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川西断酒会 ☆酒害に悩む本人と家族の方へ☆ 「必ず立ち直れる」と信じてください
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2009/02/01のBlog
「惠子の軌跡 水中毒と闘う Ⅱ」(2007年の夏)
大阪府高槻市
石村 健二
 (写真は高槻市西之川原の旧家と南平台)----->

7月30日(月)
 私は、地下室で寝てしまい、リビングに上がろうとドアを開けると、大便が踊り場にしてありました。便所に行くのが間に合わなかったのではなく、そこが便所と思ったようで、階段のすぐ下にしてありました。扉は鍵を掛けてあったので、階段に座りボーッとしていて、便意をもよおしたからではないかと思います。
 
 惠子を探すと、母屋の日本間の廊下でボーッと立っていました。大便の処理をするようにと言って学校へ・・・・。 帰ってきても処理が出来てなく、小便までしてありました。予約券がどこにあるか分からず、今探させています。(午後8時15分)予約券はありませんでした。今は、ずっと予約券とにらめっこをしています。(7月27日の日付けの分です。)
 
 「何なの私は?」と聞くので、「こっちが聞きたい。」と言ってしまいました。こんな状態では、入院しかないのでしょうか?自分の前にタバコ(バラしたタバコが4本)があるのに、それが分からず、僕の所まで来て、「タバコちょうだい。」と言う始末です。「机の上にある!]と言うと、机の下にあるタバコを取り出して吸っていました。何のことか分りません。今のこの時期は、授業が無いので何とか世話が出来ますが、授業が始まってもこの状態では、こちらの精神状態が持ちません。

7月31日(火)
 研究会に行く前に、地下室に降りて薬を机の上に置き、「朝の薬や、飲んどきや!」と言うのですが、うつろな目つき。(夜中、度々台所に来ていました。多分、毎回水を飲んでいたのでしょう。) それでも研究会に行きました。研究会で会った友人に、「ひょっとしたら惠子が倒れたままかもしれない。」 と言って、家に電話をするも応答なし。 母に電話をして、「外線電話には反応するかもしれないので、10時に外線で掛けてくれ!」と頼んでおいた。

 「何度、掛け直してみても、応答がない。」とのこと。頭に浮かんだのは、去年のこと。水中毒に違いない!すぐに家に帰ってみると、手は硬直、足は痙攣、目は拡散、意識なし。 すぐに救急車を要請。新阿武山(病院)に連絡するも、治療は出来ない!、だから「三島」に運んでもらってくれとのこと。空いているのは、「緑が丘」。僕は車で後を追いかけた。診断は、やはり「水中毒。」 ICUに・・・・ 主治医との話。「電解質がかなり乱れている。1~2週間の入院が必要。精神的なことはこの病院では治療できないので、回復したら新阿武山に転院をして下さい。」

 8月3日に、「緑が丘」から電話が掛かってきて、今すぐ来て下さいとのこと。行ってみると、「このまま新阿武山に転院した方がいいと思うのですが、よろしいか?」(退院するもよし!と言いたそう)と聞かれたので、「阿武山に直ぐに入れてほしい。」と答えた。 「篠原先生に直ぐ電話して、相談します。」とのこと。惠子と面会するも、主治医からは、どうなったのかの話もないまま、帰りました。その晩、「明日退院して新阿武山に移ってもらいます。」との電話。

8月4日(土)
 9時過ぎに、「緑が丘」に行くも、惠子はなかなかは出て来なかった。やっと車椅子で出てきました。歩けないとのこと。仕方なく車を病院の玄関につけて、惠子を乗せて新阿武山に。惠子は、看護師に挨拶もせず、僕が会釈をして即座に出発した。新阿武山に着いてから、車椅子を取りに行き、駐車場で惠子を車椅子に乗せた。車椅子を押して外来受付に。診察を受けるとのこと。10時前に着いたが、入院できたのは12時過ぎ。部屋は、2病棟の隔離室とのこと。この経験もいいか?と思ったが、少し心配・・・・

8月5日(日)
 行ってみると観察室。隔離室は惠子には危ないとのこと。不思議と笑い顔・・・・

8月7日(火)
 今日は隔離室で過ごしたよう。ベッドがカチコチで眠れなかったと言っていた。いい経験をしたと言っておいた。

8月8日(水)
 3時前、面会に。水を飲もうとコップを持っていました。僕を見て、一緒に観察室に。10-3=?、10は5と5!は解ったみたい。「10は6と?」 と聞いても「・・・・・・・、6」と答える。話をしている時、篠原先生が来られました。「決められた以上の水を飲んでいるようだけど、それは考えて下さいよ!」と言われて終わり。福本さんに来てほしいと言って! とのことだが、連絡はするが、「それ」は言わない!と言い切りました。

