっちの病院もきてくれるなということになりまして行く所がなかった。
だから、ここしか行く所がないので久里浜病院に行ったら、アルコール病棟を建てるということになり無理矢理私は、やらされることになったんです。
 今までにアルコール中毒の患者を受持ったというたら十人位、みんな直らなかった。その人に専門病院の看板を掲げろと、いうのだからひどいものですね。
ただ私にとって救いだったのは、ひとつは偶然ですね。
専門にアルコールにかぎり看板をかかげることが、気楽にできたというのは、その頃アルコール中毒については直らないということになっていたんですよね。
高知のことは知りませんでしたから、直らないことになっておれば、私が診て直らなくても、そんなに責任を感じなくても済むという事ですよね。
だから非常に気楽に、誰がやっても直らないんだから、俺がやってもいいじゃないかということで楽にやることができました。
そして、そのために直らなければ何をするか、まあ話だけは聞きましょうということで患者さんの話を聞くことにし、もう一つは患者さんに逃げる人がいるのなら、いくらでも逃げて構わないように扉を開けておこうということにしたんですね。
開放にしておこう、それはどうしてかというと、患者さんの中には扉に鍵をしておくと蹴破ったり、窓をブチ毀したりして逃げる人が多かったんで、どうせ逃げるんなら逃がしてもいい、ついでに窓まで毀されるよりは、何も毀さないで簡単に逃げて貰ったほうがいいということで、開け放しにしておくことにした。
 そこに今考えますと、今の私よりも若い年令じゃなかったkと思う松村さんが来られた。シワクチャのじいさんが来たなあーと、その時の私は感じたんですけど、松村さんが来られて患者さんと話をした。
私に関していえば、松村さんの話を聞いたこともなかったんですが、非常に頼りない医者だということが幸いしたんですね。
「ネエー、先生をみていたら、今までの偉い先生みたいのと違って、今までの先生をみていたら、とにかくこの先生の言うようにやっていたらいいだろう。なにせ日本一の先生だから、この先生のいうようにやっていたらいいだろう。しかしそれが違っていた。それでは酒を止められなかった。ここに来て、始めて気がついた。俺がしっかりしなくちゃ駄目だ。頼りにするのは医者ではなく、自分だということがわかった。」
そのときに、タイミングよく松村さんに出会ったんですね。
「自分たちは仲間だ、助け合うことだ、それが大切なことだ。」ということが、なんだかわかって酒を止めた。
 私は、その話を聞きながらアルコール中毒の医者に簡単になれてよかったと思いました。
まあー、運がよかった。
しばらくの間、ずーっとおつきあいをしてきたんですけど、勉強をたくさんさせて貰いました。
大切なことは私もそうだったけど、それから断酒会のみなさんもそうだと思いますけど、長い間続けていきますと、ついマンネリになります。
マンネリにならないで済むには、一番大切なことは何かといえば、やはり誰かが治せる病気ではない。
本人が主役で本人が治してゆく、そして私達は仲間でもあるけれど、生証人であるということですね。
生証人であるかぎり人をみて学ぶこともできるし、そしてアルコール患者のみなさんをみていると面白いことですね。
つまり話の種になるという事です。
私は物書きですから、随分話の種を貰いました。
人生というのは別のみかたをすると、いいとか悪いとかいう価値の外に、もうひとつ死ぬ時になって自分の人生を語ろうとする時に、語る種があるかないかですね。
ふり返ってみると紆余曲折があって、いいことがあった。
不幸なこともあった。
悲しいこともあったし、さまざまなこともあったけど語るに不足はない、いくらでも語り続けることができる。
「うちの父さんが、ねえー。」というて子供に語る内容があるわけですね。
ところがあんまり真面目で、素直で、順調にきた人は、子供に語ってやる何物もなくなってしまうんですね。
「うちの父さんは、学校を卒業して、真面目に働いて、真面目につとめあげて終った。」「なにかあったの。」「なにもなかった。」というのでは、なんか人生の終りで淋しいものがするんですよね。
 しかし、アルコールという問題を自分に抱えたおかげで、話の材料にこと欠かない。それは勿論、お酒を飲んで直らないとなったら、無人島へ行って、すきなだけお酒を飲んで死んでしまったというのでは、物語りとしてちょっと単純すぎますよね。
もう少し、何かなければ話すことがないだろうと思うんです。
 そういう意味で私は、みなさんのお顔をみて話を聞くことを楽しみにしています。
今日も時間のとれるかぎりここにいて、この後講演が待っているので、長くいることができませんけど、お話の聞けることを楽しみにしています。
みなさんのサマースクールのご盛会をお祈りしております。
では少し長くなりましたけど、挨拶にかえさせていただきます、どうもありがとう。

