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川西断酒会 ☆酒害に悩む本人と家族の方へ☆ 「必ず立ち直れる」と信じてください
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2030/05/29のBlog
[ 16:37 ] [ 医療機関のご案内 ]
更新H29年11月10日
Kこころのケアクリニック川西市小花1丁目6-18
新阿武山病院・高槻市奈佐原●新阿武山クリニック高槻市天神町1-10-1たかつき天神ビル2階●新生会病院・和泉市松尾寺町
小谷クリニック大阪市阿倍野区
兵庫県立ひようごこころの医療センター神戸市北区
金岡中央病院・堺市北区中村町 ●ひがし布施クリニック東大阪市足代


垂水病院神戸市西区●幸地クリニック神戸市三宮町

阪和いずみ病院和泉市唐国町 ●かすみがうらクリニック三重県四日市市 ●三光病院高松市牟礼町


久里浜アルコール症センター・横須賀市野比 ●下司病院・高知市本町

2021/06/17のBlog
[ 18:51 ] [ 松村春繁さんと父下司孝麿の足跡 ]
写真ーーーー>下司病院
下司病院院長 下司孝麿(全日本断酒連盟最高顧問)先生遺稿です

一日断酒 
一日断酒とは、自助努力による断酒精進を日々怠らないことである。
 下司病院院長 下司孝麿
1962年(昭和37年)2月20日発行 「新聞断酒」の題字の下に、私は断酒鉄言を初めて発表した。
それには、『一.今日一日酒をやめよう! 一.例会に必ず出席しよう!』とある。
一日断酒・例会出席の標語の原点である。その具体策は、1999年(平成11年)2月18日に発表した。
全日本断酒連盟機関誌にも掲載されているので、お読み頂きたい。その後の新しい理論を追加して、以下総括的に説明する。
 記
1) 毎日、日記をつける。
2) 朝起きた時、『断酒の誓い』『心の誓い』『家族の誓い』『断酒鉄言』『断酒必携』『朝礼の
 言葉』などを朗唱する。大きい声を出して読むのである。また、写経のように筆写する。
3) 断酒できるまでにお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れない。
4) 迷惑をかけた人々への罪滅ぼしをしたか、反省する。
5) 仲間との助け合いができたか、振り返る。
6) 今日一日断酒できたことを、ありがたく思う。
7) 就寝前には、今日一日断酒して健全な生活を送れたことを確認する。この充実感と満
 足感を大切にし、せっかく獲得したこの断酒幸福をいつまでも続けようと、決意を新たに
する。
同時に、断酒地獄の日々を思い起こし、二度と飲酒しないと心に誓う。
断酒決意と感謝の言葉
今日も一日酒を飲まずに頑張れました。断酒会の皆様や支持して下さる方々のおかげと感謝します。明日もまた、仲間の皆様と共に断酒に励みます。
8) 例会出席を怠らない。出席できない場合は、工夫した行動を実行する。
9) この繰り返しによって、自分の脳内に『飲酒罪悪回路』と『断酒幸福回路』が形成され
 て、『飲酒快楽回路』が次第に消滅し、飲酒渇望の心は次第に薄れる。
アルコール依存の心が消失するには、だいたい5年かかる。真剣に取り組まないと、死亡の危険が高いことを肝に銘じて忘れてはならない。
10) 飲みたい時は、深呼吸・水を飲む・その場かけ足・仲間に電話・上記言葉の朗読や筆写。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 (注解) 下司病院での「朝礼」の言葉を入れておきます。

 今日の言葉

 1、皆さんのおかげで、今日も朝礼に出席できました。
 2、今日も一日、お酒を飲みません。
 3、おたがいに手を取り合ってしんけんに頑張りましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2021/04/19のBlog
公益社団法人全日本断酒連盟広報紙 かがり火 No165 9月号転載

1968年 松村春繁生前時の、故下司孝麿院長写真ーーーーー>




酒害と向きあって60年
アルコール治療の先駆者
下司孝麿全日本断酒連盟最高顧問逝く

 高知県断酒新生会 小林 哲夫
 去る6月2日午前8時30分全断連最高顧問・下司孝麿先生は老衰により死去。
享年96歳で、長い長い人生の幕を安らかに閉じられました。
告別式は6月4日執リ行われましたが、 数々の要職に就かれていたため弔問客は500名を数えました。

私は断酒会に入会して45年。
この間、断酒会員の中では一番身近で先生に接していましたので、45年間の記憶を掘り起こしながら追悼の意を捧げます。
先生の思い出の中で特に印象的なことは、松村春繁初代全断連会長との信頼関係、酒害に関するあらゆる情報収集、そして酒害からの回復と奉仕のこころの関連の三点です。

先生は松村会長と出会う数年前から断酒会結成を夢見ていたようです。
禁酒同盟や外国の文献からAAの存在をすでに知っていたからです。
ご自分の依存患者の中でめぼしい人を見つけては、断酒実践と断酒会結成を働きかけていたのですが。
ことごとく失敗に終わっていました。

そんなとき南国市の内科医から松村会長のことを聞き、わざわざ松村宅まで出向き入院治療を説得しました。
人生を投げてしまっていた松村会長は先生の誠意に反応し、断酒一年半後の昭和33年11月、同じく先生の治療を受けた28歳の青年小原寿男を説得して、日本初の「酒害者による酒害者のための自助組織」である高知県断酒新生会を立ち上げました。
先生は正しく断酒会の生みの親であります。
先生は昭和34年夏、現在地で内科神経科・下司病院を開業し、翌35年松村会長を編集人とする「新聞断酒」を創刊しました。
それ以後の先生は国内外の酒害関連情報を掻き集め、一医師と一断酒会が発行する新聞とはとても信じられない、内容の充実した新聞をつくりあげました。

先生は編集部員の一人川村効子が国の事業で渡米した際、ニューヨークのAA本部と全米酒害防止協会のマーティン・マン女子の取材を依頼し、高知女子大の沢村助教授がアメリカに留学したときは、AAの12ステップの研究を依頼しました。

新聞制作の費用は勿論、全国の関係者に配布した費用も全額先生が負担されました。
「新聞断酒」の発行は酒害に悩む人たちに光明を与え、今では伝説となっている壮絶な松村会長の行脚につながり、それが断酒会の全国ネットワークである全日本断酒連盟の結成という、壮絶な夢の実現にもつながりました。

先生と松村会長は全断連の生みの親であります。
また、全断連結成後から半世紀、物心両面から全断連を支えてくださいましたので、育ての親の一人ともいえます。
私には忘れることができない先生の思い出がいくつもあります。

松村会長が逝去されたとき、「新聞断酒」に追悼文を書くように指示されました。
断酒会に入会してわずか三年。
先輩たちに遠慮して辞退すると「君しかいない」と言われ、「新聞断酒」の編集人の大役まで押しつけられました。
活字で残すことが私の使命と感じ以後四十数年、私はアルコール依存をテーマにした論文、エッセイ、小説等を78歳の現在まで書き続けております。
今から20年ほど前、大阪森の宮のAC概念の講演会でお会いしましたね。
驚きました。
会場は若い人ばかりで、還暦を過ぎたばかりの私と80歳が近い先生の二人は異色でした。

しかもその二人の講演終了後、相次いで演者に質問するのですから、会場の若い人たちは奇異の目を私たちに向けました。

先生のモットーは「分からないことは調べる、聞く」で。私も同じですので少しも恥ずかしくありませんでした。
あの日の会場の情景と窓の外を吹いていた初夏の爽やかな風を、私は死ぬまで忘れないでしょう。
 
先生は死ぬ前日の6月1日、紙に「白衣を着たい」と書いて、診療着を着ようとされたそうですね。最後の最後まで酒害と向き合っていたのですね。正に「死して後止む」でした。60年に渉る酒害と向き合った日々、これからはどうか安らかにお眠りください。
合掌 
上記閲覧プリントを、PDFにてできます。 
2021/04/18のBlog
[ 22:47 ] [ 小杉好弘先生を悼む下司孝麿 ]
写真 1997年7月10日日本アルコール関連問題学会にて
( 榎本稔先生と小杉好弘先生と下司孝麿先生)

小杉先生を悼む
2010年8月31日 下司病院理事長 下司孝麿

写真と下司孝麿先生原稿(下司孝之理事長からいただき)を、PDFにて
閲覧プリントできます。
2021/04/17のBlog
写真--- .松村春繁全断連初代会長
( 現在下司病院下司孝之理事長様から、レジメをいただき
ご案内させていただき小杉好弘院長並びに下司孝麿理事長様に、
謹んでご冥福を心より お悔やみ申し上げます。)

小杉クリニック開院20周年記念講演 2001/08/18 テーマ・原点
断酒会と私~松村春繁を語る~アルコール医療半世紀を回顧する

全日本断酒連盟 最高顧問 下司孝麿

1、生い立ちで学んだもの

 祖父が村長をしていた家が没落、父を早く失いました。小学ではずっと級長をし、
卒業式では答辞を述べました。だが中学ではおとなしすぎ、頼りないと思われ級長に
なれませんでした。大学まで虚弱体質でしたが、母が教育熱心な教育者で、奨学金を
受けながら進学、教育の大切さを学びました。

2、学問からなにを学んだか

 大学では精神科教室と生理学教室で学びました。 生理学教室では「何にでも立ち
向かう姿勢」を学び、研究方法も独自に考え、特に基礎研究の大切さを学びました。
 後に生理学で習ったソ連パブロフの条件反射を応用して、慢性酒精中毒症の治療を
しようと考えるに至りました。

3、1950年、何故アルコール依存症治療をしようと思ったのか

 高知にはアルコール依存症者がいたからです。
 1958年に断酒講演会出席を呼び掛けた私の患者は250名と、少なくない状況でした。

4、どのような治療環境か

 私は県下最大400床の精神病院院長であると同時に一般病院の町田病院精神科医長
であり、県内唯一の精神科外来で患者の診療にあたっていました。
 両病院を経営する町田尚直院長は文化人で、新聞記者等がよく来て、「町田文化」
と言われていました。院長室へは日本一流のピアニスト、ヴァイオリニスト、歌人、
俳人、画家等が訪れていました。
 院長室の前が精神科の診察室で私は新しい医療情報を話し、新聞にもよく紹介され記者達とも親しくしました。新聞やNHK等マスコミの力は大きかった。

・ アルコール治療は精神病院で始まったものではないこと。
・ 戦後初期マスコミの威力に遭遇した。報道され1950年11月から11ヶ月間に全国から
 問い合わせがあったアルコール患者は788名。内エメチン療法は343名でした。
・ 病院を大きくすることは精華園で経験済みなので興味がなくアルコール依存症治療に
 情熱を注いだ。

5、エメチン療法との出会いは

 昭和25年、塩野義製薬系のPR誌モダンテラピーでアルコール依存症の薬物療法を読みました。 4種の薬の中から2つを選んだ。記者に勧められてエメチン療法を新聞に書いたところ、早く実施をと、けしかけられて開始しました。
 進駐軍放出物資の中にエメチン内服薬があり用いました。アンタビュースは構造式を見て、メーカーに合成してもらいました。
 1950年に高知県医師会と愛媛での学会で、1951年には東京慈恵医科大学で開催された日本精神神経学会で発表をしました。その抄録にエメチンに精神療法を加味をせねばならないと指摘しています。この見解は日本で始めてでした。二代目の大野全断連理事長・叙勲祝いの時、東大の逸見元教授から「我々は薬物療法だけを考えていたが、断酒会はいい発想だ」とほめられました。

