「豊臣秀吉は何故『伴天連追放令』を出したのか?」

また、1587年豊臣秀吉が出した

『伴天連(キリシタン)追放令』にならい

江戸幕府も禁教を命じたのか?

【その最も重要な事実】が

日本歴史の闇に葬り去られており、

未だ中高生の教科書にも記載されておりません。

(私が学生の時も載っていませんでした。

なお写真は姪っ子・中学1年生の歴史の教科書です)

当時、スペインとポルトガルは、

「大航海時代」という美名の・・・

その実態は世界の多くを植民地・奴隷化する勢いでの

大罪的行為を行っていました。

その二国は競争するように、

世界中を自分たちのものだと貪りまくっていました。

(その後は周知の通り、イギリスやフランス、

オランダ、アメリカなどが参戦し、

欧米列強による世界の植民地化は

更に広がっていきました)

その世界植民地化の一環として1549年頃、

フランシスコ・ザビエルで有名な

「イエズス会」が日本・長崎にやって来ます。

腐敗しまくっていたローマ法王&カトリックの組織、

それに対抗してのプロテスタントの登場で、

熱烈熱心なカトリックの精鋭・宣教師集団で、

自らの命も顧みず、遠く離れた異国の地で、

カトリックを広めにやってきます。

私は「イエズス会」の方々は、

純粋無垢で自分たちが信じている神の素晴らしさ、

その神が説く生き方を長崎を中心とした

当時の日本人に布教されたのだと観ております。

しかしながら、当時「イエズス会」のあった、

ポルトガルという国家的権力並びに

腐敗しまくっていたローマ教皇を中心とする

カトリック組織が、

イエス・キリストが一切説いていない

「異民族の搾取や奴隷化」を正当化し、

日本の侵略並びに、日本人が奴隷として売買され、

アジアや欧州に送り込まれていたのです。

(一足遅れて日本にやって来たスペインも、

同じ思惑があると見抜いた日本・幕府は

スペインも排除しました)

カトリックに改心した日本人を扇動させて

神社仏閣を破壊させたり、

仏像を焼却させたりしました。

奴隷として日本人を買い、船に押し込め、

ときには鎖でつなぎ、食物も十分に与えず労働させ、

病死すれば海中に遺棄するということを

平気で行っていました。

スペイン・ポルトガルの当時の植民地化戦略は、

「まず、キリシタンの宣教師を征服したい国に派遣し、

その民を教化する。その後軍隊を送り、

それらの信徒を内応させて国を取る」のが手の内です。

以上のようなことを、

秀吉は完全に把握していたので『伴天連追放令』を出し、

江戸幕府もそれに追従したのです。

なお、カトリックとプロテスタントは別ですので、

それでプロテスタントの国であった

オランダは出島にて、

貿易が許されることになりました。

が、私は「イエズス会」の熱心な宣教師たちや

カトリックの教え自体が悪いとは思ってはいなくて、

悪いのはカトリックという

人々の求心力のある宗教というものを、

国家権力や宗教的権力が悪用し、私腹を肥やし、

世界の平和の秩序を乱したことだと観ております。

昨年世界文化遺産になりました長崎の教会群は、

ぜひとも一度観に行ってみたいなと思っています。

ある意味カトリックの本拠地である欧州よりも、

長崎界隈におられる“隠れキリシタン”の血を引く人たちの方が、

純真なるカトリックの教えを守り、

生きておられるような気がいたします。

にしましても、「秀吉による朝鮮侵略」は

デカデカと教科書に記載されているのに、

ケタ違いに劣悪な、

スペイン・ポルトガルの植民地化のことは

一切書かれていないって、

ほんと教科書は偏っていますね。

こうやってじわりじわりと、

偏った人間を増産し続けていっている訳です。

個々の人間がそのことに気づかない限りは、

この偏りは、人生の偏り歪みとなって、

その人の生命と財産を一生涯、搾取され続けます。

分かりやすい事例ですので、

以上長々と記載させていただきましたが、

とにかく私がここでお伝えしたいことは、

無知という罪、偏るという罪、

そして“自分たち”にとって都合のいい情報のみ出し、

悪い情報は隠すという罪、

意図的にまた知らない間に、

人間はたくさん犯していることであり、

そのような事実を客観的に知った上で、

例え学校の教科書であっても

何であっても観なければならないということです(ー人ー)☆

・・・歴史って残酷な面もありますが、

(合っているかどうかは?ですが)

調べる・知る程に本当に面白いし、

何だかものすごく感動です。。。(^0^)♪