下記PDFにて、閲覧プリントできます



2021/06/17のBlog
[ 18:51 ] [ 松村春繁さんと父下司孝麿の足跡 ]
写真ーーーー>下司病院
下司病院院長 下司孝麿(全日本断酒連盟最高顧問)先生遺稿です

一日断酒 
一日断酒とは、自助努力による断酒精進を日々怠らないことである。
 下司病院院長 下司孝麿
1962年(昭和37年)2月20日発行 「新聞断酒」の題字の下に、私は断酒鉄言を初めて発表した。
それには、『一.今日一日酒をやめよう! 一.例会に必ず出席しよう!』とある。
一日断酒・例会出席の標語の原点である。その具体策は、1999年(平成11年)2月18日に発表した。
全日本断酒連盟機関誌にも掲載されているので、お読み頂きたい。その後の新しい理論を追加して、以下総括的に説明する。
 記
1) 毎日、日記をつける。
2) 朝起きた時、『断酒の誓い』『心の誓い』『家族の誓い』『断酒鉄言』『断酒必携』『朝礼の
 言葉』などを朗唱する。大きい声を出して読むのである。また、写経のように筆写する。
3) 断酒できるまでにお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れない。
4) 迷惑をかけた人々への罪滅ぼしをしたか、反省する。
5) 仲間との助け合いができたか、振り返る。
6) 今日一日断酒できたことを、ありがたく思う。
7) 就寝前には、今日一日断酒して健全な生活を送れたことを確認する。この充実感と満
 足感を大切にし、せっかく獲得したこの断酒幸福をいつまでも続けようと、決意を新たに
する。
同時に、断酒地獄の日々を思い起こし、二度と飲酒しないと心に誓う。
断酒決意と感謝の言葉
今日も一日酒を飲まずに頑張れました。断酒会の皆様や支持して下さる方々のおかげと感謝します。明日もまた、仲間の皆様と共に断酒に励みます。
8) 例会出席を怠らない。出席できない場合は、工夫した行動を実行する。
9) この繰り返しによって、自分の脳内に『飲酒罪悪回路』と『断酒幸福回路』が形成され
 て、『飲酒快楽回路』が次第に消滅し、飲酒渇望の心は次第に薄れる。
アルコール依存の心が消失するには、だいたい5年かかる。真剣に取り組まないと、死亡の危険が高いことを肝に銘じて忘れてはならない。
10) 飲みたい時は、深呼吸・水を飲む・その場かけ足・仲間に電話・上記言葉の朗読や筆写。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 (注解) 下司病院での「朝礼」の言葉を入れておきます。

 今日の言葉

 1、皆さんのおかげで、今日も朝礼に出席できました。
 2、今日も一日、お酒を飲みません。
 3、おたがいに手を取り合ってしんけんに頑張りましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2021/04/19のBlog
公益社団法人全日本断酒連盟広報紙 かがり火 No165 9月号転載

1968年 松村春繁生前時の、故下司孝麿院長写真ーーーーー>




酒害と向きあって60年
アルコール治療の先駆者
下司孝麿全日本断酒連盟最高顧問逝く

 高知県断酒新生会 小林 哲夫
 去る6月2日午前8時30分全断連最高顧問・下司孝麿先生は老衰により死去。
享年96歳で、長い長い人生の幕を安らかに閉じられました。
告別式は6月4日執リ行われましたが、 数々の要職に就かれていたため弔問客は500名を数えました。