8月9日(木)
 福本さん、見舞いに行ってくれたようです。後で電話がありました。尾﨑さんの電話番号を教えてとのこと・・・・

8月10日(金)
 電話あり。「なかなか掛けられなかった。30円もらってきた。もう一回電話するから待っていて!」 「100円もらったのに、違うところに掛かってしまう。」 「30円残っていてよかった。」(よく分からない) 「2病棟に電話して!」と言うので電話をしました。27日のことが分からないとのこと。 こちらこそ分からない! 
 27日、家に帰ると、汚れた衣服、薬とお金が入ったビニール袋が、玄関に置いてありました。。 そこへ電話、「迎えには来れませんか?」(いったん帰ったのに、またタクシーで病院に来たとのこと。) 「家の住所が思い出せない。電話番号も・・・」 仕方なく迎えに行った。
 
 断酒会の人と話をして、自分のおかしさがはっきりしたみたいです。その人は、毎日病院に来るので、毎日顔を出すとのこと。しかし、27日は、その人と会ったのに、惠子は全く知らない様子だった。タクシーの運転手と、釣り銭のことでもめていたとのこと。(了)
2009/01/26のBlog
[ 15:56 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その8) 平成22年2月
写真はナバナ(H22年2月撮影) ----->

 今年1月5日、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀 132回目』で、農業関係の三つ目の放送がありました。『命の農場で土に生きる』のタイトルで、無農薬・有機栽培40年の経歴のカリスマ、金子美登(よしのり)さんが取り上げられていました。

 この人のことは、2005年に家の光協会出版の季刊雑誌『やさい畑』で、春、夏、秋の三回に渡り特集が組まれたことがありましたので、おおよそのことは知っていたのですが、今回の番組を見て新しい知見も得られました。

 なおご参考までにこの時の特集は、家の光協会から、『写真でわかる金子さんちの有機家庭菜園』として出版されています。タイトル通り、土作りを基本とし、そのために堆肥作りや特別の液肥作りに懸命になっている姿には頭が下がりましたが、前回の特集にはないことが今回ありました。 

 それは、コンパニオンプランツがいろいろな組み合わせで、合理的に活用されていて、この技術は無農薬・有機栽培の基本技術になっているように感じました。その行き着くところは、雑草までもコンパニオンプランツとして活用されていました。

 昨年の冷夏の際、イネにイモチ病が発生したとき、肥料が消費しきれないがためと考え、雑草の生育をコントロールしながら大被害になるのを避けたのには、ビックリさせられました。
 全てのイネではなく、茎の丈夫な品種のイネには、アイガモの雛を使って雑草を取る、これは『コンパニオンアニマル』と言えるのではないでしょうか。

 この番組の最後には、「プロフェッショナルとは」との問いに答えるコーナーがあります。金子さんは、『百年先も永続するような匠の技をもった人』と答えていましたが、そんなテクニックがあったら素晴らしいと思いました。

 さて2月になると、もう農閑期とは言っておれません。まずは、タマネギの追肥です。2月と3月に行うようにしていますが、人それぞれに流儀があり、年末に施す人も居られます。でも、3月以降に施すと実のしまりが悪くなるので避けたいところです。
 それと、ジャガイモの種芋の準備があります。以前の農業の手引き書には、浴光催芽とか浴光緑化というテクニックが紹介されていましたが、最近の本には見当たりません。

 要は、光を当てることで丈夫な芽になり、発芽が早くなるとのことで、ある書物では1ヵ月くらい成長が早まると記載されていましたので今でも活用しています。
 やり方は二つあり、丸のまま1ヵ月ほど光に当て、植え付け時に切るやり方と予め切って1週間ほど光に当てる方法です。

 切る時は、各切片に芽が残るようにするのは当然ですが、頂芽は切って除くのが普通です。小さいイモはそのままでよいようです。また、切った断面に灰をまぶすことは最近は行われないようで、かるく乾かす程度で十分なようです。

 この時期は葉物が少ない時期ですが、今大活躍しているのがナバナです。花芽を食用にする品種なのですが、下葉が旺盛に成長するので、一昨年その下葉を取って販売したところ好評でした。昨年は、栽培面積を増やしたのが正解で、この時期の販売の主役になっています。

 1月には、牛ふん堆肥による生育障害のことを書きましたが、先日『乾燥牛ふん クロピラリド』とこの原因物質の名前を入れてヤフーで検索したところ、ヒットした二番目に川西断酒会のホームページ名が出てきて、解説文は1月号の文章そのものでした。とんだことで川西断酒会の宣伝になったようです。

PDF A4サイズ2枚 閲覧ヒプリント出来ます。
断酒新生指針
1.酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけでは、どうにもならなかったことを認める。
2.断酒例会に出席し、自分を率直に語る。
3.酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認める。また、仲間たちの話を謙虚に聞 き、自己洞察を深める。
4.お互いの人格の触れ合い、心の結びつきが断酒を可能にすることを認め、仲間たちとの信頼を深める。
5.自分を改革する努力をし、新しい人生を創る。
6.家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをする。
7.断酒の歓びを、酒害に悩む人たちに伝える。

断酒会規範
1.断酒会は酒害者による酒害者のための自助集団である
2.断酒会には酒をやめたい人なら誰でも入会できる
3.断酒会員は姓名を名乗ることを原則とする
4.断酒会員としての活動は、原則として無償である
5.断酒例会はあらゆる条件を超えて平等であり、支配者はいない
6.断酒例会は体験談に終始する
7.断酒例会は家族の出席を重視する
8.断酒会酒害相談はもとより、啓発活動を通して社会に貢献する
9.断酒会は、会費によって運営される 但し、補助金善意の寄付金等は受け取ることができる
10.断酒会は政治・宗教・商業活動に利用されない。
PDFにてAサイズ、プリントできます。
2009/01/20のBlog
「自分を振り返って」
大阪府高石市断酒会
本多 宏臣
(写真は堺泉北臨海工業地帯)-------->

