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2018/03/27のBlog
1番霊山寺の次1キロ離れたところに、

2番極楽寺があります。

そこに、「田渕義雄 特任大先達」の

銅像が建てられています。



現在、私が「四国八十八ヶ所霊場会 公認先達」

としてお世話役をさせて頂いております、

「大阪楽心会」というお四国参りの講

(グループ)の創立者であられる方です。



どうやら、「楽」という字は、

この「極楽寺」から取ったとのことです。

それだけこのお寺と田渕特任大先達

(大阪楽心会)とはご縁が深いようです。



戦中戦後の混乱期大いに

衰退してしまった四国遍路道を、

昭和初頭時代のように、大いに盛り上げるべく、

戦後の復興期にご尽力された功労者で、

未だ四国遍路のコミュニティでは、

我々公認先達全員に配られる基本テキスト

『先達教典』にお名前が載っている

歴史的有名人であられます。



私が公認先達になった直後、

田渕特任大先達のご子息・雄三氏

(4代目で現在の大阪楽心会会長。

倫理法人会の仲間です)から、

公認先達として大阪楽心会のお世話役

になるようご依頼を受けまして、

もうすぐ4年になります。



この銅像を一人、眺めておりますと、

果たしてその役をちゃんと出来ているだろうか・・・?

と、心のどこかで常に自問自答していましたが、

とても感謝されているという念を感じ、

なんだかほっとしました。



田渕特任大先達を想うと、

古えの私の知らない多くの

お遍路さんの想い(念)も

一緒にたくさん伝わって参ります。



ほんと、いろんな有名無名な方々が今、

私が歩む道を万感の想いで歩まれていたのです。



その想いを・・・【バトン】を引き継いだのが、

私たち今、遍路を歩むお遍路さんなんだと感じます。


改めて、この遍路道の

悠久の奥深き世界を感じました。。。


田渕特任大先達のように、

ダイナミックにカリスマ性を持っては出来ませんが、

私の器・やり方あり方で、

これからもご縁続く限り、

暗中模索状態ではございますが、

公認先達としてのお役に生きたいと、

改めて感じた次第です。


22日夕方、

四国3Sネットワーク事務局としてのお役終了後、

マイカーにて徳島市内へ移動し一泊。



翌23日からは、徳島市内にあります

17番井戸寺から16・15・・・と

どんどん【逆打ち】して行きました。



何故逆打ちしたのか?

それは、24日のスケジュールの関係で、

その方が効率よく24日のスケジュールが

こなせるからです。



何回もお四国参りをしておりますので、

そのあたりの段取りや要領が

よくなっていきます(ブラボー!経験♪)



この日はソメイヨシノが開花した時で、

まさに春の陽気で気持ちよかったです。

お参りする人もそんなに多くなく、

清々しい遍路道を堪能させていただきました(ー人ー)☆



合間合間でパソコン開いて仕事してましたが、

とてもゆったり&じっくりお参りが出来、

とても充実していました。

自分と向きあう・深く見つめる・考えるには、

一人遍路が最高です。



そんな中、15番国分寺の納経所に

「思った通りにはならないが、やった通りにはなる」

という御言葉を見つけました。



ほんと、そうやなぁ。。。と実感。



人生は長いようで短いです。



私たち若者程に、

人生はいつまでも続くと勘違いしてしまいます。

その勘違いに気づき後悔した時にはすでにもう

人生最末期・・・とならないように、

【一日一生】で、謙虚にそして確実に

歩みたいと改めて感じました。


私の父方の祖母が、およそ30年前、

バスにて2周、お遍路していました。

その時の写真を何枚か持っています。



私の父が、祖母が生きていた時に

「一番印象に残っている四国のお寺はどこ?」

と聞いた時、この焼山寺だと答えたそうで、

それで私が子どもの時、

家族旅行で一度このお寺に来たそうです。

(私はその時の記憶は無いんですが。。。)