6、エメチンは条件反射なのか

 生理学で習ったパブロフの条件反射を応用して、治療をしようと考えました。自分で治療法を考え、外国の文献を読んで始めました。
 エメチン(マレーシアの方で採れる吐根の吐剤、アメーバ赤痢に効く、または鎮咳剤)を酒に入れて吐かす方法は嘔吐する条件反射であることと判断、早速に試みました。

7、アルコールの治療はあったのか

 アルコール依存症については日本では精神科医は治療をしていませんでした。当時、名古屋大学精神科杉田教授は悪性な遺伝病として優生学上子供を造ってはいけないから種を断つ、つまり「断種せよ」と論文に書いていました。勿論、アルコール依存症の治療は当時ありませんでした。
・ 精神科の外来すら大学病院以外には殆どない時代だった。

8、指導者や教科書はあったのか。

 指導者も教科書もない時代です。自分で外国の文献を読み手探りで治療法を考えました。

9、仲間はいたのか

 中澤、澤村、秦泉寺など医師以外の人たち。
 中澤薬業の中澤社長は禁酒運動の熱心な推進者で禁酒新聞を頂いたので、断酒会の事が分かり、東京へ度々行った。
 高知大学の澤村先生には翻訳と、アメリカ留学時にAAを見学して報告してもらった。高知大の秦泉寺先生を引き入れ全断連バッジや断酒の歌を作ってもらいました。
 片山哲(元総理大臣・社会党、禁酒同盟理事長)、小塩氏(禁酒同盟専務)も酒害講演に中澤さんが呼んでくれました。

10、どうしてアルコール医療に辿り着き、エメチン療法だけではなく集団精神療法を加味する発想がうまれるのか、

 エメチン療法をしていて臨床結果から、精神療法の必要性を悟りました。
 1951年の日本精神神経学会で発表しました。(抄録に記載されている)
 その後、日本に紹介されたばかりの集団精神療法を国立名古屋大学精神科で学び町田病院で実施していました。見学をした東京の断酒会は一種の集団精神療法とわかり自信を得て1958年に断酒会を始めました。

11、模倣と独創、アメリカ医療にふれたことと日本的な断酒会の会長制、会計、名前公開にいたった考え方を聞きたい

 東京断酒新生会方式を採用しました。日本の地方では匿名はなじまない、全て日本流だ。 1957年、アメリカに出かけて精神医療をつぶさにみてきたのも断酒会の設立へのヒントとなりました。

12、断酒会との初期は

 毎日、松村さんと診療前に30分も話し込んで飽きることなく相談をしました。待
ち合い室に溢れる大勢の外来患者を待たして婦長に怒られた。その様子を勤務してい
た洲脇先生がみていた。(現香川医大教授、日本アルコール・薬物医学会理事長、日
本アルコール精神医学会理事長)
 「酒害者民主主義」、「断酒鉄言」などはこのような話し合いや体験から産み出さ
れていきました。
 ・断酒会は医療も行政の取り組みも皆無の時に誕生

13、断酒会では対等か

 そうです、初心者から学ぶ姿勢が大事だ。組織運営は縦型でも例会運営はよこよこ
を心掛けるべきです。

14、断酒会が医療よりも先行したのか

 そうです。患者は断酒会に紹介し、約10年間は断酒会一辺倒でした。その有効性
を確信してからは、医学的治療にも力を入れるようになりました。

15、松村春繁の人となりは
 労働運動の闘士で高知県ナンバー2でした。戦後高知市長になった氏原一郎と共に
投獄された人、「ゴネ松」と言われ経営者には恐れられていました。私の知る松村さ
んは、誠実で情熱家。私とは強い信頼の絆で結ばれていました。

16、断酒会リーダーとしての評価は

 自分をとことん分析した人。なだいなだの本にすごいアル中と評されました。
 労働運動で培われたオルガナイザーとしての指導力は抜群。命をかけて断酒運動に
没頭しました。

17、 多くの断酒会を作ろうとする試みがあったのに、何故松村は成功したか

松村氏の情熱に共鳴する同志が沢山いて、支部結成家族会や子供会も造った。街頭運
動その他、色々な企画をして報道された。医療との連係を強調して「下司構想」と言
い出したが私が差し止めました。

18、奥さんの協力は

 一年経っても出席者は会員が数名のみで、2年経っても会が低迷していました。 
松村さんが「就職したい」と言いましたら奥さんは「止めるのが貴方の仕事、生活費
は私が働く」と言いました。
 
19、医療との連係

 アルコール医療は自己完結しない医療なのです。断酒会との連係は必要です。

20、断酒会の今後は

 断酒会孤立主義(モンロー主義)ではだめです。高知アル研を立ち上げた時は酒販
組合理事長、裁判所長等幅広く顧問に迎え社会の理解を得ようとした。
 我々医療の側も断酒会に対してパターナリズムpaternalism (恩情主義、家父長主義)ではだめです。過保護、支配的では断酒会は伸びない。

・ 私は医療と断酒会は対等の立場であると言ってきた。
・ 昭和38年、全日本断酒連盟の発会式で私はリンカーンの言葉から酒害者民主主義「酒害者の酒害者による酒害者の為の断酒会」を提起した。

21、何故、今「原点」か

 急速に医療で全てをカバーできなくなっている社会的変化があること。止める心は本人の努力の積み重ねであるとの再認識が必要です。
 自らの自助力に自信を!
 会が効率良く酒害に対応出来る組織を!
 感激のない会は駄目、その為の工夫を!
 現在、利己主義の傾向が強く、匿名の傾向もあります。自分を裸にして世間に訴える勇気がないのです。
 WHOはspirituality (霊性)という。
 私は「只管断酒、例会入魂」(ひたすら断酒、霊性獲得)を提唱する。
 アメリカのAAは匿名というが、ベテイ・フォードセンター、ヒューズ法等、全て酒害者名で造っているのでAAの匿名性には抵抗を感じます。
 AAは神と言うがスポーツと同じく訓練の詰み重ねによる脳回路形成で酒は止まると思います。



〒780-0870 高知市本町三丁目5番13号 下司病院
℡(088)823ー3 2 5 7
高知アルコール問題研究所 下司孝麿 所長
下司病院 http://www.kochi-al.org/url/geshi-top.html
高知アルコール問題研究所 http://www.kochi-al.org

2018/09/11のBlog
[ 18:39 ] [ 川西断酒会例会月別ご案内 ]
写真ーーー>川西市キセラ川西プラザ

2019年1月~12月例会予定ご案内

1月から9月12日(水)は、川西市総合センター
9月19日(水)ふれあいプラザ4階
9月26日(水)から平成31年2月末までは、キセラ川西プラザ福祉棟2階会議室
平成31年3月1日以降川西市総合センターが、例会場になります。

予定PDFにて、閲覧プリントできます下記クリックしてください。


[ 18:16 ] [ 川西断酒会例会月別ご案内 ]
写真ーーー>川西市キセラ川西プラザ

2018年1月~12月例会予定ご案内

1月から9月12日(水)は、川西市総合センター
9月19日(水)ふれあいプラザ4階
9月26日(水)から平成31年2月末までは、キセラ川西プラザ福祉棟2階会議室

予定PDFにて、閲覧プリントできます下記クリックしてください。

2018/08/05のBlog
[ 09:53 ] [ 全国行事予定細川新聞 ]
写真ーーー> 全断連ロゴ
更新 9月2日
 
編集発行人:(公社)香川県断酒会 細川一雄氏 了解いただき
下記PDFクリックしてくださいA4サイズ2枚にて閲覧プリントできます。
2018/06/05のBlog
[ 19:49 ] [ 尼崎市断酒会例会案内 ]
写真ーーーー>尼崎市市花キョウチクトウ
更新9月16日
尼崎市断酒会例会H30年10月例会ご案内
下記クリックしてください
PDFにて閲覧プリントできます
2018/06/01のBlog
[ 03:21 ] [ 尼崎市断酒会例会案内 ]
写真ーーーー>尼崎市市花キョウチクトウ
更新8月13日
尼崎市断酒会例会H30年9月例会ご案内
下記クリックしてください
PDFにて閲覧プリントできます
2018/05/30のBlog
[ 04:41 ] [ 東大阪断酒会例会・研修会ご案内 ]
写真東大阪市市花ウメーーー>
更新7月28日
東大阪断酒会H30年8月例会ご案内
PDFにてA4サイズ1枚閲覧プリントできます。
下記PDFクリックしてください

2017/10/23のBlog
[ 10:03 ] [ 伊丹断酒新生会例会案内 ]
伊丹市市花ツツジーーー>
更新 4月10日
伊丹断酒新生会は、4月13日(金)から例会再開します。

伊丹断酒新生会例会は、毎月第2・4金曜日
伊丹市中央公民館にて開催しています。
☆毎月第2・4金曜日 13:30~15:30
☆場所 伊丹市千僧1丁目1番地の1電話: 072-784-8000
☆連絡先 永山

☆下記PDFにて、アクセスA4サイズ閲覧プリントできます。



[ 07:49 ] [ 赤穂断酒新生会 ]
写真ーーー>赤穂市市花ツツジ
更新10月23日

赤穂断酒新生会


赤穂断酒例会ゴ案内

☆毎月…第2.第4.日曜日. PM6時~8時
☆毎月・・第1 水曜日. PM6時~8時
場所…赤穂市市民会館
会場 赤穂市中洲3-55
JR播州赤穂駅 東へ徒歩5分

☆赤穂仁泉病院例会

毎月…第1.第3.火曜日. PM3時~4時30分
会場…赤穂市坂越浜市408
(JR赤穂線坂越駅下車西側)
 <a target="_blank" href="">ココ</a>クリックしてください兵庫県断酒会ホームページにて検索できます
2015/05/04のBlog
[ 20:12 ] [ 三田市断酒友の会例会ご案内 ]
三田市15さつきーーー>
更新9月8日です
三田市断酒友の会例会場ご案内
下記クリックPDFサイズA41枚プリントできます

会場 三田市立フラワータウン市民センターTEL079-562-5555
三田市武庫が丘7丁目3番地1
☆月曜例会: 毎月第2・4・5月曜日 19:00~20:30
 (当日祝日の場合、13:30~15:30に変わります)
☆火曜日例会: 毎月第1・3火曜日19:00~20:30
 (当日祝日の場合、13:30~15:30に変わります)
アクセス
フラワータウン駅(神戸電鉄公園都市線)北860m徒歩13分
 駐車場あります(施設利用者無料)
2014/08/26のBlog
[ 17:19 ] [ アルコール関連問題ドイツヒント ]
写真ーー>東大阪市市木 クスノキ
東大阪市アルコール関連問題会議が、東大阪断酒会の例会参加者、ひがし布施クリニック受診者の現状を把握するために実施したアンケートの調査結果です。
大阪市保健所出展転載させていただきました.


アンケートをPDFにて閲覧プリントできます。
[ 17:06 ] [ アルコール関連問題ドイツヒント ]
写真ーー>東大阪市市花 梅花
東大阪市アルコール関連問題会議が、東大阪断酒会の例会参加者、ひがし布施クリニック受診者の現状を把握するために実施したアンケートの調査結果です。
大阪市保健所出展転載させていただきました.