 アルコール依存症と医者からの宣告は,正直嬉しかった。今の自分の状態は正常ではなく、異常な精神状態と解っていたが、他の医者は認めてはくれなかったのが飲む理由でもあった。

 26歳の時に交通事故が原因で、身体の自由を失くした恐怖と痛みを紛わす為だけの理由で、友人が持って来てくれた酒を一日中呑んだ。自分がこの世の中で一番不幸で哀れな人間である、家族に捨てられた、事故の相手も逃げて補償が無い、仕事先は事故の前に夜逃げで給料未払い、残ってるのは僅かな貯金しかない。だから、自暴自棄になり酒を呑み続けた。痛み、身体の自由が利かない恐怖から逃げる為には、酒が切れる時間はある訳が無かった。

 院内例会は必ず出席した。講義が聴けるのと、アル中の最後がリアルに観えたから病院に来た。酒と付き合える訳が無いのに、それでも呑み続けた。断酒会にも参加したが、正直ムカついた。酒が好きで呑めなくなったことの不幸や、自分が悪いのに認めない人間や、只酒を止めて偉くなったかの様な体験談。

 自分の居る場所とは思えずに入会まで3年程かかったし、また入会しても酒は止まらなかった。世の中に、自分以上の不幸で辛い思いをしてまで酒止める人間などいないと、正直な体験談は語らなかった。その為、7ヶ月での再飲酒。どうせ酒を止めても、幸せなど自分には無関係。身体が元に戻る訳でも無いし、自分を理解してくれて社会復帰をサポートしてくれる人間が現れることなんか無い、絶対無理だと諦めていた。

 それでも断酒会から離れず、研修会等に参加していた。事故の苦しみで身体を悪くした地元の先輩に助けて貰い、相談にも乗って貰いながら意地だけで通った。そんな時に、虹の会に誘って貰った。最初は嫌だった。身体の悪いことの自慢話、再飲酒の言い訳をするだけ、古いのを自慢する人間。

 そんな中で、全国から集まって来る先輩の中でも、身障者ではあるが、健常者以上の熱い想いの体験談を聴いた時、偏った考え方が間違いだと気付いた時は嬉しくなった。それからは虹の会が好きになり、今の自分には足りない考え方や、行動を勉強出来た。諦めないで前向きにトライする喜びを教えて貰ってからは、自分の断酒の目標を見つけることが出来、パートナー(現在の妻)も見つかり、今は楽しく自分らしく断酒会を利用させて貰っている。

 酒害からの回復は個人差があるのは当たり前で、自分の場合時間が掛かると思います。自分には回復する時間はたっぷりあるので、ゆっくり気長にいけるのが嬉しいです。真面目に断酒に取り組んでる人間は素晴らしい!「社会」にお酒を止めさせてもらって幸せです!誰でも幸せな人生を送れます!と胸を張って言える人間になれる様に、頑張って断酒して行きます。

 虹の会 (全日本断酒連盟 の研修会にて、分科会座談会をしてます)は、身障酒害者も健常者参加できます。岡山県で年1回一泊研修会も開催されてます。今年は、第18回虹の会・岡山幸荘セミナー、6月27-28日、津山国際ホテル。

 ビジネスホテル・幸荘での懇談会で、愛媛県今治断酒会の木山茂氏の一人語りから森田一志氏、そして高知断酒新生会から感銘を受け、二重苦・三重苦の身障酒害者が多くいるだろう、この方達が手を取り合い励まし合いながら、断酒継続して行くグループが出来たらどんなによいだろうかと思い、翌日の全国大会の会場で五,六名の身障者に声をかけたのが始まりだ。

 故小野昌也先生(豊岡台病院院長)の協力を得て今日に至る。 『我々は、身体は障害者であっても、心は障害者になってはいけない』が、 金本事務局長が知らない方にいつも説明する言葉である。虹の会の歩みから金本生氏の言葉から抜粋した。(了)
2008/12/22のBlog
[ 10:23 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その7) 平成22年1月
写真はアスパラ菜----->

 12月7日の朝日新聞朝刊に、『牛ふん堆肥、作物に生育障害』という記事が掲載されましたので、ご覧になられた方も多いのではないかと思います。要点は、国内で使われていない除草剤が、輸入牧草を通じて国内の牛の体内に入り、その牛のふんや尿から作った堆肥を使ったために、トマトやキクが生育障害を起こしたということです。

 この記事に関し、昨年農作業ボランティア先で経験したこと即ち、いくつかの種が発芽しなかったり発芽不良だった失敗の原因が、JAから購入している『乾燥牛ふん』であることをほぼ突き止めていましたので、その裏付けとなる証拠が得られたものと天にも昇る気持ちになりました。同時に、乾燥牛ふんの使い方について、その方法を改める必要性を痛感しました。要は、畝の表面に撒いたり、追肥には使えない、使わないということです。