おばあちゃんのお気に入りだったからか、

おばあちゃんが焼山寺の山門で

写っている写真があります。

焼山寺の山門前にある石の案内板の前、

右側に写っているのが私のおばあちゃんです。



この焼山寺に来る度に、特に強く、

おばあちゃんのことを思い出します。

実際は私が高校1年生の時、

亡くなりましたので、

一緒にお遍路に行ったことはありません。



時代を経て今、孫の私がここに立っている。。。

ほんとは、おばあちゃんと一緒にお参りしたかったなぁ。

私がお遍路に覚醒めるのが遅かったです。

それがちょっと後悔です。



今回、そこに立ってみて、

分かったんですよね

ああ

おばあちゃん(先祖)は、

お墓や仏壇、お四国とか巡拝道中にいるのではない

常に私と一緒にいるねんや



いうこと・・・を。



私がそのことに気づく・・・その感度が上がる程

真の信仰に覚醒める程に、そんなことが分かって来る

ちっぽけな私という人間が、無限に拡がり

なんと美しく尊い存在であるかということに気づかされる



見えない けど、常に存在する想念

エネルギーを通して全て【宇宙】が観得て来る


そんな神通力がとりわけ高くなるのが

お墓や仏壇、お四国と言った真の信仰の場所

聖域やパワースポットと呼ばれるような場所だったり

故人が愛していた場所だったりする



・・・ということを。



「おばあちゃん」という、

一つの御霊(みたま)を通して、

全ての先祖・ものと繋がり、

精一杯ご供養させて頂く、私。



全ての先祖、お遍路さん・・・

全てのみたまのご供養をして感じること、

それはやはり、私、

今を生きる人全員の幸せを

祈り続けて下さっているということ。



その先祖・故人からの念が、

私に【生命力】を与えて下さっている。

ほんと、「私が生きている」のではなく、

「全てに生かされている」ということなんでしょう。



そんなことに気づくと、

なぜか自然と涙があふれ落ちてきます。

私の涙のようで、そうではない、涙。



私のようで私でない、誰かの感動(想念)の涙。。。



だけど、やっぱり私かもしれない。

まさに【同行二人】のみたまの方々と歩む、

この人生遍路道。



言語化するのは非常に困難ですが、

奥深き命の、人生の秘め事であり、

重要なことをまた一つ知って、

深めることが出来た焼山寺でした。



やっぱり私も、この焼山寺が一番好きかもです(ー人ー)☆


ほんと、いいお天気でした♪

11番藤井寺から10番切幡寺に行く間、

徳島の一級河川「吉野川」を渡ります。

私のカーナビで、

ドエライ道を選択され・・・

泣く泣く渡りました。



確かここ、歩き遍路のルートになってて、

歩いて通ったことがあります。

水かさが増しても、

壊れないステキな橋となっています。



所々待機所がありましたが、

基本的に車がすれ違えない狭さなんで、

対岸で対向車が待ってくれていました。

トラクターがゆっくり通っていても、

地元の方々、のんび~り待っていました。

大阪&大阪人じゃありえないのんびり感でした(笑)。



このゆったり&まったり感満載の【お四国】、

私はとても大好きです(*^^*)♪



10番切幡寺にて、

手と口をお清めしようと、

ひしゃくを持ちますと、

何やらテプラが貼ってあり、

よくよく見ますと・・・



「詐欺に注意!」

「ATMで、講座にお金が振り込まれます。は詐欺!」

「パチンコ必勝法やロト6の当選番号を教えます。は詐欺!」



などなど、お年寄りの方向けの

注意文が記載されていました(驚)☆



長年、お四国を中心に、

日本各地の神社仏閣でひしゃくを使いますが、

こんなメッセージ性の有る

ひしゃくは人生初デス(笑)♪



こ、これは強烈なインパクトが

ありますよねぇ~~(ニヤリ)★



お四国のひしゃくにテプラを貼って

注意喚起を起こそうと思いつかれた方

アッパレ☆です~(^0^)!!!

23日夜は6番安楽寺の宿坊に泊まり、

翌24日は前日打ち残した

7番・8番をお参りしました。

これで1番~17番全てお参りいたしました。

この続きは5月に行く予定です。



で、2ヵ寺の近くにある、

徳島自動車道・土成インターチェンジから

一気に250キロ・・・

愛媛県伊予西条市にある

64番前神寺にワープ(^0^)!