アンケートをPDFにて閲覧プリントできます。
2014/06/13のBlog
[ 22:52 ] [ てんとう虫のおじさんのつぶやき ]
怒りのコントロール
今から20年ほど前、断酒して5~6年、上の娘二人は、小学校低学年。
下の二人の息子たちは、保育所だった。
私自身は、まだまだ、気持ちが安定せず、ガマン我慢の断酒だった。
疲れて帰宅すると子どもたちの黄色い声に、イライラ…。
(煩い)(黙れ)の罵声を浴びせる日々を送っていた。
同じく帰宅した家内から(あんた、何言うてんの)(気ぃよう、遊んでるだけやないの)(一番煩いのは、あんたや)(ガマンでけへんねん、やったら出て行って、離婚しましよ)と 散々だった

これは、どないか せなあかん と考えついたのが、(スキすきチュー作戦)だった。
直ぐに、カーッと怒るのではなく、(そんな悪いことする子は、お尻ペンペンか、スキ好きチューか?どっちがえ)と、 問い掛けることにした。
こどもたちは、決まって(スキ好きチュー)を選ぶ。
ぎゅ~っと抱きしめて、頬っぺに(チュー)。

子どもたちは、嬉しそうに笑い声を立てるし、何よりも、私自身が落ち着く。これをするようになって、大声で叱り付けるのが、随分と減った。

実は、もう一つ衝撃的な出来事があった。
子どもらと街のお風呂屋さんへ行った折り、入浴の手順を子らに事細かく指導していた。
その後、入浴中のおっさんが、何やら、我が子らに話し掛けていた。

(あのオッチヤン、何言うてたん)と尋ねると、(お前とこの、おとん、いちいち煩い奴やなあ)っていうてたよ!と、あっけらかんと返事が返って来た。
それはズキッとする程の衝撃だった。 過干渉の母親に振り回されて、「良い子」を演じて来た自分自身の嫌だった過去に思いに馳せ、(アカン!アカン)これやったら、母親と同じや!!と猛反省。

子どもとの距離を取る事が、次の課題となった。
その頃、保育所主催の子育て講演会で、講師が子育てで、躾を始め、色んなことをしてやろうて思っては、いけません。

「安定・安心の衣食住」を与える事だけ充分なんです。と言うのを聴き、確信となりました。


さて、怒りのコントロールで最大の難関は、連れ合いとの関係です。
長年の飲酒生活の中で、皮肉を云われては、反発するという、夫婦ゲンカの道筋が出来上がっていて、ちょつとした事で、ドツボに嵌まる事が続きました。
また、家内が職場での出来事を話し始めると、露骨に嫌な顔をし、「こうしたら」「ああしたら」…と解決法をアドバイスをする始末。

ただ、ただ、「聞いて欲しいだ」という事が長い間、分かりませんでした。
ところで 、皆さんは、「住いは人権」という言葉を聞いた事が無いでしょうか?
我が家もご多分に漏れず、ごくごく小さな二階家に子どもが4人。幼い時はまだしも、成人の子が四人。私たち夫婦で合計6名が暮らすという極めて狭隘な住環境でした。
長男は、大学生になると勉強する場所が無と、とうとう一年程、友人宅へ家出してしまいました。

また、2年前、二女が事情があってシングルで出産する事となりました。
肝心の自宅は築40年を超えて床が、波打つなどボロボロの状態。これでは、孫育てが出来なと退職金で 近くに、これもまた小さな中古の三階建を購入。
それまでの古家は、リフォームする事になりました。

この間、私の母親が突然死するなど、書き尽くせない程の困難が次々と起こりましたが、「家族力」で、どうにか乗り越えて来ました。
ここで、私が学んだ事は、自分さえ良かったらよから、運命共同体である家族全体のいく末を考えて最善の道を選択して行くしかない事。
いつまでも、「アル中はジコ中」の甘えでは済まされな事。
時には「家族会議」をも、しながら、特に家内とは、こちらから良く話し合いをする努力をして来ました。

今は少し落ち着き、実は、三階建ての家には、私と息子の3人が暮らし。
自転車で、1分間、直線上の、リフォームの済んだ二階家には、家内と娘二人と孫、4人が住み分け事になった。
つまり夫婦間で云えば、期せずして「オンデマンド婚」を実行中です。
今のところ、息子たちとも、じっくり語れるし、また、孫育てにも、距離をおいて係われる。家内との関係も新鮮ですね。

てんとう蟲おじさん

下記クリックにてPDFにて閲覧プリントできます。


2014/05/12のBlog
[ 05:58 ] [ 家族の体験談 ]
●『やっとたどり着いた断酒会』三重断酒新生会山崎 智子ーーー>ここから
●『やっと夫婦になれました』三重断酒新生会坂口 純子ーーー>ここから
●『娘と歩む断酒の道』香川県断酒会太田 富子ーーーここから
●『・・・・・・・・・』広島断酒ふたば会佐渡 順子ーーーここから
●『あまりにもいろいろありました』三重断酒新生会栗田 幸子ーーここから
●京都府断酒平安会 壬生支部 東江 和美
「私と父のラストチャンス」ーーーー ここから
●京都府断酒平安会 山科支部 阿部 実智代
 「酒と決別した主人の営業部人生」---------こちらから
●兵庫県川西断酒会 S/B
 「断酒会でつかんだ幸せ」----------こちらから
 「断酒会を信じて」----------------こちらから
●奈良県断酒連合会 南大和断酒会 荒川 弥生
 「大好きなお母さん」-------------こちらから
●大阪府高槻市 石村 健二
 「恵子の軌跡 水中毒と闘う Ⅰ」--------こちらから
 「恵子の軌跡 水中毒と闘う Ⅱ」--------こちらから
2014/03/26のBlog
[ 16:11 ] [ てんとう虫のおじさんのつぶやき ]
写真--->てんとう虫
バランスの取れた生き方を!!

「百薬の長とはいえ、百(よろず)の病は、酒によりこそ起これ」徒然草の一節である。
吉田兼行は、今から660年程前、鎌倉時代末期に、アルコールの功罪を看破していた。ところが、先日の大阪府断の一日役員勉強会で、講演されたDrは、アンケート結果を示し、内科医の多くが、自分の患者にアルコール問題は無い…とする回答を寄せていると云う。
アル中への偏見と共に、医療界でも認識の後れがあるならば、早期発見・早期介入が困難となり、助かる生命も助からない。
そして、もう一人挨拶に立った、あるpswは、体験談を聞いて一番腹のたつ事…として「自分がしっかりして無いと、断酒出来ない」とする体験談だ…と言い切った。「アルコールに対して無力である」事から逸脱した、自慢気な体験発表になっていることを危惧されたのだろう。
本人の様々な苦しい挑戦を経て、ようようにして「安定」した断酒継続になると…「無力である」事から、自慢の断酒になり勝ちである。しかし真理から外れると後から来る人達への悪しき見本となる。
そして前述のpswは、私にとっては、とても気になる事も話された。
「断酒会から離れても、断酒を続けている人は、たくさんいる。離れると再飲酒する…などとの脅しは、もう止めましょうや!!
人間(ひと)として成長するには、どうしても断酒会が必要だ…と断酒会の積極面を押し出して行こうと云う主旨であった。
これが、正しいとすれば、私の持つ、ある種の後悔が解消される。かく云う私も、酒が止まると直ぐに断酒会を離れ、断酒20年にして、再入会をしたからである。
戻って6年近くになるが、例会は、本当に人間(ひと)を成長させるところだ…とつくづく実感している。
ただ、批判的に云うと、「聞かす体験談」や「自慢の体験談」が横行している所でもある。
私自身もっともっと、バランスの取れた人間にならねば…と改めて思いを強くしている。
〈てんとう蟲おじさん〉
2014/03/22のBlog
[ 11:14 ] [ 川西断酒会総合案内 ]
写真-->川西市市木 サクラ
更新H30年3月16日
下記PDFにてA4サイズ4枚、閲覧プリントできます。
No4-1
川西断酒会会則
第一章 名称及び所在地
第一条 本会は、川西断酒会と称す。
第二条 本会の事務局は、会長又は事務局長宅に置く。
第二章 目的及び事業
第三条 本会は、会員相互の協力及び当人の努力により、断酒をまっとうし、

より良い、家庭環境と、よりよき社会人としての建設に励み広く

社会福祉に奉仕することを目的とする。
第四条 本会は、第三条の目的を達成するために、次の事業を行う。
1.定期例会、役員会、総会を開催する。例会は、原則として家族
同伴を建前とする。
2.諸集会、講演会、研修会及び記念大会の開催。
3.各都道府県内断酒会及び友好団体との交流により、断酒の
普及に努める。
4.酒害相談。
機関紙の発刊、その他の必要な事業。
第三章 構成及び運営
第五条 本会は、原則として、川西市周辺に居住する者をもって構成される。

第六条 本会は、アルコールを断とうとする者、及びその家族並びに本会の主旨

に賛同する者を会員とする。
第七条 本会は、役員会にはかり、顧問を置くことができる。
本会は、役員会にはかり、会員から相談役を、選出して総会にて承認
する。
相談役は、役員会に出席して意見決議に参加出来る。
第四章 会議
第八条 会長は、定期的に役員会を召集し、役員会は、年度予算、事業計画

等の審議を行い、総会に於いて、上記案件を会員にはかり決議する。

又、年度末には、経理決算、事業報告を文章にて提示する。
No4-2

第五章 役員及び任務

第九条 本会は、次の役員にて構成される。
会長1名、副会長1名、事務局1名、

会計1名、会計監査1名、とする。

但し、事務局は、会長又は副会長が兼任することができる。

1.会長は、会を代表し、会の責務を総括する。

2.副会長は、会長を補佐し、会長に支障ある時は、その職務
 を代行する。
3.会計は、本会の経理を担当する。
4.会計監査は、経理の監査を行う。

第十条 役員の任期は、1年とし、年度末に改選し、留任及び兼任を

妨げない。
第十一条 役員は、役員としての体面を汚し、又会の運営を妨げる行為
あるときは、役員会にはかり解任することがある。
第六章 部会
第十二条 本会は、第四条に掲げる事業を行う為、必要な部会を設置すること

がある。部会に必要な構成、規定、又は要綱は、役員会の議を経て

会長が決定する。
第七章 会年度及び会計
第十三条 本会の年度は、毎年3月1日より翌年2月末日迄とする。
第十四条 本会会員は、第十五条第一項に定められた会費を納入しなければ

ならない。
第十五条 本会運営の必要経費は、会費、寄付金及びその他の収入を当てる。

1.会費 会員は、月額 1.000 円
家族は、月額 500 円とする。
 但し、必要な場合、総会にはかり臨時会費を徴収する事がある。
2.寄付金は、会員及び、その家族または、一般からの篤志に仰ぐ。

No4-3

第十五条 3、弔慰金は、次の如く会費より支出するものとする。

会員本人死亡の時 3.000円
会員家族死亡の時 3.000円
4.各事業の経費は、会費より支出する。
第十五条 5.交際費等の支出は役員に一任する。
第八章 懲罰
第十六条 本会の会員は、次の事項に該当する場合、総会にはかり除名する
ことがある。
1.会の目的に著しく相反する行為のあった場合。
2.会の運営を故意に妨げる行為のあった場合。

第九章 支部設置及び家族会
第十七条 1..家族会
毎月、第2水曜日家族会を、平成30年1月から実施する。
2.支部設置は、役員会にて検討する。会長が、総会に諮る。
付則 1. この会則の各条項の改訂は、総会の決議を経なければならない.
2.この会則は、平成29年4月1日より施行する.
3,H30.3.14、総会にて弔慰金家族会員にて、変更決まる

