 現在行っている標準的な畝作りの方法は、70センチ、22メートルの畝に対して、有機石灰1袋、発酵鶏ふん2袋、乾燥牛ふん1袋、バーク堆肥2袋散布してから、耕耘機で全体を耕します。次いで、センターを深く掘り起こし、緑肥として草の類を大量に入れ、米ぬか2袋、農業用菌剤2キロを入れて、一旦土を被せます。その上に、元肥として発酵鶏ふん2袋、乾燥牛ふん1袋をまき、掘り上げた両側に有機石灰5キロとバーク堆肥1袋を撒いてから土寄せをします。さらに、表層に発酵鶏ふん1袋、乾燥牛ふん半袋、化成肥料5キロをばらまいて仕上げ、植え付けや種まきに備えます。

 この方法で異常が起きたのは、キュウリを定植したとき、次々と枯れる現象が起こりました。この時の原因は、有機入り化成だと考え、以後JAからの購入を止め、コーナンの普通化成に切り替えました。牛ふんにも問題があったのかも知れません。その後も、下仁田ネギやオオバの種が発芽してこないことが起こり、化成肥料以外にも問題があることが予測できました。
 
 そこで、オオバの種と化成を入れない畝で、発酵鶏ふんのみと乾燥牛ふんを併用した区分を作って撒いたところ、牛ふんを入れた畝は殆んど発芽しませんでしたので、発芽阻害が牛ふんにあることが分かりました。この後も懲りず、また失敗しました。タマネギの苗作りで、発芽してからは除草と時々発酵鶏ふんを表面からばらまいて追肥していました。

 自宅の庭で予備としてプランター3つに種まきしておいたものの、二つに乾燥牛ふんを併用したところ、どんどんと枯れて行き全滅してしまいました。乾燥牛ふんは、その製造過程で発酵が起こり、発酵牛ふんと標示してもよいくらいであるとJAの担当者から聞いていたので、使ったのが大失敗の元でした。

 記事では、日本で使われていない植物ホルモン系の除草剤クロピラリド検出され、栽培実験で同様の障害が起きたと書いています。またネットで調べると、この除草剤は難分解性であること、被害を受けるものとして、トマト以外にナス科、マメ科、キク科、セリ科などの作物の感受性が高いとのことです。クロピラリドは、広葉雑草の防除剤であり、イネなどには害がないものの、日常的に作っている、いわゆる葉物野菜に害がでて当然のことのようです。以前使っていた、コーナンから購入した発酵牛ふんでは、このような現象は経験していません。牛ふんの品質と使用法には要注意です。

 さて、1月の農作業としては、寒さ除けをエンドウの類にすることが推奨されていますが、このところやったことがありません。むしろ、なるべく小さい苗で越冬させるように心がければ済むことと思っています。

 ボランティア先では、この寒い時期でも無農薬で作った野菜の販売を切らさないようにしており、この時期に販売できるものとして、数年前から下仁田ネギの栽培を始めました。一昨年は、ナバナを試作してよかったので、昨年は11月から取れる秋華という品種のナバナも始めました。昨年、春作にアスパラ菜を試してよかったので、本来の栽培時期の秋作にも取り入れ、空きができないようにしています。

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2008/11/25のBlog
[ 00:02 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その6) 平成21年12月
写真はスナップエンドウの苗(撮影平成21年11月24日)----->

 今年も無農薬での野菜作りの難しさ、苦しさを経験しました。昨年、試しにナバナを作ったところ、花芽が付いたのは年明けでしたが、12月、1月の葉物がない時期に,下葉を刈り取って販売すると大いに喜ばれました。ならばと今年は、年内に花芽が収穫できるタキイの秋華という品種を、従来品と合わせて作ることにしました。 

 8月下旬に種まきした後、順調に生育していたのですが、三畝のうち真ん中の畝の端の方が少し異常だなと感じていたところ、瞬く間に畝全体がおかしくなり処分するはめになりました。調べてみると芯食い虫による被害で、成長点をやられてしまったのでたまりません。おまけに近くのサラダ菜、ウマイナにも被害が拡大し大損害でした。3年ほど前、ダイコンを少し早めに撒いたところ、同じ被害にあい全滅したことがありました。今年は、まともに撒いたので大丈夫でした。守るべきことは、しっかり守る必要があるようです。 

 農薬の代わりになるものをいろいろ試してきましたが、ずっと愛用しているのが、ストチュウといって醸造酢、木酢(または竹酢)、焼酎の等量混合物を300倍程度に薄めて散布しています。ただ、忌避剤で殺菌効果は期待薄で、1週間に一回くらいの頻度で散布する必要があります。また、芯食い虫のように、土中にいるものには効果がありません。最近読んだ書物によると、醸造酢も農作物に使うと特殊農薬になるとのことで困っています。