64番前神寺は、

私の公認先達の推薦寺となっています。

4周目・パリの映像作家

エミリベルトさんのご縁で出会った、

引田大先達のご縁で、この前神寺推薦で、

公認先達にならせて頂いた次第です。



強烈なご縁ですが、

私が猛烈LOVEな役行者&蔵王権現様が

祀られている・・・

石鎚山(石鎚大権現様)を

祀られているお寺となっております。

蔵王権現様に導いて頂いた、

前神寺とのご縁だと私は信じています。



で、公認先達になった後、

たまたま大阪楽心会で40年ちょっと前に

寄進された灯明台が随分

ボロボロになっていたので、

この大師堂前に設置されている灯明台も

【修繕奉納】しようという話があり・・・

私はそんなご縁・ご恩が前神寺にありますので、

私が浄財を提供し、

修繕し奉納させて頂いたのが、

今からちょうど2年前です。



その時、初めて前神寺の佐々木管長

(※前神寺は真言宗石鈇派総本山ですので、

「住職」ではなく「管長」となります)と

お会いさせて頂き、

引田大先達と大阪楽心会両方のご縁を

お話しさせて頂きました

(最後の写真。2年前の写真です。

佐々木管長プラス、

大阪楽心会・田渕雄三会長が写っています)。



佐々木管長曰く

「先代(管長のお父様)が、

大阪楽心会の初代会長、故・田渕特任大先達に

大変お世話になっておりました。

大橋さん、本当に良いことをされておられますね。

これからも頑張ってくださいね。」と

熱烈激励を頂き、

それで大阪楽心会のお世話役を

辞めれなくなりました(笑)。



前神寺へお参りに来る度に、

掃除用具持参で、

この灯明台のお掃除をさせて頂いています。

1時間半お掃除させて頂きました。



今回は「秘密兵器☆激落ちくん」を持参し、

今まで以上に綺麗になりましたが、

あと1時間くらい磨きたかったです。

にしてもいつの間にか、

ロウソクを差す針に指が当たりまくり、

ステキに切れてました。

だけどなんだか清々しい、

灯明台のお掃除でした。



お掃除が終わってすぐ、

早速お遍路さんがこの灯明台に

ロウソクを立てられていました。



ロウソク(=ヒカリ)は、

“暗闇の世界の方”におられる先祖を、

子孫の【供養】によって、

“ヒカリの世界”へと導く・

上げる為のものなんだそうです。



これからもたくさんのお遍路さんの・・・

そのお手伝いを、

この灯明台が成されて行くことを、

私はお祈りしております(ー人ー)☆


3月24日(土)午後。

私が公認先達の推薦を頂きました、

64番前神寺にて開催された

「先達研修会」に参加させて頂きました。



年4回程開催されておられ、

毎回の参加は遠方のため難しいのですが今回、

四国3Sネットワークでの四国訪問日と

2日しか違わなかったので、

今回参加することが出来ました!



お遍路さん(人様)を導く

公認先達としての資質向上を目指した、

前神寺独自の勉強会です。

このような勉強会をされているのは、

88のお寺で恐らく、前神寺さんだけだと思われます。

ほんと、良いところにハマらせて頂き、

お大師さんや役行者様、

蔵王権現様に大感謝でございます(ー人ー)☆



私自身、日頃何気なしに、無意識に・・・

そしていつの間にか我流で

お参りをしてしまっております。



一般のお遍路さんはそれでいいかとは思いますが、

公認先達の輪袈裟をし、

先達の朱色の金剛杖を持っている人間は

そうやって我流でお参りするのは、

いろんな意味で自他共に

よろしくないことだと感じています。



研修の前半は、

前神寺の佐々木管長からの法話でした。



今回は、ものすごく俗なお話しと言いますか・・・

知る人ぞ知る、四国88のお寺で

最も問題の在るあるお寺のこと並びに

それに対応している

四国八十八ヶ所霊場会組織のこと・・・

とにもかくにも、

いろんな意味でリアルでものすごいお話しで、

人間という動物の本質的なことを

垣間見ることの出来たお話しでした。



また、人づてのあれこれ聞くと事実と

異なることが多々ありますが、

その渦中におられる方から

直接お話しを伺うことこそが、

真実が分かる!ということが

明確化されました。



後半部分は、当研修会の世話人であられます、

引田大先達による、

巡拝や読経の基本的なことを再確認の意味も込めて

みっちりお教えくださいました。

今更聴けない、いろんなお四国情報を、

たっぷり知ることが出来た善き時間となりました。



若輩者なのは重々承知しております。

だからこそ、もっと高みを目指したい。



・・・こんな感じで、

お四国のコミュニティは「お遍路」

という糸(縁)によって、

見ず知らずの人とでもすぐにご縁が繋がり、

一生のご縁になったりする。。。

本当に大きな&ステキなコミュニティ

【家族】なんだと感じています。



期末の今、日々とても忙しく、

いろんな壁にぶつかっておりますが、

四国での【おかげさまの力】を活かし、

乗り越えて参りたいと思います。



2泊3日ながら、

おかげさまで今回も大変内容の濃い、

善き旅(行)となりました。

ありがとうございました(ー人ー)☆



【写真】前神寺 境内、

本堂(その向こうに霊峰・石槌山があります)