内 規 No4-4

1.定期例会

◎ 例会  毎月第1・2・3・4・5水曜日
 川西市総合センター 川西市日高町1-2
072-758-8398
☆ 家族例会 毎月第2水曜日
川西市日高町1-2
072-758-8398
* 時間は、全て午後6時50分から午後8時40分まで。


2.親睦例会

◎ 新年例会  日程は、役員会にはかり会長が決定し、全員で行う

◎ 忘年例会  日程は、役員会にはかり会長が決定し、全員で行う

◎ 親睦会  日程は、役員会にはかり会長が決定し、全員にて行う


但し、上記定期例会・親睦例会につき不都合が生じた場合は、役員会により、
話し合いの上変更することがある。

3,断酒表彰について

断酒 色紙 断酒継続 3ケ月 色紙贈呈
断酒継続 6ケ月 色紙贈呈
断酒継続 1年から10年までは、毎年 色紙+断酒表彰状
11年以降は、5年ごと 色紙+断酒表彰状
11年以降は、希望者には、毎年贈呈 色紙+断酒表彰状

更新
*平成30年3月14日川西市総合センター、総会上記承認


2014/03/12のBlog
[ 08:33 ] [ てんとう虫のおじさんのつぶやき ]
バランスの取れた生き方を
「百薬の長とはいえ、百(よろず)の病は、酒によりこそ起これ」徒然草の一節である。
吉田兼行は、今から660年程前、鎌倉時代末期に、アルコールの功罪を看破していた。ところが、先日の「ある断酒会の一日研修会」で、講演されたDrは、アンケート結果を示し、内科医の多くが、自分の患者にアルコール問題は無い…とする回答を寄せていると云う。
アル中への偏見と共に、医療界でも認識の後れがあるならば、早期発見・早期介入が困難となり、助かる生命も助からない。
そして、もう一人挨拶に立った、あるpswは、体験談を聞いて一番腹の立つ事…として「自分がしっかりして無いと、断酒出来ない」とする体験談だ…と言い切った。「アルコールに対して無力である」事から逸脱した、自慢気な体験発表になっていることを危惧されたのだろう。
本人の様々な苦しい挑戦を経て、ようようにして「安定」した断酒継続になると…「酒に対して、無力である」事から、自慢の断酒になり勝ちである。しかし真理から外れると後から来る人達への悪しき見本となる。
そして前述のpswは、私にとっては、とても気になる事も話された。
「断酒会から離れても、断酒を続けている人は、たくさんいる。離れると再飲酒する…などとの脅しは、もう止めましょうや!!
人間(ひと)として成長するには、どうしても断酒会が必要だ…と断酒会の積極面を押し出して行こうと云う主旨であった。
これが、正しいとすれば、私の持つ、ある種の後悔が解消される。かく云う私も、酒が止まると直ぐに断酒会を離れ、断酒20年にして、再入会をしたからである。
戻って6年近くになるが、例会は、本当に人間(ひと)を成長させるところだ…とつくづく実感している。
ただ、批判的に云うと、「聞かす体験談」や「自慢の体験談」が横行している所でもある。
私自身もっともっと、バランスの取れた人間にならねば…と改めて思いを強くしている。
〈てんとう蟲おじさん〉
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2013/11/25のBlog
[ 10:11 ] [ 断酒例会のあり方吹田市断酒会 ]
写真ーーー>角田久美子さんデザイン(酒害者の子供さん)

断酒例会のあり方


〈『指針と規範』、『松村語録』、「大阪府断酒会役員一日勉強会資料」を参考にして吹田市断酒会が作成したものです。
それを大阪府断酒会研修部が注釈、加筆しました。※部分〉

1.例会では 会員は断酒歴・断酒会歴に関係なく平等です。しかしながら、会員それぞれの生活や環境も違いますから、話される体験談は千差万別であり、すべての体験談が個々人の大切な人生の一こまであり、尊重されるべきものです。本音が語られていれば十分過ぎるほどに十分であり、こうでなければという体験談のおしつけやほかの人の体験談についての批判はやめましょう。
また、例会中は私語を慎み、ほかの人の体験談を熱心に聞きましょう。「熱心に聞く努力を止めるようになると、実際経験したことが無数にあるにもかかわらず、話せることが段々と少なくなり、自分を語るのにマンネリ化し、同じ話のくり返ししか出来なくなるのです。」(『松村語録○24』)

 ※体験談の押し付けや、新しい人に対しても一律に『例会では体験談に始ま っ て、体験談で終わる』と言うようなことは控えるべきだと思います。時期が来れば理解されます。特に病院から来られている人には配慮しましょう。
 ※例会中の私語は絶対してはいけない。語っているひとに迷惑です。
 ※例会中にお茶等を入れに回らないこと、例会が始まる前か間の休憩時間にするべきです。親切の安売りしないこと、例会の運営の支障になります。
 ※出されたお菓子・アメ等をパリパリ、ぽりぽり音を出して食べないこと参加されている方にとって、非常に耳ざわりです。

2、体験談について 体験談は「言いっぱなしの、聞きっぱなし」が基本です。
飲んでいたころの言動を包み隠さず口にすることで、自分の問題行動とこころ
の動きを確認することができ、それを聞いている人は、埋もれていた記憶を呼び覚まして自分の体験を思い出すことができたりします。
記憶の糸を手繰っていく作業はしゃべっていくうちに、当時のことを急に思い出したり、また、これ以上は恥ずかしいからしゃべりたくないと思っていた枠を話の延長で外して口にすることができるようになります。そのためには、体験談を途中でとめてしまうと折角の内容が引っ込んでしまうことがあります。
そのための「言いっぱなし」であり、例会場では何をしゃべってもいいという意味ではないのです。特に入会の新しい人は過去を振り返るきっかけになるためにということで、体験談が少々長くなっても途中でとめないで話してもらう様に配慮しましょう。
一方、体験談は深く、細かく掘り下げれば掘り下げる程、個人のプライバシ-にかかわる内容になってきます。本人は何よりも周りの人を信頼した上で、口にしたことが、例会が終わったあとその内容が外部へ漏れたらとんでもないことになります。体験談の内容は「聞きっぱなし」で、本人以外は絶対その内容を口にしないくらいの取り決めがあってもいいのではないかと思います。
例会終了後、本人に対して例会で語られた体験談の内容を話題にする人を見かけますが、体験談は人に聞かせるものですが、自分の過去を振り返るために語られるものであり、他の人がそれを聞いて自分の過去を思い出すためのきっかけになるもので、体験談を聞いてあの人はああいう人だと判断するためのものではないということです。
また、体験談の中で自分自身の体験を語らずに、ほかの会員のことを話題にするのはやめましょう。私たちは、個々の体験談をその人本人の口から直接聞くために、例会に出席しているのですから。

 ※『言いっ放しの聞きっ放し』の原則は守る。
 ※例会で話したことは絶対に外に漏らさないこと、特に家族の体験談は要注意。
 家族は体験談を話さなくなります


3.新入会の方に対して 心から温かく迎えましょう。新しい方が参加された時に話される体験談は最初のうちは少々わき道にそれることもありますが、勇気を奮い起こして話を続けるうちに次第に過去の掘り起こしができるようになってこられます。少々長くなっても出来るだけ辛抱強く聞いてあげるようにしましょう。
 新しい方の体験談に対するアドバイスは、体験談の中で直接取り上げて答えるのではなく、「そのアドバイスはやはり自分の体験発表の形でなされるべきだ」(『松村語録○52』)とされています。そして励ましのことばも、例会中ではなく、始まる前、休憩時間、終った後などにかけていくようにしましょう。

 
4.受付について 出席名簿は代筆を頼むことなく、必ず本人が記帳しましょう。時間の途中での退席などの事情がある人は、前もって司会者に伝えましよう。
病院等からの紹介状があるときは、支部長に渡すようにして下さい。

※出席証明を渡す時の注意点:必ず両手で手渡ししましょう、投げるように渡されると不愉快になります。


5.司会をする時に 例会の開始時聞と終わりの時間(例えぱ7時~9時)を厳守しましょう。「酒のために生活の折り目切り目を失っていた私達が、断酒して社会に適応するために一番手近にあってやれることが、この時間励行でもあるのです。」(『松村語録○28』)また、参加者にとって、たとえその例会の内容が素晴らしいものでも、時間オーバーになると帰りの交通機関が気になり、イライラして全てが台無しになってしまいます。
司会者が体験談に注釈をつけたり、アドバイスをしたりすると、ほかの人の体験談に触発されて湧いてくる「自分も本音を語ってみよう。」という気持ちにまで影響を与えてしまうことがあります。参加者同士の体験談が交換される中で次第に生まれて来る断酒への決意という例会の雰囲気を壊し、逆に参加者の反感をかって例会への不参加につながってしまいます。体験談の受け止め方、感じ方は人ごとに違うことを十分に認識して、司会者は例会の進行のみに徹してください。
また、新しい方に対して、体験談のたびに励ましのことばをかけるのはやめましょう。断酒の道を歩み出したばかりの新しい方は、往々にして「自分は生徒で周りは先生」だと錯覚されてしまう場合もあるようです。
断酒会は上下関係のない仲間関係という組織であり、例会において交換されるお互いの体験談を通じて会員同士が教えかつ教えられるという自助グループです。新しい方の体験談から断酒歴、断酒会歴の長い人も十分に学ばせてもらい、自分の断酒の糧にさせてもらう訳ですから、その体験談に対して一方的に「頑張って下さい。」という発言はおかしいということになります。
※司会者が体験談を語るときは、参加者が全員体験談を語り終わって時間が余ったときです。司会は進行のみに徹す。


6.支部長の役目
※例会の最後に支部長が挨拶する訳ですが、せめて直近の行事報告をする事は大事なことだと思います。


7.家族について 家族の誓いにもあるように「アルコール依存症は家族ぐるみの
 病気です。病気だから治さなければなりません。」断酒会では、家族も酒害から共に回復していくために例会に出席して、それぞれの体験談を語ります。自分の家族ではなく、ほかの会員の家族の体験談を聞いて、過去の記憶を取り戻すことがよくあります。
 給茶等は家族の役割だとまかせることなく、貴重な体験談を語ってくれる仲間として、家族も会員と同じ立場で例会に参加していることを認識しましょう。
 本人が入会する前に家族だけで参加されている方もおられます。本人は飲酒がまだ続いており、飲んでいるときの気持ちを何とか理解したいという思いでおられます。私たちには、例会において近況報告や決意表明でなく、ひたすら酒害体験を語っていくことが求められます。

 ※給茶等は家族の役割ではありません、例会に参加する事が大切です。家族も給茶等をしていればいいとは思わないで下さい。


8.その他 会員間での金銭の貸し借りはやめましょう。特に、先輩が立場を利用したような貸借関係は絶対にやめてください。新しい方にとっては断りきれません。貸しても借りても問題が起きた時に気まずくなり、やがて会を離れる原因に繋がります。仕事の世話もしないほうがいいようです。仕事での関係が出来ますとそれが上下関係につながります。
個人や会の批判はやめましょう。新しい方が例会出席を重ねて断酒会の印象を自分自身で感じ取り、自分なりの断酒会との関わり方を築き上げていく前に、先輩会員が自分の意見をおしつけると偏った先入観を与えてしまうことにもなりますし、断酒会についての誤った理解の原因にもなりかねません。
会員には、色々なタイプの人がいますが、断酒に対する前向きな姿勢さえあれば、断酒会はどんな性格のひとでも受け入れる大きい包容力を持っており、個人差を理由に批判されることはないと確信して下さい。
「例会で学んだことをただひたすらにこつこつと積み重ねることによって、まず自分自身の改善に全力を集中する人。自分自身の改善は行動の中から自然にできると考えて、例会だけでなく酒害相談、教宣活動と最初から幅広く動く人。例会は安らぎを与えてくれる場所と考えて、ゆったりとした表情で座っている人。例会は厳しさを教えてくれる場所と考えて、いつも緊張した表情でいる人。暗い過去を主にして体験発表をする人。明るい現在の生活を主にして体験発表する人。
断酒に真剣に取り組む姿勢は同じでも、性格の違いから来る断酒方法論はさまざまです。そうした時、どちらの考え方が良いか悪いかを、断酒会は論じるような愚かなことはしないのです。基本的な断酒会の持つ理念さえ理解されていれば、方法論はその人その人の体験の中で少しずつ変わったり、または変わることなくしっかりと自分の心の中に定着するのです。日常の実践活動が真剣になされていればとやかく批判されることはないのです。」(『松村語録○37』)

