「小村寿太郎の政策論&財閥論 〜虚構と影とのけんか〜」

およそ一年に及ぶコロナ自粛の影響で、

生身の人間(今生きている人間)との接触が

めっきり減り、最初はナンギだと感じていましたが、

今はとても快適になっています(笑)。

今生きている人間と関われないのであれば、

過去生きていた人間並びに【存在】と

コミュニケーションしようと現在、

肉体と意識をあっちこっち動かしています。

虚空界次元においての過去存在した

賢者たちとのコミュニケーションは、

時空を超えて私に様々な叡智を与えてくださいます。

この与えられるスピードや次元の高さ(神々しさ)は、

生身の人間との間では、なかなかなし得ないものです。

そのいくつかをご紹介させて頂きます。

私が司馬小説で最も好きなのが『坂の上の雲』です。

この小説に対して、

様々な評価があるのは承知しています

(特に、乃木希典の書かれ方は事実と異なり酷いなど)。

私は、それらの否定的な見方に対して、

一定の賛同はします。

が、司馬先生世代(一度きりの人生を戦争によって

狂わされた世代)が味わった・・・

戦争を知らない今の平和な時代を生きる私たちが、

司馬先生世代の方々が味わった苦しみや悲しみ、

失望や絶望なんて到底理解出来ないのです。

戦争で自らの人生を狂わされ、大切なものや場所、

人を失った人でしか分からないことがまずあって、

その経験から得た思想に基づいて書かれた小説作品なので、

そのように書かれているのです。

したがいまして時間というものが経過し、

客観的&冷静になれて、

そして平和ボケしている我々戦後世代の人間が、

司馬先生世代の人たちを批判しようが何をしようが、

無意味なことです。

(それに批判対象は既に極楽浄土に

召されているので改善も何もされませんし〜♪ 笑)

大切なことは批判をすることではなく、

戦争世代の方々の経験を出来る限り

我が身のことと思い、戦争経験世代が

作ってくださった戦後の平和時代に

“今生かされていること”に日々感謝しながら、

その世代の戦争経験を自らの人生に生かして、

生活や社会全体を“アップデート”し、

次世代によりよい社会/地球を継承していくことです。

さて、本題です。

『坂の上の雲 2』に小村寿太郎の政策論が出てきます。

「日本のいわゆる政党なるものは、

私利私欲のためにあつまった徒党である。

主義もなければ理想もない。

外国の政党には歴史がある。

人に政党の主義があり、家に政党の歴史がある。

祖先はその主義のために血を流し、

家はその政党のために浮沈した。

日本にはそんな歴史もない。

日本の政党は、憲法政治の迷想からできあがった

一種の虚構(フェクション)である」

財閥論

「藩閥はすでにシャドウ(影)である。実体がない。」

「ところがフィクションである政党とシャドウである藩閥とが

つかみあいのけんかをつづけているところが

日本の政界の現実であり、

虚構と影のあらそいだけに日本の運命を

どう転がせてしまうかわからない。

将来、日本はこの空(うつ)ろな二つのあらそいのために

とんでもない淵におちこむことだろう」

・・・さすが小村寿太郎氏。

この小村氏の名言って、日露戦争前の言葉なんですよね。

この政党と藩閥(政治的影響力のある経済力のある大組織)って、

現代はメンバー構成が変わっている面もありますが、

この構図って、明治時代からちっとも変わってない・・・

つまり、日本の政治や経済の基本的な構図って

明治時代から変わってないんですよね。。。^^;★

私は所謂「左派」人間のように、

日本並びに日本人に対して不信感もなければ、

逆に「右派」人間のように日本並びに

日本人に対して過信も持っていません。

二元(対立)論で物事を判断する、

低次元には私の意識は存在しておりません。

過去の歴史を近代まで振り返り、

「小村寿太郎」という賢者の意識レベルから、

現在のコロナパニックで迷走する

日本政府並びに日本国民を大局的に観た時に、

明治時代から政治のレベルも、

国民のレベルもそんなに対して進化していない・・・

という客観的事実を知ったまでです。

日本人ひとりひとりがいかに

自らの虚構と影から脱却するか?!が、

自らが作り出している、不幸の元凶である

【コロナコワイ病】から抜け出せる、

唯一無二の方策であろうかと思われます(=人=)宇留祈☆