私は断酒会に入会して45年。
この間、断酒会員の中では一番身近で先生に接していましたので、45年間の記憶を掘り起こしながら追悼の意を捧げます。
先生の思い出の中で特に印象的なことは、松村春繁初代全断連会長との信頼関係、酒害に関するあらゆる情報収集、そして酒害からの回復と奉仕のこころの関連の三点です。

先生は松村会長と出会う数年前から断酒会結成を夢見ていたようです。
禁酒同盟や外国の文献からAAの存在をすでに知っていたからです。
ご自分の依存患者の中でめぼしい人を見つけては、断酒実践と断酒会結成を働きかけていたのですが。
ことごとく失敗に終わっていました。

そんなとき南国市の内科医から松村会長のことを聞き、わざわざ松村宅まで出向き入院治療を説得しました。
人生を投げてしまっていた松村会長は先生の誠意に反応し、断酒一年半後の昭和33年11月、同じく先生の治療を受けた28歳の青年小原寿男を説得して、日本初の「酒害者による酒害者のための自助組織」である高知県断酒新生会を立ち上げました。
先生は正しく断酒会の生みの親であります。
先生は昭和34年夏、現在地で内科神経科・下司病院を開業し、翌35年松村会長を編集人とする「新聞断酒」を創刊しました。
それ以後の先生は国内外の酒害関連情報を掻き集め、一医師と一断酒会が発行する新聞とはとても信じられない、内容の充実した新聞をつくりあげました。

先生は編集部員の一人川村効子が国の事業で渡米した際、ニューヨークのAA本部と全米酒害防止協会のマーティン・マン女子の取材を依頼し、高知女子大の沢村助教授がアメリカに留学したときは、AAの12ステップの研究を依頼しました。

新聞制作の費用は勿論、全国の関係者に配布した費用も全額先生が負担されました。
「新聞断酒」の発行は酒害に悩む人たちに光明を与え、今では伝説となっている壮絶な松村会長の行脚につながり、それが断酒会の全国ネットワークである全日本断酒連盟の結成という、壮絶な夢の実現にもつながりました。

先生と松村会長は全断連の生みの親であります。
また、全断連結成後から半世紀、物心両面から全断連を支えてくださいましたので、育ての親の一人ともいえます。
私には忘れることができない先生の思い出がいくつもあります。

松村会長が逝去されたとき、「新聞断酒」に追悼文を書くように指示されました。
断酒会に入会してわずか三年。
先輩たちに遠慮して辞退すると「君しかいない」と言われ、「新聞断酒」の編集人の大役まで押しつけられました。
活字で残すことが私の使命と感じ以後四十数年、私はアルコール依存をテーマにした論文、エッセイ、小説等を78歳の現在まで書き続けております。
今から20年ほど前、大阪森の宮のAC概念の講演会でお会いしましたね。
驚きました。
会場は若い人ばかりで、還暦を過ぎたばかりの私と80歳が近い先生の二人は異色でした。

しかもその二人の講演終了後、相次いで演者に質問するのですから、会場の若い人たちは奇異の目を私たちに向けました。

先生のモットーは「分からないことは調べる、聞く」で。私も同じですので少しも恥ずかしくありませんでした。
あの日の会場の情景と窓の外を吹いていた初夏の爽やかな風を、私は死ぬまで忘れないでしょう。
 
先生は死ぬ前日の6月1日、紙に「白衣を着たい」と書いて、診療着を着ようとされたそうですね。最後の最後まで酒害と向き合っていたのですね。正に「死して後止む」でした。60年に渉る酒害と向き合った日々、これからはどうか安らかにお眠りください。
合掌 
上記閲覧プリントを、PDFにてできます。 
2021/04/18のBlog
[ 22:47 ] [ 小杉好弘先生を悼む下司孝麿 ]
写真 1997年7月10日日本アルコール関連問題学会にて
( 榎本稔先生と小杉好弘先生と下司孝麿先生)