※会員同士での金銭の貸借はしない。
※会の批判や個人の批判はしない、会のことは例会の中で言うべきでは有りません、別の場所で役員と話すこと。個人の批判は絶対しない事。


9.最後に例会の検討 新人の定着が悪かったり会員の離脱について、来なくなった人にだけ原因があるのではなく、会の運営や例会にも問題があることも考えられます。定期的に役員会などで会や例会の中身の検討をしていきますので、疑問に思うこと、気付いたことがあれば、遠慮なく役員まで伝えるようにしてください。
 
 ※例会の中で気まずい思いをすると、次から来なくなります。
 ※会を離れる最大の原因は会員同士と会員と家族の人間関係の不和からです。
以 上
松村語録
1. 例会には必ず出席しよう。
2. 一人で止めることはできない、無駄な抵抗は止めよう。
3. 断酒に卒業なし。
4. 今日一日だけ止めよう。そして、その一日一日を積み重ねよう。
5. 前向きの断酒をしよう。
6. 例会には夫婦共に出席しよう。
7. 例会の二時間は断酒の話のみ真剣に。
8. 自分の断酒の道を見出だそう。
9. 断酒優先をいつも考えよう。
10. アル中は心身の病気である。
11. 例会で宗教や政治の宣伝をしてはいけない。
12. 酒害者の最大の敵は自分自身であり酒ではない。
13. 自信過剰は失敗のもと。
14. 失敗したらすぐ例会へ。
15. アル中は一家の病気である。
16. 断酒会は、酒害者の酒害者による酒害者のための会である。
17. 酒害者は酒のため墓場へ行くか、断酒会で酒を断つか二つの道しかない。
18. 会員は断酒歴に関係なく平等である。
19. 自覚なき酒呑みの多い中で入会された勇気に敬意を表する。
20. 断酒会員には普通の人より何か優れたところがある。
21. 節酒は出来ないが断酒は出来る。
22. 飲酒に近づく予防のため自己の酒害を常に認識しよう。
23. 酒害者に対する奉仕は自分の断酒の糧である。
24. 仲間の体験をよく聞き、自分の断酒を再確認しよう。
25. 家族、同僚の協力を得るために、絶対飲んではいけない。
26. 断酒会に入会すること。
27. 最初の一杯に口をつけないこと。
28. 時間励行。
29. 仲間に励ましの手紙を書こう。
30. 全国組織の拡大につとめよう。
31. 厳しさのないところに断酒なし。
32. 実践第一。
33. 他力による断酒ではなく、自力、自覚の上に立つ断酒であること。
34. 失敗しても悲観するな、成功への糧とせよ。
35. 消極的だが初心者は酒席に出ないこと。
36. 姓名を堂々と名乗り、断酒会員であることを明確にせよ。
37. 各人の性格の相違を認め、各人が自らの体験を通じて体得せよ。
38. お互いが欠点や失敗を話し合って、裸の触れ合いが出来るように努めること。
39. 酒の奴隷になるな。
40. 断酒会員であることを誇りに思え。
41. どんなことがあっても会から離れるな。
42. 条件をつけて断酒をするな。
43. 酒害者の最後の一人までも残すな。
44. 素直な心で話を聞こう。
45. 一年半したら会の運営に参加しよう。
46. 私の屍を乗り越えて断酒会を益々発展させて下さい。
47. 一県、一断酒会。
48. 会員は人に疑われるような場所に行くな。
49. 初志貫徹。
50. 君と僕は同じ体質だ。断酒するより他に生きる道はない。
51. 語るは最高の治療。
52. 例会は体験発表に始まり体験発表に終わる。
53. 聞くは最高の治療。


2013/11/20のBlog
写真ーーー>角田久美子さんデザイン(酒害者の子供さん)

断酒一年を振り返り
和歌山市断酒会友綱 橋口孝一

昨年のちょうど今頃、兵庫県川西断酒会の皆様のご好意により体験談の投稿という機会を与えていただけました。
本当にありがとうございました。
一年後、またこのような機会をいただきましてありがたく思います。

断酒会に入会して一年が経ち、県外研修なども一巡して昨年行かせて頂いた地を訪れると一年間の自分自身の変化を感じることができ、嬉しく思うことが数多くあります。
断酒会に入会させていただいて良かったと幸せに感じる一瞬です。
 
家族への償い。

家内や娘のことを考えた時、同時に父の酒に想いが向っていきます。
殴られた母の腫れあがった顔が思い浮かび、今も冷静な気持ちを保つことの困難さを感じます。
 
私が中学二年生のとき、父に愛人ができました。
毎夜愛人が家にやってきて、母の手料理が振舞われる。
父と愛人の宴に母が酌をする。
ひとしきり食べて飲んだ後、二人はご機嫌になり何処へともなく消えていく。
毎晩繰り返されたそうです。

私は塾通いで知らなかったのですが、ある日妹から聞きました。
 許せないと思い父に抗議をしました。
当時私の家には木刀がありました。
酔っている父は木刀で私に殴りかかりました。
寸前、母が私の盾になってくれたのですが、木刀は母の頭に当たり血飛沫が上がりました。
母は「きゅーん」という声を発し倒れました。
今もその「きゅーん」という動物が絞められたような声が耳にこびりついて離れません。
 私はすぐに救急車を呼んで欲しい、母が死んでしまうと父に頼んだのですが、呼んでくれませんでした。
「格好が悪い、呼べるか」父はそう言って自分で飲酒運転をして母を病院に連れて行きました。
病院では階段から落ちたと言ったそうですが、そんなはずはない、とお医者さんに叱られたそうです。
 
物心ついた頃から父は怖い存在でした。
同時に母や祖父母、叔父や叔母には「お父さんは偉い人、立派な人」そう言われ続けてきましたが、私には理解することができませんでした。

父には私の気持ちがある程度は分かっていたのだとは思います。
父なりに努力はしてくれていましたが、私は怖くて、苦しくて逃げていましたから、父は余計に焦っていたのではないかと思います。
父がもし本当に愛情のない人だったら私はもっと楽だったのかもしれませんが、飲んでいないときに見せる父の愛情には応えたいという気持ちがありました。

中二当時のこの一件があってから私は迷いなく父を憎むようになりました。
「殺してやる」何度も思いました。
父に「誰のおかげで飯が食えるとおもってるんや」とよく言われましたが、本当に悔しくてたまりませんでした。
ですから私は酒が嫌いで、酒飲みが嫌いで、家族すら幸せにできない男は屑だと思っていました。

自分が酒を飲むなど、ましてやアル中になるなど思いもしていなかったのです。
19歳になり進路のことで父と喧嘩になり、家出をしました。
叔母に援助してもらって六畳一間のアパートを借りました。
アルバイトを終え、アパートに帰ってから飲むようになりました。

二ヶ月ほどたったころ風邪を引いて寝込んだのですが、熱が下がっても部屋から出られなくなりました。
朝も昼も夜もなく飲み続ける日が始まりました。
当然アルバイトも行けなくなり、最初は心配して来てくれていた友人たちにも愛想をつかされ、結局5ヶ月足らずで実家に戻りました。

実家に戻っても荒れ狂った生活は直らずに、部屋から出ず、朝も昼も夜もない生活は2年近く続きました。
青春期の貴重な時間を飲んだくれて棒に振ってしまいました。
やがて就職もでき、結婚し、娘も一人授かりました。
アルコールに関してはかろうじて社会生活は営めるけれども、相変わらずひどい状態でした。

家族だけは泣かせていない。
当時はそう思っていました。
いや、今思えば思い込みたかっただけでした。

娘が思春期になり口を利いてくれなくなりました。
最初は年頃の女の子だからと軽く考えていました。
やがて家内を通して聞く娘の言葉に驚きました。
「パパは自分のことしか考えていない。
自分勝手」「パパは家族の気持ちを少しも分かろうとしない」「私はパパに何一つしてもらったことがない」「お祖父ちゃんを見習って」。

かつて私が父に対して抱いていた思いと一緒。
それどころか「お祖父ちゃんを見習って」とは。
確かに私が家出をし、2年間荒れ狂ってから父は少しずつ変わっていきました。
ですから私が昔の父の話をしても、家内も娘も信じてくれませんでした。

その言葉で気づけばよかったのですが、アルコールに狂っている私は耳を傾けませんでした。
「子供には親の気持ちは分からない」自分に言い訳をしていたのです。
昨年三月私は酒が原因で会社を首になりました。三度目です。

朝から飲んだくれていました。
娘と些細なことで喧嘩になり、馬乗りになり首を絞め、殺しかけました。
ぐったりしている娘をほったらかし飲み続けました。
気がつくと病院で手術を受けていました。
川へ飛び込んだそうです。

怪我の治療のため1ヶ月入院しましたがその間に娘は家を出ました。
ついに私は全てにおいて父以上のアル中になり、最低の父親になってしまいました。
4月になり今度は新阿武山病院に入院しました。
入院中断酒会に導いていただき、高槻を始め病院から通えるたくさんの断酒会にお世話になりました。

8月になり退院し、和歌山市の断酒会に入会させていただけるようになりました。
例会や研修会でたくさんの体験談を聞かせていただき、自分は一体何をしてきたのか考える機会を与えていただきました。
また愚痴なのか、言い訳なのか分からない、そのときどきの自分の気持ちも体験談として聞いていただけました。
何処へ行っても、どなたも黙って拙い私の話を聞いてくださりました。本当にありがたく思います。

家族に償いたい。
そう思っても実際には難しいことです。
かろうじて離婚を踏みとどまってくれた家内に申し訳ないと思っても、今までの苦しみを少しでも取り除きたいと思っても、自分の考えの甘さを実感されるばかりです。

娘に償いたいと思っても、家を出て、連絡先も教えてもらえません。
当たり前です。
せめてもと思ってACのことを調べたりお話を聞かせていただくと娘への償いのつもりがいつも自分の子供のころの記憶に戻ってしまいます。

自分はどうしてアルコール依存症になったのだろうか? 
体質なのだろうか? 
生まれつきの性格なのだろうか? 
思いましたが、生まれつきにしてしまっては母に申し訳なく思います。
父がアルコールに問題があったからだろうか? 
父のせいにしてはいけません。

現に同じ親に生まれ、育った妹は酒を飲みません。
今考えているのは自分が狂っていたのは、父を殺したいほど強く憎んだからだ。
父の酒を憎んだからだ。
憎しみの気持ちが自分を父以上のアル中に、最低の父親にしてしまったのだと考えています。