 ボランティア先では二年ほど前から、コンパニオンプランツといって、植物同士を組み合わせることで病害虫を防除する方法を試し始めました。例えば、キュウリを植える時、根元にネギを植える、トマトならニラなどです。ブロッコリーやキャベツとレタスを組み合わせると、アオムシ、ヨトウムシ、コナガなどが寄生しないとのことで、今年は試しに、ブロコッリーの畝の肩にサラダ菜を植えてみました。アオムシは付きましたが、それをしないところに比べて被害が少ないように感じています。

 一昨年老人菜園で、トマトに落花生を組み合わせたところ、収穫期はトマトより大分遅くなりましたが、うまく収穫できたのに味をしめ、キュウリとの組み合わせもあるとのことでやりました。二度目のキュウリに組み合わせたもので、落花生の蒔く時期としては遅くなり、結果的には枝葉ばかりで実がほとんどできず、いわばツルボケ状態となりました。難しいものです。

 秋になりますと、水田の畦に彼岸花を見かけます。これもコンパニオンプランツの一種で、野ねずみやモグラが、穴をあけて漏水になることを防ぐ伝承技術で、ちゃんとした科学的根拠もあり、先人の知恵にはビックリするばかりです。おまけに、彼岸花の鱗茎はさらして毒を除けば食用になり、飢饉の時の非常食にもなるとのことです。 

 11月に種まきして苗作りを始めたスナップエンドウが順調に育ち、定植待ちの状態です。11月末か12月初めには定植できそうです。これからは農閑期に入り、農作業としてはせいぜい草取りや追肥くらいが残っているだけです。一年を振り返り、反省して来年こそは失敗のないようにと計画を練っておくのもよいことではないでしょうか。

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2008/10/24のBlog
[ 08:06 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その5) 平成21年11月
写真は黄色タマネギ(平成21年10月23日撮影) ----->

 9月に播種したタマネギの苗が、ほぼ順調に育ち、11月の定植の時期を待つばかりになっています。こう書くと簡単ですが、タマネギの苗作りでは、これまで数々の苦い体験を重ねてきました。発芽不良、ネキリムシの被害がメインでしたが、ここ4年ほどうまくいっています。

 それには、野菜作りの教科書として愛用している、もう故人ですが井原豊さんの「図解 家庭菜園ビックリ教室」(農文協1999年第19刷)の中の、タマネギの項を参考に苗作りを始めてからです。ポイントは三つほどあります。
 
 一つ目は、苗床の準備を蒔く3か月ほど前に行い、透明シートかけておきます。土壌殺菌効果が出て、ネキリムシの被害もなくなり、雑草の生えかたも極めて少なくなります。
 
 二つ目は、播種する時によく鎮圧することです。畝をならしてしっかり鎮圧します。撒いた種がはっきりするように、有機石灰(セルか)を撒いてから種をばらまいてから、もう一度鎮圧します。さらに、うすく土を被せて、もう一度しっかり鎮圧します。よく黒い殻を被って発芽してきますが、井原さんの著書によると、このとき発芽率は50%で、殻を土中に残してきたら、発芽率80%以上とのことで、殻つき発芽は鎮圧不足が原因とのことです。
 
 三つ目は、適宜な除草と追肥です。タマネギの苗は草に負け、消えることがあり、見付け次第除いています。追肥は、井原さんの著書では、硫安水とか過リン酸石灰水になっていますが、良質の発酵鶏糞を上からばら播くことにしています。

 この鶏糞では苦い経験があります。数年前の鳥インフルエンザ騒動の後、丹波町の養鶏業者の発酵鶏糞は良質でしたが入手できなくなり、コーナンでは別の業者のものを扱い始めました。これをタマネギの苗に撒いたところ、苗が次々と消えて行き、すっかり駄目になりました。

 文句をつけたところ、コーナンへの納入業者が菓子折を持ってきて、様子の違うサンプル2袋も持ち帰り、発酵不足なので分析するとのことでしたが、梨の礫となりました。以後、コーナンからの鶏糞の購入は止め、農協から購入し問題は解消されています。

 タマネギを植える畝は、サツマイモの後と決めていて、タマネギとサツマイモの繰り返しになりますが、これが大阪府の老人大学のやり方とのことで、ボランティアを始めた六年前からずっと守り続けて、それぞれが失敗なく収穫できています。サツマイモを植える畝には、タマネギの残肥を考慮して、有機石灰(セルカ)と肥効は殆んど望めないが、土壌改良効果の期待でバーク堆肥を撒くだけにしていました。

 今年は少し変更したので、イモのつき具合が心配でしたが、この10月19日に近くの幼稚園の年長組、30数名を招いての芋掘り会で、それなりの大きさのイモが収穫できホッとしたところです。変えたところは、今年のタマネギが最終的には肥料切れの状態になり、残肥が期待出来ないと考えて、70センチ、22メートルの畝に、発酵鶏糞を1袋ずつ余分に散布して畝作りしたのと、その後70センチの畝幅を50センチに狭め、3本の畝で余った60センチを横のトマトに振り向けたことでした。

 心配したのは、サツマイモにはツルボケという現象があります。よく肥えた土地ではツルの成長ばかりで、イモが付かないことがあるからです。自分自身8年ほど前、茨木の泉原の友人の畑で、ツルの伸び具合だけで上手く行っていると考え、娘婿と孫娘を連れて、小雨の降る中イモ掘りに出掛けましたが、全然イモが付いていないので、大恥をかいたことがありました。