小杉先生を悼む
2010年8月31日 下司病院理事長 下司孝麿

写真と下司孝麿先生原稿(下司孝之理事長からいただき)を、PDFにて
閲覧プリントできます。
2021/04/17のBlog
写真--- .松村春繁全断連初代会長
( 現在下司病院下司孝之理事長様から、レジメをいただき
ご案内させていただき小杉好弘院長並びに下司孝麿理事長様に、
謹んでご冥福を心より お悔やみ申し上げます。)

小杉クリニック開院20周年記念講演 2001/08/18 テーマ・原点
断酒会と私~松村春繁を語る~アルコール医療半世紀を回顧する

全日本断酒連盟 最高顧問 下司孝麿

1、生い立ちで学んだもの

 祖父が村長をしていた家が没落、父を早く失いました。小学ではずっと級長をし、
卒業式では答辞を述べました。だが中学ではおとなしすぎ、頼りないと思われ級長に
なれませんでした。大学まで虚弱体質でしたが、母が教育熱心な教育者で、奨学金を
受けながら進学、教育の大切さを学びました。

2、学問からなにを学んだか

 大学では精神科教室と生理学教室で学びました。 生理学教室では「何にでも立ち
向かう姿勢」を学び、研究方法も独自に考え、特に基礎研究の大切さを学びました。
 後に生理学で習ったソ連パブロフの条件反射を応用して、慢性酒精中毒症の治療を
しようと考えるに至りました。

3、1950年、何故アルコール依存症治療をしようと思ったのか

 高知にはアルコール依存症者がいたからです。
 1958年に断酒講演会出席を呼び掛けた私の患者は250名と、少なくない状況でした。

4、どのような治療環境か

 私は県下最大400床の精神病院院長であると同時に一般病院の町田病院精神科医長
であり、県内唯一の精神科外来で患者の診療にあたっていました。
 両病院を経営する町田尚直院長は文化人で、新聞記者等がよく来て、「町田文化」
と言われていました。院長室へは日本一流のピアニスト、ヴァイオリニスト、歌人、
俳人、画家等が訪れていました。
 院長室の前が精神科の診察室で私は新しい医療情報を話し、新聞にもよく紹介され記者達とも親しくしました。新聞やNHK等マスコミの力は大きかった。

・ アルコール治療は精神病院で始まったものではないこと。
・ 戦後初期マスコミの威力に遭遇した。報道され1950年11月から11ヶ月間に全国から
 問い合わせがあったアルコール患者は788名。内エメチン療法は343名でした。
・ 病院を大きくすることは精華園で経験済みなので興味がなくアルコール依存症治療に
 情熱を注いだ。

5、エメチン療法との出会いは

 昭和25年、塩野義製薬系のPR誌モダンテラピーでアルコール依存症の薬物療法を読みました。 4種の薬の中から2つを選んだ。記者に勧められてエメチン療法を新聞に書いたところ、早く実施をと、けしかけられて開始しました。
 進駐軍放出物資の中にエメチン内服薬があり用いました。アンタビュースは構造式を見て、メーカーに合成してもらいました。
 1950年に高知県医師会と愛媛での学会で、1951年には東京慈恵医科大学で開催された日本精神神経学会で発表をしました。その抄録にエメチンに精神療法を加味をせねばならないと指摘しています。この見解は日本で始めてでした。二代目の大野全断連理事長・叙勲祝いの時、東大の逸見元教授から「我々は薬物療法だけを考えていたが、断酒会はいい発想だ」とほめられました。

6、エメチンは条件反射なのか

 生理学で習ったパブロフの条件反射を応用して、治療をしようと考えました。自分で治療法を考え、外国の文献を読んで始めました。
 エメチン(マレーシアの方で採れる吐根の吐剤、アメーバ赤痢に効く、または鎮咳剤)を酒に入れて吐かす方法は嘔吐する条件反射であることと判断、早速に試みました。