「人を呪わば穴二つ」とは陰陽師から来ている言葉だそうですが、単なる戒めの諺ではないと思います。
心の法則だと思います。
目には見えない法則だと思うのです。
多くの方の体験談からそう思うようになりました。

そして解決の方法は、体験談を聞いていただき、自分を振り返る。
何度も何度も繰り返すと、自然と和解したい気持ちが生まれてくる。
思ったら実際に行動に移すことだと考えています。

娘や家内に償いをするときに、同時に父とも心の底から和解することが必要だと思っています。
家内や娘だけだと本当の意味での償いができないように思うのです。
父と和解し、心の底にある憎しみという毒を消さないと自分を許せませんし、家内や娘に対しても浅い償いしかできないのではないかと思います。

今父はすっかり弱くなり、認知症が進行しています。
現在の父を見ても、もう憎いという感情はおきません
。しかし、体験談を語るとき、記憶の中の父は今でも怖く、憎いのです。

「お父さん、あなたのおかげで生まれることができて良かったです。
育ててもらえて良かったです。
本当にありがとう」、記憶の中の、あの憎かった父に心の底から感謝できる日が来ることを信じて、きっとその日が来ると信じて、多くの方の体験談から学ばせていただきたいと思います。
 
断酒会に出会えてよかった。
一年前も思いましたがもっと深まりました。多くの皆様に感謝をしています。
2013/11/17のBlog
滋賀県断酒同友会 大津支部30周年 瀬田支部4周年 記念誌 寄稿
「命の絆」 京都府断酒平安会 東江 清一
写真ーー>京花シダレヤナギ

滋賀県断酒同友会大津支部が三十周年を迎える。村田支部長はじめ支部員の皆様誠におめでとうございます。
私も断酒会を知って三十数年になります。
今私が常に心がけている事がある。
一日を笑顔で過ごす事、大切な事だと思っています。

愛宕登山の時先輩のSさんからなりげない言葉「これからはその笑顔でいこうや、貴男は笑顔が良い」と。それまでの私は断酒会の内であまり笑う事が無かったかもしれない。今思えば宝物を頂いた気持だ。
私は近江の郷大津に昭和十七年夏に生まれる。
その時分親父が蒲鉾職人として日々精いっぱい家族を守っていました。
その親父も仲々の酒飲みでした。

終戦のあおりで親父は慣れない土木業についた、長男の私を一人前の蒲鉾職人にすることが親父の夢だったと聞かされていました、その土木業の仕事で事故に遭い片足を切断する、其の後の親父は裏社会の人達都の付合いが多くなり、そのためか生活苦から一家心中するところまでおいつめられる。

見るに見かねた蒲鉾屋の親方の長男が、当時七才でガキ大将であった私を使ってくれる事になる、義務教育を受けないで世間の荒波の内に入っていった、その時分コロッケ一個三円、蒸しパン一個三円、その蒸しパンを持ち帰り家族の糧として生活をしていました。
昭和二十三年の頃である、母親が弟を身籠っていました。

今思えば学校に行かず仕事に着いた私は両親のためになった男でした。
その私を見込んだ蒲鉾屋の親方が私を奉公人としてつかってくれる事になる、もちろん学校も認めてくれました、それから私が善悪の道をさよう男になり酒も覚えバクチの使い走りをする様になる、しかし仕事だけは、一生懸命覚えた。
十七才の時親方の反対を押切って女中してた女性と結婚する、そのため蒲鉾屋を離れる事になる、昭和三十六年の事でした、昭和三十六年の事でした。

昭和三十八年九月長男出生する、一年七ヶ月トラックの運転をしながら家族を守る、その時分は何かにつけて酒を良く飲んだ、その頃の酒の飲方はましな方だった、突然私の視力が悪くなり運転手の仕事が出来なくなる、再度私は頭を下げて蒲鉾屋に戻れることになる、

その時分日本は東京オリンピックで盛り上がっていた、私が近畿代表でパラリンピックでメダルをもらうことが出来た、各方面の著名人から盛大な歓迎を受ける、その時親方が名誉な事だと私に工場長のポストを用意してくれる、

それ以後の私は有頂天のなり我を忘れ酒に溺れてゆく事になる、昭和四十ニ年長女出産、二十五才にして山科に大きな家も新築出来た、益々有頂天になり我の強い男になっていく、仕事に行き帰りに深酒する、段々と切れなくなる、妻が夜の商売に着く、酒でボケた頭で思う事は妻に対しての嫉妬妄想でした、

その後三重県に単身で責任者として仕事に行く、その仕事も酒を飲みに行った様なものだった、その時、三重の断酒会の例会をすすめられるが私自身その気にならない、三重から帰ると家族が宇治黄檗病院を用意しててくれました、

副院長の広兼明先生に主治医になってもらうが酒は止められない、受診をぬけ出して病院の側の万福寺で酒を飲んだこともある、今度は岩倉病院で杉浦先生に主治医になってもらうが酒の方は中々止められない、黄檗と岩倉の入退院のくり返しの度に、私の家族が姿をかくす様にになる、酒でボケた頭でしたので離婚されたと勘ちがいをしてたのか連続飲酒の状態で家族をうらむ事しかなかった、

私から家族が離れた後、色々な仕事に着く、時には裏組織の仕事をした事もある、酒を止める気があるはずもない。

昭和五十二年に平安会に入会はしたものの例会の帰りに飲んだ事もある。
大津支部が膳所本町に看板が出てました昭和五十五年六月の事です、支部長は川北氏でした、彼の自宅で例会が開けれていあました、そして幼稚園を借りて開かれたことを知っていましたが、

私自身は酒は止められない、大津支部が膳所本町の今の例会場の二階の畳の部屋で例会が開かれてた時、私は院内生として出席をしていました、私にとって思い出深い例会場である、十四回の入退院のくり返しの中で、岩倉病院に入院中の時幻覚のひどさから右手が半身不随になる、それ以後杉浦先生を勘ちがいから飲み続ける中でうらむ様になった事もある、

ある日酒が切れて飲みたくてしかたがない時に、母親に浜大津の駅から電話をする、母親が涙を浮かべながらワンカップを持って来た、母親は着物を質に入れて酒を買ってきたとのだと言う、どうしょうも無い男になつてしまった、それから大津の実家に帰る、たまりかねた母親甲西町の母親の里の山の中で私と死んでくれと言った、

その一言で止める決意をした、

十五回目の入院を大阪淀の水病院一週間、その一週間は私のラストチャンスでした、病院のスタッフの方々の協力でさらに決意をかためる、退院後例会出席を続ける、

父親が自転車で豆腐を売りながらこの私に断酒会に通えともうけの少ない中で交通費を出してくれる。涙が出るほど嬉しかった、それからしばらくして仕事に着く、例会出席のおかげで酒は止まってましたが、

一人の同期のKさんに私の仕事先ででだまされてジュースの中にアルコールが混入されているとも知らないで飲んだため連続飲酒になる、この時ほど人間不信になったことはない。

昭和六十二年末に岩倉病院退院後知り合い再婚した今の妻と無所属で例会出席を続ける。
平安会に度々再飲酒のためか入会認めてもらえない、それでもガマンしながら例会出席で自分のブザマな体験談を語り続けた、その後約一年で入会を認めて頂いた、そして今があります。

大津の小学校の同窓会に何年か前に出席をした時笑顔で迎えてくれた男二人、一人は私が酒でどうにもならない時に私の前で君に売る酒は無いと酒を全部捨てた方、もう一人は同じガキ大将であった今は議員になっておられる方、この方は私の断酒を喜んで滋賀全国大会虹の会や大津支部記念例会に出席して頂いて励ましの言葉を頂いた。大津支部長村田氏とはOB会のおたぎ会等で共に頑張っています

、彼にも娘さんが居ります、彼の娘さんと山科駅で会った時、娘さんに今度村田君が飲んだらきびしい対応する様に言ったことがある。何回もの精神病院の入退院のく返しで身も心もボロボロになった。

できるならこれから酒を止める方々に私の様になってほしくない。
私の娘がやっと結婚を決意してくれました、これほどの喜びの感動はない。
ガンとアルコール依存症の闘いの中で私を支えてくれた妻に感謝する、二人で海外の断酒会や日本全国断酒会等に歩き続けたかいあって今酒止め続けて生きている、命の尊さを知り、命を大切にしながら妻と二人三脚で断酒会の中で仲間と共に命の絆をつくってゆきたい。

下記クリックしてください、PFDにて閲覧プリント出来ます。




2013/11/04のBlog
写真ーーー>奈良県県花奈良八重桜

『お酒の問題でお悩みの方へ』奈良県断酒連合会が、PDF
にて掲載了解いただきましたので、閲覧下さい

その1からその7まで、B5 20ページです

下記クリックしてください その1PDFコピー閲覧できます
2013/10/28のBlog
[ 10:49 ] [ 自己診断アルコール依存症を知る ]
写真ーーーWHO本部
AUDIT(おーでぃっと)
AUDITは1990年代初めに、世界保健機関(WHO)がスポンサーになり作成されたスクリーニングテストです。
 WHOはアルコール関連問題の低減を主導しており、その重要な手法の一つが簡易介入です。
このテストは、簡易介入の対象者をスクリーニングする目的で作成されました。
その対象者とは、アルコール依存症までには至っていない危険な飲酒や有害な使用レベルにある人です。
 テストは自記式で、10項目からなり、各項目の回答にしたがって0点から4点の点数が付与されています。
すなわち、テスト全体では最低が0点、最高が 40点です。
このテストの特徴の一つは、世界共通なカットオフ値を設定していないことです。
このテストが使用される場所の飲酒文化に従い、カットオフ値を自由に変えることができます。
危険な飲酒のカットオフ値は世界的には8点です。
また、アルコール依存症の場合には13点にしているところが多いようです。
わが国では15点あたりが妥当だと考えられています。
 AUDITは多くの国で使用されていますが、地域、年齢、性の違いを超えて高い妥当性が報告されています。
AUDITは邦訳されていますので、下記日本語版です。


・テストは、自記式で、10項目からなり、各項目の回答に従って0点~4点の点線が付与される(選択肢の前の数字が点数を意味する)。

・AUDITのカットオフ値は、20点以上がアルコール依存症レベルの「問題飲酒」、10点以上20点未満が健康被害のある『危険な飲酒』。

・AUDIT-C、AUDITの最初の3項目、1..2.3.の合計得点で判定する。カットオフ値は男性が5点以上女性が3点以上で『危険な飲酒』。


1.あなたはアルコール含有飲料をどのくらい頻度で飲みますか?

0 飲まない 1 1ヶ月に1度以下 2 1ヶ月に2~4度 3 1週に2~3度 4 1週に4度以上


2.飲酒するときには通常どのくらい量を飲みますか?
ただし、日本酒1合=2ドリンク、ビール大瓶1本=2.5ドリンク、ウイスキー水割りダブル1杯=2ドリンク、焼酎お湯割り1杯=1ドリンク
ワイングラス1杯=1.5ドリンク位、梅酒小コップ1杯=1ドリンク=純アルコール9~12g

0 1~2ドリンク 1 3~4ドリンク 2 5~6ドリンク 3 7~9ドリンク 4 10ドリンク以上


3.1度に6ドリンク以上飲酒することがどのくらいの頻度でありますか?

0 ない 1 1ヶ月に1度未満 2 1ヶ月に1度 3 1週に1度 4 毎日あるいはほとんど毎日


4.過去1年間に、飲み始めると止められなかったことが、どの位の頻度でありましたか?