2018/03/23のBlog
ご報告、遅くなりました。

3月17日から20日まで、新潟・長岡、

福島・会津若松、宮城・仙台に行って参りましたので

その旅の、ご報告を12個の日記に分けて

させていただきます~(ー人ー)☆



---------------



3月17日(土)朝、大阪伊丹空港をぶっ飛び、一路新潟へ♪

そこから新幹線「MAXとき」に乗り、

新潟県長岡市まで行きました。

ちなみこの新幹線の間に薄いピンク色がつけられているのは、

地元で有名な鳥である「とき」の色なんだそうです。



新潟~長岡間はほぼ雪が溶けていて、

春を予感させる素敵な晴天でした。

が、遠くに見える越後山脈はまだまだ深い雪に覆われていて、

とても美しい&清々しい北越の風景でした。



我が師匠&恩師の古芝保治さんが講師を務められている

「新潟3Sネットワーク」の

2周年発表大会に参加させていただきました。



徹底3S(整理・整頓・清掃)を

古芝さんから学ぼうを新潟市内・長岡市内の会社さんが

毎月古芝さんを講師としてお招きし、

自らの会社に徹底3Sを落とし込んでおられます。



私は半年程前から、

このグループの兄弟分であります「四国3Sネットワーク」の

事務局を拝命しており、

そのご縁で一度新潟3Sグループの方々と

お会いしたいと思っていました。



今日の大会では改めて徹底3Sの基本的なこと

(導入部分のポイントや概要)を再認識し、

新潟3Sの方々の発表に深く感銘を受け、

TTP(徹底的にパクる・笑)を

させていただきたいなと思いました。



そして、、、【長岡】と言えば、

司馬遼太郎先生の小説『峠』~河井継之助~が超有名で、

河井継之助ゆかりの地にいつか行ってみたいと

数年前より猛烈に願っており。。。

その念願がこのような形で実現し、

ただただ、感無量でございます(ー人ー)☆



明日・18日は古芝さんと共に

長岡市内を散策した後、一人、

福島・会津若松に移動します♪


今回は新潟県長岡市(旧長岡藩)→

福島県会津若松市(旧会津若松藩)→

宮城県仙台市(旧仙台藩)の

歴史探訪旅でゴザイマス(^0^)!



江戸末期、最末期まで佐幕派

(それに対する派閥は薩長等の倒幕派です。

幕末の戊辰戦争時、奥羽越列藩同盟に所属していた雄藩)だった

旧3藩の足跡を辿ることにより、

今から150年前の「この国のかたち」を

自分なりに見つけ出し、

これからの自身のまた日本社会の

「あるべきかたち(未来)」を

検証したいなというのが今回の、旅のコンセプトです。



発表大会後の懇親会では、

たまたま長岡の方の周りに座ることが出来ましたので、

新潟・長岡の歴史や今のお話しを

たくさんお伺いすることが出来ました。

その後行ったお寿司屋さんの大将にも、

いろいろと教えて頂きましたので、

また後日まとめてみなさんにご報告させて頂きたいなと思います。



にしましても、新潟・長岡のお料理、、、

ごはん、お酒(※普段は飲まないのですが^^;)。。。

美味し過ぎです~(>0<)♪


3月17日(土)夜。

新潟3Sネットワーク2周年発表大会後の

懇親会 in 新潟県長岡市にて・・・
じゃんけん大会で勝った方の景品がなぜか

【たい焼きのかぶりもの】で、

お笑いネタが大好きな大阪人・よしこちゃんは

ついつい「一度かぶらせてください~(^0^)」と懇願し、

かぶらせて頂いていると、

ちょうどそこに我が恩師&師匠の

古芝保治さんがやって来られました。



懇親会の場のノリと勢いで、

「たい焼き君になってください~」と言いますと、

さすが大阪人☆ノッてくださいました

(っていうか、ノリ過ぎ ?!笑)



普段は硬派で清く正しくお美しい古芝さんですが、

意外な一面があるということを、

また一つ知ってしまいマシタ。。。(キラーン☆)



にしましても、

新潟の食べ物は美味しすぎです。。。

越後、万歳~~~~っ☆




3月18日(日)。

朝から古芝さんと長岡市内の歴史探訪♪ということで、

河井継之助記念館(http://tsuginosuke.net/)や、

山本五十六記念館(http://yamamoto-isoroku.com/

などに行って来ました。



このお二方のこと(長岡・越後人について)の

詳細はまだ後日まとめて

ご報告させていただきたいなと思います。

(いっぱいいろんなことを聞き、

いろんな資料を頂き、これらをともに更に勉強・研究

したいと思ってます!)



長岡の街は戊辰戦争と第二次世界大戦で

二度も火の海となり、大部分を焼失し・・・

また冬期は常に雪深い街ですので、

耐えがたきを耐え。。。

状態のとても辛抱強いといいますか、打たれ強い、、、

一見静かで温和なのですが、

内なる情熱や、勤勉さ、

客観的現実&本質主義を貫き通しつつも、

和(人との縁や恩)を重んじる

地域性があるように感じました。



そして何より、長岡・越後は正に【義】の人であった

上杉謙信公が治めていた場所であり・・・

この【義】というものを私は

今回の旅で学びに来たという感覚が私はあります。



お昼ご飯には超有名店・小嶋屋

http://www.nagaokakojimaya.com/)の

お蕎麦をマンキツさせて頂きました。


海藻でつなぐ「へぎそば」が長岡のお蕎麦の特色で、

何とも言えない、

ちゅるっとした食感がたまりません(^0^)♪



その後古芝さんとお別れし、新幹線で新潟駅まで戻り、

そこから高速バスにて福島・会津若松まで来ました。

明日・19日(月)は終日、会津若松で観光をし、

夕方、宮城・仙台に向かいます~☆


3月18日(日)。

長岡→新潟間、たまたま乗った新幹線が、

今まで見たことの無い・・・

「ただの移動手段である電車」という

既成概念を遥かに超えた、

目からウロコ&摩訶不思議な、

6両編成の新幹線でした~~~~っ(>0<)!!!