 さて、10月下旬からは、スナップエンドウ、ソラマメの種まき、できた苗の定植という、長期間に亘る作物の大仕事が待っています。スナップエンドウは、昨年は10月上旬に種まきして大失敗しましたので、今年は出来るだけ遅くするつもりです。

PDF下記クリックしてください、A4サイズ2枚プリントできます。
2008/09/24のBlog
[ 08:01 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その4) 平成21年10月
ニンジン 7月に播きました ----->

 7月に「育てる過程での数々の失敗や、たまにはうまく行くことで」と書きましたが、今月は最近の失敗例を書きます。種まき時期の失敗では、昨年スナップエンドウを10月初旬に蒔いたので、年が明けると花芽を持ち出し、その摘み取りに汲々としました。

 まずいと気がついて、株間に新しく種まきもしましたが、最終的な成績は通常の半分以下だったと思います。種袋には10月から種まきできると書いてありますが、その地域に合った時期に蒔くことが肝要で、この辺りでは11月が適期だそうです。

 ポイントは、霜害を避けるために小さい苗の状態で冬場を越させることです。この失敗はまだましな方で、もっと早く蒔いて、年内にちょろっと収穫してお終いになった例もありました。畝立てについては、一週間前までに堆肥と化成肥料をすき込んでおくとか、必要に応じて苦土石灰で中和しておくとか書いてあります。

 今年の春から、有機入り化成肥料が登場しましたが、従来通りの普通の化成肥料ならこの記載通りで何ら問題は起こりませんし、一週間もおかなくても大丈夫でした。一昨年でしたか、化成肥料の大幅な値上げがあり、そのためか農協では、今年から有機入り化成肥料一本になり、普通化成の取り扱いを止めてしまいました。

 特別な注意もなかったもので、従来通りの使い方で畝立てをして、キュウリの苗を定植したところ、次々と枯れて行き半分も残らず、生育の遅れが顕著でした。また、下仁田ネギやオオバの種はまったく発芽してきませんでした。同じ失敗をした人がほかにもおられ、原因は有機入り化成肥料にあると考えます。有機物を入れたことで、アンモニアがしっかり固定され、アンモニアの害がまともに出て発芽しなかったり根が損傷を受けたものと考えました。

 農協に問い合わせても逃げの口上だけで、正確な答えはもらえませんでした。この考えで間違いないと思っています。トマトの畝も同じように畝立てしましたが、定植まで時間がありましたので、米ぬかをまぶしてしばらく置いて、アンモニア分の消費に努めた後に定植してすんなり行きました。
 
 この失敗に懲りて有機入り化成肥料の購入をストップし、少し割高な感じですが、普通化成をコーナンより購入してもらっています。また、種まき、植え付け時の畝立てに、化成肥料を入れることは止めて、もっぱら追肥として使うようにしています。同じ失敗をされた方もおられるのではないでしょうか。
 
 毎年のことですが、苗作りは心配のタネです。畝作り、種まき方法、時期など最大限の注意が必要です。9月上旬に蒔いたタマネギが順調な生育状態で、ほっとしているところです。2ヵ月前からおおまかに畝立てして、ビニールで覆い、土壌殺菌をしておきました。ビニールを外して表面をならし、手で押さえつけ、有機石灰をばらまいてから黒いタマネギの種をばらまきました。

もう一度手で押さえつけ、表面に軽く覆土してから、さらにもう一度手で押さえつけ、籾殻をばらまいてから散水して終わりです。ただ、猫が縄張りを主張して、柔らかいところに糞尿をしに来るので、しっかりと発芽するまでネットで覆っています。この方法は根切り虫の被害もなくなり、ほぼ失敗なく苗作りできています。

 ボランティア先での10月の一大行事は、近くの幼稚園の年長組30数名と施設の利用者との共同サツマイモ掘りがあります。天候と日程調整で毎年苦労しますが、大きなイモを顔の前に掲げて喜ぶ姿を見ると、半年間のことをすべて忘れさせてくれます。

PDF下記クリックしてください、A4サイズ2枚プリントできます。
2008/09/04のBlog
[ 07:08 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その3) 平成21年9月
(写真はウマイナ・H21年9月3日撮影)
 
前回、土作りの大切さに触れましたが、そのことをもっと分かってもらえる事実があります。NHKのテレビ番組に「プロフェッショナル 仕事の流儀」があり、もう、百回を越えていますが、農業関係の話題は二つだけで、これはその中の一つです
 
この話をもとに、ノンフィクションライターが一冊の本にしてベストセラーになったのが『奇跡のリンゴ』です。世界中の誰もが手がけなかった無農薬・無肥料でのリンゴ作りに、苦節九年の後に成功した物語で、読んで涙を流した人が多いそうです。 

 無農薬・無肥料に切り替え、六年目になり数々の試行錯誤の末に、もはやなす術を失い死んでお詫びをしようと、ロープを持って岩木山に登ります。適当な木を見付けて投げたロープが手元離れ、拾いに行った先に、立派に育ったリンゴの木を見付けました。(実は、幻覚で本当はドングリの木でした)
 