0 ない 1 1ヶ月に1度未満 2 1ヶ月に1度 3 1週に1度 4 毎日あるいはほとんど毎日


5.過去1年間に、普通だと行えることを飲酒していたためにできなかったことが、どのくらいの頻度でありましたか?

0 ない 1 1ヶ月に1度未満 2 1ヶ月に1度 3 1週に1度 4 毎日あるいはほとんど毎日


6.過去1年間に、深酒の後体調整えるために、朝迎え酒をせねばならなったことが、
 どのくらいの頻度でありましたか?

0 ない 1 1ヶ月に1度未満 2 1ヶ月に1度 3 1週に1度 4 毎日あるいはほとんど毎日


7.過去1年間に、飲酒後罪悪感や自責の念にかられたことが、どのくらいの頻度でありましたか?

0 ない 1 1ヶ月に1度未満 2 1ヶ月に1度 3 1週に1度 4 毎日あるいはほとんど毎日



8.過去1年間に、飲酒のため前夜の出来事を思い出せなかったことが、どのくらいの頻度でありましたか?

0 ない 1 1ヶ月に1度未満 2 1ヶ月に1度 3 1週に1度 4 毎日あるいはほとんど毎日


9.あなたの飲酒のために、あなた自身か他の誰かがけがをしたことがありますか?

0 ない 2 あるが過去1年にはなし 4 過去1年間にあり


10.肉親や親戚、友人、医師あるいは他の健康管理にたずさわる人が、あなたの飲酒について心配したり、
 飲酒量を減らすように勧めたりしたことがありますか?

0 ない 2 あるが過去1年にはなし 4 過去1年間にあり


2013/07/13のBlog
写真ーーーー福知山市花キキョウ
「平安の祈り 」京都府断酒平安会蘆田 幸治
神様私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様こんにちは。
昨日お休みだったので、同郷の同級生仲間が体を壊し入院したので、ドライブがてら、お見舞いにふるさと福知山に行きました。
仲間も、思っていたよりも元気そうで一安心。いろいろゆっくり積もる話もできて、いい時間を過ごせたよ。
福知山に帰ってきても、実家には帰れないよなぁーーー・・・・・・・
っとか、話しているうち、両親はまだまだ元気だろーけど、大好きな婆ちゃんは・・・・・
すごく会いたくなってしまった。
今確かに突っ走るテンションであるのは、注意しているんだけど・・・
勇気振り絞って、逢いにいった。

泣きそうになった・・・・
でも、先に婆ちゃんが号泣した・・・・
死ぬまで会えないっと、思っていた・・・・・っと。
元気そうで、ホッとした。うれしかった・・・
心配かけてごめんね、今ちゃんと自力で生活出来とるから・・・・
っとしかいえんかった。
来てよかった・・・・ここまでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・
婆ちゃんから思わぬ一言・・・・
「お父さんに出会ったかぁ???」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母型の祖母です、親父の話題がなぜ、すっとでたのか???
なんでかな???

叔父さんから事実を知らされた。
親父が三度目の脳梗塞で倒れ、入院していると・・・・・
さっきまで仲間の見舞いにいっていた病院の下の階に…
虫の知らせだったのだろうか・・・・
ガンで手術をしたという話は仲間のおかん様伝えではきいていたんだけど・・・
そのあとは何も伝わってこなかったので、元気なものと思っていた・・・
先週の日曜日にもおかんが岩倉病院家族会にきているっという情報がはいっていたし・・・
叔父さんも絶対出会えと・・・・
そんなこというても、親父が会うけないやんっという私に・・・・・
そんな状態ではない、心の準備をしてから出会えっと・・・
心の準備もできないまま、約五年ぶりに両親に出会うことに急遽なった。
車いすに乗っている父・・・あの怖く威厳のある父はそこにはいなかった・・・
そこにいたのは・・・言い方悪いが、痴呆の老人・・・
私を見て怒るどころか、笑ってた・・・・
叔父さんが「これだれかわかるかぁー???」
っとの問いに・・・
笑いながら「幸治」・・・・・・それは、忘れていないらしい・・・
でも、私がしてきたことは・・・・・忘れた???
ショックでかすぎるよ・・・・・言葉が出ん・・・・・・・口から生まれた私が、言葉につまったよ・・・
もう元の状態に戻ることはないらしい・・・・・・・・・・・・
その後、おかんと語った・・・・
おかんっという生き物は強いなぁ・・・・・・・・
そして、改めて子供の事よーわかっとるわ・・・
「あんた、お父さんの状態見て世話するために、実家に帰ってこようと考えはじめとるやろ・・・・・」
図星やった・・・・・・・・
私は、この状態の父をおかん一人に世話させるのは・・・・・っと、おもった。
普通の家庭なら、普通の流れなのだろう・・・・・
「戻ってきてくれるか???」っと、おかんの口から出るのが普通なのかもしれない・・・・・・・・
ここから先私は、自分が情けなくなった・・・・・・自分のしてきたことの大きさを痛感した・・・・・・・・・・・・
おかんの口から出た言葉は・・・・・・
「お父さんは施設に入れる・・・福知山にあなたの帰るところはありません・・・・・あなたが帰ってきたら、お父さんの心配だけやなしに、あなたの心配までお母さんはせんなん・・・・かえってくることなど、考えないで・・・・・っと」
今頑張って酒やめて社会復帰して自分なりにやってきたつもりだったけど、両親にとっては、まだまだ・・・・・
やりきれない気持ちで一杯になったよ、ほんま情けなくて・・・・
でも、ほんの少しだけ・・・
「何か助けがいるときは連絡するから、すぐに対処できる状態をキープしていなさい・・・・・・」っとだけ、付け加わったよ。ほんの少しだけでも頑張りを評価してくれたかな???
久しぶりにおかんと語るも何もかわってない、すべての言動が過去の記憶をよみがえらせ不安にさせてしまって・・・・・
目の前でコーラを飲むだけで・・・ビールを煽る姿が・・・・
それだけのことをしてきたっと、改めて自覚した・・・・・
30分たっただろうか・・・
早々に別れ京都に戻るも・・・・涙が出てしかたない・・・
情けない自分、何もできん自分が・・・ほんまやりきれなくて・・・
少し遅れたけど、このまま一人でいるのも辛く例会に行って気持ち吐き出させてもらった。
昨夜は初めて体験談語りながら泣きそうになってしまった・・・
現実を受け入れる・・・・・むずかしいが、私にできることは、これ以上の心配をかけないこと・・・・・
日々精進。
いつ、連絡あっても、対処でける状態をキープするしかない。
がんばろう。
でも、再会したら、また甘えが出るかとしんぱいしていたが、その心配はなかった。
強く育ててもらったなぁー、改めて壬生の親父らに感謝です。
今日一日穏やかに ・ 第一の事は第一に
下記PDFにて閲覧プリント出来ます

2013/06/29のBlog
[ 07:32 ] [ てんとう虫のおじさんのつぶやき ]
スポンサーシップとフェローシップ

随分前からの疑問が氷解した。「言い放し、聞き放し」の事である。
ある断酒会の重鎮は『無責任である。自分の発した言葉に責任を持たないといけない!!』…と思いもかけない意見を述べた方が居られた。
もちろん、皆さんはお分かりであろう…と思うが、安心・安全の例会を保障する為に「体験談の外への持ち出しを禁止」し「体験談そのものへの批判を禁じたもの」と思われる。
このことは、指針と規範に記述が無く、松村語録にも見当たらない。
西川京子先生が、どうもAAから来たもの…ではないか!?
昔、Drたちが盛んにこの言葉を広げた経緯がある…と話されていた。
私が断酒会に入会した頃、体験談にイチイチ、コメントする長老がいて、実に不愉快だった事を思い出す。初心者に取って、仮に誤った考えであっても、聞いてくれる人々がいて、ときには「なるほど」と共感を表してくれる事ほど心強いことは無い。ようやく居場所を得た思いだ。
そうそう、何が氷解したのか…と言うと、スポンサー・シップとフェロー・シップの事である。「言い放し、聞き放し」であれば、断酒の要(かなめ)を、初心者にどう伝えて行くのか?これがとても気になっていた。
3年ほど前、退院間近の朋友から「入会したらスポンサーになって貰えませんか!?」と依頼された。(???…なんなん?カネがいる話しかいな)と、よく解らず《笑》。よくよく聴くと断酒で分からない事を聞く相談相手に!とわかり了解した。
蛇足だが、その時2つのお願いをした。①人間関係は長く続ける事が目的ではない。無理して人に合わせない事。自分の考えを持つ事。お互い、無理なら、いつでも関係は解消しましょう②喫茶店の費用などは、私が随分歳上と言う事もあり、私が持つが、その事で、あなたを支配するつもりは、全く無い。「ありがとー」で十分。
ただ、世間では、お金は、パワーゲームの最たるもの……と心得た方が良いでしょうと。
「スポンサーを探せ」は、何でも入院先の看護長からのアドバイスだったそうだ。
今も、その関係は続いており、若い者(ひと)の、感性・感覚・価値観に驚くと共に、自分自身の成長に極めて役立っている。
もう、ひとつのフェローシップについての、私なりの日本語訳は「仲間からの分かち合い」だ…と思う。
具体的には、例会後に、マクドで、お茶する事が多い。そこでの、意見交換の事である。
様々な話が出る。将来への漠然とした不安。腹立たしい事、就職や家族の事、恋愛、家事、生活保護上の扱い…と多岐にわたる。
此処で私が気をつけている事は、①朋友の噂や悪口で、盛上がるような集まりにならないように②参加者や不満が固定化して、断酒会の分派にならぬように③自分の意見を押し付けず、お互いの断酒の仕方や考え方を尊重すること④指示や指導する事無く、あくまで「平等」を貫くこと⑤そして自分自身の訓練の為に、アサ-ティブな会話を心がける事などである。
なかなか、旨く行かず、日々反省ではあるが〈苦笑〉
てんとう蟲おじさん
下記クリックしてくださいPDFにて、閲覧プリントできます。
2013/06/10のBlog
[ 11:55 ] [ てんとう虫のおじさんのつぶやき ]
「妻より先に死にたい」(=妻への依存性!?)「断酒を続けて長生きしたい」(=断酒歴の自慢!?)……とのフレーズを聞く事が多い。
中には「長いこと止めさせて貰っている」と謙譲語風ではあるが断酒歴の長さを誇らしげに語られる。
今は、地域の役員もされていて、宴会へもドンドン平気で出席出来るし…といわゆる「自慢の断酒」である。悲惨だったはずの酒害体験が話られない。
そこは、朋友たちも、よく分かっているのか?……多くの方がその間、トイレタイムに充てられ、退席者が多い。
残念だが、この方も全断連が指摘したように、第2の否認に気付かれていないようだ。
断酒後の心静かで豊かな生活を送るのに、様々な指針があろうか!?と思うが、ひとつ紹介したいと思う。
それは吉田兼行の「徒然草」。
『命ある物を見るに、人ばかり久しきはなし(人間ほど長生きするものはない)。かげろふは、夕べを待ち(朝生まれて、夕べには死す)夏の蝉の春秋を知らぬのもあるぞかし。つくづくと一年(ひとせ)を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや(格別のんびりしたものである)。飽かず。惜しと思はば、千年(ちとせ)を過ぐすとも、一夜の夢のこゝちこそせめ。住みはてぬ世に(住み通すことの出来ない世に)見にくき姿を持ちえて、何かはせむ(なんになろうか)。
命長ければ、恥多し、長くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて、死なんこそ、めやすかるべけれ(無難であろう)。また名利(名誉や利欲)に使われて、閑(しず)かなる暇(いとま)(心静かで自由な時間)なく、一生を苦しむることこそ、愚かなれ…』などと書かれている。
人生80年の今、40足らずで死んだ方が無難…とは、極端ではあるが、人生も断酒も、その長さでは無く、どう生きているか!?であろう……ましてや、名利に囚われ他人の評価に惑わされてはなるまいと、つくづく思う。
アイディティティ-と言う概念を創ったE・H・エリクソンは『何歳になっても発達課題がある』と言っている。……とすれば、断酒新生は、精進さえすれば、新しい自分に出会える~「希望」でもある。