7、アルコールの治療はあったのか

 アルコール依存症については日本では精神科医は治療をしていませんでした。当時、名古屋大学精神科杉田教授は悪性な遺伝病として優生学上子供を造ってはいけないから種を断つ、つまり「断種せよ」と論文に書いていました。勿論、アルコール依存症の治療は当時ありませんでした。
・ 精神科の外来すら大学病院以外には殆どない時代だった。

8、指導者や教科書はあったのか。

 指導者も教科書もない時代です。自分で外国の文献を読み手探りで治療法を考えました。

9、仲間はいたのか

 中澤、澤村、秦泉寺など医師以外の人たち。
 中澤薬業の中澤社長は禁酒運動の熱心な推進者で禁酒新聞を頂いたので、断酒会の事が分かり、東京へ度々行った。
 高知大学の澤村先生には翻訳と、アメリカ留学時にAAを見学して報告してもらった。高知大の秦泉寺先生を引き入れ全断連バッジや断酒の歌を作ってもらいました。
 片山哲(元総理大臣・社会党、禁酒同盟理事長)、小塩氏(禁酒同盟専務)も酒害講演に中澤さんが呼んでくれました。

10、どうしてアルコール医療に辿り着き、エメチン療法だけではなく集団精神療法を加味する発想がうまれるのか、

 エメチン療法をしていて臨床結果から、精神療法の必要性を悟りました。
 1951年の日本精神神経学会で発表しました。(抄録に記載されている)
 その後、日本に紹介されたばかりの集団精神療法を国立名古屋大学精神科で学び町田病院で実施していました。見学をした東京の断酒会は一種の集団精神療法とわかり自信を得て1958年に断酒会を始めました。

11、模倣と独創、アメリカ医療にふれたことと日本的な断酒会の会長制、会計、名前公開にいたった考え方を聞きたい

 東京断酒新生会方式を採用しました。日本の地方では匿名はなじまない、全て日本流だ。 1957年、アメリカに出かけて精神医療をつぶさにみてきたのも断酒会の設立へのヒントとなりました。

12、断酒会との初期は

 毎日、松村さんと診療前に30分も話し込んで飽きることなく相談をしました。待
ち合い室に溢れる大勢の外来患者を待たして婦長に怒られた。その様子を勤務してい
た洲脇先生がみていた。(現香川医大教授、日本アルコール・薬物医学会理事長、日
本アルコール精神医学会理事長)
 「酒害者民主主義」、「断酒鉄言」などはこのような話し合いや体験から産み出さ
れていきました。
 ・断酒会は医療も行政の取り組みも皆無の時に誕生

13、断酒会では対等か

 そうです、初心者から学ぶ姿勢が大事だ。組織運営は縦型でも例会運営はよこよこ
を心掛けるべきです。

14、断酒会が医療よりも先行したのか

 そうです。患者は断酒会に紹介し、約10年間は断酒会一辺倒でした。その有効性
を確信してからは、医学的治療にも力を入れるようになりました。

15、松村春繁の人となりは
 労働運動の闘士で高知県ナンバー2でした。戦後高知市長になった氏原一郎と共に
投獄された人、「ゴネ松」と言われ経営者には恐れられていました。私の知る松村さ
んは、誠実で情熱家。私とは強い信頼の絆で結ばれていました。

16、断酒会リーダーとしての評価は

 自分をとことん分析した人。なだいなだの本にすごいアル中と評されました。
 労働運動で培われたオルガナイザーとしての指導力は抜群。命をかけて断酒運動に
没頭しました。

17、 多くの断酒会を作ろうとする試みがあったのに、何故松村は成功したか

松村氏の情熱に共鳴する同志が沢山いて、支部結成家族会や子供会も造った。街頭運
動その他、色々な企画をして報道された。医療との連係を強調して「下司構想」と言
い出したが私が差し止めました。

18、奥さんの協力は

 一年経っても出席者は会員が数名のみで、2年経っても会が低迷していました。 
松村さんが「就職したい」と言いましたら奥さんは「止めるのが貴方の仕事、生活費
は私が働く」と言いました。
 
