「天空の聖地 高野山 ③ 〜隔世遺伝〜」

今回高野山に行った日の午前中、

いつもお借りしている畑の

「一斉草刈り日」ということで、

私の母と一緒に畑仲間のおじさま方と

せっせと草刈りをしていました。

私が掃き掃除をしていると、

ちょっと離れた所で母と仲間のおじさまが

話していました。

おじさん「よしこちゃん、これから高野山へお参りに行くそうやね〜」

母「そうなんですよ! 若いのに、四国とか、お参りばっかり行ってて、、、

 ほんまにも〜、年寄りじゃーあるまいし、

 他にせなアカンことあるやろうっていつも思てますねん!(呆)」

おじさん「まぁ、よろしいですやん。

 えぇことしてはりますやん(なだめる感じ・笑)」

母「えぇことなんですけどね・・・(嘆&笑)。
 
 私も主人も(神社仏閣には)全然興味ないんですけど・・・

 ま、我が家では【隔世遺伝】やて言うてますねん。

 あの子の父親の母親(=私の祖母)が

 熱心にお参りに行ってましたから〜」

・・・ってな訳で、大橋家では私のこと、

意味不明&摩訶不思議な宇宙人的存在として

扱われ続けております(^^;凹)。

私は昔から、縛りの緩〜いステキな両親の下で、

しかも兄妹の真ん中で自由奔放

(いい意味で自分を持っていて、わるい意味で団体行動がニガテ^^;)

に過ごして来たので、誰が何と言おうとも、

反社会的行動ではない限り、

自分のお金・時間・気力(エネルギー)を使って

自己責任でやっているので、

やりたいこと・やるべきことはやるという

意思を貫いている次第です。

だけどやっぱり、身近にこの手の価値観を

理解・共有しあえる人がいないのが、

ちょっと悲しいなぁ〜と思う時があります(^^;)。

そんな時、この【隔世遺伝】という言葉に

私はいつも救われています。

だから今でも

「おばあちゃんがもしも今も生きてくれていたら、

孫の私のこと、心から褒めてくれるやろうーなー・・・」

って思い、ちょっと切なくなります。。。

が、生きていようが死んでいようが、

喜んでくれていることには間違いがないという

確信を得ています。

これは理屈ではなく、真心からそう感じています。

私のおばあちゃん・・・

四国などにお参りに行く時に、

あっちこっちにあるお地蔵さんの赤い前掛けが

ボロボロになっていたら、取り替えていたそうで、

晩年裁縫がだんだん出来なくなって来たら、

裁縫が得意な母に前掛けを縫って欲しいと、

赤い布を母に持って来ていたそうです。

そんな優しい徳の高いおばあちゃんに、

こんな感じで今も、

私の人生を陰で応援して貰っていることに、

ただただ感謝・・・万感の想いがこみ上げて来ます。

だからおばあちゃんは私にとって

【筆頭ご先祖様】であり、

この手のお参りに行く時は、

おばあちゃんに貰った御守りを必ず持っていきます。

おばあちゃんがこの世を去って四半世紀が経ちますが、

いつも一緒・・・っていうか、

一心同体の【一の存在】・・・

まさに【同行二人】という確信を、私は既に得ております。

当然のことながら【今】の私自身の“現世利益”も

非常に重要なことなんですが、

全ては“因果応報”ですので、

この【今】というものと同時に【過去】にも

常に意識を向けたいと思っています。

家(家系)って、

生きていようが死んでいようが関係なしに、

【血という名の糸】で繋がった一つのチームですので、

今後もステキに先祖供養に励み、

私たち子孫全員の繁栄のための

「根(もと)」としたいと思っています(*^^*)♪

【写真】高野山「三鈷の松」前にて、

おばあちゃんの御守り、等

(最後の写真、左写真:一番左側、

右写真:右側の女性が私のおばあちゃん・大橋キクヱです)