「“○○よりも●●”について」

先日“秋祭”ということで、

お正月みたいに地元の氏神様(白山神社)が

少し中まで入れるようになっていて、

ステキな写真が撮影出来ました。

どっしりとお美しいカミサマ

(どちらかと言いますと女性っぽい)

がおられます(=人=)☆

「○○よりも●●」と豪語する人たちを

日々静かに観察しておりますと、

あれこれ観えて来ました。

例えば「叱るよりも褒めろ」とか、

「正しさよりも明るさ」などと言う人たちがいます。

そう豪語している人たち(信奉者)の

根源的思考並びに言動のクセは

「正しいことをする・追求するのがニガテ&

いつも楽しいことがしたい♪」というものです。

(ちなみに「叱るよりも褒めろ」という言葉の信奉者は、

自分が誰かに叱られたくない・叱るのがニガテ、

はたまた叱ることで誰かに嫌われたくない

という感情&想念の持ち主です)

人生の先輩たちの格言・名言がたくさんあります。

その素晴らしい言葉を、

自分の都合のいいように・自分がやりたいように

解釈をはき違えておられます。

ですので、そんな人たちの周りは、

同じ思考のクセや好みを持つ・同じように

物事の真理をはき違えた人が集まり、

結ばれ合っています【同集同結の法則】。

その言葉の真意だどこにあるのか?

自己中心的な偏った思考や価値観

(わがまま/欲)から離れて、

客観的に真実(真の理)を知ろうとする

努力が必要となっております。

自己解釈(自我に基づいた主観)を入れた瞬間に、

様々な先人たちの叡智(生活の成功法則を記した言葉)は

無意味と化し、また害や罪となって自他を苦しめます。

明るい心・すなおな心を持つことが

まずベースにあって、

そこに「真に正しいことは何か?」と意識し、

それを探求し続けることが必要だということです。

「ただ明るくしていればいい、今を楽しめばいい!」だけでは、

いつまで経っても、正しい方向へは向いていきません。

つまり、「正しさだけ」でもアカンし、

「明るさ・楽しさだけ」でもアカンということです。

「正しさ」と「明るさ」という、

ある部分で相反する複数の要素を持つものを、

自分の思考、言動の中で融合(合一)させるのです。

そうすると、物事がスムーズに結実成就していくのです。

「○○」か「●●」ではなく

「○○」よりも「●●」でもなく

(多少の上下や前後、順序はあっても)

「○○」も「●●」もどっちも大事です(=人=)☆