19、医療との連係

 アルコール医療は自己完結しない医療なのです。断酒会との連係は必要です。

20、断酒会の今後は

 断酒会孤立主義(モンロー主義)ではだめです。高知アル研を立ち上げた時は酒販
組合理事長、裁判所長等幅広く顧問に迎え社会の理解を得ようとした。
 我々医療の側も断酒会に対してパターナリズムpaternalism (恩情主義、家父長主義)ではだめです。過保護、支配的では断酒会は伸びない。

・ 私は医療と断酒会は対等の立場であると言ってきた。
・ 昭和38年、全日本断酒連盟の発会式で私はリンカーンの言葉から酒害者民主主義「酒害者の酒害者による酒害者の為の断酒会」を提起した。

21、何故、今「原点」か

 急速に医療で全てをカバーできなくなっている社会的変化があること。止める心は本人の努力の積み重ねであるとの再認識が必要です。
 自らの自助力に自信を!
 会が効率良く酒害に対応出来る組織を!
 感激のない会は駄目、その為の工夫を!
 現在、利己主義の傾向が強く、匿名の傾向もあります。自分を裸にして世間に訴える勇気がないのです。
 WHOはspirituality (霊性)という。
 私は「只管断酒、例会入魂」(ひたすら断酒、霊性獲得)を提唱する。
 アメリカのAAは匿名というが、ベテイ・フォードセンター、ヒューズ法等、全て酒害者名で造っているのでAAの匿名性には抵抗を感じます。
 AAは神と言うがスポーツと同じく訓練の詰み重ねによる脳回路形成で酒は止まると思います。



〒780-0870 高知市本町三丁目5番13号 下司病院
℡(088)823ー3 2 5 7
高知アルコール問題研究所 下司孝麿 所長
下司病院 http://www.kochi-al.org/url/geshi-top.html
高知アルコール問題研究所 http://www.kochi-al.org

