関西学院大学の窪寺先生の著書「スピリチュアルケア入門」に
ある患者さんの書かれたこんな一節が載っています。
「自分が生きていると思っていたが、実は生かされていたんだ。
 自分が見ていたと思っていたが、実は見守られていたのだ。
 孤独だと思っていたが、実は愛されていたのだ。・・・」

スピリチュアルは「精神的」とか「霊的」「宗教的」ともとらえられますが
窪寺先生は「人生の危機状態の時に、生きる力や希望を見つけ出そうとする力、
危機の中で失われた生きる意味や目的を自己の内面に新たに見つけ出そうと
する機能」と定義されています。

難しい話ですがもし皆さんが思いがけない病気や事故で
人生の基盤が崩れたとき、何を考えられるでしょうか?

癌になった父は「世界が終わりになったらいい!」といいました。
癌が再発した母は「有利ちゃん(私の名前です)のせいや!」といいました。
みんな教科書どおりではありません。
いっぱい怒って、いっぱい悲しみます。

思いがけない人生の危機に対して
「どうして自分が」「自分が何故?」
不安や苦しみ、恐怖から立ち直るためになにが必要でしょうか。

本に書かれた患者さんの一節は
苦しみを乗り越えたあとのお気持ちでしょうね。
この気持ちになられる方はひょっとしたら一握りの方かもしれない。
不安や苦しみ、恐怖から逃れられない方がたくさんおられるかもしれない。

スピリチュアルケアは肉体的な苦痛を取り除くのと
全く同じぐらい重要で意味のあることだといわれます。

40代で交通事故に合われ寝たきりになられたTさんのベットの足元で
考えていました。
初めて会う人、初めて受けるトリートメント
Tさんの緊張を手のひらで感じながら考えていました。

本などにはよくその方の人生観など傾聴してと書かれていますが
お話のできないTさんは思いをどこにぶつけられるのでしょう。

毎日毎日髪をなで、手や足をマッサージして
話しかけて献身的に介護されているご主人に
「有難う」「大好き!」って言葉に出して言えないもどかしさは
どんなに辛いでしょう。
ご主人の手のぬくもりや声の様子で
ご主人の体調もTさんはきっと判っておられる。
「疲れてない?」「今夜は暖かくして休んでね」
と声をかけたいときもおありだと思います。

本で読んだこと、人に聞いたこと、そして自分の両親の介護の体験
全部今には繋がらないことに気がつきました。
人は一人一人、ぶつかる壁の大きさも捉え方も違うから・・・。

Tさんの場合を
ご主人の思にそいながら
考えていけたらと思います。