根元に生い茂った背丈ほどの草の下の土は実にフカフカとしていて、独特の香りがあり、この土を作ることで、目的が達成できると確信したものです。

 野菜、コメ、西洋梨、プラムなどが無農薬で出来ても、リンゴだけが出来ませんでした。、この土作りの大切さに目覚めてからは、雑草も生え放題にし、絶対に不可能だとされていた無農薬・無肥料でのリンゴ作りに成功しました。
 
 この奇特な木村秋則という人物は、筆まめで文才のある人で、書き下ろしという本が二冊あります。『リンゴが教えてくれたこと』(日本経済新聞社)、『すべては宇宙の采配』(東邦出版社)。他に、やや専門的なものに『自然栽培ひとすじに』(創森社)もあります。 

 いよいよ農繁期に入りました。九月は秋野菜の種まきの時期ですが、適期が割と短い上に、このところの異常気象が重なり、いつ蒔くか思案に暮れることがあります。いつでも蒔けて、殆んど虫の付かない野菜に、ウマイナ(フダンソウとも)、サラダ菜があります。サラダ菜は、根元だけを残しておいたら、新しい葉が出てきて、大もうけをした気分になったのは今年の春の初体験でした。

 殆んどの葉物が無いこの時期に採れるのがナバナで、タキイには秋華、冬華の二品種があり、これからが蒔き時です。適当に下葉をかき取って食べた後は、本当の菜の花が賞味できます。

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2008/08/11のBlog
[ 06:29 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その2) 平成21年8月
(ボランティア先農園全景 撮影・H21年8月)----->

 野菜作りには土地が必要ですが、どう手当するかが問題です。市民農園を借りても、一年か二年で返さなければならず、また以前何を作っていたかも分からないし、さらに、狭すぎるということもあり失格です。

 長期間使える場所として、自宅の庭やそこにプランターを並べる手があり、他に借地もあります。百坪ほどの宅地を農地にしている人の話を聞いたことがあります。いずれにせよ、野菜作りには、連作障害があるので、それを防ぐ為にも、自分の思うままになる土地の手当てが肝要です。
 
 ずっと心掛けてきたのが土作りです。手前味噌になりますが、初めの頃は自分達が開発した農業用細菌製剤を元の勤め先から割引価格で入手し、使用方法をほぼ忠実に守って使っていました。
 
 この細菌製剤開発の発案者で別の会社の友人は、『菌耕農法』と名付けてパンフレットを作り、ネットにも公開しており、退職した今でも普及に努めています。昨年から、ボランティア先でも使い始めました。効果が確実になるのは、三年くらい使い続けてからですが、土がフカフカするのは一回の使用でも確認できます。あとは連作障害の軽減など、その効果はいろいろとうたわれています。
 
 さて、断酒会には、案外家庭菜園をしている人が多く、そういう人たちに栽培を勧めてきたのが、モロッコインゲン、スナップエンドウと下仁田ネギです。特に、モロッコインゲンは、大変美味しいのに、市場に出ることも稀で、あまり普及していません。平べったい広いサヤで、筋が無いのが特長です。

 蒔き時は、四月が一番良いのですが、八月も中旬以降なら良いといわれています。このところの地球温暖化の影響もあり、池田の行きつけの種苗店のおばあさんは、もう九月に入ってからの方が良いと教えてくれました。

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2008/07/27のBlog
[ 08:35 ] [ 無農薬野菜作り ]
無農薬での野菜作り(その1) 平成21年7月。
写真は下仁田ネギ゙( 撮影・平成21年8月13日)----->

 この度、兵庫県川西断酒会・会長の馬場さんの要請で、このコーナーを担当することになりました。池田市断酒会に入会して二年八か月、無事断酒を継続しています 
 断酒の継続には、例会出席は当然ですが、兎に角、暇を作らないことも大切だと思います。 趣味と実益を兼ねる野菜作りは、格好なターゲットの一つではないでしょうか。それも無農薬で作れば、より安心できるものを家族に提供できます。家庭は円満になり、育てる過程での数々の失敗や(たまには)うまく行くことで、育てる喜びも味わえて、断酒継続の支えになること請け合いです。

 平成10年の7月に定年退職し、その秋から、茨木の泉原にある友人の畑を無償で借りて、無農薬での野菜作りを始めました。平成16年の夏から、自宅近くの身障者の施設で農作業ボランティアを始め、仲間数人と無農薬で野菜を作っています。

 この施設で市価より安く販売して地域に貢献するとともに、この施設に通ってくる身障者の自立支援の一助にしています。この他、池田市の老人菜園が、抽選で当たった時は使わせてもらい、また、自宅の庭ではプランターを並べて野菜作りを続けています。

 これまでの試行錯誤と書物などから得られた知識で、無農薬での野菜作りのノウハウは、少しは掴めたとは思いますが、まだまだ発展途上です。これまでの経験で、今守っていることをいくつかあげると、虫のつきやすい野菜は諦めることにし、キャベツ、ハクサイがその例です。虫の付きにくい野菜でも、その栽培時期を選ぶことが大切で、ヘタな時期に蒔くと、トウ立ちといって花芽が出て、全体が堅くなり、食べられなくなります。