2019/08/15のBlog
[ 16:14 ] [ 兵庫県断酒会例会ご案内 ]
公益社団法人全日本断酒連盟ロゴマークーーー>
更新令和元年8月3日

☆(N)兵庫県断酒会 東ブロック
尼崎市断酒会令和元年9月例会予定ご案内ココクリック
尼崎市断酒会令和元年8月例会予定ご案内ココクリック
尼崎市断酒会例会場ご案内ココクリック
伊丹断酒新生会H30年4月~例会再開ココクリック
西宮断酒友の会例会場地図ご案内ココクリック
川西断酒会例会場ご案内ココクリック
川西断酒会例会礼和元年7月~礼和元年9月ご案内ココクリック
兵庫県宝塚断酒会例会場ご案内ココクリック
兵庫県阪神断酒会令和元年9月例会ご案内ココクリック
兵庫県阪神断酒会令和元年8月例会ご案内ココクリック
兵庫県阪神断酒会例会場ご案内ココクリック
☆(N)兵庫県断酒会中ブロック
篠山市断酒ミーティングご案内ココクリック
兵庫県淡路断酒会例会ご案内ココクリック
芦屋断酒会例会ご案内ココクリック
神戸協同断酒会例会場ご案内ココクリック
神戸市断酒会例会場ご案内ココクリック
神戸市断酒会令和元年8月例会ご案内ココクリック
神戸市断酒会令和元年8月例会ご案内ココクリック
三田市断酒友の会2019年4月~2020年3月まで例会ご案内
ココクリック
三田市断酒友の会例会場ご案内ココクリック
☆(N)兵庫県断酒会西ブロック
兵庫県東播断酒会例会場ご案内ココクリック
兵庫県東播断酒会令和元年7月ご案内ココクリック
兵庫県東播断酒会令和元年8月ご案内ココクリック
三木断酒会例会ご案内ココクリック
和田山断酒会例会ご案内ココクリック
西播断酒会例会ご案内ココクリック
赤穂断酒新生会例会ココクリック
ご案内姫路断酒会例会ご案内ココクリック
2019/06/06のBlog
写真ーーー>広島県県花もみじ紅葉
更新6月7日
広島県アルコール関連問題啓発フォーラム
公益社団法人 全日本断酒連盟
第54回中国断酒ブロック(広島)大会
・とき 平成31年4月14日(日)
ところ 広島国際会議場
・主催 広島県 公益社団法人 全日本断酒連盟
・主管 広島県断酒連合会
・後援 厚生労働省 広島市 一般社団法人 広島県精神保健福祉協会
 一般社団法人 広島県精神科病院協会
 NHK広島放送協会 中国放送 中国新聞
 家族体験談 広島断酒ふたば会菅真理子さん
 皆様、こんにちは。広島断酒ふたば会・南支部・家族会員、菅真理子です。
本日は、中国断酒ブロック(広島)大会で体験発表の機会を与えて頂き、ありがとうございます。
それでは、私の体験談をお聞きください。
 今、会の手伝いができるようになってきた夫を見て、頼もしく、嬉しく思います。
そして、少しずつ普通の生活ができるようになってきたことをありがたく感じています。これも、断酒継続してくれている夫と、夫を支えてくれている断酒会の皆様のおかげだと、感謝しています。
 私は今でも、何の酒害もなく、たくさん笑っていた時のことを思い出します。
夫は優しく、よく働き、家事も手伝い、子煩悩で、本当に理想の父であり夫でした。
酒席でも暴れることなく、陽気な会話と「ごちそうさま」のできる明るい人でした。
ある日、肝臓の機能が低下して起こる脳の病気で倒れ、命を助けて頂いた夫は、
もう飲酒してはいけないと言われ、当時の私たちは簡単にやめられるものだと思っていました。
暫くやめていたとき、消防団の年末警戒があり行くことを反対する私に「絶対に飲まない」と約束し、参加しました。
深夜、帰宅した夫からは、薄っすらとアルコールの匂いがしました。
「飲んだら死ぬのになんで飲むん!」夫の身体が心配な私は、同時にあんなに約束したのにそれでも酒を口にした夫に腹が立ち、心配と怒りが混じった何とも言葉にできない感情で叫んでいました。
 それからの夫は、静かに隠れて酒を飲み、静かに身体を壊し、ゆっくり家庭と家族を壊していきました。
真綿で首を締めるとは、こういうことなのかと思い知らされました。
 私は、夫の飲酒を阻止しようといろいろ考え、お金を渡さなくすると、私の財布から盗むようになり、私は、財布の入ったカバンを抱いて寝るようになりました。
すると今度は、子どもの貯金箱や財布から盗ります。
私は「そこらへんに置いといたらパパに盗られるよ」と、普通の家庭ではあり得ない言葉を子どもたちに言います。
そんな言葉を聞く子どもたちは、どんな気持ちだったでしょうか。
この母親は、何を考えているのでしょうか、と、今なら子どもたちに申し訳ないことをしたと、反省の心でいっぱいですが、このころには、もう壊れていたのにそのことに気づかずにいました。
お酒を買うお金が無くなった夫は、私の貴金属や自分の仕事道具を売ってお酒を飲み続けました。
 夫は、初めて倒れた時から、専門病院へ入院するまでの7年間何度も内科入院をしました。
退院すると、暫くの間1人でもお酒をやめることができます。