「鉄子魂」に炎がメラメラと燃え盛り(笑)、

思わず車内&車外をバチバチ☆写真撮影~♪



新潟~越後湯沢間のみ営業運転中の、

「世界最速芸術鑑賞」

というのがコンセプトのようです。



萌え~過ぎます!!!

鉄子・よしこちゃん、、、

完全にノックアウトされマシタ~(>0<)♪




【JR東日本「現美新幹線」公式ホームページ】

http://www.jreast.co.jp/genbi/



3月19日(月)。

福島県会津若松市にあります鶴ヶ城などなど、

旧会津若松藩の歴史探訪に行って参りましたぁ~(^0^)♪



例え鉄筋コンクリート造りであったとしても、

会津若松の方々のお城(=地域のシンボル、

歴史的誇り)に対する想い【愛】は、本当にすごい。。。

会津若松魂をひしひしと感じて参りました。



全国あっちこっち行きますが、

未だにお城が残っている・数々の戦災で

焼失したにも関わらず、行政の多額の税金や

市民の浄財によって再建されたお城がある街って、

本当に地域愛がハンパない。。。

旅人としましてもとても清々しいですし、感動的です。



鶴ヶ城ホームページ

http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html


会津若松駅から一駅南にあります、

七日町駅は、とってもレトロで、

しかも「駅カフェ」や、

おしゃれな&カワイイお土産屋さんがあります♪



ウインドウショッピングだけでも十分楽しめる、

ステキな場所でした。



たまたま普通列車が来たので、

撮影してみました。



田舎のどこにでもある、

すてきなニッホンの鉄道風景に、

じわり、感動です。。。



七日町駅「駅カフェ」ホームページ

http://www.aizu-furusato.com/ekicafe/


「あいづっこ宣言」は以前より知っていましたが、

会津若松駅前にデカデカと掲げてあったり、

小学校にものぼり旗でいっぱい掲げられている・・・

こんなにも本気で徹底的にあっちこっちに

掲げまくり実践しているという、

会津若松人の絶大なる教育力に脱帽です☆



しかも下記・市役所ホームページ内に・・・

【「あいづっこ宣言」は、子どもの立場からは、

「このような子ども・会津人になります」

という宣言ですが、同時にまた、大人の立場からは、

「子どもたちの手本となり、

このような子ども・会津人を育てます」

という宣言でもあります。】と書かれています。



いやはや。。。

子どもたちの手本になりきれていない

自分自身の日々の行いを猛省いたしました(凹)★



私が入っている地元八尾の商工会議所青年部で

毎年夏季に「ジュニアエコノミーカレッジ

http://jec-net.com/)」という、

子どもたちに商売体験をさせ、

「自分で決める」ということを

学んでもらうプログラム(事業)を行っています。

そもそもこの事業が始まったのも、

会津若松商工会議所青年部からで、

それが全国に広がって行っているんです。

なぜ会津若松からスタートしたのか?

そんな歴史的土壌があるからなんですよね。納得です!