てんとう蟲おじさん
2013/05/29のBlog
2012年05月03日(木・祝) 写真ーーーー>甲賀市あいこうか市民ホール

滋賀県断酒同友会第35周年記念大会 
 家族の体験談 滋賀県断酒同友会 倉田麻美さん

於:甲賀市あいこうか市民ホール
倉田麻美さん 家族の体験談

皆さん、こんにちは。
滋賀県断酒同友会、甲賀支部の倉田麻美です。
本日は滋賀を励ましに来てくださり、有難うございます。
私はこの甲賀市水口町で生まれ育ちました。
えー、その今までで3人のアルコール依存症と関ってきました。
私の父がアル中でした。
父は日本酒をかんして仕事は国鉄バスに勤めていたんですけど、仕事を終えて自分で酒のあてを作って、静かに美味しそうに酒を飲んでいました。
でも定年退職してから朝から飲むようになり、それも冷酒を隠れて飲んで、酒の勢いがないと趣味とか仕事ができない状態になってきていました。
取り付かれたように飲んで、でえ酒を受け付けなくなると内科に行って点滴してもらって、で少し体が楽になるとおかゆを食べて、でご飯を食べて、でそのうち又酒を飲む。

その事をずっと繰り返していて。
で最終的には喉頭癌になって声帯を失って、鼻から栄養を入れるチューブに酒を流しこんでいる姿を見ました。

だから、私はアル中になったら狂ってしまうっていう事を知って、夫の酒の飲み方が変わって来た頃から、もう口やかましく言うようになりました。
飲むなとは言わへんからもっと上手に飲んで欲しい。
楽しい酒を飲んで欲しいって言い続けてきて、時には泣いて頼んで、時には子供の前で夫を馬鹿にしたような「何で私のいう事が聞けへん。」って捲くし立てて、侮辱するみたいな感じでやってきました。

で、そのうちこう大量飲酒した後は失禁、下痢で下着汚すようになって、朝起きると洗面所、風呂場、トイレが汚れていて私は「何でこんなになるまで飲むんや。」いう事を又言い続けて。
夫は「分かっている。
ちょっと酒控えたらこんなんどうもないんや。」って言って。
もうその事のずっと繰り返しで、段々私も感情が高ぶって夫の事を捲くし立てている事をするんですけど。

両親の前で、その人達の息子を馬鹿にしている時が気持ち良くなって、「私だけが正しい事を言ってる。
こんな育て方したん、あんたらのせいや。」みたいな感じでやってました。
で、始めての入院は専門病院に入院してくれて、退院と同時に断酒会を知る事が出来ました。

それからは本人は断酒会の中でも酒を飲みながら上手くやっていこうとする性(タチ)の悪いタイプでした。
夫がアル中になるまでは、このままではいけないっていうしか考えてなかったんですけど、断酒会の中で止めてはる人の姿を見ながら飲み続ける本人を見るっていう方が私はしんどかったです。

色んな方から「比べたらあかんのやで。」って教えて貰っても、やっぱり比べました。
「何でこの人は解らへんのやろう。」その度に私は人のせいにして「これ両親のせいや。」「地域のせいや。」「職場のせいや。」ってそんな風に私だけは悪くないってそんな気持ちで一杯でした。

でえ、こう私は気に入らないから無視したり、時には怒鳴りつけたりっていう事の繰り返しで来たんですけど、ある時夫の両親が「あんたみたいに当て付けの様に一人で断酒会出るさかい、この子は可愛そうや。
この子の気持ちももっと解ってやって欲しい。
今日、お爺さんと手を取り合って涙流して『もう酒は止める。』って言うてた。

あの子はちゃんと話したら解るんや。」母から言われた事があって、その時頭に来て、「そんな、手え握られたぐらいで酒止まるんやったら、私こんなしんどい思いしいひんわ。」って。

何かその時、夫に対して「酒もっと飲め、止めるな。」ってそんな風に思った事があって、「断酒会に通い続けたら、いつかどうにかなるからな。
何とかなるからなあ。」って言って貰ってたんですけど、それすらも、そうなって欲しいと願うんやったらその母の言葉も気持ち良く受け取ったらええのに、もっと飲めってなんて思いかけて。
一体自分でどうしたらいいのか?

本当に止めて欲しいのか?
訳解らなくなって来ました。病院の家族教室で「酒を探すの止めなさい。
酒の事は本人に任せましょう。」ってこう教えて貰うんですけれど、私は中々それが出来ませんでした。

夫がお風呂に入ったり、様子を知るとすぐ部屋の前にたって大きく深呼吸して集中して、その部屋忍び込んで、でもお風呂から出てきたら、見つかったらいけないって襖を少しだけ開けておいて、で部屋の真ん中に立ちズゥ-と部屋を見渡して、「あっ、あの棚のダンボールが歪んでる。」そのダンボール降ろして中から酒の空いた瓶見つけて「やっぱりな、こんな所に隠してある。

私の目はごまかされへんし。」と思って、見つけた事で満足感があって、安心して「でも、まだ酒はどこかに隠してあるはずや。」と思って、そしたらいつも着てないジャンバーがなんか前の方に吊ってあって、「あっこれや。」と思って、ジャンバーのポケット確かめたら、なんか右と左にバランスよく同じ本数の酒が入ってあって、「やっぱりなあ。」って。

もうそろそろお風呂から出て来る頃やと思って何事もなかったように台所に戻って、でもその見つけた酒、私気になって気になってどうしようもなくて、もう解ってるのに自分の用事が済んだら夫の居る部屋をガラガラッと開けて「何飲みよん。
又、飲んでるの?」飲んでるの?って聞いて飲んでるって言うた事ないのに同じ事を聞いて、帰って来る言葉は「飲んでない。」「この匂いなんやねん。」その見つけた酒を夫に向かって投げつけていました。

今まで色んな物を投げ付けて来ました。
酒は夫の体に向かって投げました。
で、下痢で汚した下着は洗濯機の中から取り出して、それを夫の顔に向かって投げました。
「病院行くから金くれ。」って行ってきた時は千円札2、3枚夫が座っている所の前にヒョイっとこう投げて、急いでその金を拾っている夫を私は腕組みしながら「どうせこの金で又酒飲むんやろう。」そういう思いでお金を放り投げてました。

で、どうしたらこの人の酒が止まるんやろう?そういう事ばかり考えてて空回りばっかりしていた時期があって。断酒会知らんかったらもっと楽に生きられたん違うんかな?と思う時期があって。
んーん訳のわからくなった時もあって。今から思うと良く通う事したなって感じています。でえ、いっつも私は怒ってました。
カリカリ、カリカリ。
ちょっと酒が切れてる時の夫を見てても、「今頃止めても遅いわ。」って思ってたし。

「仕事を首になったら家庭も失うって思うててや。」と捲くし立ててたので、でも実際仕事を辞める事になって、でも私がしてたのは離婚でもなくて、ズゥ-とその家にいる事で、2、3ヶ月経った頃に一泊二日で家に戻ったただそれだけで、私の口から出る事も嘘ばっかりでした。

でも、断酒会に来ては「あの時こう言わへんかったら、やってられへんかった。」みたいな感じがあったし。
だから、私が、自分が取って来た行動もいい訳ばかりして来たように思っています。
そして、4年前に夫は香川の三光病院に仲間の方に連れて行って貰って入院する事になりました。

そこで楽しそうに入院生活を送っているメールが来るとそれも腹立って「あんた何しに行ってるんや。
あんた酒切る為に行ってるんやろう。」その時思うのはとりあえずこの人の酒が切れたらそれでいい。
止め続けるとかそんな事じゃなくって、今飲んでいる酒をとりあえず切れればいいって、その事だけやったのかなあと思いながら。

・・・で、退院して今度は酒抜きの生活が始まりました。
夫は毎日例会をするようになりました。
それすらも「当たり前やろう。止めたかったらそれ位するべきや。」って思ってたし。
「止めて当たり前やろう。」っていう気持ちが強くて。

で、それから暫くして私は蜘蛛膜下出血になりました。
で、30%の確立で後遺症が無くて生きていられるっていう部類にいれて貰って、私は幸運だったと例会でも言い続けて来たんですけど、段々段々腹立ってきて、私はこんなに命懸けて生活してるのに、職場復帰するのにも不安があったし。

その時夫がしていた事は、朝ハローワーク行って、昼からパチンコ行って、夜は例会って、その生活がなんかこう私の方がしんどい思いしているのにっていう事で気に入りませんでした。

で、段々と夫が喋り掛けてきても無視したりとか例会から帰ってきても何も喋らないとかそういう感じで追い詰めていっているっていう感じでした。
私、手応え感じてました。
なんかこう無視したりする事で自分がこう楽になっているっていうのか、あのう困っている、うなだれている本人を見るのが気持ち良かったです。

そのうち年開けて酒の匂いを感じました。
その時に、ああ、追い詰めている時から「逃げたかったら逃げ、酒に逃げたらええねや。飲みたかったら飲め。」思ってた部分があって、で酒の匂いを感じた時に、「ああ、酒に逃げてんなあ。」って。

「逃げてんねやったらその酒に助けて貰え。」って思って私は実家に帰りました。
もう家のなで、あの匂いの中で私は生活していく気はなかったです。

とりあえず飲酒した事だけは市川先生に報告しようと思って電話しました。
先生は「どうしてご主人は飲んだんでしょうねえ?」聞いてきはって「きっと、仕事が無いんで焦ったと思います。」って私が、自分が焦らしといたくせに嘘を言いました。
先生は「これは病気ですからね。」っておっしゃって、私は「解ってる。」と思って「又、止まりますからね。」っておっしゃいました。

んーん、それ聞いてなんかこう一番初め断酒会を知って、アル中になって、酒が止まったら生きていけるって一番最初にそれを望んだ時にこうその気持ちを忘れていたなあと、でも私はそれから実家に帰りました。

で、3週間ほどして夫が・・・ストップが出ました。(
笑み)・・・私喋り出すと体験談が止まらないという事が解ってるんですけど、すみません。

・・・私が夫の酒を止める事が出来ないっていう事が良く解りました。
でえ、今私が夫に物を投げつける事は止めました。
夫はきちんとトイレでようをたす事が出来ています。
ただ本当にそれだけしか変わって無いなあっていうのはあるんですけど。
もうあんな酒に振り回されていた訳のわからない時に私は戻りたくはありません。

だから例会に通い続けて、市川先生に教えていただいた夫の生命保険をきちんとかける事、これも年払いで11月に通帳からきちんと引き落としされている報告を先生にしたら、先生に「奥さん、よう頑張った。」って言って貰って嬉しくて、私生きていくにはこれしかないと思っています。
私、しっかりと生きて生きたいのでこれからも断酒会に通い続けて頑張りたいと思っています。また、宜しくお願いします。(拍手)