「いつもの風景の中で」

娑婆の情事でドタドタ過ごしてます。。。☆

自宅からもよりのJR 八尾駅まで歩いてますと、

高齢のおじいさんが道で倒れていました。

私より先に発見した人が数名おられましたが、

素通りして行きました。

素通りしたい気持ちも理解は出来ます。

電車の時刻が気になりましたが立ち止まり、

しゃがんでおじいさんに話かけようとしたところに、

自転車に乗ったおじさんも立ち止まり、

二人でおじいさんに話しかけてみました。

意識は問題ない上、どこもケガをされていないようでしたが、

老化現象によりあらゆる能力が衰え、

断片的にしかおじいさんの言葉が聞き取れず、

なぜおじいさんが倒れたのか?

どこにお住まいかが分かりませんでした。

が、手押し車と杖があったので、

何かの拍子で足元が狂って転倒し、

自力で起き上がれないご近所の方という観じでした。

以上の状況分析により、おじさんは救急車ではなく、

警察を呼ぶために110に電話

(おじいさんは「警察に電話しなくていい」と

何回も言われましたが・・・)をしたところで、

一眼レフカメラを首からぶら下げ、

一歳くらいの女の子を乳母車に乗せた若いおねえさん

(恐らく、娘さんとお散歩中)が立ち止まり、

おじいさんをサポートする仲間が

三人プラス一人(←赤ちゃん 笑)になりました。

電話に出た警察の人は、

八尾の旧村界隈の土地勘が全く無い人で、

近くにある建物をいくつか言っても、

場所の特定が出来ないようで、

おじさんが警察の人にヤキモキしている間に

おねえさんが私達がいる場所の住所をサクッとスマホで検索し、

おじさんのガラケーを持って

おねえさんが警察の人に住所を伝えて電話を切りました。

おねえさんは私達二人に

「あとは私が警察の方とやりとりしますので、、、

お急ぎなんですよね」とおっしゃって下さいました。

そのお姿は【マリア観音様】のように美しく輝いていました。

(長崎帰りなので、“マリア様”という表現になります 笑)

おねえさんに「あとはよろしくね!」と笑顔でおまかせし、

その場を後にしました。

駅に着くと、

「JR 神戸線で急病者が出た関係で今も電車が遅れています」

と電光掲示板に流れていました。

いつどこで誰がこうなるかは分かりません。

私もいつかこのおじいさんのような状況になるかも知れません。

おじいさんのそのお姿からは、私もみんなも

「いつか必ず通る道」であると教えて頂き、

改めて今、与えられている生命(いのち)という時間の有限さ

/有難さについて教えて頂きました。

・・・私は常に【余裕】を持って生きることを意識し実践しています。

おじいさんたちと出会い結果、

予定より一本遅れの電車に乗りましたが、

目的地には遅刻せずスムーズに到着しました。

時間・お金・心、あらゆる余裕/ゆとりという

【チカラ】があるからこそ、人を万物を助け

/サポート出来結果、自らが助けられ、

救われてゆくのです。

だからこそ日々の【助け合い/学び合い】が

必要だと思われます。

しかしながら「何らかの見返りという欲」から発心された施しは

虚実であり徳ではなく罪にしかなりません。

真心から発心されたものしか、天は受け入れられないのです。

近所に暮らしながら、知らない方々の

人生のワンシーンを共に過ごし、

みなさまの高い【徳】、深い【慈悲】にふれ、

とても学び深い感動感謝の時間を過ごすことが出来ました。

今後も日々出来ることを実践し、地域のみなさまの

ご多幸・安寧を祈念し続けて参ります(=人=)宇留祈☆