司馬遼太郎先生の

『街道をゆく~白河・会津のみち~』内にも・・・

「江戸期ーとくに後期ー二百数十藩のなかで、

会津藩の教育水準はおそらく肥前佐賀の鍋島藩とともに、

日本第一等であったかもしれない。」と記載されています。

かつての旧会津若松藩藩主・保科正之(会津松平家)等、

歴史的偉人のおかげなんでしょうね。。。



会津若松市役所“あいづっこ宣言”公式ホームページ

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/d…/2013011700133/

白虎隊の墓参に行って参りました。

あれこれ資料を見、あれこれ人に聞きまして・・・

どうやら鶴ヶ城&市内が見える飯盛山で最期、

白虎隊が全員自害した中で

偶然一人生き残った人がいて、

その人が白虎隊の真の語り部となり、

世に広がって行ったようです。



この白虎隊の悲劇を象徴とする、

幕末維新・戊辰戦争の惨劇は、

決して一言では書き切れないものがあります。

詳細は各書籍や司馬先生の

『街道をゆく~白河・会津のみち~』を

ご覧ください(笑)♪



私がその場所飯盛山に行った感想の一つですが、

革命によって齎された「勝者」と「敗者」が在って、

その勝者=100%善であり正しい、

逆に敗者=悪であり全部間違っているという

図式は真実として存在しないということです。



歴史とは、先人たち全てが紡いで来た、

いろんな色の糸であり、

ざっくりとした流れは分かっても、

全容は宇宙の如く分からず、詳細は誰も分りません。

なぜなら、人間は長くとも

120年くらいまでしか生きれないので、

だれもそれ以前の過去を、

それ以前生きていた人の人生をこの目で

確かめることは出来ないからです。



歴史は勝者が作るもの、勝者の都合の良いように、

書き換えて伝わっていくものであります。

例え虚実が真実であるかのように伝わっても、

人間が死に生まれを繰り返しているうちに、

だれも真実が分からなくなるからです。



人間は正しい情報【真実】を得、正しい判断をし、

そして正しい行動をしなければ、

人間として正しい生き方は出来ません。



浅はかで無知で欲に囚われておりますと、

正しい情報が入って来ない

【ありのままが観得ない】と思います。

従って常に歴史であれ、日々の人間関係であれ、

インターネットやマスコミであれ、常に

【これは真実か?虚実か?】を見極める能力・・・

つまり【直観力】を身につける必要があろうかと思います。



私の場合は、その力を身につける一つの鍛錬・方法として、

このような「歴史探訪をすること」であります。

歴史(=過去)を知ると、今が観得て来ます。

すると【流れ・横】と【本質・縦】が観得、

おのずと未来(先、方向性)が観得て参ります。



会津若松の方々は、

白虎隊の悲劇を象徴とした戊辰戦争や、

第二次世界大戦の失敗を深く味わいつつも、

【艱難汝を玉にす】で、

廃残の会津若松から後年多数の人材を

輩出して世に広く活躍していきました。



貫徹する会津若松の方々の強さ・凄さは、

①石高が高い=比較的気候がよく、

米をはじめとする農作物がよく採れたり

(=食べるものに困らない)、

土地が豊かであり、名産品も多く、

交通の要で人の行き来が多い。

②藩の施策により教育的レベルの高い、

他藩と比較して中級階級が多い(教育・貧富の格差が少ない)。

③不条理な歴史的苦難を多く与えられるも、

それをバネによりよく生きる術を知っている。



現代においては、幕末、徹底的に会津若松を

苛め抜いた長州(山口・萩界隈)よりも、

会津若松の方がいろんな意味で水準(レベル)が

高いように感じます。

苦難は人をより強く、よりよく導く糧であると、

会津若松人は先祖代々知っているのでしょうね。



東北人は粘り強いし、耐える力も凄いし、

コツコツ努力することに長けていそうです。

(どうも我々西国の人間は、義よりも利、

立ち止まりコツコツと深めることよりも、

常に流れる・変わることに目が移る

傾向があるように感じます。

これも風土や歴史が深く関係していると思います)



・・・薩長が革命を興すためだけに、

(さっさと大政奉還して逃げた15代将軍徳川慶喜の代わりに)

会津藩を「賊軍」として、歴史に虚実を創造し、

会津を火の海にし、会津人を会津から追い出したのです。

果たしてそれが正義なのでしょうか。

天から観た【真実】なのでしょうか。

これは、河井継之助がいた越後・長岡藩もしかりです。

北越戊辰戦争を回避出来る方法が、

薩長にあったかどうか。。。

薩長側にも物事を分かる善き人材が

多ければ良かったのですが。。。



要は私が感じたことは、人間が人間である以上、

100%善人もいないし、

100%悪人もいないということであり、

そのパーセンテージの間(真実と虚実の間)で

歴史が生まれ、紡ぐまれ、流れていく・・・

まさに時間と想念の大河、

そのものが歴史であるということです。



その大河の流れいかに、より善く生きていくのか?