 さて、暑い七月の農作業では、春野菜の後処理に追われる毎日ですが、根ものではニンジンの種まきがあります。この種は好光性で、発芽に光が必要なので、土をかけ過ぎると発芽してこないで失敗します。また、厚蒔きに心がけ、播種後の水やりを十分すれば、間違いなく発芽してくるでしょう。

これからシリーズで、掲載いたします。

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2008/05/21のBlog
「断酒してこそ、親子の幸せ」
兵庫県川西断酒会 Y.Tさん(家族)
平成19年近畿ブロック・三重大会
兵庫県断酒連合会家族代表体験発表

(写真は川西市の夜景・夏)------> 

 主人とは、実家の母の友人の紹介で知り合い、結婚して30年になります。真面目で仕事は熱心で、努力家で、両親を大切にする優しい人がいるからとお付き合いし、昭和50年3月に結婚しました。結婚後の3年間は、お酒を飲んだらすぐに寝て、毎朝決まった時間に起きて仕事に行ってました。賭け事もせず、仕事から帰って来て、お酒を飲むことが楽しみでした。そんな主人を見て、まあまあお酒ぐらい飲ましてあげようと思っていました。

 しかし、いつしか酒量は増え続けていきました。昭和52年に長男が生まれ、同55年には、双子の娘が生まれました。私は、3人の子育てに毎日目が回る忙しさでも、主人は酒を飲み、家事はまったく手伝ってくれませんでした。育児は私がして当たり前のひと言で、毎日が過ぎて行きました。

 平成8年のことです。長男の高校受験の一週間前の日に、主人は酒を飲んで仕事を休みました。有給休日も無くなり、病院の診断書を出して休みましたが、職場からは「いつでも辞めてもらって良いですよ。」と言われて、主人は「辞めます。」と言い残して帰ってきました。

 それを聞いた長男は、「高校受験を諦めて、働く。」と言いだし、私は「お願いだから受験して」と、長男を説得しました。主人にその話をすると、「分かった。明日からは酒を止めて、息子のために働いて休まず頑張る。」と誓うのですが、自分一人の力では断酒が出来ませんでした。、またまた大量飲酒が始まり、家族は酒害に巻き込まれ、毎日が生き地獄の生活が続きました。

 息子と娘が「もうお父さんは、一生お酒は止められないのと違うの。命より、お酒のほうが大切やから、お酒を飲んで死んでも自業自得と違うの。好きなお酒を、とことん飲ましてあげたら。」と子供たちから言われ、私もそうすることを心に決めました。

 長男は、大阪市外の大学に入り、自立生活を始めました。娘二人は京都に就職が決まり、寮に入りました。私は、息子と娘が離れて生活することになり、毎日が寂しく、夜になると子供たちに電話をしていました。

 主人は、子供が居ないことで、酒を飲んでは暴言を吐き、酒乱状態になり、誰に助けを求めることも出来ず、針のむしろの日々が続きました。主人と生活をすることが息苦しくなって、自分を責めることもありました。主人がお酒を飲むのは私が悪いから、私が死んだらお酒を止めてくれるかもしれないと何度も思っていました。

 そして平成13年8月頃、主人を断酒させるために病院に入れなければならないと家族が決断した出来事がありました。ある日のこと、主人が「家の中が盗聴されている。」と言い出しました。初めは、半信半疑で冗談かと思っていましたが、次の日も、「録音が出来るCDラジカセを買ってきて欲しい」、「声が聞こえるから、録音する。」とか、台所の横にある窓に向って、「誰か人がいる。」と言っては問いかけたり、笑ったり、怒ったりしていました。

 主人の様子が異常なので、息子、娘に帰って来てもらいました。これは、幻覚、幻聴が出ているので、家族の力では対処が出来ず、池田保健所に相談して、平成13年8月21日に、豊中市の“さわ病院”に強制入院させました。そして、診断の結果、アルコール依存症と分かり、高槻市の新阿武山病院を紹介してしてもらいました。3ヶ月間の入院生活で精神状態も落ち着き、平成13年12月18日に退院出来ました。

 退院後、川西断酒会につながりました。皆様の温かい励ましにより、主人は断酒継続して3年8ヵ月が過ぎます。断酒のおかげで、60歳の定年も迎えさせてもらい、33年間の職場も無事に勤め上げてくれました。現在も同じ職場で、再雇用してもらって2年目です。

 本当に、主人が断酒してくれると、良い事が続きます。長女が3月13日に結婚し、披露宴の時に両親に手紙を書いてくれました。「お父さん、断酒してくれているから、バージンロードを二人で歩けたね。ありがとう、これからもずーと、ずーと断酒継続して下さいね。お母さんを大切に、仲良くして下さい。」と手紙を披露してくれました。

 今の幸せがあるのは、家族の絆があったからこそと感謝しています。また、この大会で体験談を発表させていただき、ありがとうございました。兵庫県川西断酒会会員家族の皆様を始めとして、当例会に参加していただいた朋友断酒会会員家族の皆様のお陰と心から感謝しております。これからも主人と二人で一歩、一歩、前進して行きますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。(了)

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