それが3カ月だったり半年だったり長いときは1年近くやめています。
 その間は仲良し家族に戻るのですが、何かの拍子に一杯入ってしまいます。
それが悲しい時なのか、悔しい時なのか、嬉しい時なのか、楽しい時なのか、私が思うに、夫は楽しい時に飲むことが多かったように思います。
そして、それを見た瞬間、私たち家族は、楽しい瞬間=天国から地獄の底に、突き落とされ、叩きのめされます。
また、あの日が続くのかと絶望的です。
そして夫は、またズルズルと身体が動かなくなるまで飲み続けます。
 何度も入退院を繰り返す中で、3回ほど「ダメかもしれん」と、言われました。
初めのころは「先生、助けてください!」と、泣きながら言っていた私も、夫の身体を心配することに疲れ果ててきました。
段々、今の苦しみから逃げ出したくなり、どうすればいいのか考え「夫を見なければいいんだ!離婚しよう!」と決意しました。
それまでも何度か離婚を考えたことがありましたが、それを察知したのか、娘に「今、ママがいなくなったら、パパは死んでしまうよ」と泣きながら言われ、それを聞いた私は、「もう死んでもしょうがないよね」と、思いながらも、娘の涙に応えようとしました。
その時には、もう子どもに何も言わなくても家の中は異常な環境にあったのです。
それでも、離婚を決意してからは子どもが何と言おうが動じず、完全に気持ちは切れて、早く解放されたいと、そればかりを願っていました。
その日から夫のことを、見なくしただけでとても楽になりました。
 そんな時、3・11東日本大震災があり、テレビで津波の無残な光景が流れました。
私は日本に凄く大変なことが起こっているのに、それが何なのか判断できず、朝から酔っている夫は「かわいそうなのーかわいそうなのー」と呂律の回らない口で、何度も繰り返していました。
それを見ていた息子が初めて泣きながら夫に訴えました。「あの人らも可哀想じゃけど、僕らはパパが心配なんよ。
なんでお酒飲むん!なんでやめられんのん!」その言葉を聞いて、私は我に返りました。「ああ、この子たちには、まだこの人はお父さんなんだ。
もう1回頑張ろう!頑張らんといけん」と思い、内科の先生に相談に行き、専門病院を紹介して頂き、入院することができました。
 2カ月間のプログラムを受け、その間私も家族の勉強会に参加しました。
夫は、ふたば会の座談会で断酒会に入ろうと思ったそうです。例会に出席していれば、酒が止まると思ったようです。
 夫が断酒して2年経ったころ、娘の変調に気がつきました。腕が血だらけになり、足は痣ができていました。我慢強い娘は限界を超えると自分を傷つけてしまい、後悔をする…を繰り返していました。娘の心は、この痛々しい傷よりもっと傷ついている。
悪いことをした。
ごめんなさい…と、心の中で何回も謝りました。
泣きそうになりながらも、動揺を悟られないように先輩に相談してアドバイスを受けながら、また、声をかけて頂きながら、娘と向き合いました。
 私はずっと家族を見ていると思っていましたが、やっぱり、アルコールに蝕まれていく夫ばかりを見ていたのでしょうか。
一生懸命自分自身と戦っている娘の方を向いていなかったのでしょうか。
断酒を頑張っている父親と、それについて必死な母親に「私は大丈夫、元気だよ」という顔を見せながら「ママ、助けて!私を見て!」と、口に出して言えない心の声に気づくことができませんでした。
繰り返しながらですが、少しずつ傷も減っていき、今では随分と元気になってくれました。家族も病んでいること、家族会員のフォローのおかげで私自身も元気になりました。
 例会に出席して、当時の状況を何度も語りながら、夫が、アルコールを飲んではいけないことを忘れないようにすること、当時の辛さを話すことで、自分自身を振り返りながら、楽になっていきたいと思います。
 夫は、精神病院を退院後、すぐに断酒会に繋がり、1人ではやめられなかったお酒が、今止まっています。
このままずっと自己新記録を更新していってほしいです。
そして、本人の回復は勿論のこと、私たち家族の心の回復のためにも、これからも夫と一緒に、例会に出席していきたいと思います。
 断酒会の輪の中で「幸せになるために」。
 以上で私の体験談を終わります。ご清聴ありがとうございました。

下記クリックしてくださいPDFA4サイズ3枚閲覧プリントできます。



2019/03/21のBlog
[ 08:01 ] [ 三田市断酒友の会例会ご案内 ]
三田市15さつきーーー>
更新3月21日です
三田市断酒友の会例会ご案内2019年4月~2020年3月まで
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2019/02/16のBlog
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