歴史的賢者に“直に”学びたいというのが、

私が歴史探訪をし続ける、もう一つの理由であります。



白虎隊十九士の墓

https://www.aizukanko.com/spot/137/


3月19日(月)夕方。

またまた高速バスに乗り、

今度は宮城・仙台に行きました。



途中、美しい磐梯山が見えました。

不思議なお山です。。。



とても慈愛に満ちた優しい感じと

とても荒々しく恐ろしい感じとが

共存している感じです。

私たち日本人が、罪深くなっていくと、

怒ってバーン!と噴火しそうな勢いです。

そうやって、私たちを日々戒め、

教え導いて下さっています。



もともと磐梯山は「いわはしやま」と読み、

「天に掛かる岩の梯子」という意味だったとのことです。



もしかして、ここもかつては、

天意を求める修験者がいっぱいおられ、

権現様を祀っておられたのかも知れませんね。

何とも心、惹かれるお山でした。。。(ー人ー)☆


[ 18:33 ] [ ぶらり旅日記 ]
3月20日(火)。

朝から夕方まで仙台で歴史探訪していました。

(先月仙台に行った時は、

「東日本大震災の復興を知る」がテーマでした)。

20日夜、格安ピーチにて大阪に帰って来ました。



仙台市内を一望出来る、青葉山

(青葉城があった場所。

残念ながらこのお城は第二次世界大戦時、

焼失してしまいました)にある、

伊達政宗像がとても凛として美しかったです(^^)♪


3月20日(火)。

司馬遼太郎先生の

『街道をゆく~仙台・石巻~』を片手に、

仙台市内の歴史スポットを

効率良く&安価に回るために、

仙台市が運行している『るーぷる仙台』

http://loople-sendai.jp/)という

仙台市内の観光地をくるっと一周する

循環バスを使いました。

こんな主旨のバスは会津若松にもあって、

2回使いました。



一日乗車券620円。

一回乗ると一律260円なので、

3回以上乗ると一日乗車券の方が安くなります。



私は、仙台駅→瑞鳳殿前、瑞鳳殿前→仙台城跡、

仙台城跡→大崎八幡宮、大崎八幡宮→仙台駅の

4回乗りました。



運転手さんがとてもきめ細かいおもてなしをしてくださり、

しかも合間合間で地理や歴史の案内もして下さいました。


瑞鳳殿(ずいほうでん)は、

今の仙台の街を作ったと言っても過言ではない、

伊達正宗公の霊屋などがある、

仙台で最も荘厳且つ神聖な場所だと感じられました。

残念ながら第二次世界大戦で焼失してしまいましたが、

昭和54年に再建されたとのことです。
豊臣秀吉が権力を握っていた時代

(秀吉好みの)絢爛きらびやか な

【桃山様式】となっています。

実際秀吉が権力を握り、



建築様式までも影響を与える時代は

数十年しか無かったようで、

未だその様式の建築が残っているのは、

ほぼ仙台界隈のみだけなんだそうで

(これも伊達政宗の権力のおかげです)、

文化的に大変貴重なものなんだそうです。

なお大崎八幡宮は戦災を逃れ、

桃山様式の建築が今も残っています。



青葉城が現存していないのは非常に残念ですが

(会津若松にように鉄筋コンクリート造でもいいので、

再建を望みますが)、

さすが東北の所要とあって、

とてつもなく大きな&広いお城群だったようですので、

再建は難しそうです(さすが、仙台ですねぇ~ ^^;)。



【写真】

瑞鳳殿 http://www.zuihoden.com/ と

大崎八幡宮 http://www.oosaki-hachiman.or.jp/


3月20日(火)。

大崎八幡宮(http://www.oosaki-hachiman.or.jp/

にお参りし、『るーぷる仙台』(仙台駅発着の観光循環バス)に

乗ろうとバス停に行くと丁度バスが出たところで、

次のバスが来る15分程、バス停あたりで待っていました。



バス停のある八幡宮の一番目の鳥居をくぐった

すぐ左側に、強烈な光(西日)を放つ

とても美しい祠がありました。

その光に魅了され、思わず写真撮影☆



「なんやろ、この小さな祠。。。?」。

まじまじと見てみると【大日如来】と

記載されていてビックリ、、、そしてナットク☆



ああ。。。だから、我々地球人にとって

最も宇宙というものの恩恵を感じられる

【太陽】が強烈に光放ち、

私に教えて下さったんや。。。と

(勝手な思い込み? 笑)♪



後でそこで撮影した写真をパソコンで見ると、

未だかつて撮影したことのない高レベルの

【ヒカリの写真】が撮影出来たことを知りました。



ほんと・・・今回の旅でもこんな感じで

たくさんの【おかげさま】を頂きました。

感謝しかありません(ー人ー)☆



恐らく、明治政府による廃仏毀釈(神仏分離令)の際、

大崎八幡宮の境内にあった仏様関連のものを

捨てるのは忍びないだろうと、

この入口側の小さな祠あたりに集め、

ひっそりと祀っている・・・

という感じがいたしました

(実際はどのような経緯でそこに在るのかは分かりません)。



私はこの廃仏毀釈という明治政府による施策は、

どこをどう考えても良いものとは思えません

(その個人的に思う理由・真意は長文になるので割愛)。

当時の政治家・権力者に対しての強い憤りを感じ

我が肉体の半分をちぎり取られた感じがずっとしていました。



が、その大日如来様から

以下のようなことを聴いたのです(幻聴? 笑)。



「恨むことなく、嘆くことなく・・・

全てありのまま受け入れ、己を無に空にし、己の中で、

神と仏と(=別々になっているもの)を

習合させれば良いのです」



つまり、自分以外の他者

(神社や仏閣、神職の方やお坊さん等)によって

既に習合された【おかげさまの力】を

与えて貰うのではなく、自力本願&自己努力・・・

自発的な行(正しい実践)によって、

自らの力で&自らの心の中で、

分離されたものを合一・習合させましょう・・・

とうことです。



自らの(信仰の)力により、分離したものを一つにする・・・

多を一にすることが、行の根本的目的なんやなぁ・・・と、

目からウロコの真理を得る瞬間を体験しました☆



神も仏も・・・森羅万象の真実は一つ。

全て「全一統体」。



あれとこれは違う、あなたと私は違う・・・

これは五感レベル・次元のシイ(私意・思惟)の

レベル・判断基準であります。

あるべき真のレベルとは、全て一、

宇宙という名の同一の存在であるということの

自覺なのではないでしょうか。。。



以上のような【一への自覺】は、

人間の真の悟り、弘法大師空海の言う

【即身成仏】へのスタートであり、

根幹的部分を成しているように感じました。



また一つ、宇宙(絶対的真理)への気づきを得られ、

本当に善き旅となりました。

お世話になった全てのみなさま、

ありがとうございました(ー人ー)☆


2018/03/15のBlog
[ 20:04 ] [ よしこちゃんのぼやき ]
BSプレミアムで放送中の

「英雄たちの選択」(http://www4.nhk.or.jp/heroes/

に最近ハマってます。



今日放送されたのは、

備中松山藩の山田方谷(やまだ ほうこく 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7

のお話し。これまた感涙ものでした。。。



私の母方の祖母の先祖は代々備中松山藩

(現・岡山県高梁市)の農家でしたので、

私の先祖は方谷先生の政治的な恩恵や、

塾生としての恩恵を受けていたのだと思います。

2年前、日本商工会議所青年部の

全国大会で岡山に行った時、

備中松山城を始めとする、

高梁探訪をする分科会に参加したことがあり、

そこで方谷先生のことを知りました。

我ながら、武士の格好がものすごく

お似合いだと自負しておりマス(1枚目の写真)♪



その後、司馬遼太郎先生の『峠』という小説を読み、

『峠』の主人公である、

越後長岡藩家老・河井継之助の師匠が

この方谷先生だと知り、

ますます方谷先生が好きになりました。



今週末、念願だった旧長岡藩(新潟県長岡市)に

旅しに行けることになり今、

テンションMAXでございます~(^0^)♪



・・・江戸時代後期、

備中松山藩(5万石。山間の小藩)は、

事実上財政破綻をしていました。

農民の出でしたが、幼少より聡明だった方谷先生は、

20歳で士分に取立てられ、

藩校の筆頭教授に任命されました。

備中松山藩藩主だった板倉勝静(かつきよ)に懇願され、

大抜擢されて藩政改革を断行します。


忠義そうに見えて、

実は武士の意地やプライドばっかり状態だった、

最悪な藩政をたった7年程で立て直し、

一足先に殖産興業(現代でも使われている

「備中鍬」も方谷先生発明&備中高梁のオリジナル商品です)

&富国強兵(「刀による戦い」に固執する

武士に代わって農兵制を導入し、

長州藩で有名な奇兵隊よりも6年早く、

農民&最新の鉄砲による兵隊組織づくり)を行います。



が、幕末の動乱期、「徳川幕府はもうアカン」と

知り抜いていた方谷先生は、

新政府軍の命令で攻めにやって来た岡山藩とうまく折衝し、

無血開城し、徳川慶喜の老中をしていた藩主・板倉勝静を、

あの手この手を使って戊辰戦争の最後の激戦地であった

函館から救い出し、

明治時代よりまた新たな人づくりを行います。



その手腕が評価され、明治政府より、

出仕して欲しいと何度も依頼が来たそうですが、

頑なに断り続け、自身は母親の実家である場所

(高梁・長瀬)で長瀬塾を開き、

後進の育成に専念される教育者の道を歩まれ、

静かに生涯を終えられます。



政権や社会的システムは時代と共に変わるけれど、

人間の本質的なことは変わることがなく・・・

真の豊かな国、真に豊かで幸せな人生とは?と考えた時に、

それは良き教育から全てが始まってゆく。。。

ということなんでしょう。

その長瀬塾の塾生は増えに増え、6棟まで増えたそうです。



方谷先生の無血開城と比べ、弟子である河井継之助は、

新政府軍に対して徹底抗戦し、北越戦争に突入、

長岡の町は火の海となり、それが引き金となって

継之助も死んでしまいます。

地元長岡の人たちの河井継之助への評価は

極めて良くなかったうですが、

司馬先生の『峠』が発表されてから再評価され、

記念館も出来たと聞いております。



その師匠と弟子の手腕の違いも改めて、

長岡を訪問した時に、じっくりと

またあれこれと検証してみたいなと思います。



【歴史】とは即ち、「過去この国・この地球で

生きていた全ての人の人生そのもの」だと私は認識しています。

ほんと、膨大な天文学的な知識・経験の量ですよね!



私は山田方谷先生や河井継之助が

生きていた時代には生きていませんので、

お二人に実際お会いすることが出来ません。

しかしながら今、【歴史】というものを通して、

お二人の様々なことを断片的且つ推測的部分も

多々ありますが、知ることが出来、

それを今を生きる私たちが活かすことが出来ます。



ですので、私は【歴史】というものを

自分なりにもっと掘り起こして、感謝感動し、

自分のこれからに生かして生きたいと考えております。



書籍やテレビを見るだけでも十分勉強になりますが、

やっぱり実際、その場所に生き、

歴史的偉人の【残り香】に

ちょっとでも触れてみたいです。



この「英雄たちの選択」・・・次週は、

怨念の天皇と呼ばれている「崇徳天皇」なんだそうで。。。

これまた楽しみです(>0<)☆